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14-4


 日頃平静なヘクターさんの声に、苛立ちが混ざった。

『言い訳にもなりませんよ、カイエ。どれだけ不躾なことをしたと思っているのです』

『怒らないでくださいよ、師匠。僕だってこれでも、南方随一の都市を預かる領主ですからね。天都神殿の言い分を頭から信じるわけにはいかないでしょ』

 ほがらかに、だが明らかに先程と違う口調で言い、眼鏡くんはよっと声をかけて立ち上がった。右手を胸に、左腕を脇へ広げ、足を引いて優雅に腰を折る。

『ご無礼をいたしました、お嬢様方。当館のおもてなしはお気に召していただけましたでしょうか』

『……あんたのせいで最悪』

『真紀ちゃんっ』

 理緒子が咎めたけど、あたしのツークス領主に対する心証は、1ミリぽっちも改善されることはなかった。

『泊めてくれて、お世話になったことにはお礼を言うよ。ありがとう。だけど、あんたの態度はやっぱり失礼だよ。別に歓迎してくれとか仲良くしてくれってわけじゃないんだから、もうさっさと目の前から消えてくれる? どうせあたしたちもこれから出て行くんだし、金輪際会うことないと思うし』

 ツークス領主の口元に、微妙な笑みが漂った。さっきまで見せていたへらへらした笑いじゃない。人を小馬鹿にした、鋼(はがね)のような微笑だ。

『君、使用人にしては言いたいこというね。……ああ、ひょっとして昨日ムシャザに僕との会見を拒否するよう伝言したのは、君の考えかな?』

 眼鏡の向こうの目が、鋭さを帯びる。

『君、何者?』

『カイエ、詮索はしないとの約定を忘れたのですか』

『忘れていませんよ、師匠。ただそちらから与えられる情報があまりに漠然としているので、こちらも余計な勘繰りをせざるを得ないということです。とはいえ、労力のわりにあまり成果は上がりませんでしたが』

 平然と答え、領主は探るような視線を投げて、固く繋がれた理緒子の左手とあたしの右手の上で止めた。

『……まさか君も異界の人間? ああ、それで』

『カイエ!』

 がたり、とヘクターさんが椅子から跳ね上がるように立つ。

『落ち着いてくださいよ、師匠。最初から個人的な興味だって言ってるじゃないですか』

『興味?』

『そう。やっぱり未知の世界から来た女の子って、興味があるじゃない?』

――やっぱ最低だ、こいつ。

 思いっきり呆れた顔をしたあたしに、領主はにっこりと害のない笑顔を向ける。

『あ、大丈夫。君は対象外だから』

『良かった。あたしもあんたは論外だわ』

『……容赦ないね、君』

『だったら自分の言動改めれば? 正直胡散臭い』

『わー、そういう切り捨て方、男がひくよ?』

『あんたにいくらひかれようが、別に興味ない』

 領主の笑顔に、さっきと同じ冷たいものが混じった。

『子どもだねえ。大きなことを言ったわりに全然事情が理解できていない。……ねえ。君たちは駒だってこと、分かってる? 今は神官長の後ろ盾があっても、君たちが旅から帰っても同じとは限らないんだよ。味方は多いほうがいいと思わないの?』

『あんたが味方にふさわしいと思うんなら、ヘクターさんが事情をきちんと話して紹介してくれるはずだもん。そうじゃないんなら、必要以上に関わるなってことだと思うから』

『へえ。じゃあ彼は、君たちが命を狙われているってことも話しているのかな?』

 途端、あたしは血の気が引くのがわかった。繋いだ手を握ると、理緒子も力を込めてくる。

『……知ってる』

『りお?』

『ごめん、真紀ちゃん。昨日ルイスと話してたの、少し聞いちゃったんだ。途切れ途切れで、意味は全部分かったわけじゃないけど』

『……ふうん。神殿が用意した傀儡ってわけでもないんだ、君たち。面白いね。少し突いたら襤褸を見せるかと思ったんだけど、そうでもないみたいだし』

『あんたやっぱり最低』

『これくらいのことで動揺するなら、異界の乙女失格だね。ここでさっさと帰るといい。僕は水門なんてどうだって構わないしね』

『――帰れたらとっくに帰ってるよ!』

 あたしは、自分でもびっくりするくらい大声で怒鳴った。悔しいのと腹立たしいので喉が震える。

『帰り方分かってたら、こんなとこいないで帰ってるよ! なによ、偉そうに。ちょっと宿借りて土地通過するのに、なんでこんなふうに言われなきゃいけないのよ……』

 マキ、と囁いて、ルイスがあたしの肩を抱いてくる。あたしはうつむき、歯を食い縛って必死で涙を見せないように堪えた。

『ちょっと待って……君たち、本当に異界から来たのか?』

『そうだよ。真紀ちゃんの持ってたプレイヤーから聞こえた音楽、知らない音だったでしょう?』

 いつになく強い口調で、理緒子が言い返す。呆然という色の混じった領主の声がくり返した。

『本当に……? しかも二人もなんて』

『カイエ』

『師匠、どういうことです。僕は、王が水門を開けに行く旅人を選出したとしか聞いていない』

――あれ?

