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16-4


 あたしたちを襲った男たちは、まだどうにか生きていたらしく、後方部隊の人たちにロープで数珠繋ぎにされ、傷だらけのままおとなしく連れられていった。

 列の最後尾はあのターバン男で、あたしたちの横を通り過ぎる途中、ふと足を止めてこちらを見た。まだ泣き顔のままルイスにもたれていたあたしは、反射的に彼の背中に隠れる。だけど気になって、目だけで様子を窺った。

『――おまえ、本物だったのか』

 この質問は非常にカンジが悪い。あたしは黙って睨みつけた。

『さっさと歩け!』

 長い棒で突かれても、男は血の滲んだ口元で薄笑いを浮かべて動かない。

『王の私兵をここまで動かすとはな。そのうえガウルの群れは寄ってくる、大穴喰は出る……異界の乙女が神の使いだという伝説は本物だったのだな。あの世のよい土産話になる』

『……うっさいよ。本物とか偽者とか知らんし。正直どうだっていい』

 気が緩んでたのか、地が出てしまった。でも、もう取り繕う気にはなれない。

『あたしはこの世界のためじゃなくて、うちらを助けてくれた人のために水門探すの。水門見つけて、雨が降るんか槍が降るんかも知らん。もう、ほっといて。振り回されるのは、ほんまいい加減疲れたわ』

『俺たちを恨むか?』

『大嫌い。きっちり牢屋で償え』

 あたしの一言に、ターバン男だけじゃなく周りの空気が変わった。

『……俺を死罪にしないのか?』

『あんたを死刑にして、なんかいいことでもあるわけ? どうせ今まで碌(ろく)なことしてないんだろうから、多少は世間様の役に立つことやってから死ねば?』

 死刑制度反対じゃないけど、自分の判断で誰かが命を失うなんて、あたしには重すぎる。ただ単に自分の手を汚したくないっていう、甘い気持ちかもしれないけど。

 そこまで考えて、あたしは大事なことを思い出した。

――ああ……そうだ。もう、あたしは。

 剣や服の切れ端や、なにか分からない、分かりたくもない染み痕の散らばった岩と砂の荒野には、痛いくらいの星明かりが降り注いでいる。なんだか急に体が寒くなった。

 背中越しにルイスがささやく。

『マキ、君の意見は絶対だ。望めば当然死罪にもできる。それでいいのか?』

『……いいよ。人が死ぬの、見たくない』

 彼の服を握りしめたまま、あたしはもごもごそう言った。もう一度棒で小突かれて促され、ターバン男が歩き出して、また立ち止まる。

『もし、おまえが本物なら――』

――もういいってば、その話は。

『俺の村を救ってくれないか』

 虫の良すぎるその訴えに、ロープをもっていた一人が罵声を浴びせる。だけど棒で叩かれても肩を掴まれても、そいつは喋るのをやめなかった。

『俺はアチファの村で生まれた。水源などなく、あったのは砂と灰まじりのひどい泥水だけだ。兄弟はみんな幼くして死に、若い男といえば村で俺一人。土くれを食らって生き延びたこともある』

『……』

『もしおまえが本物の異界の乙女なら――俺の命など、いくらでもくれてやる。どうか俺の村を救ってくれ。ここに、どんなわずかでもいい、雨を降らせてくれ……!』

 彼は、泣いていたのかもしれない。それくらい、耳に突き刺さる叫びだった。

 あたしは、その声を一切遮断するようにルイスの背中にしがみつき、ぎゅっと目を閉じた。

『……マキ?』

 あたしの様子に気付いて、ルイスが呼びかける。あたしは答えなかった。

 男たちがその場から完全にいなくなるまで、あたしは凍りついたようにそこから動くことができなかった。


 深夜すぎ、あたしたちはヒューガラナの宿屋に到着した。理緒子は眠ったまま、タクに抱き上げられて建物に入った。

 実は着く前に馬車の中で一度目を覚ましたんだけど、今が移動中だということと全員無事だということを伝えると、作りおきしてあった蜂蜜入り香茗茶を飲んで、またこてんと寝てしまった。あのお茶になにか入っていたのかもしれない。

