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17-3


 強く、なりたい。

 だけど――強くなるって、一体どういうことなんだろう?

『よく、分かんないや……』

 一人ぽつん、と呟いて、わたしは寝転んだまま、左手を天井に掲げた。エイドスという燃える液体を満たした丸いランプにともる灯が、淡くおぼろに指の輪郭を縁取る。

 さっき、タクに抱き締められた。そのことは紛れもない事実なのに、今はもう、あの時のどきどきや浮遊感、温もり、彼の匂いがすごく遠い。

――なんだったんだろう。

 あの瞬間、タクと気持ちが繋がったと思った。わたしが彼を想うように、彼もわたしを想ってくれてるって。だけど、違ったみたい。

 わたしとタクの間に引かれた境界線は、やっぱり一晩くらいじゃ乗り越えられないんだ。

 胸が痛い。苦しい。〝好き〟って気持ちなのに、こんなに辛い。

 でも泣きたくなくて、口から細く息を吐き出す。少し指先の冷えた手を握る。

 強く、なりたい。こんな想いに負けないくらい。この想いを笑って抱き締められるくらい。

『……どうすれば、いいの?』

 答えなんて出ない。

 わたしは、胸の真ん中に押し当てた右手を開いた。ぶらぶらの薄汚れたブルーのテディベア。

 去り際のタクを必死で引き止めて、渡してもらった。裁縫は得意ってほどじゃないけど、繕って返そうと思う。今度こそ、二人の気持ちが繋がるように、もう一度。

――大事な旅の途中に、恋に浮かれる軽い子だって思われちゃうかな。

 また心が揺れる。一人で自問自答していると、ふいに部屋のドアが開いて、再びタクが入ってきた。その腕にはシーツにくるまれた真紀の姿。はっと起き上がる。

『どうしたの?』

 わたしの問いに、タクはなぜか苦虫を十匹くらい噛み潰したような顔になった。

『隣の部屋で寝ていた』

――となり……って、ルイスのいる部屋だよ、ね?

『え、ええ~っ!』

 思わず叫んでしまう。

『声が大きい。マキが起きるぞ』

 慌てて手で口に蓋をするけど、タクもどこか気まずそうにわたしから目を逸らし、隣のベッドに真紀を寝かせた。起きる様子のない真紀は、明らかに男物の服を着ていて、なんだかどことなく色っぽい。

――こんな格好で、ルイスと二人でなにしてたのよっ。

 あらぬ妄想が頭をよぎる。あんまりタクに見せたくなくて、わたしは真紀の首元までしっかり布団を被せた。ちらっと覗くとズボンは履いてるみたいで、ちょっと安心する。わりとばさばさ音がしたのに、真紀は完全に熟睡していた。ほんとに寝つきがいい。

『じゃあ、あとは頼む』

 タクがそう言って、部屋を去ろうとする。反射的に声をあげた。

『あ……待って!』

 足を止め、タクがふり返る。わたしは呼び止めた口実を必死で頭の中で考えた。がんがん鳴っている心臓のせいで、言葉がなかなか出てこない。

『えと、あの……お休み、なさい』

『ああ、お休み』

 ふっとタクが笑って、部屋を出て行く。バタンと音を立てて扉が閉じた瞬間、空気の抜けた風船のようにわたしはその場にへたりこんだ。

――好きって、言いそびれちゃった……。

 全力疾走したり落ち込んだりした心臓は、しばらくおさまりそうになかったけど、それでも疲れていたのか、わたしは真紀につられるように深い眠りに就いた――テディベアを握ったまま。

 夢は観なかった。悪夢もない代わりにタクとの甘い夢を楽しむこともなく、わたしは眠った。


 気を失っていた分も含めて睡眠をとっていたせいか、やけに早く目が覚める。隣のベッドの真紀はまだ寝ているので、起きてタオルや着替え一式をもち、一人湯浴みに向かった。宿にはたいてい別室にお風呂がついているので、ここにもあることは昨日タクに確認済みだ。

 エイドスの明かりが小さくなっているけど、外はほんのり白んでいて視界には困らない。廊下に出ると、夜の冷気をまとった空気が体を包んだ。ぶるりと震えたわたしは、歩き出そうとして廊下の片隅にうずくまる影を見つけた。

『……ルイス?』

『リオコか。早いな』

 髪をほどいて片側に流し、ルイスが廊下に座ったままわたしを見上げる。目の下に端正な顔が八割減になるほどの、ひどい隈がくっきり浮かんでいた。

『どうしたの、こんなところで』

『頭を冷やそうと思って外に出て、どうやらそのまま転寝してしまったらしい』

『なんでここに? タクと喧嘩でもしたの?』

『……いや。彼は呆れてるだけで、喧嘩をしたわけじゃない。ここにいたほうが目が覚めるかと思ったんだ』

 寝るのに目が覚める? 一瞬頭が混乱する。しばらく考えて、その意味に気がついた。

『真紀ちゃんとなにかあった?』

『何かあったら、むしろ私はここにいないよ。リオコは今から湯浴みか?』

『う、うん。そう』

『案内するよ。迷子になったらいけないからね』

 さりげなく話題を逸らして、ルイスが立ち上がる。疲れている様子の彼にそれ以上何も言えず、わたしはその後についていった。魔法で創った光の玉が、ふわりと飛んで先導する。

――大丈夫なのかな、ルイス。

 魔法の光に照らされた彼の横顔を見ながら、心の中で呟く。

 それでも、わたしが湯浴みから出て部屋に戻るまで、結局ルイスとその話の続きをすることはできなかった。


 ちくちく、ちくちく。湯浴みから戻ったわたしは、妙に目が冴えて、まだ日の昇りきらない時刻だというのに部屋の明かりを頼りに針仕事をしていた。異界から持参のソーイングセットを広げ、テディベアの外れかかった足を付け直す。

 ちくちく、ちくちく。わたしは無心に布に針を通した。裁縫とか料理って、何も考えたくないときに本当に向いている。目の前の仕事だけに集中すればいいんだから。

『あいたっ』

 なんて油断してると、針で指先を突き刺した。ぺろりと舐めると、血はすぐに止まる。また針を動かしはじめた。

 左足の付け直しは終わり。もう片方の足も、付け根から見えていた綿を閉じて補修する。千切れかかった肩の部分もしっかりかがった。手足が動かせなくてかわいさが減るけど、なくなるよりましだ。

 両手足がつながったところで、目鼻を付け直す。元の黒いビーズはなくなってしまっているので、代わりに黒い糸でそれらしく作る。刺繍糸はないけど、普通の糸で何度か結び目を作ってうまく表情が出るように工夫してみた。

『あれ?』

 できあがった顔を見たら、前よりきりっと男前。どこかタクに似ている。

『君、持ち主に似ちゃったねぇ』

 話しかけつつ、頭のてっぺんにぶっすり針を刺し、新しい紐をつける。ちょっとかわいそうだけど、中綿まで通してしっかり紐を結ぶ。これで完了。ソーイングセットを片付けると、入れていた糸が結構なくなってしまっていた。

 ほつれ気味だったタクのマントや上着を思い出す。直してあげたいけど、よく使う白や黒、紺色の糸はもうほとんど切れ端だ。

『買いに行こうかな……』

 タクからもらったお小遣いもあることだし。出発前に市場に寄ってもらおうかな、と考えながら、わたしは両腕をぐっと上へ伸ばして肩をほぐした。

 薄いカーテンの向こうから、爽やかな日射しが煌めいて見える。少しだけすっきりした気分になったわたしは、治療の終わったテディベアを枕元に置いて、束の間の転寝に浸った。



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