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現われたタクを見た瞬間、あたしは彼の〝急用〟がなんだったのかを悟った。
いつも後ろへ流した短い髪がばさばさに乱れて額にかかり、顔も服も擦れて汚れて、男たちに乱暴されたルイスとたいして違わないくらいだった。つまり、同じようなことをしてたってことだ。
タクは言い訳ひとつせずに『すまない』と謝り、あたしの膝にいる理緒子に目を向けた。そして、息を呑む。
『リオコ……!』
『たぶん気を失ってるだけと思うけど』
大穴喰から庇おうと思って急いで抱きついたから、頭を打ってないか自信のないあたしは、あやふやに言った。息はしているけど、本当に理緒子はぐったりしていた。
無事を確かめるように差し出した、タクの左手が震えている。
――タク?
『まさか、そんな……』
日に焼けたタクの顔から、みるみる血の気が引いた。まだ目覚めない理緒子といい勝負になる。そのとき、タクの来たほうから同じくコマに乗って現われた人物が、背後から声をかけた。
『――落ち着きな、大将』
大将、とは古風な呼び方だ。タクのことなんだろうな、この状況だと。
『そのお嬢ちゃんは死んじゃいないよ。怖くて意識を別のところにぶっ飛ばしてるだけだ』
医者なんだろうか。その人物はぞんざいに言ってコマから降りると、理緒子の傍に膝をつき、被っていた外套のフードを脱いだ。
その姿に驚いた。声を出さなかっただけえらいけど、久しぶりに初対面の人をガン見してしまう。体格はややがっしりめの中背で、右頬に大きな傷があるけど、顔立ちもいたって普通。問題は色だ。
髪は燃えるような赤。癖毛なのか、前髪ごと逆立ってくねってる髪は、きれいな篝火にも思える。左の横の一房だけを細い三つ編みにして垂らしていた。
そして、その両眼は金。肌が焼けているから余計に瞳が引き立つ。その瞳があたしを見て、にっと笑った。
『今の状況じゃ、気を失ってくれてたほうがこっちも気が楽だけどな。そっちのお嬢ちゃんも、怖かったら目ぇ瞑っててな?』
『えー……と』
アナタハイッタイダレデショウ?
あたしが疑問を口にするより前に、理緒子の髪を撫でていたタクが、ようやく顔を上げた。
『……ああ、すまない、忘れていた。マキ、彼はジャムだ』
『よろしく』
ジャムという名前らしい彼が、大きな手を差し出す。理緒子がいて動けないあたしは、座ったままその手をとった。
『朝野真紀です。よろしく』
どうやらタクとは知った仲みたいだし、悪い人ではなさそうだ。なんでそんな人が突然この場に現われたかは後でゆっくり問いただすとして、今は一人でも味方が多いほうが心強い。
――しかし〝ジャム〟って……苺って感じじゃないな。人参だ。
疲れのせいか、あたしの思考が変な方向を漂う。
あんまり人の顔と名前を一致させるのが得意じゃないからこれは覚えやすいと思ったら、手を握ったまま、ジャムが肩を震わせはじめた。笑いながら名乗る。
『オレはジャメイン・ウッド。大将の下で働いている』
『アルのお世話係?』
『いや、あの王子にじゃなくて、個人的に仕えてるんだ。彼の手足が増えたと思って使ってくれたらいいぜ?』
そうなるとタクは手足が八本になるんだけど。なんてことを思っていると、ジャムが今度は噴き出した。それでも遠慮はあるのか、横を向いて耐えている。
――あたし、そんなに思ってることが顔に出てるかなあ。
友だちからは歩いてるだけで機嫌不機嫌が分かるとは言われるけど、わりと小芝居もできるほうだと思うんだけどな。
『……女の子は素直が一番だぜ? 嬢ちゃん』
はっとあたしは、握手していた手を放す。理緒子の指環を触ってるから会話可能なのに、目の前の彼が使ったのは、まちがいなく送心術だ。
――この人、何者……?
呆然とするあたしに軽く片目を瞑って、ジャムはタクに再び声をかけた。
『さっさと済ませようぜ、大将。アクィナスの旦那を一人で活躍させるのは、さすがにまずいだろう』
『ああ』
二人の体越しに改めて周りを眺めると、十数人いた連中は十名以下まで減っていた。大穴喰の騒ぎで何人か逃げ出したらしい。
で、さっきタクが倒したのが四名。残りの五、六人相手に、ルイスは一人で奮闘――でもないか。
せっかく取り戻した剣をなぜか二本とも腰に収め、ルイスは星空に金髪を舞わせて、大きな半月形の刀を振り回す男たちを右に左にさばいている。
決定打はないみたいで、連中はすぐに剣を構えなおしてかかってくるけど、ルイスは気にせず腕で止め、体をひねり、足で払って休みなく相手をしていた。
――すごい。
格闘技はくわしくないけど、明らかに細身のルイスが、複数のいかつい男たち相手に互角かそれ以上であるのは分かる。余裕が違いすぎるのだ。
刀を持ったあいつらが力任せだとしたら、こちらは技術。まるで演舞でも披露しているような無駄のない足さばきと身のこなしで、その優美さに溜息が出た。
額に汗を浮かべる様子もなく、冷ややかに凍りついた瞳のまま、ルイスは戦いの舞を舞いつづける。
何度攻撃してもダメージがないと知って焦ったのか、男が二人、息を合わせて両サイドから大きく振りかぶって剣を斬りおろしてきた。
はっとあたしが息を呑む間に、ルイスは背後へくるりとトンボ返りし、そのまま音もなく岩の上に降り立つ。
『――そろそろ終わりにしようか』
告げるともなく口にされた呟きは、死神からの最期通告っていう表現がぴったりだった。
気のせいか、ルイスの背後に真っ黒な翼が見える。
――ああ、ルイスが魔王モードだ……。
今度から怒らせるときは気をつけよう、とあたしは肝に銘じる。
魔王化したルイスは、岩の上に立ったまま軽く目を閉じ、ふうっと唇から息を吐いた。開いた右手を前に突き出すようにする。
瞬間。
風もないのにルイスの髪が宙へ舞い上がり、舞ったと同時に男たちに向かって何かが奔った。
――え……?