 あたしも同じものを飲んだあと眠たくなったんだけど、馬車の停まった物音で目が覚めてしまった。自分で歩いて宿に向かう。

 あたしたちの乗っていた最初の馬車は、タクの言ったとおりジャムが牽いてくれて、宿の近くの安全な場所で荷物を移し替えてくれた。

『――マキ、なにか食べるか?』

 ルイスが声をかけてくれたけど、あたしは首を横に振った。なんだか疲れて、口を動かすのも億劫だった。

『体、拭きたい。湯浴みじゃなくていいから』

『すぐに用意させる』

 ルイスは頷き、そっとあたしに体を寄せてきた。いつものように頭にちゅーでもされるのかと思ったら、両手で頬をはさみ、真剣な顔で見つめてくる。

『大丈夫か?』

 そんなことを聞かれても分からない。もう本当に、理緒子みたいに全部の意識を投げ捨てて休みたかった。こんな疲労感は、この世界へ来た最初の夜以来だ。

『……うん』

『無理をしないで、相談があったらなんでもいい、私に言うんだ。いいね?』

 頷いた。ルイスはまだいろいろ言いたいみたいだったけど、無言であたしの頭に頬を触れる。包み込まれるように腕を回され、密着してるわけでもないのに二人の間に熱が籠もった。

――治癒術。

 反射的に、ルイスの胸を手のひらで押し返す。

『だめだよ。ルイス、疲れてるのに』

『鏡を見るといい。君のほうがひどい顔色だ。それに、私は男だよ。これくらいなんてことはない』

 普通は女のほうが痛みに強いとかいうのに。

 でもさすがにルイスの魔法を受けて、気持ちの悪さが緩まった。それでも反論する言葉が思い浮かばないのは、疲労が相当きてるのかもしれない。

 おとなしく治癒術を受けたあたしに、ルイスは『おやすみ』と言って、やっぱり頭に軽くキスして去っていった。


 部屋に入ると、二つあるベッドの奥側に理緒子が横たわり、その足元にタクが座って彼女を見つめていた。その視線にあたしは気付いた。

 兄が、家に連れてきた彼女に向ける眼差しと一緒だってことに。

 あたしに気がついて、タクがこちらを見る。あたしは小さな燭台の明かりが灯る薄暗い室内を歩いて、彼の隣に腰掛けた。

『よく、寝てるね』

『ああ』

『睡眠薬?』

『……いや、不安を消す薬だ』

 タクは否定をしない。たぶん、あたしたちに関して起こることを予想して、いろいろと準備をしてきたんだろう。

 疲れていたあたしは、もうそのひとつひとつに突っ込む気にすらなれなかった。

 タクもだいぶ疲れているようだ。肉体的にというより、精神的に。

 なにかを手に持っていると思ったら、紐がちぎれて足の外れかけた、あのクマのぬいぐるみだった。

『……汚してしまった』

 ぽつんと、タクが呟く。たぶん今夜の乱闘のせいだろう。すさまじい彼の動きを考えると、失くさなかっただけすごいんじゃないかとあたしは思ったけど、そうは口にしなかった。

『それ、理緒子に直してもらいなよ』

『……彼女から貰ったものだぞ?』

『だからじゃん。そんなになっても持っててくれたって知ったら、喜ぶと思うよ?』

『当たり前だ。彼女がくれたものを粗末にはできない』

 そして、苦く絞り出すように言葉を吐き捨てた。

『……彼女は俺を軽蔑するだろうな』

『どうして?』

『守れなかったから』

 彼女を――それとも、約束を?

――たぶん、両方なんだろうな。

 あたしは思う。タクは、理緒子に危害が及んだということよりも、彼女の心に傷がついたことを悔やんでいるようだった。

『タク、理緒子とちゃんと話しなよ』

『なにをどう伝えればいいか分からない』

 タクのダメージは深刻そうだ。こんなに弱気になってる彼は、初めてかもしれない。いつも懐の深さをみせる大人の彼が、迷子の少年みたいに憔悴しきって途方に暮れていた。

『ねえ、タク。あたしたちは子どもだけど、馬鹿じゃないよ?』

『知っている』

『じゃあ、どうしようもない事情があったことを説明されて、きちんと誠意をみせられて、それでも理不尽に軽蔑したり腹を立てたりすると思う? あたしたち異界の人間だけど、人としての常識くらいあるんだよ。まして人形でもない。――ねえ、タク』

 あたしは理緒子を起こさないように今まで話していた小声から、やや声を高めた。

『あたし、タクだけはあたしたちを変な立場で見ていないんだと思ってた。ちゃんと〝朝野真紀〟と〝高遠理緒子〟っていう二人として接してくれてるんだと思ってた。違うの?』

