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15-2


『では、全員の意見をまとめよう。マキは、その子を助けるという意見でいいな?』

 真紀が連れて戻ったガウルの子の行く末をどうするか、タクの声掛けによって全員の意見が出されることになった。旅は四人でするからというのが理由だ。

 ちなみに、旅に関して大まかなことはタクが指揮を執って、その日の宿の場所のような細かい設定はルイスが判断を下すことが多い。なんだか二人の間で取り決めがあるみたいだ。

 話題の主を膝に乗せたまま、彼の言葉に真紀が頷く。

 タクは、深い藍色の瞳をわたしに向けて尋ねてきた。

『リオコはどう思う?』

『わたしも……助けてあげたいと思う』

『それで旅が遅れても?』

『う、うん。旅を進めながら、その子の親を探すっていうのはどうかな?』

『これを連れていると宿に泊めてもらえなくなるが、それでも構わないか?』

『う……』

 馬車ベッドも嫌いじゃないけど、一日に一回くらいは足をまっすぐ投げ出して横になりたいよね。

 ちらり、と横目で真紀を窺う。真紀が顔を赤くした。

『じゃ、じゃあ、あたしだけ馬車に寝るから!』

『……その話は後にしよう。ルイス、意見を』

『私はここに置いていくことを提案する』

――意外だ。

 真紀の味方をすると思っていた金髪の魔法士の言葉に、わたしは眼を丸くし、真紀は一瞬泣きそうな顔になった。

『まず、旅に連れて行くにはその子は幼すぎる。産まれて三、四日といったところだろう。まだ母親の乳にぶら下がっている時期だ。食餌も頻繁にあげないといけないし、トイレの問題もある。馬車の移動でただでさえ体調を崩しがちな君たちに、世話をし続けるのは無理だ。

 それに逆を返せば、これだけ未熟な幼獣が親から離れて元気でいるということは、離れてそんなに時間がたっていないということでもある。ここに置いていっても、親が見つける可能性は高い』

