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あたしたちを襲った男たちは、まだどうにか生きていたらしく、後方部隊の人たちにロープで数珠繋ぎにされ、傷だらけのままおとなしく連れられていった。
列の最後尾はあのターバン男で、あたしたちの横を通り過ぎる途中、ふと足を止めてこちらを見た。まだ泣き顔のままルイスにもたれていたあたしは、反射的に彼の背中に隠れる。だけど気になって、目だけで様子を窺った。
『――おまえ、本物だったのか』
この質問は非常にカンジが悪い。あたしは黙って睨みつけた。
『さっさと歩け!』
長い棒で突かれても、男は血の滲んだ口元で薄笑いを浮かべて動かない。
『王の私兵をここまで動かすとはな。そのうえガウルの群れは寄ってくる、大穴喰は出る……異界の乙女が神の使いだという伝説は本物だったのだな。あの世のよい土産話になる』
『……うっさいよ。本物とか偽者とか知らんし。正直どうだっていい』
気が緩んでたのか、地が出てしまった。でも、もう取り繕う気にはなれない。
『あたしはこの世界のためじゃなくて、うちらを助けてくれた人のために水門探すの。水門見つけて、雨が降るんか槍が降るんかも知らん。もう、ほっといて。振り回されるのは、ほんまいい加減疲れたわ』
『俺たちを恨むか?』
『大嫌い。きっちり牢屋で償え』
あたしの一言に、ターバン男だけじゃなく周りの空気が変わった。
『……俺を死罪にしないのか?』
『あんたを死刑にして、なんかいいことでもあるわけ? どうせ今まで碌(ろく)なことしてないんだろうから、多少は世間様の役に立つことやってから死ねば?』
死刑制度反対じゃないけど、自分の判断で誰かが命を失うなんて、あたしには重すぎる。ただ単に自分の手を汚したくないっていう、甘い気持ちかもしれないけど。
そこまで考えて、あたしは大事なことを思い出した。
――ああ……そうだ。もう、あたしは。
剣や服の切れ端や、なにか分からない、分かりたくもない染み痕の散らばった岩と砂の荒野には、痛いくらいの星明かりが降り注いでいる。なんだか急に体が寒くなった。
背中越しにルイスがささやく。
『マキ、君の意見は絶対だ。望めば当然死罪にもできる。それでいいのか?』
『……いいよ。人が死ぬの、見たくない』
彼の服を握りしめたまま、あたしはもごもごそう言った。もう一度棒で小突かれて促され、ターバン男が歩き出して、また立ち止まる。
『もし、おまえが本物なら――』
――もういいってば、その話は。
『俺の村を救ってくれないか』
虫の良すぎるその訴えに、ロープをもっていた一人が罵声を浴びせる。だけど棒で叩かれても肩を掴まれても、そいつは喋るのをやめなかった。
『俺はアチファの村で生まれた。水源などなく、あったのは砂と灰まじりのひどい泥水だけだ。兄弟はみんな幼くして死に、若い男といえば村で俺一人。土くれを食らって生き延びたこともある』
『……』
『もしおまえが本物の異界の乙女なら――俺の命など、いくらでもくれてやる。どうか俺の村を救ってくれ。ここに、どんなわずかでもいい、雨を降らせてくれ……!』
彼は、泣いていたのかもしれない。それくらい、耳に突き刺さる叫びだった。
あたしは、その声を一切遮断するようにルイスの背中にしがみつき、ぎゅっと目を閉じた。
『……マキ?』
あたしの様子に気付いて、ルイスが呼びかける。あたしは答えなかった。
男たちがその場から完全にいなくなるまで、あたしは凍りついたようにそこから動くことができなかった。
深夜すぎ、あたしたちはヒューガラナの宿屋に到着した。理緒子は眠ったまま、タクに抱き上げられて建物に入った。
実は着く前に馬車の中で一度目を覚ましたんだけど、今が移動中だということと全員無事だということを伝えると、作りおきしてあった蜂蜜入り香茗茶を飲んで、またこてんと寝てしまった。あのお茶になにか入っていたのかもしれない。
あたしも同じものを飲んだあと眠たくなったんだけど、馬車の停まった物音で目が覚めてしまった。自分で歩いて宿に向かう。
あたしたちの乗っていた最初の馬車は、タクの言ったとおりジャムが牽いてくれて、宿の近くの安全な場所で荷物を移し替えてくれた。
『――マキ、なにか食べるか?』
