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15-3


 その日の夜は、この旅初めての野宿だった。ガウルの子がいるので宿屋に泊まれないのと、馬車のペースを落としたので目的の街まで辿り着かなかったのだ。

 真紀は申し訳なさそうにしていたけど、みんなで決めたことだからと、わたしは気にしないように言った。事実、気にしても仕方ないし。

 友だちの中には絶対アウトドアはNGっていう子もいるけど、わたしは割合平気なほうだ。学校行事でいい思い出はひとつもないけど、父親が海岸バーベキューとか好きな人だったから。前の旅でも、みんなでわいわい楽しかったし。

 でも、さすがに知らない場所で四人だけっていうのは、ちょっぴり不安だ。少しの木と大岩に囲まれている場所に馬車を停めたけど、日が暮れると辺りは本当に真っ暗の闇。中央で燃やす焚き火が明るいだけに、余計周りの暗さが増して見えるようだった。

 星空はガラスビーズをこれでもかっていうくらい散りばめたようなすごさで、三つの月も綺麗だけど、やっぱり電気の明かりが正直恋しくなる。

 配膳を終えて、わたしはポットのお茶を注いでいる真紀の背中にへばりついた。

『どしたの?』

『なんか、くっついてたい気分』

『甘えんぼさん。はい、これ理緒子の』

『ありがと』

 わたしは複雑な香気を放つお茶のカップを両手に受け取った。すうっと鼻に抜ける香りは、キッキーナだ。

「ルイス、ここに置いとくね」

 真紀が一足先に石の椅子に腰掛けるルイスの足元に、お茶のカップを置いた。世話は交替でと決めたとおり、今はルイスがガウルの子の食事をあげている。

 自然とルイス、わたし、真紀、タクの順に、馬車を背中にして焚き火の周りに半円を描いて座る。真紀が自分のお茶とタクのお茶を持って席に向かいかけ、ふと止まった。

「タク、あたしと席代わる?」

 日本語で言ってから、石の椅子にカップを置き、わたしの左手をとって言い直す。

『タク、あたしと席代わる? そっち当たるでしょ』

 タクの席の左横には、ちょうど人二人分くらいの大きな岩がある。確かに体格のいいタクには邪魔になりそうだけど、そういう微妙なことを口にしていいものなのかな、とわたしは思う。

『いや、大丈夫だ。ありがとう』

『ならいいや』

 真紀はあっさりそう言うと、タクにお茶を渡して自分の席に座る。

 なんだったんだろうと隣を窺うと、非難するような目の色が出ていたのかもしれない、真紀がわたしを見た。

『ん? だってタクって左利きでしょ。食べるとき、岩が邪魔かなあって』

『え……』

 わたしは一瞬混乱して、その場に不自然な沈黙が下りたのに気付くのが遅れた。

 わたしの頭の中で、タクとのいろんな場面がぐるぐる回る。

――だけど、手を差し出してくれるときはいつも右手だったし、字を書くところは見てないけどコマの手綱を持つときも右手だったような……あれ、左手だったっけ。

 今まで一緒に食事をした時も、片手にカップ、片手にパニという状態だったからあまり気に留めていなかった。しかも、タクはいつも右側にマントをかけていて、右手を見ることがほとんどない。

――あれ……。

 頭の中で何かが引っかかる。混乱する思考から抜けようと、別のことを口に出した。

『よく、知ってるね』

『あー……アルと三人で食事したとき左手を使ってたから、タクって実は左利きだったんだなあって思ったの。それだけだよ』

 真紀は明るく流そうとしたけど、タクはなぜか重く黙っている。膝の上に置いた左手に視線が落ちた。

『マキは良く見ているな』

『ごめん、タク。あたし余計なこと言った』

『……そうか。本当に良く見ているんだな』

 真紀が謝ったのに、タクは同じ言葉を繰り返し、その言葉の含みにわたしの心はざわめいた。

『俺の利き腕は、左に見えたか?』

『うーん。実はよくわかんないんだよね。だって剣は左側にあるし、普段は右手を使うでしょ。元は左だったのが、右に矯正されたのかなあとか……。でも、咄嗟には右が出るんだよね。右手に防具嵌めてるし』

