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第17章 新しい風――リオコの秘密


 ずっと、ずっと深い水の底を漂っていた――そんな眠りだった。その間に観ていた夢は、現実と虚構が織り交ざったリアルすぎる悪夢だった。

 高校の制服を着たわたしは、なぜか小学校にいて廊下を必死に走っている。そのわたしの手をタクが引いてくれているんだけど、けしてこちらを見ない。右脇には真紀が、その隣にはルイスがいて一緒に走っているのに、みんな無言だ。わたしが転んで倒れても、足を止めてもくれない。背中がどんどん遠ざかる。

――お願い、待って……待ってよ!

『落ち着きな、嬢ちゃん。それは夢だ』

 聞いたことのない男の人の声が聞こえて、わたしは薄目を開く。目の前に金色の瞳が見えて、わたしはまだ夢の続きを観ているのかと思った。

『怖がらせて悪かったな。もう大丈夫だ』

 目を動かすと、まだ岩の上なんだけど頭はやわらかい真紀の膝にいて、傍にはタクもいる。

――ああ……無事、だったんだ。

 思いながら、また意識が遠ざかる。

『寝るといい。今度は悪い夢なんか観るんじゃないぜ?』

 まるで眠りの神様のように、低い声がわたしに呪文をかけていく。わたしは再び水の底に沈んでいった。


 正直に言うと、それはまったくの眠りというわけじゃなかった。頭は起きているんだけど、体だけが目覚めない。目覚めようとすると、また意識が沈む。そのくり返しだ。

 だから、タクがつらそうに吐くため息も、真紀が心配そうに手を握ったり髪を撫でたりするのも分かっていた。抱き上げられ馬車に乗せられ――話しかけられる声が、本当に水の底にいるみたいにぼやけて聞こえていた。

「……なにがあったの?」

「xxx」

「大したことだよ。あたしたちは……て、理緒子がこんな――」

「xxx! xxxxxx!」

――わたしのせいで喧嘩してるのかな。ごめんなさい、大丈夫だから争わないで。いま、いま起きるから。

「……だけど。タクがいろいろ頑張ってくれてたの、知ってるから。……この馬車、囮だったんでしょ?」

――おとり……まただ、またこの言葉。わたし……あのとき、なんできちんと聞かなかったんだろう。きちんと、タクになにがあったのって聞けばよかった。

 そうすれば、タクだって一人で抱え込まずに打ち明けてくれたかもしれないのに。

「リオコ――」

 わたしの名前を呼ぶタクの声が、少し震えてる。泣いて、るのかな。

 思うだけで泣きたくなる。

 なにが起こったのか、正確にはさっぱり分からない。だけど、真紀がいてルイスがいてタクがいて――そのことだけで充分だった。それだけで、わたしは大きな安心に満たされる。

 それでも。

――なんでタクの声は沈んだままなの? なんで真紀は泣いているの?

 起きたいのに起きれない。意識だけは水の中を行ったり来たりしながら、ばたばたもがいている。なんて情けないんだろう。役に立たないどころか、みんなのお荷物になってる、わたし。