 食事時でショールを外してたルイスは、あくまで淡々とした表情を見せて指摘した。

『ひどいルイス、あたしが世話をするんなら連れてってもいいっていったじゃん!』

『後で話し合おうと言ったんだ。連れて行くことを認めたわけじゃない。君は、自分が気分を悪くして休憩を早めたことを忘れたのか?』

 厳しいけど、ルイスが真紀のことを考えて言っているのは分かる。分かっても、真紀は納得できていないようだった。それでも、口を噤んだ。

『では、俺の意見だが――俺もこの子は群れに戻すのが一番だと思う。つまり全員の意見としては……』

 タクが一度語を止め、わたし、ルイス、真紀と見て視線を止めた。

『このガウルの子を助けるということで一致した』

『……へっ?』

 真紀が変な声をあげる。ルイスはにやりと微笑んで『そういうことになるな』と呟いた。

――そっか。置いていくって、別に〝助けない〟ってわけじゃないんだ。

 つまりそれは〝殺す〟という選択肢もあったことを同時に窺わせるもので。わたしは少し蒼ざめて、真紀の服の袖をきゅっと掴んだ。

 タクが続ける。

『この子が生きられるようにするには、やはり群れに戻すのが一番だ。だが、群れを探すことに今は時間を使えない。俺は、リオコの案を採用したいと思う』

『わたしの?』

『そう。旅を進めながら、この子の戻れる群れを探す』

 タクの提案は次のようなものだった。

 ひとつ、ガウルの子はなるべく人間の匂いがつかないように、籠に入れる。

 ふたつ、世話は交替でおこなう。

 みっつ、旅に連れて行くのは、群れの行動範囲と思われる、この山の麓までとする。

『俺たちからガウルの群れに接触することは難しい。ならば、旅をしながら群れの形跡を見つけ、そこにこの子を置いていくしか方法はない』

『妥当な線だな』

 ルイスが同意する。

 やっぱり置いていくのは決定なのか、とわたしは肩を落としたけど、真紀は抵抗した。

『えと、街に降りて、あのガウルと話せる人に連絡とるっていうのはだめ?』

『彼とうまく連絡がとれるか保障できない。それは最終手段だな』

 そうだ、ここには携帯電話もない。タクは言い聞かせるように言葉を重ねた。

『マキ。助けると決めたのだから、みんなで最善は尽くす。だが、最善がすべて最良の結果になるわけじゃない。分かるな?』

『……うん。ごめん、みんな迷惑かけて』

 真紀がまたぺこんと頭を下げた。パニカを二つ半も食べたガウルの子どもは、さすがに満腹らしく、彼女の膝で丸くなって眠っている。

 タクはその丸い背中を指先で撫で、微笑むと立ち上がって、食事の入っている袋から新しいパニカをひとつ真紀のほうへ放った。

『君もしっかり食べろ。馬車に座っているだけで気分を悪くするようじゃ、その子の世話はできないぞ?』

『うん、分かった』

 パニカを片手で受け取り、真紀が少しだけ笑顔を見せた。


 〝異界の乙女〟とかなんとか言われて救世主気取りでも、実際目の前に守るものがあるのとないのとでは全然気持ちが違う。わたしと真紀は、気分が悪かったのが嘘みたいに、甲斐甲斐しくガウルの子の世話を焼いた。

 タクの助言どおり、木の枝で作った籠に入れられたガウルの子どもは、馬車の後ろの荷物の陰に繋がれている。ちょうど日陰だし風が通るし、ひょっとしたらどこかでこの子のお母さんが見かけないとも限らないし。

 なので、馬車の中を行ったりきたりしながら世話をすることになる。午前中までぐったり横になっていたのが、自分でも信じられないほどだ。

 食事は二、三時間ごとで大丈夫だとタクは言ったけど、一時間もしないうちに鳴き声が聞こえ、わたしたちはまた席をたった。真紀がカップに蜜蝋の欠片と水を入れ、御者をしているルイスのところに持っていき、微温に温めてもらう。その間わたしが後ろへ行き、籠からガウルの子どもをタクに手渡しする。なぜか自然に決まった連係プレーだ。

 わたしが席に戻ると、『あげすぎじゃないのか?』というルイスの呆れた声が前のほうから聞こえたけど、指環をしていない真紀は分からなかったようで、

「ダンカス アレース!(ありがとごじゃいまーす!)」

と元気に返して、こちらへやってきた。

 拙いマフォーランド語(英語で言うLとRの発音が混ざっているせいだと思う)がそのまま翻訳されて聞こえるのが、ちょっと可笑しい。

 一人でくすくす笑っていたら、真紀が「なに?」と聞いてきたので首を振った。

『なんでもない。あ、ね、これ余ってるから使ってよ』

 鞄に入れておいた食べ残しのパニカを差し出す。

「いいの?」

『うん、食べ切れなかった分だから』

 目の前に座るタクの視線が痛いけど、わたしは気にしないふりを決め込んだ。

 真紀がだいぶ慣れた手つきで、ガウルの子を膝に乗せ、その子を落ちないように抱えた左手にカップを持つ。右手でパニカを蜂蜜湯でふやかそうとして、お腹を空かせたガウルが真紀の指をぱくんとくわえた。

「あー、もう待てってば」

『真紀ちゃん、カップ持ってようか?』

「じゃあ、この子お願い」

 わたしは両手のふさがった真紀の膝から、ガウルの子を抱き上げた。思ったよりも全然軽いけど、体はしっかりしてる。膝に乗せると、まだ薄く膜が張った目がわたしを見た。

 いくつも八の字に皺のよったおでこが、すごくおじさんくさい。頭を撫でようとしたとき、その真ん中の皺がふたつ、小さく縦に動いた。

『え……』

「うそ。この子、目が四つあるの?」

 真紀も気付いて声をあげる。普通の眼に見えるその上に、麻呂みたいに二つの小さな別の目が開いているのだ。ちゃんと瞬きもする。恐いというより、不思議な感じだ。

『それは副眼(ふくがん)――補助用の眼だ。この辺りは砂嵐が多いから、砂に身を埋めてやり過ごすために使うのだと言われる。本来はどうか知らないが』

 両手が塞がっている真紀の代わりに、わたしは指環を嵌めた手で彼女の腕を掴んで、タクの言葉を伝えた。直接肌に触れなくても、薄い衣服なら指環の効果が大丈夫なのは試し済みだ。

 案の定、真紀は分かったらしく、大きく頷く。

『へえー。環境適応ってやつかなあ。あ、指の水かきおっきい』

 湿らせたパニカを差し出す真紀の手に、待ちきれないガウルの子が前足をかける。体に比べて太めの足は四つ指で、パニカを掴むように広げられた指の間には黒い皮膜が伸びていた。