『……』

『理緒子とちゃんと話をして。ちゃんと、彼女を一人の人間として受け止めてあげてよ。それができないのに、軽々しく守るとか言わないで』

 あたしは言いたいだけ言うと、ベッドから立ちあがった。ぎし、と木が軋む。

 あたしは右手から指環を抜き取り、理緒子の左手に嵌め直した。その手を握って、

『起きるまでついててあげてよ? で、ちゃんと二人で話して』

『俺がここにいるわけには――』

『気がつかないふりしないでよ。今理緒子に一番必要なのはタクだって、分かってるんでしょ?』

 タクの反論はない。なるほど、彼も知ってたってわけだ。

 あたしはため息をついて立ち上がった。そのとき、

「――だれ?」

「理緒子」

 あたしは慌てて腰を下ろし直した。枕の上で頭を動かし、少しまぶしそうに理緒子が部屋を見渡す。

『タク……?』

『目が覚めたのか』

 馬車にいたときは、タクは御者をしていたから、昼以降会うのはこれが初めてだ。目が合った瞬間、理緒子の両目からぽろっと涙が零れ落ちた。

 足早にタクが、あたしとは反対側の枕元まで移動する。

『すごく……すごく、怖い夢を観たの。タクがいなくなっちゃう夢』

 まだ薬が効いているのか、うわ言のように理緒子が喋る。

『すごく怖かった……』

『大丈夫だ、俺はここにいる』

『わたし、ね……見たの。タクがね、あの、金色の目の人と話してるの』

 ジャムのことだ。いつ見たんだろう。あたしの全身から音を立てて血の気が引いていく。

『村で、タクをね、待ってるとき、見たの。だから……すごく不安で』

『すまない。彼は――』

『あのね、護衛の人なんだって。陰でこっそり、あたしたちを守ってくれてたんだってさ』

 あたしはなんとか、何でもないことだったように言い繕った。

『ジャムっていうの。いい人だったよ』

『……そっか。それで……忍者みたい、だったんだ』

 忍者みたい。理緒子は、いったい何を見たんだろう。気付いてあげられなかった自分に、心の中で舌打ちする。

――そんな彼女をあたしは、あのとき追い詰めたんだ。

 彼女の左手を握り、重く沈黙してしまったあたしの代わりに、タクがゆっくりと話し出した。

 ツークスを出て以来、姿を見せないように、あたしたちを見守る人が何人もいること。

 旅に集中して欲しくて、内緒にしていたこと。

 金色の目のジャムは、事前に危険を知らせたりする連絡係だってこと。

『――君が村で見たというのは、その連絡を受けていたときだと思う。本当は夜にしかしないはずなんだが、あのときは緊急で……』

『きん…きゅう?』

『……ああ。行くはずの道の途中で、君たちを待ち伏せしている者がいると教えてくれたんだ。だから、馬車を離れた』

『なんで……?』

 理緒子の疑問はもっともだ。危険が及ぶことが分かっていたなら、なおさら傍にいて欲しいと思ったんだろう。タクは唇を噛み締め、重く言葉を紡いだ。

『よく似た馬車を仕立て、そっちにおびき寄せようとしたんだ。そうすれば、君たちが戦闘に巻き込まれることはないだろうと、そう思って』

『……おとり』

『ああ、そうだ。だが、俺たちが甘かった。敵は用心を重ねて、二つの集団に分かれて攻撃してきた』

『ファリマって、言ってた』

『え?』

『ファリマの情報がなんとかって、あのひとたち言ってた、よ……?』

 あの騒ぎの中、あいつらが何か喋ったに違いない。タクが武人の顔に戻って頷いた。

『そうか、ありがとう』

『へへ、ちょっとは……役に立った?』

『ああ』

 タクが笑って、ごつい手で理緒子の髪を撫でた。いつくしむように。

 仔犬みたいに、理緒子が目を細める。

『タク。わたし、ね。くやしいの』

『くやしい?』

『みんなが、一生懸命何かしてるとき、なにもできなかったのが、くやしいの。……ごめんなさい』

 理緒子のまなじりから、涙の雫が伝う。あたしは思わず声をあげた。

『理緒子のせいじゃないよ。あたしが――』

『いいの。真紀ちゃんが、助けようとしてくれてたの、分かった、から』

 天井を向いたまま、理緒子は腕で顔を覆った。

『怖かった、けど、分かった、から。でも……』

『リオコ、すまなかった。君を守ると誓ったのに、こんな目に遭わせるなんて、本当に……自分の未熟さが情けない』

 タクの声は、わずかに潤んでいた。あたしは音をたてないように、そっと枕元から立った。

「……真紀ちゃん、どこいくの?」

「お風呂借りに行ってくる。だから、二人でちゃんと話すんだよ?」

 精一杯の気力を振り絞って、あたしは笑顔を作った。タクに目まぜで、頑張れと親指を立ててみせる。そして部屋を出た。



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