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 タクとルイスの怒りはまだ冷めないみたいだったけど、ジャムが間に入ってくれて、あたしたちはその場を引き揚げることにした。もちろん真っ二つの大穴喰も、砂の上に伸びたあの男たちも放置だ。

 だけど、

『馬車へ戻ろう』

とタクに言われ、一瞬あたしは頷くのをためらった。

 他に街へ行く手段がないとはいえ、あいつらがドアを蹴破って乗り込んできた場所に戻るには、ちょっと抵抗がある。察したのか、タクが言葉を続けた。

『大丈夫だ。別の馬車がある。乗ってきたほうは、ジャムにでも牽かせればいい』

『別の馬車?』

『ああ』

 タクは、まだ目覚めない理緒子を両腕に抱き上げ、あたしを促した。

 土埃を気休め程度に払ってついていくと、彼の言うとおり、道にはなぜか馬車が二台止まっていた。しかも、大きさも形もよく似てる。あの男たちが乗ってきたものとは思えない。

 あいつらが道に落としていった松明がそろそろ燃え尽きて、辺りは本格的な夜の闇に包まれていた。あたしは目を細め、暗闇に潜むなにかを探るように凝らす。

 その、どちらかというときれいなほうの馬車の陰から、誰かが顔を覗かせた。どきりとすると、その人が手に持ったものを左右に振ってみせる。風に漂う香りで気づいた。

「……コジだ」

 タクが、開けてあった馬車のドアから理緒子を運び入れて座席に寝かせ、その指から魔法の指環をとってあたしに渡す。

『安心するといい、彼は味方だ』

『はじめまして、マキさま。イザルク・ヤムートと申します』

 コジを両手に抱えた彼が、にっこり笑って頭を下げた。ルイスより背が低くて中肉中背、黒茶色の髪をあたしと同じくらいの長さにそろえている。容姿も物腰も目立ったところがなくて、言葉は悪いけど〝平凡〟っていう感じがぴったりだ。

『はじめ……まして? イザルクさん』

 疑問形もどうかと思うけど、この状況で戸惑わないほうがおかしい。警戒心を解くように、彼はおだやかな笑顔で返した。

『どうぞ、イジーとお呼びください』

『じゃあ、あたしも呼び捨てで』

『そういうわけには……ああ、そうだ。お手回りの品をあちらの馬車から持ってまいりました。どうぞお確かめください』

 どこかの添乗員のような口調で言い、イジー(呼び捨て即決)は理緒子の前の席にコジを置いた。座席の背もたれには、あたしと理緒子の肩掛け鞄が下がっている。

 小さくていびつなコジを転がらないように整え、イジーが独り言のようにつぶやく。

『いくつか踏まれて、少し数が減ってしまいました。もったいないですね』

『どうせ苦くて食べられなかったから』

『これだけ小さなコジを、そのまま食べるのは無理ですよ。料理の香りづけにするくらいですね』

 タクはいなくてルイスも運転中だったから、聞かずに皮をむいて二人で齧ってみたんだよね。それがまた苦くて。

 胸先に込みあげる、コジの味とはまた別の苦さを飲み下すように、あたしは明るく喋った。

『そうなんだ。じゃあ目が覚めたら、理緒子にも教えてあげよう』

 くったりと目を閉じる理緒子は、ジャムが何かしてくれたのか顔色こそ前ほどじゃないけど、起きる気配なんてない。タクは馬車には入らずに入口に膝をついて、その寝顔を黙って見つめている。

 後悔、謝罪、自責――そんな想いが浮かんだタクの横顔。なにがそこまで彼に、こんな表情を浮かべさせるんだろう。

『……タク、なにがあったの?』

『大したことでは――』

『大したことだよ。あたしたちはあいつらに襲われて、それで理緒子がこんな――』

『分かっている! だが、それを今ここで口にしたところでどうしようもないだろう。知ったふうな口を利くなっ!』

 タクが怒鳴った。理緒子が起きるんじゃないかっていうくらいの音量で。

 怒鳴られたことよりも、あたしは、はじめて見る彼の取り乱しように言葉を失った。

 はっとタクが蒼ざめる。

『すまない。八つ当たりだ』

『……うん。分かってる』

 あたしは頷き、タクの隣で、立ったまま馬車の外の壁に背をもたれた。

『ねえ、タク。気がついてる? タクってば、最近謝ってばっかだよ? 謝るって大事だけど、でももっと大事なことだってあるんじゃないのかな。怒鳴ったり八つ当たりしたり……カッコ悪く言い訳したり。