ルイスが声をかけてくれたけど、あたしは首を横に振った。なんだか疲れて、口を動かすのも億劫だった。
『体、拭きたい。湯浴みじゃなくていいから』
『すぐに用意させる』
ルイスは頷き、そっとあたしに体を寄せてきた。いつものように頭にちゅーでもされるのかと思ったら、両手で頬をはさみ、真剣な顔で見つめてくる。
『大丈夫か?』
そんなことを聞かれても分からない。もう本当に、理緒子みたいに全部の意識を投げ捨てて休みたかった。こんな疲労感は、この世界へ来た最初の夜以来だ。
『……うん』
『無理をしないで、相談があったらなんでもいい、私に言うんだ。いいね?』
頷いた。ルイスはまだいろいろ言いたいみたいだったけど、無言であたしの頭に頬を触れる。包み込まれるように腕を回され、密着してるわけでもないのに二人の間に熱が籠もった。
――治癒術。
反射的に、ルイスの胸を手のひらで押し返す。
『だめだよ。ルイス、疲れてるのに』
『鏡を見るといい。君のほうがひどい顔色だ。それに、私は男だよ。これくらいなんてことはない』
普通は女のほうが痛みに強いとかいうのに。
でもさすがにルイスの魔法を受けて、気持ちの悪さが緩まった。それでも反論する言葉が思い浮かばないのは、疲労が相当きてるのかもしれない。
おとなしく治癒術を受けたあたしに、ルイスは『おやすみ』と言って、やっぱり頭に軽くキスして去っていった。
部屋に入ると、二つあるベッドの奥側に理緒子が横たわり、その足元にタクが座って彼女を見つめていた。その視線にあたしは気付いた。
兄が、家に連れてきた彼女に向ける眼差しと一緒だってことに。
あたしに気がついて、タクがこちらを見る。あたしは小さな燭台の明かりが灯る薄暗い室内を歩いて、彼の隣に腰掛けた。
『よく、寝てるね』
『ああ』
『睡眠薬?』
『……いや、不安を消す薬だ』
タクは否定をしない。たぶん、あたしたちに関して起こることを予想して、いろいろと準備をしてきたんだろう。
疲れていたあたしは、もうそのひとつひとつに突っ込む気にすらなれなかった。
タクもだいぶ疲れているようだ。肉体的にというより、精神的に。
なにかを手に持っていると思ったら、紐がちぎれて足の外れかけた、あのクマのぬいぐるみだった。
『……汚してしまった』
ぽつんと、タクが呟く。たぶん今夜の乱闘のせいだろう。すさまじい彼の動きを考えると、失くさなかっただけすごいんじゃないかとあたしは思ったけど、そうは口にしなかった。
『それ、理緒子に直してもらいなよ』
『……彼女から貰ったものだぞ?』
『だからじゃん。そんなになっても持っててくれたって知ったら、喜ぶと思うよ?』
『当たり前だ。彼女がくれたものを粗末にはできない』
そして、苦く絞り出すように言葉を吐き捨てた。
『……彼女は俺を軽蔑するだろうな』
『どうして?』
『守れなかったから』
彼女を――それとも、約束を?
――たぶん、両方なんだろうな。
あたしは思う。タクは、理緒子に危害が及んだということよりも、彼女の心に傷がついたことを悔やんでいるようだった。
『タク、理緒子とちゃんと話しなよ』
『なにをどう伝えればいいか分からない』
タクのダメージは深刻そうだ。こんなに弱気になってる彼は、初めてかもしれない。いつも懐の深さをみせる大人の彼が、迷子の少年みたいに憔悴しきって途方に暮れていた。
『ねえ、タク。あたしたちは子どもだけど、馬鹿じゃないよ?』
『知っている』
『じゃあ、どうしようもない事情があったことを説明されて、きちんと誠意をみせられて、それでも理不尽に軽蔑したり腹を立てたりすると思う? あたしたち異界の人間だけど、人としての常識くらいあるんだよ。まして人形でもない。――ねえ、タク』
あたしは理緒子を起こさないように今まで話していた小声から、やや声を高めた。
『あたし、タクだけはあたしたちを変な立場で見ていないんだと思ってた。ちゃんと〝朝野真紀〟と〝高遠理緒子〟っていう二人として接してくれてるんだと思ってた。違うの?』
『……』
『理緒子とちゃんと話をして。ちゃんと、彼女を一人の人間として受け止めてあげてよ。それができないのに、軽々しく守るとか言わないで』
あたしは言いたいだけ言うと、ベッドから立ちあがった。ぎし、と木が軋む。