 やや蒼ざめて見えるツークス領主とは対照的に、あたしの頭は冷えていった。ぐすん、と鼻を鳴らし、訊いてみる。

『あたしたちのこと、なんだと思ってたの?』

『いや。クイ族あたりの娘を丸め込んで仕立てあげたのかと』

『くいぞく?』

『……北方に住まう少数民族だ。王国への併合がもっとも遅く、彼らは今も独自の文化と言語を有している』

 ルイスの説明に、あたしは脱力した。つまり領主は、この水門探しが神殿と王の仕組んだ茶番だと思っていたわけだ。

『なんで本当の話が伝わっていないのさ?』

『お披露目もしたのに……』

 不満そうに理緒子も呟く。ため息を洩らして、ルイスが教えた。

『あのお披露目は緘口令(かんこうれい)が施かれている。天都でもごく一部のものしか知らされていない』

『え?』

『でなければ、二人とも旅に出るどころの状況ではなくなる。異界の乙女とは、それほどの存在だ』

 欠けていたパズルが、ひとつずつ嵌めこまれていくような感覚だ。

 あの天都での不自然な扱われ方――王様との謁見や翌日の夜宴などが急ピッチで進められたのは、早く水門を開けて欲しいだけじゃなく、異界の乙女の存在が知れ渡る前に旅に出す必要があったからなのだろう。

 それに意地の悪い見方をすれば、王様が〝異界の乙女〟であるとして披露した娘が、本当に異界から来ている必要はない。王様がそう認めた、ということが大事なのだ。

 真実がどうであるかじゃない――あのとき王が認めた瞬間に、あたしと理緒子は〝異界の乙女〟になってしまったのだ。

 冷酷に光っていた黒曜石の瞳は、あの短い会見の間に、どれだけのものをあたしたちに見たのだろう。ふと、天都に残してきたアルのことが気にかかる。

『ルイス、アルは大丈夫かな?』

『……大丈夫だ。ヘクターがいる』

 少し複雑な顔で、ルイスが答えた。彼の身を案じ、あたしの胸が痛む。帰ったら毒殺されていた、なんてことになったら、あたしは悔やんでも悔やみきれない。

 あたしたちの話をじっと窺っていた領主が、顎に手をあてて二度三度頷いた。

『なるほどねえ……妙な守護者を選んだから、おかしいとは思っていたんだ』

『カイエ、あなたはいい加減――』

『お説教はあとで聞きますよ、師匠。とりあえず今は、ご一行に朝餉を供したい。手配はその間に済ませておこう――メーダ』

 またがらりと口調を変え、ツークス領主は先程の髭の従者を呼んで、いくつかの指示をした。

 ころころと変わる彼の態度に、あたしたちは理解がついていかずに呆気にとられた。

『なんなの?』

『ええと、遅まきながら君たちを歓迎したい、と言っても信じてはくれないよね』

『当然』

『うーん、実は〝本物の異界の乙女だった〟っていうのは想定外だったから、僕もまだ決めかねているんだけど……面白そうだからね。協力するのもいいかなあって』

『は?』

『だから、君たち自身が面白そうだからさ。これから何をしてどう振舞うか、興味があるんだよ。少なくとも、天都の駆け引きの道具ではなさそうだしね』

――これは……あたしたちを信じてくれたってことなのかな。

 納得できない気分で理緒子と顔を見合わせる。どう言ったものか考えていると、理緒子がにこりと彼に向かって笑いかけた。

『よく分かんないけど……でも、ありがとう』

 領主の眼鏡の奥の目が見開かれ、何かに引き寄せられるように、またもつかつかと歩み寄ってきた。

『いや、どういたしまして。――っていうか、本当に君ってすごく僕の好みなんだけど』

――こいつ、やっぱりこっちが本性か。

 一気にマイナス評価を下したあたしの心情など知らず、目をきらきらさせた領主は、さぶいぼが立ちそうな台詞を並べたてる。

『ねえリオコ。良かったら、旅なんて出ずにここに残っていかない? 僕、一生面倒をみるよ?』

『え、あ』

 あたふたしている理緒子の手を、エロ領主が掴もうと手を伸ばす。

 瞬間、彼の顎先に何かが突き出された。思わず頭を仰け反らせる領主の首元に押し付けられているのは、タクの剣の柄の先だ。

『ちょ、ちょっと』

『異界の乙女と知ったうえで、これ以上近づくことは俺が許さない』

 抑揚のない低い声が恐い。領主の顔が引きつった。

『だけど、それじゃ僕の首は切れないよ?』

『顎の骨を砕くことは可能だ。一生喋れなくなるのをご所望なら、してみせても構わないが?』

 おっと、タクの目が本気だ。散々理緒子に口説き文句を浴びせた彼に対して、相当怒りを溜め込んでいたに違いない。

 それを気付かないのか、それともわざとか、領主のすべりのいい口は止まることを知らなかった。

『ああ、でも顎の骨を砕かれても、僕の愛は抑えることができないよ? リオコ、旅が辛いようならいつでも僕の胸に飛び込んで――』

『成仏しろ、この色魔領主!』

 あたしの手の中のオーディオプレイヤーが、再び唸りをあげたのは言うまでもない。



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