『砂に沈みにくくするためらしいぞ』

『物知りだね、タク』

『そうでもない』

『謙虚だなあ。ルイスだったら絶対、〝これくらい常識だ〟とか偉そうに言うんだよ』

『――何か言ったか、マキ?』

 御者台から話題の主の声が飛び、真紀は首をすくめて舌をぺろりと出した。わたしも口を押さえて笑った。わたしの膝のガウルにふやかしたパニカをあげながら、真紀が言う。

『そうだ、タク。マフォーランド語で悪口教えてよ』

『悪口?』

『うん。ルイスが日常会話ぐらいマフォーランド語でできるようになれっていうから、まず悪口から覚えようと思って』

 完全に頑張る方向が間違ってるけど、真紀はやる気満々の目をしてる。タクが眉を上げた。

『本気で言ってるのか?』

『うん。馬鹿とかアホとかって簡単に使えそうなのから、〝豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ〟みたいなのまで』

『過激だな。悪い言葉は覚えなくていいだろう。女の子なんだし』

『ルイスに馬鹿にされるから悔しいのー』

 覚えたら、真紀なら連呼しちゃいそうだ。わたしとタクは笑った。

 気付くと、膝の上のガウルの子はパニカをくわえたまま寝てしまっていた。

『まだひとつしか食べてないのに』

『さっき食べたから、お腹いっぱいなんじゃない?』

『もう少し時間の間隔を空けて、一度にあげる量を多くしたほうがいいぞ』

『うーん、でも鳴いてると気になって』

『よく鳴くほうが赤ん坊が元気になる。放っておけばいい』

 タク、ひょっとして人間の赤ちゃんも育てたことがあるんだろうか。いいパパになりそうな感じがする。

――そういえば……タクって、彼女とか奥さんとかいるのかな。

 肝心なことを確かめるのを忘れていたことに気づいて、わたしは蒼ざめた。まだ二十一だと聞いて勝手に未婚だと思っていたけど、こっちの人は結婚が早いかもしれないし、と考えていたら。

『タクって絶対いいお父さんになりそうだよねー。結婚してるの?』

――わああ、真紀ぐっじょぶ!

『いや。俺にはまだ早い』

――!

 頭の中でガッツポーズを決めながら、わたしはこの好機を逃さないように尋ねた。

『じゃあ、か、彼女はいるの?』

『彼女? 付き合っている女性ならいないけど』

――やったーーーっ!

 わたしは顔がにやけそうになって、思わず下を向く。そのとき真紀と目が合って、彼女がにっと笑いかけてきた。わたしの考えは丸分かりだったみたい。

 よかったね、と音を出さずに真紀の唇が動く。わたしも同じように、ありがとと呟いた。

『――さて。こいつ戻してくるかぁ』

『えー、もうちょっと置いといちゃだめ?』

『また次ね』

『じゃ次のご飯、わたしがあげてもいい?』

『いいよ』

 蜂蜜でべとついた指をカシェで拭き、真紀がガウルの子を持ち上げて馬車の後ろへ連れて行く。膝の上が急に温もりを失って、汗ばんでいたせいで余計に涼しく感じた。

 名残惜しそうに真紀の背中を見ていたら、タクの視線と合った。

『なに?』

『いや。ずいぶん顔色が良くなったと思って』

 やさしい目で見つめられて、わたしの頬が熱くなる。

『馬車の速度も落としてくれたし、だいぶ慣れたから。ルイスもいてくれるし』

『あんな動物一匹で元気になるなら、最初から何か連れてくれば良かったな』

『……タク、それって』

 タクは片目を瞑って、人差し指を唇に当てた。

『ルイスが承知しない。彼は魔法士だからな。自然の摂理をとても重視する。マキに変な期待を持たせないようにしてくれ』

『分かった』

 わたしは頷いた。ラクエルが教えてくれた魔法の法則のことが頭に甦る。理屈はさっぱり分からなかったけど、魔法士の人はわたしたちとは違う視点で世界を視ているのかもしれないと漠然と思う。

 そんな人たちでも分からなかった水門が、本当にこんなただの素人のわたしたちの前に本当に現われてくれるのだろうか。

『ねえタク。ちゃんとわたしたち、辿り着けるかな?』

『大丈夫だ。信じろ』

『何を……?』

 その問いに、タクは静かにわたしを見つめて言った。

『――君自身を』

 わたしがわたしを信じる。

 一番簡単そうで一番難しいそのことに、わたしは知らずため息を洩らした。目の隅で、タクの腰にぶら下がる青いテディベアの笑顔が、ひどく薄っぺらく見えた。



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