あたしは右手から指環を抜き取り、理緒子の左手に嵌め直した。その手を握って、
『起きるまでついててあげてよ? で、ちゃんと二人で話して』
『俺がここにいるわけには――』
『気がつかないふりしないでよ。今理緒子に一番必要なのはタクだって、分かってるんでしょ?』
タクの反論はない。なるほど、彼も知ってたってわけだ。
あたしはため息をついて立ち上がった。そのとき、
「――だれ?」
「理緒子」
あたしは慌てて腰を下ろし直した。枕の上で頭を動かし、少しまぶしそうに理緒子が部屋を見渡す。
『タク……?』
『目が覚めたのか』
馬車にいたときは、タクは御者をしていたから、昼以降会うのはこれが初めてだ。目が合った瞬間、理緒子の両目からぽろっと涙が零れ落ちた。
足早にタクが、あたしとは反対側の枕元まで移動する。
『すごく……すごく、怖い夢を観たの。タクがいなくなっちゃう夢』
まだ薬が効いているのか、うわ言のように理緒子が喋る。
『すごく怖かった……』
『大丈夫だ、俺はここにいる』
『わたし、ね……見たの。タクがね、あの、金色の目の人と話してるの』
ジャムのことだ。いつ見たんだろう。あたしの全身から音を立てて血の気が引いていく。
『村で、タクをね、待ってるとき、見たの。だから……すごく不安で』
『すまない。彼は――』
『あのね、護衛の人なんだって。陰でこっそり、あたしたちを守ってくれてたんだってさ』
あたしはなんとか、何でもないことだったように言い繕った。
『ジャムっていうの。いい人だったよ』
『……そっか。それで……忍者みたい、だったんだ』
忍者みたい。理緒子は、いったい何を見たんだろう。気付いてあげられなかった自分に、心の中で舌打ちする。
――そんな彼女をあたしは、あのとき追い詰めたんだ。
彼女の左手を握り、重く沈黙してしまったあたしの代わりに、タクがゆっくりと話し出した。
ツークスを出て以来、姿を見せないように、あたしたちを見守る人が何人もいること。
旅に集中して欲しくて、内緒にしていたこと。
金色の目のジャムは、事前に危険を知らせたりする連絡係だってこと。
『――君が村で見たというのは、その連絡を受けていたときだと思う。本当は夜にしかしないはずなんだが、あのときは緊急で……』
『きん…きゅう?』
『……ああ。行くはずの道の途中で、君たちを待ち伏せしている者がいると教えてくれたんだ。だから、馬車を離れた』
『なんで……?』
理緒子の疑問はもっともだ。危険が及ぶことが分かっていたなら、なおさら傍にいて欲しいと思ったんだろう。タクは唇を噛み締め、重く言葉を紡いだ。
『よく似た馬車を仕立て、そっちにおびき寄せようとしたんだ。そうすれば、君たちが戦闘に巻き込まれることはないだろうと、そう思って』
『……おとり』
『ああ、そうだ。だが、俺たちが甘かった。敵は用心を重ねて、二つの集団に分かれて攻撃してきた』
『ファリマって、言ってた』
『え?』
『ファリマの情報がなんとかって、あのひとたち言ってた、よ……?』
あの騒ぎの中、あいつらが何か喋ったに違いない。タクが武人の顔に戻って頷いた。
『そうか、ありがとう』
『へへ、ちょっとは……役に立った?』
『ああ』
タクが笑って、ごつい手で理緒子の髪を撫でた。いつくしむように。
仔犬みたいに、理緒子が目を細める。
『タク。わたし、ね。くやしいの』
『くやしい?』
『みんなが、一生懸命何かしてるとき、なにもできなかったのが、くやしいの。……ごめんなさい』
理緒子のまなじりから、涙の雫が伝う。あたしは思わず声をあげた。
『理緒子のせいじゃないよ。あたしが――』
『いいの。真紀ちゃんが、助けようとしてくれてたの、分かった、から』
天井を向いたまま、理緒子は腕で顔を覆った。
『怖かった、けど、分かった、から。でも……』
『リオコ、すまなかった。君を守ると誓ったのに、こんな目に遭わせるなんて、本当に……自分の未熟さが情けない』
タクの声は、わずかに潤んでいた。あたしは音をたてないように、そっと枕元から立った。
「……真紀ちゃん、どこいくの?」
「お風呂借りに行ってくる。だから、二人でちゃんと話すんだよ?」
精一杯の気力を振り絞って、あたしは笑顔を作った。タクに目まぜで、頑張れと親指を立ててみせる。そして部屋を出た。