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あたしたちが起きたのは、昼近くになってからだった。結局あたしは眠った後、タクかルイスに部屋に担ぎ込まれたらしい。目を開けると、隣のベッドに理緒子が座っていた。
「おはよ」
「……おはよ」
なんだか微妙に睨まれている気がする。
「真紀ちゃん、ルイスとなにかあった?」
あったと言えばある。なかったと言えば、そういえば珍しく頭にちゅーすらされてない。
「んー……ないよ」
「だって、その服」
「借りたの。寝巻き持っていかなかったから」
「目、腫れてるし」
「……泣いたから」
「なんだか妙に色っぽいし」
「い……っ!」
――色気はないよ! むしろお勉強だったよ!!
でも、相談して気が楽になったのは確かだ。妙に意地悪い理緒子に反撃する。
「理緒子だって、タクとなにかあったんじゃない? 結構長いこと話してたでしょ」
「な、なにもないよ。謝ってもらっただけ」
「ほんとにー?」
寝転がったまま下から覗きこむと、理緒子は顔を真っ赤にしてぷいと横を向いた。
「……だって、タク真面目なんだもん」
それにはあたしも異論はない。タクから真面目を取ったら、なにが残るんだっていうくらい真面目で一途な性格だ。まあ、だからそれで誤解されるようなこともあるわけだけど。
「仲直りできて、よかったね」
「べつに……喧嘩してたわけじゃないけど」
口の中でぼそぼそと、言い訳するように理緒子が喋る。
「でも、話せてよかった、かな」
その言い方に、やっぱり〝謝ってもらっただけ〟じゃないんだと悟ったけど、それ以上は突っ込まなかった。理緒子がそう言うんなら、それでいい。
理緒子の横顔はすごく穏やかで、きらきらした表情をみせていた。
服を着替えて下の階の食堂に行くと、三つある四角いテーブルの一番奥にタクとルイスと――見知らぬ女の人がいた。
――あれ……?
いや、完全に知らない人じゃない。くりんとした大きな目と長いポニーテールが、あたしの記憶を刺激する。理緒子が呟いた。
『ナアカで会った人……?』
そうか、市場で転びそうになった理緒子を助けてくれた人だ。この人も乙女護衛隊(勝手に命名)の人だったんだ。
ルイスとタクの間に座っていた彼女は、立ち上がると、あたしたちに笑顔で手を差し伸べる。
『アマラよ。よろしく』
――なるほど、この人がアマラさんか。
身長は、日本人よりやや大きいこっちの人にしても、ちょっと高め。あたしと十センチくらい違う。口調も仕草もきびきびしていて、デキる女性って感じだ。
あたしたちと似た旅の格好なんだけど、砂時計もびっくりな凹凸のせいでセクシーさが半端ない。理緒子と二人で見惚れて、ぽーっとしたまま握手した。
『ま、真紀です。よろしく』
『理緒子です。えと、このあいだはありがとうございました』
律儀に理緒子が頭を下げる。
『いいのよ。あなたたちを守るのが仕事なんだから。だいたい、女の子の歩幅を考えずに歩くほうがどうかしてるのよ。ねえ?』
笑顔でふられ、タクが気まずそうに視線を逸らす。このお姉さま、お口もおデキになるらしい。
『ほら、二人とも座って。お腹減ってない?』
うながされ、いつものようにタクの左に理緒子、あたし、ルイスと並ぶように腰掛けた。ルイスは下ろした髪の上からショールをざっくり巻いて、気だるげに黒っぽい飲み物を口に運んでいる。香ばしい薫りが漂う。
テーブルの中央には小さめのパニと、ざく切りの火の鳥の実がお皿に盛って置いてあった。
アクィナスでの最初の朝食を思い出し、あたしは何気なく隣に話しかけようとして驚いた。ショールの陰になったルイスの顔はいつになくやつれて、目の下には隈ができている。
魔法で乱闘して怪我したうえに、あたしに治癒術使って愚痴まで聞かされたんだから、当然といえば当然だけど。
『ルイス、大丈夫? なんかしんどそう』
『ただの寝不足だよ』
『ごめん、あたしのせい?』
『まあ、半分はね』
『……ルイス!』
咎めるように彼を呼んだのは、珍しいことにタク。しかも眉間に皺なんか作って。
ごまかすように、ルイスが肩をすくめる。
『冗談だよ。マキが悪いんじゃない。私が未熟なんだ』
あたしの髪の毛に指をすべらせ、くしゃっとかきまぜる。
『君がよく眠れたならそれでいい。なにか飲むか?』
『それ、飲んでみたい』
『苦いぞ? 子どもの飲み物じゃない』
ちょっとカチンとするな、その言い方。
『飲めるよ。アルだって飲んでたし』
『……』
なぜかむっとした顔で、ルイスがカップをテーブルに置く。すかさず手を伸ばした。
『ちょっと貰っていい?』
断りを入れ、カフェオというらしいその飲み物を一口飲んでみる。
『どう、真紀ちゃん。美味しい?』
隣で香茗茶をもらった理緒子が聞いてくる。もう一口飲んだ。うん、やっぱり苦いっていうより辛い。
『アメリカン・コーヒーを五倍くらいに薄めて、それに赤唐辛子エキス加えた感じ』
『……それって美味しいの?』