 なんでもかんでも自分の心の中にしまい込んでたら、自分を分かってもらえないだけじゃなくて、他の人のことも分からないと思うんだ。悩みも弱さもダメなとこも見せてくれない相手に、自分の弱い部分は預けられないよ、あたしは』

 ちょっとえらそうなことを言いすぎたかなと、一人小さく笑う。

『……なんて、これはあたしの意見だけど。タクがいろいろ頑張ってくれてたの、知ってるから。――当ててみせようか? この馬車、囮だったんでしょ?』

 似たような馬車がもう一台あって、そのうえタクが格闘してきたっぽい、となれば、結論はひとつだ。タクはこの襲撃を事前に知って、陰で対処しようとした――まあ、半分失敗に終わったわけだけど。

 タクが大きく息をついて、乱れた髪をかきあげる。

『……まいったな、君は。ルイスが聡いと言うはずだ』

『簡単な推理だよ、ワトソン君。よく観察すれば分かることさ』

 ふざけて言うと、タクが怪訝な顔になった。

『わとそんくん?』

『――誰なんだ、それは?』

 聞き返すタクに続いて、冷静な声が尋ねる。ルイスだ。

 金髪はまだ背に流したままで、服も顔も汚れていたけど、ルイスはもう普通モードに戻っていた。やって来て、ロープで括られていたあたしの手首や腕を確かめる。ジャムの治癒は完璧だ。頭をくしゃりと撫でられる。

『怪我はもうないな?』

『うん。ルイスは? 痛くない?』

 血の滲む唇の端に、そっと指を伸ばす。

『ああ、汚れているだけだ』

 ルイスが拳で拭うと、血の痕が消えた。そういえば、あれだけやられてたわりに顔も腫れていない。さすが万能魔法士だ。

 ルイスは同じように馬車を覗き込み、理緒子の様子を診た。白い頬に手を触れ、

『落ち着いているな。このまま宿まで行こう』

『宿は?』

『アマラが取っているはずです』

 タクの問いにイジーが答える。

――……ちょっと待て。何人いるんだ?

 ジャムにイジーにアマラって人に、と頭の中で指折り数えたあたしは、ふと荒野のほうを向いて固まった。強盗集団をぐるぐる巻きにしているジャムの傍で、手伝う見知らぬメンツが数名。

『……ねえ、なにこの大人数。どういうこと?』

『マキ、その話はあとでゆっくり話そう』

『あとでゆっくりじゃなくて、今すばやく聞きたい』

 脇でこっそりイジーが笑う声が聞こえるが、そんなのはスルーだ。

 観念したように、ルイスが口を開く。

『彼らは味方だ』

『それは見たら分かる。確か行く前、一緒に旅するのはタクとルイスの二人って言ったよね?』

『〝君たちと一緒に〟旅をするのは、私たちだけだと言ったんだ』

 言葉遊びかい! ナゼニ味方の揚げ足をとる。

『じゃあ、この旅に関わっている人は何人いるの?』

『それは分からない。私も全部を知っているわけではないんだ』

『どうせ黒幕はヘクターさんなんでしょ。分かる範囲でいいよ』

 上から目線のあたしの促しに、しぶしぶルイスが教えてくれたのはこうだ。

 まず、あたしたちが進むより前に行くグループがひとつ。それがジャムとイジーとアマラさんって人で、彼らの役目は安全確認だ。つまりブゼナでもブンゴルトでもナアカでも、使った宿や店は全部この三人が事前に問題ないことを確かめていたというわけ。

 さらにあたしたちの後から、少し遅れて別のグループがついてくる。これは警護のためと、他の人があたしたちに後ろからちょっかいを出したり、情報を売ったりするのを防ぐためだそうだ。

 その後続集団と前を行く三人の連絡をとる係や、先行グループ以外の交代要員(二十四時間監視らしいよ、まったく)も合わせると、ルイスでもちょっと把握しきれない数になるらしい。

 しかも、この手配をしたのはレスだそうだ。ただの柔和な笑顔の人だと思ってたのに、さすがにクガイ。食わせ者だ。

『大集団じゃん……』

『だから教えるのが嫌だったんだ。大勢に見られていると知れば君たちも気を遣うし、本来なら旅が終わるまで顔を合わせることがないはずの連中だからね』

 もう会っちゃったよ。遅いよ!