『俺は最初から右利きだよ。本当は右を使わないといけないのに、つい癖で左が出てしまうんだ。気をつけるようにはしていたんだが』

 そう告げ、タクはマントの下から引き抜いた右手を外気に晒した。指先までの滑り止めのついた革の手袋。手首のボタンで留めているそれを、タクは左手と口で外し、脱いだ。

『!』

 タクの右手は、ぼろぼろだった。かろうじて〝手〟と分かるくらい、四本の指は節くれて折れ曲がり、親指は先が切れて短くなっている。傷痕らしきピンク色の筋が何本も走って、一度ばらばらになった指を誰かがめちゃめちゃにくっつけ直したようだった。

『タク、それ……』

『見てくれは悪いが、普通に動く。だが以前ほど動かせないから、ときどき左手が出てしまうんだ。傷を治すうちに左を使うようになって、今では両利きだ』

『ある意味便利?』

『まあな』

 おどける真紀に、タクも唇の端を微妙に曲げた。

『診せてみろ』

 ルイスがガウルの子をわたしの膝に乗せ、タクのほうへ歩み寄る。その右手を両手に取り、空にかざすようにして、厳しい眼差しを注いだ。

『刀傷だな。一年……二年前くらいか?』

『そうだ』

『――例の討伐か』

 類を見ない盗賊団との対決がタクに与えたのは、名誉だけじゃなかった。乗馬のときに言っていたアル王子の〝良い治療になる〟という言葉が、急に重い意味をもって耳元で甦る。

 わたしは、訳も分からず喉の奥が震えるのを感じ、膝の上のガウルの子を抱きしめた。

『若かったからな。無我夢中でやつらと戦って、気がついたら指が手から外れかけてた。繋がっただけましなほうだ』

『繋げ方がひどすぎる。うまく気が回っていない。これでは力も入らないし、長く使うのも難しいぞ。早く医者か魔法士に診せればよかったものを』

『そのあと荒野で一晩彷徨ったんだ。指が腐って落ちなかっただけ幸運だと、叱られたよ』

『今度同じことがあったら私に言え。一晩経っていようが、まともな指に治してやる』

『士団長さまにか。法外な治療費をとられそうだ』

『特別価格で提供するよ』

 喋りながら、ルイスはタクの右手に治癒術をかけているようだった。ほんのりと、その周りが焚き火とは違う明かりに包まれている。こんなに長く続けるなんて、いつもないことだ。