『酸っぱくはない。甘くもない。ほんのり苦くて辛いって、美味しいっていうのかな?』
『わたしに聞かないでよ』
『あ、なんか口の中熱くなってきた。理緒子も飲む?』
『絶対いらない』
笑顔で拒否された。気がつくと、他の三人が必死に笑いをこらえている。声は出さなくても三人とも目も口も笑ってるから、ばればれなんですけど。
頬を弛緩させたまま、ルイスがあたしに言う。
『口に合わないなら、無理に飲まなくてもいい』
『でも、なんか目が覚めそうでイイ感じだよ?』
『ちょっと濃いめに入れてあるから。薄めたのを持ってこさせよう』
『……あ、ごめん。全部飲んじゃった』
『飲んだのか?』
ルイスが目を丸くして、あたしの手の中のカップを覗き込む。
『夜眠れなくなるぞ』
『平気。だいたいどこでも眠れるし』
『……確かにそうだな』
寝つきが悪くて困ったのは昨日くらいだ。本当にあのテンションはおかしかった。
『ルイス。昨日は、ほんとごめんね』
『謝ることじゃない。目が覚めるように、私ももう一杯もらおうかな』
あたしの手の中からカップを取る。給仕をしているお姉さんを呼ぼうと持ち上げると、別の手がそれを奪った。
『こんなもの飲んでいないで、部屋に戻って休めば?』
『アマラ』
『旅の途中で寝不足で倒れたなんてことになったら、天都魔法士団の恥なのよ。せっかくわたしが協力を申し出てるんだから、ありがたく甘えておきなさい』
きれいで自信に満ちた大人の女性にしかできない顔で、アマラさんはにっこりと隣の男に告げる。眉尻を下げ、ルイスが苦笑した。
『アマラリーヴァ・ラキス・スオウシア。君を推挙したレスを少しばかり恨むよ』
『ルイセリオ・セイアン・カーヅォ=アクィナシア。それはわたしが力不足だということかしら?』
よそよそしさの中にどこか親しみの籠められたその会話に、二人の距離の近さが分かる。
『君の優秀さは知っているよ。ツークス勤務にしておくにはもったいない』
『そう? じゃあ自分を律しきれない未熟者に代わって、わたしが旅に同行するという提案なんてどうかしら? 彼女たちも気遣いの足らない男たちと旅するより、女の子同士のほうが気楽なはずだもの。ねえ?』
いきなり話が飛躍して、あたしは理緒子ときょとんとしてしまった。
女子同士でわいわいって、基本的に嫌いじゃない。気兼ねがなくて楽しいけど、でも好きかと言われるとそうでもない。なぜか女子で固まって話してると、絶対に恋バナの暴露大会や、そこにいない誰かの噂話になる。その雰囲気があたしは苦手だ。
それにアマラさんは〝女同士〟というより、なんだか〝知り合い同士〟で話したがっているみたいだった。あたしの胸の奥が、みしりと軋む。
――なんか……やな感じ。
思ったのが顔に出たのか、ルイスが口元で笑って、またあたしの髪を撫でてきた。一応これでもセットしてきてるから、ちょっとは控えて欲しいんですけど。
『アマラ。いくら君が優秀でも、この役目ばかりは譲れないな。諦めてくれ』
『あら残念』
『だが、好意には甘えさせてもらうよ』
――え?
頭に置いた手をそのままに、ルイスはあたしと理緒子を向いて切り出した。
『マキ、リオコ。実は、少しここヒューガラナで休憩をとろうと思うんだ。そんなに長くはとれないけれど、少なくとも出発は明日以降にしようと思う。どうかな?』
『だけど……』
『わ、わたしなら平気、だよ?』
倒れたことを気にしているらしい理緒子が、顔を真っ赤にして言い出す。ふわりとルイスが微笑んだ。
『リオコ、君のせいじゃない。正直なところ昨日の襲撃で、後衛部隊が今こちらの護衛どころじゃなくてね。情けない話だけど、態勢を整えるのに時間が必要なんだ。この先は徒歩になることだし、万全の態勢で君たちを見守りたいと考えている。私も休憩が欲しいところだしね。いいかな?』
自分の顔色の悪さを逆手にとって聞き直す。ずるいけど、それが彼なりの気遣いなんだと分かった。あたしたちは承知した。
『よかった。じゃあ、後で』
『うん、お休み』
そう言うあたしたちに頷いて、ルイスが席を立つ。階段を上がって二階の居室に向かう彼の姿が完全に消えると、タクの口から深い息がひとつ洩れた。
『……恐ろしいことを口にする、スオウシャの姫。肝が縮んだぞ』
『あら、意外と小心者なのね。ムシャザ将軍。〝風神〟の異名が泣くわよ』
〝姫〟と呼ばれる立場の人にしてはざっくりした言い方で、彼女は切り返した。
口紅を塗っていない、ふっくらとした唇の両端が、きれいに吊り上がる。
『あの頑固者には、あれくらい言わないとダメなのよ。ちょっと休めって言ったくらいじゃ聞かないんだから。仕事中毒もいいとこ』
『あの……アマラさんは、ルイスの知り合い、なの?』
おずおずと理緒子が尋ねる。
『ええ、わたしは元[双月]。昔、彼と一緒に副団長をしていたのよ。あと個人的な繋がりといえば――』
ポニーテールを揺らして小首を傾げ、朝食のメニューを告げるようにさらりと、彼女は続けた。
『元婚約者ってことくらいかしら』
長かったので分割。次節で16章終わりです。