『隠していた形になってしまって、すまない』

『タクに謝られても、どうしようもないってば。で、この先もずっとこうなの?』

『〝異界の乙女〟の警護をわれわれ二人だけに任せるはずがないだろう? 陰ながらだから、ほとんど気にかからない』

『気にするしないは主観の相違なの。問題は――』

 お花摘みとか頭にちゅーとかも見られてたんだろうか、ってことも気になるけど。

『これだけの大人数、異界の扉くぐれんのかな……』

『なんのことだ?』

『んー、ヘクターさんに言っちゃったんだよね。もし水門探すの失敗したら、みんなを連れて異界に逃げるから、異界の扉探ししておいてねって』

 タクとイジーは失笑、ルイスは怖い雰囲気の無言だ。

『そんなくだらないことを考えていたのか?』

『くだらなくないよ。重要じゃん』

『重要なものか。挑戦する前から失敗の言い訳を考えてどうする。威勢のいい君らしくもない』

『だって』

 圧し掛かるものが大きすぎるんだよ。言おうとして、熱い固まりが喉につかえる。

 ルイスが、ぽすんと大きな手であたしの頭を包んだ。

『自信を持て。君とリオコを信じて、私たちはここにいる』

 それが重たいんだってば。

 そう返したいけど、代わりにあたしの左目から、生温かい雫がひとつ零れ落ちた。

『マキ。自分を信じることが難しいなら、君たちを信じている私を信じてくれ。――君を守る。たとえもし水門が存在しなくても、異界の扉が開かなくても、私が君たちを連れてどこまでも逃げる。それではだめか?』

 だめじゃない、と言いかけて、やっぱり涙が溢れてきて、あたしは首を横に振った。

 まったくこんな感動的な状況なのに、どうやってもみんなの前だよ。

『他のみんなも一緒、だよね?』

『ああ、きっと嫌だと言ってもついてくる。隠れてね』

『……隠れるのが趣味なの?』

『それは違うと思うけど。――マキ』

 囁くように名前を呼んで、ルイスが両腕にあたしを抱きしめた。

『怖い思いをさせてすまなかった。よく、頑張ったな』

『……う』

 その声も布越しに伝わる体温も、すべてがあたたかくて、あたしの胸の中のなにかが弾け飛ぶ。ルイスにしがみついて、あたしは声をあげて泣き出した。

 すごく――ものすごく怖かったんだ。今やっと〝普通〟に戻って、あたしはようやくそのことを自覚した。今さらだけど、おかしいくらいに体が震える。

『よくやった。もう大丈夫だから』

 いつもはちょっと腹立つけど、子どもをあやすように撫でるルイスの手が心地いい。

 彼の肩口に、ぎゅっと額を押しつける。存在を確認するように。

 つい数十分前までは本当に、お互い二度と会えなくてもおかしくないくらいの状況だったんだ。心の底に押し込めていた最悪の予想とか恐怖とか、それを逃れた安堵感とかで、もう頭がぐちゃぐちゃになる。

 ひくつく喉から押さえきれない嗚咽が漏れて、あたしは赤ちゃんみたいにわんわん泣きじゃくった。

 耳元で、ルイスの声が甘くやわらかく響く。

『大丈夫だ、マキ。もう安心していい。全部片付けたから』

――……カタヅケタ?

 ちょっとだけ涙が引っ込んだ。まだルイスの背後に、あの真っ黒な翼が広がっている気がする。

『ルイス……』

『なんだ?』

『えと、弱いものいじめはしないでね?』

『……』

 なんだか空気が微妙に凍りついたけど、とりあえず釘は刺しておかないと。だってルイスってば、自分が嫌いな相手には容赦しなさそうなんだよ。

 ルイスが眉間にしわを寄せ、それでも魔王化したときの数倍やさしい瞳で、あたしを睨む。濡れた頬を指先でぬぐうついでに、むにゅんと摘まれたのは、図星を突かれたささやかな復讐なんだろう、きっと。

 あたしは気恥ずかしさをごまかすように、もう一度彼の肩に顔をうずめ、その服でこっそり涙を拭きとった。



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