 体力だって機転だってないわたしは、こうして気を失って倒れるくらいしかできないんだ。

 哀しい。だけど、それ以上に悔しかった。

――起きて、わたしの体。起きて……。

 必死に念じる。

 足手まといになるなら、せめて心配はさせたくない。心の負担になんてなりたくない。

『……ごめん、お嬢ちゃん。解くの忘れてた。ほら、目を開けてみな』

 またあの男の人の声が聞こえ、わたしは瞼に力をこめて持ちあげた。

 うっすらと差し込む光。ぼんやりとした影は、誰のものか分からない。

『だれ……?』

 つぶやくと声になった。そうであって欲しいと願いをこめて呼びかける。

『タク……?』

『目が覚めたのか』

 ずっと聞きたいと思っていた声が、低くやさしく耳に染み入ってくる。その声に、向けられる眼差しにぐっと胸が痛くなった。あっという間に視界が滲む。

 タクが狭いベッドの間をやって来て、覗き込んだ。現実だという実感に、また涙がこぼれる。

『すごく……すごく、怖い夢を観たの。タクがいなくなっちゃう夢。すごく……怖かった』

『大丈夫だ、俺はここにいる』

 頬を伝う雫を指で拭い、わたしは水の底で漂いながら思っていたいくつものことを必死で言葉にしようとした。今、伝えなきゃいけない気がしたから。

『わたし、ね……見たの。タクがね、あの、金色の目の人と話してるの』

『え……』

『村で、タクをね、待ってるとき、見たの。だから……すごく不安で』

『すまない。彼は――』

 言葉を濁すタクの代わりに、反対側の枕元にきた真紀が教える。

『あのね、護衛の人なんだって。陰でこっそり、あたしたちを守ってくれてたんだってさ。ジャムっていうの。いい人だったよ』

 言いながら真紀が、励ますようにわたしの左手を強く握る。

――やっぱりあの人、味方だったんだ。

 突然現われたり消えたり、呪文みたいなのをかけたり。タクが気まずそうにしてるってことは、内緒の仲間だったのかもしれない。その事実がなぜだか、すとん、と胸に落ちた。

『……そっか。それで……忍者みたい、だったんだ』

 わたしが呟くと、タクはゆっくりした口調で話を切り出した。

『実は、ツークスに立ち寄ったのは船を降ろすためだけじゃない。君たちを守る護衛を確保するためでもあったんだ。君が見た金色の目の男……ジャムもその一人だ。まあ、彼は俺が連れてきたようなものなんだが……君たちに彼らの存在を明かすわけにはいかなかった。

 旅に集中して欲しかったことと、彼らの役目が旅の完遂を見届ける意味もあったからだ』

 頭がまだ霧がかったようで、その言葉の意味を理解するには少し時間がかかる。

 だけど、タクが傍にいてわたしの目を見て語りかけてくれる事実が、何より嬉しかった。

『護衛は先発と後発の二組に分かれて、ジャムは先発隊の一人だ。俺たちより先を進み、危険なことがないか報せる連絡役なんだ。君が村で見たというのは、その連絡を受けていたときだと思う。本当は夜にしかしないはずなんだが、あのときは緊急で……』

『きん…きゅう?』

『ああ。行くはずの道の途中で、君たちを待ち伏せしている者がいると教えてくれたんだ。だから、馬車を離れた』

『なんで……?』

 わたしの問いに、タクは、わずかに唇を噛んで口を開き直した。

『よく似た馬車を仕立て、そっちにおびき寄せようとしたんだ。そうすれば、君たちが戦闘に巻き込まれることはないだろうと、そう思って』

『……おとり』

 わたしの頭の中で、なにかが繋がる。同時に気を失う寸前まで見聞きしたことが、フラッシュバックのようにリアルに駆け巡った。

 あれは、現実だったんだ。あの男たちの声や腕を掴む痛み、口に押し込まれた布の悪臭。叫び声。目の前で舞い上がる砂――。

『ああ、そうだ。だが、俺たちが甘かった。敵は用心を重ねて、二つの集団に分かれて攻撃してきた』

『……ファリマって、言ってた』

『え?』

『ファリマの情報がなんとかって、あのひとたち言ってた、よ……?』

 冷静さを保とうとそう言うと、タクはしっかりとわたしを見て頷いた。

『そうか、ありがとう』

『へへ、ちょっとは……役に立った?』

『ああ』

 くしゃっと顔を崩して、タクが笑った。そのまま自然と手を伸ばして、わたしの髪を撫でる。そのやさしさに、またきゅうと胸が苦しくなった。

 よく見れば、タクの顔は疲れたようにくすんでいて、服もなんだか埃まみれでところどころ破れている。つけていてくれたはずのクマのぬいぐるみも、もう腰にはいない。

 わたしは泣かないように、ぎゅっと瞼に力を籠めた。

『タク。わたし、ね。くやしいの』

『くやしい?』

『みんなが、一生懸命何かしてるとき、なにもできなかったのが、くやしいの。……ごめんなさい』

 声が、震える。こらえていたはずなのに、涙が落ちてしまった。

 驚いたように真紀の声があがる。

『理緒子のせいじゃないよ。あたしが――』

『いいの。真紀ちゃんが、助けようとしてくれてたの、分かったら』

 上を向いて、これ以上泣かないように腕で蓋をする。

『怖かった、けど、分かった、から。でも……』

『リオコ、すまなかった。君を守ると誓ったのに、こんな目に遭わせるなんて、本当に……自分の未熟さが情けない』

 謝って欲しいんじゃない。この涙は自分が情けなくて悔しくて――だけど、うまく声にならない。

 考えていると、真紀が枕元から立ち上がった。慌てて尋ねる。

『真紀ちゃん、どこいくの?』

「お風呂借りに行ってくる。だから、二人でちゃんと話すんだよ?」

 どこか元気のない顔で、それでも笑って、真紀はそう告げた。なぜだかタクに立てた親指を向けて彼女が去った後には、なんとも気まずい沈黙が残される。

 しばらく言葉が出ない。まだ仰向けのまま右隣のタクを横目で窺うと、わたしとおんなじような困惑した顔をしていた。ふと目が合う。

『――今のサインはなんなんだ?』

 真面目な、それでいておどけるようなその声に、今度はどちらともなく笑みがこぼれた。



ボディランゲージは異世界じゃ通じないこともあったり。

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