音も、色も、光もなかった。ちょっと耳がきーんとするけど、あいつらはそれ以上の何かを受けたみたいで、声もなく地面に卒倒する。
『な……に、今の……?』
『衝撃波だ』
一言で答え、タクはあたしたちから離れて、倒れてる男たちのほうへ――正確には、ただ一人立って残っている、あのターバンを巻いたリーダーの元へ歩いていく。
その背中からルイスと同じくらい黒いものを感じ、代わりに説明を求めるようにジャムを見た。
あたしがルイスに見惚れてる間に、ジャムはあたしたちの縄をほどいて、傷になった腕を癒してくれていた。どうやら医者じゃなくて魔法士らしい。
『ねえ、なにがどうなってるの? ショウゲキハって?』
『あれは……そうだな。アクィナスの旦那が魔法士なのは知ってるな?』
『うん』
『簡単に言ってしまうと、さっきまで旦那が格闘してたのは、ただ単に攻撃を避けていただけじゃないんだ。避けながら、あいつらの体の中を魔法で痛めつけてたわけ』
『は?』
あの優雅な舞がソウデスカ?
『見えない拳でちょっとずつ体の中を殴ってたっつーか、そんな感じだ。で、ある程度痛めつけたところで、同じようなことだが、今度は体の外から大気を全身にぶち当てた。それがさっきの衝撃波だ』
ぜんっぜん簡単な解説じゃないんですけど??
『だから、見た目には分からないがすでに痛手を受けてたあいつらは致命傷だけど、近くにいるオレたちに被害はないってわけだ。ま、制御が完璧なのもあるけどな』
『うーん、よく分かんないけど、風圧とかそういうの?』
『圧力が分かるんなら話が早いな。魔法で空素を圧縮して叩き込んだ、と言ったほうがいいか?』
『ああ、そっちのほうが分かるかも』
魔法は力じゃなくて手段。なんとなくだけど、ルイスたちを見てきて学んだことだ。
『ルイスは風を操れるの?』
『嬢ちゃんの疑問には、間違いがふたつあるな。まず、旦那がしたことは〝風〟を使ったわけじゃない。重力を操作したんだ。そして第二に――旦那の特技はひとつじゃない。全般、だ』
まさかの最強兵器仕様。どんだけなんだ、ルイス。
そしてあたしは気がついた、ジャムの漏らした一言に。
『……あの人たち、致命傷、なの?』
『あー、いや、けっこうな怪我ってことだ。旦那の手加減にもよるが、しばらく飯が食える状態じゃないのは確かだな』
曖昧にジャムがごまかす。
『ちょっと乱暴すぎるけど、嬢ちゃんたちを守るためだから見逃してな?』
あたしは、膝の上で目を閉じたままの理緒子に視線を落とした。彼女の意識がなくてほんとよかった。
地面に倒れた男たちは、かすかにうめき声が聞こえるけど、動けないみたいだった。その中央に残されたターバン男は、ここからでも分かるくらい動揺して、岩の上のルイスと近づいてくるタクを交互に見ている。
『――タキトゥス。血は流すな、彼女たちの前だ』
『分かった』
ルイスの言葉に頷き、タクが長いマントをひるがえして男の前に立つ。相手は剣こそ構えているけど、完全に彼に呑まれていた。
タクの拳が宙に掲げられる。それが動いた瞬間、あたしの視界が暗くふさがれた――男の手だ。
『ジャム』
『見るの、やめとこうな? あんま気持ちいいもんじゃないし』
確かに見えないんだけど、見えない向こうから、体の何かがどうにもならないダメージ受けたみたいな湿った音が聞こえるんですけど。
気づいたのか、ジャムのもう一方の手があたしの右耳を覆う。
――むう。
見たいわけじゃないけど、なんとなく息苦しい。それに、こうやって大事に庇われるのって慣れてないんだ。あたしは居心地悪く眉を持ちあげて、ジャムの指の間からこそっと様子を窺った。
――あ。
そこでは今まさに、男の体が飛んでいくところだった。文字通り、けして小さくはない男が宙に浮き、砂と石を撒き散らして夜の彼方に吹き飛んでいく。しかもタクが使ったのは、左腕一本だ。
やっと〝成敗〟が終わったのか、目隠ししていた手がどけられる。あたしはその腕の袖をつまんで、ちょいと引っ張った。
『ねえねえ、ひょっとして、ルイスとタクって強いの?』
『強さの種類にもよるけど……ま、国中で無差別格闘技戦をしたら、間違いなく上位に入るだろうな』
『上位って?』
『たぶん、上から数えて十人くらい』
『……』
うん、今度から二人を怒らせるのは絶対にやめにしよう。