 五分ほどして、ルイスはタクの手を離した。

『動かしてみろ』

『ああ……だいぶ楽だ。ありがとう』

『こういうことは早く言え。隠していても、誰の得にもならん』

 ルイスは素っ気ない口調で言い、タクの肩をぽんと叩いて席に戻った。彼が石の椅子に腰を落ち着ける間もなく、真紀の質問が飛ぶ。

『ルイス、タクの手治りそう?』

『斬られたてならともかく、あの状態で固まってしまっている今は無理だ。地道に気をめぐらせ、運動させて筋力を補えば、日常生活で問題のない程度には回復するだろう』

『日常生活、か……。剣を持てない騎士にどれほどの価値があると思う?』

 呟くタクの声に、苦く、澱むものが漂う。わたしの胸がきり、と痛んだ。

『満足に剣を振るうことのできなくなった俺が、将軍の号を授かるのは皮肉としか言いようがない。何度も辞退したが……聞き入れてはもらえなかった』

『武人とは、腕力のみを求められるものではない。君がたった一人で凶暴な賊徒の集団に立ち向かった、その心根に与えられた栄誉だ。充分に値する』

『王子からもそう言われた。が、やはり簡単には納得できない』

 ルイスの台詞にそう反論し、タクは歪んだ右手で拳を作った。目を閉じる。

『というより、納得したくないのだろうな。俺は、まだこの手の過去に未練を残している』

『剣は握れるの?』

『ああ、問題ない。投げてみろ』

 タクは足元の焚き火用の小枝を真紀に放り、自分は剣を持って、焚き火の向こう側に立った。

 真紀が座ったまま大きく振りかぶって、バトンくらいの枝を投げつける。瞬間、タクの腰からひとすじの銀色の光が奔り、彼に届く前に枝がぽとりと地面に落ちた。

『わ……』

 見ると、枝はきれいに縦半分に切られている。もう半分は、どうやら向こうの茂みに落ちたみたいだ。タクの右手には、あの大きな長剣が抜き身で握られている。

 にやりとルイスが笑う。

『なかなかの腕前だ。安心したよ』

『さすがに[双月]士団長の治癒術を受けると違うな。格段に楽だ』

『あとで王子に請求を回そう』

 なんだかルイスが守銭奴じみたことを口にしている間、真紀とわたしは開いた口がふさがらない状態になっていた。

『わー……なんも見えんかった。なにがどうなったん?』

『まじわっかんない』

 驚きすぎて、思わず二人とも地が出てしまう。剣を鞘に納めて戻って来たタクに、真紀が尋ねる。

『タク、あれで剣を満足にふるえんって、どんなレベル求めてんの?』

『剣はその重さと大きさで、威力が決まる。前はもっと幅広でこの倍ほどの重量の剣を使っていたが、握力が弱って片手一本でも使えるものに替えたんだ』

 鞘に納めた剣を岩に立てかける。鞘を固定する紐に結んだテディベアが、ぶらんと揺れた。

『俺はずっとこの体格と、巨大な両手剣の破壊力とを武器にしてきた。だからそれが不可能になったとき、自分の価値がなくなったように思ったんだ。

 だが……戦い方はひとつじゃない。破壊力がなければ、それを超える速さと正確さを身につければいい。最近やっとそう思えるようになった。俺は俺でいいのだと……』

――タク……。

『――リオコはリオコになればいい』

 以前、そう励ましてくれた彼の抱えていたものを知り、わたしは胸が熱くなった。彼はどれほどの想いをもって、あの言葉を口にしたのだろうか。

――何も言えないよ……。

 不自由な右手を補おうと左手を使っていたこと、知らずにその怪我をしている右手に何度も手を預けたこと。そして、そのことにずっと自分が気付かなかったこと。

 いろんな想いが一気に頭を駆け巡った。

――わたし、タクの何を見てたんだろう。

 タクの視線の先、笑い方、歩き方。手の温もり、声の響き。全部、わたしに向けられていたものしか見ていなかった。

 彼が、わたしにどう話したか。どう微笑んだか。どう接してくれたか。

 わたしに見せていたのなんて、タクの一部でしかなかったのに。

「――好きなら、受け入れてあげんと」

 真紀の言葉が、今さらながら身に染みた。わたしの〝好き〟は、なんて一方的で身勝手だったんだろう。

 タクの顔が見れなくて下を向く。食事を中断されたガウルの子どもが、腕の中できうきう鳴き声をあげはじめた。

 そのわたしたちの様子をどう思ったのか、タクが右手に手袋を被せ直す。

『見て、あまり気持ちの良いものではないな。すまない』

 はっとする。弾けるように真紀の声があがった。

『謝ることなんてないよ、タク。元はといえば、あたしが変なこと言い出したせいだし』

『マキのせいじゃない。俺がもっと右手をしっかり使えていたら、君に気付かれることもなかった』

 淡々とした調子が、今までその右手を見た人たちの反応を窺わせた。わたしは焦る。

――違う、タクの右手が嫌なんじゃないのに。

 嫌なのは、こんな自分の心なのに。

 手は傷だらけで、剣を上手く握れないかもしれないけど、わたしは何度もその手に支えられてきたのに。わたしはタクを――。

 心の中が声でいっぱいに埋まる。だけど、わたしの唇は、上と下が頑丈な糊でくっついたみたいに離れなかった。

 少し難しそうに手袋を嵌めるタクを、真紀が手伝いの声をかけそびれたのか、戸惑い顔で黙って見ている。沈黙が気まずい。かわいいガウルの鳴き声も焚き火の音も、石のような気まずさを和ませてはくれなかった。

――何か言わないと、何か言わないと……!

 気持ちが空回りするだけで、かっこいい台詞は何も浮かばない。しゅる、と衣擦れの音をたてて、タクの右腕がいつものようにマントの下に隠れる。

『わ、わたし……っ』

 突然声を発したわたしに、タクが顔を上げる。真紀も、ルイスもこちらを見た。

『わたし、タクの手、好き……だよ。たくさん、助けてもらったから』

『……ありがとう』

 驚きと喜びと戸惑いが混じったその言葉を、タクがどんな顔で言ったのか、残念だけどわたしは見ることができなかった。

 自分の口から出た台詞の恥ずかしさに、腕に抱えたガウルの子の毛に顔を埋めるのが精一杯だったから。

――うわ~。やっばい、超恥ずかしいよぉ~。

 顔から火を噴くとはこのことだ。もうなんか頭の先まで熱い。

 抱きしめられたのとお腹が減ったのとで、腕の中から情けない『きうぅ~』という鳴き声があがり、わたしが我に返ったのは、たっぷり五分後のことだった。



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