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14-2


 馬車が着いたのは、石造りの三階建てくらいの大きさで、城というより館(やかた)という印象の建物の門の前だ。あたしの右肩では、『起こすよ』なんて言っていたわりに理緒子がすっかり熟睡している。

 到着を知らせるのに起こそうとしたあたしを、タクが身振りで制した。

『いや、まだ大丈夫だ。もう少し眠らせておくといい』

 辺りが薄暗いせいか、理緒子の寝顔は疲れきってみえる。あたしは素直に、上げかけた肩を元に戻した。

 人の会話する声が聞こえたので、あまり体を動かさないように、ドアのほうに耳だけをそばだてる。先に馬車を降りたヘクターさんが知らない人と会話していた。

 内容はよく分からないけど、どうやらヘクターさんが怒っているらしい。内容が分からないのは指環の力不足なわけじゃなく、言い回しが古風すぎてさっぱりなのだ。

『――どういうことです?』

『は……誠に申し訳もございませぬ』

『先般カシュゲート魔法士より内報があったはず。いくらお忍びの御来駕(ごらいが)とはいえ、治者の不参とは申し開きにすらなりません。若いのに随分と厚い面(つら)の皮をなさっているご様子だ』

『何卒ご容赦ください、ヒジリ・アーダ』

『謝罪は無用。カイエ・エルタダ・カーヅォ=ツークセア本人の口から聞かぬ限りは、如何な言葉もただの讒言(ざんげん)にすぎぬと、こなたより申し伝えるがよいでしょう』

――ソロンさん、魔法かけるんなら、持ち主の理解力に合わせた翻訳機能もオプションでつけといてよぉ。

 心の中でこっそり愚痴を吐く。

 黄色い頭巾を被った水戸のおじいちゃんは嫌いじゃないけど、生で時代劇並みの台詞を聞くと呪文みたいだ。だけどまあ、意味はなんとなく分からないでもない。

 あたしたちというか、〝異界の乙女〟と神官長さまを出迎えるはずだった偉い人が来ていなくて、ヘクターさんはご立腹、代理の人は真っ青というやつなのだろう。

 ちなみに〝ヒジリ・アーダ〟というのは、神官長さまに対する尊称だ。アル王子が〝ミア=ヴェール〟と呼ばれるのと一緒で、ヘクターさんは正式には〝ヒジリ・アーダ=ヤーマトゥーロ〟と呼ばれる。

 これが普通の神官だと、苗字の上に〝ヒジリ〟だけがつくのだ。勿論これも、お勉強で習ったことのひとつだ。

 間違っても〝ヘクターさん〟なんて呼んじゃいけない、というのを本人の口から聞くのは、結構辛い。今さらだから別にいいと言っていたけど、たぶん異界の人間だから許されたんだと思う。

 そうじゃないといけないような張り詰めた空気が、今まさに馬車の壁の向こうから、ぴりぴりと伝わってくる。

――ああ、もうさっさと終わんないかな。

 肩に理緒子の寝息を感じながら、あたしは苛立ちをお腹の底に沈めようと努力した。

 飛行船の次は馬車の中で、気分はずっと箱詰めだ。一分だって早く、広いベッドに寝転がって開放されたい。理緒子だってこれだけ疲れているんだから、横になりたいはずだ。

 まだ旅の始まりなのにこんなところでつまずくなんて、とあたしは思い、半分瞼を閉じながら、まだ続いている不毛な会話の意味をぼんやりと考えた。

 話題の主は、名前にカーヅォとつく以上、貴族だ。ツークセアという音と状況からして、ここツークスの領主とみるのが正しいだろう。

 飛行船がすんなり着陸できたのだから、あらかじめ連絡がいっていたのは間違いない。それでも領主が出てこないということは――。

――そういえばツークスって……。

 あたしの頭の中を、付け焼刃で叩き込んだ異世界の歴史や基本情報が、目まぐるしく駆け巡る。

 ツークスは鉱都。南北に走る豊かな鉱脈が露出していて、古代から精錬の技術を発展させてきた鉱業都市だ。豊かさはそれだけでなく、かつてセドゥ湖と繋がって細長い海だった部分とその周辺に広大な平野を抱き、コメイの生産量は国内有数だという。

 余談だけど、このコメイって、実はお米じゃなかった。ヘクターさんの図鑑で確認したところによると豆っぽい植物で、房の中に種のような実がぎっしり詰まっていたのだ。さすが異世界。

 話を戻すと――この、都市として規模も大きく、さらに昔は天都だったこともあるツークスは常々、中部にあるキヨウが天都となったことで、聖地タキ=アマグフォーラがないがしろにされていると主張しているようなのだ。ぶっちゃけ、自分のほうが天都にふさわしいんじゃないかと言っているわけだ。

 王様は歴史ある都市の主張を軽々しく扱うわけにもいかず、のらりくらりとやり過ごしているそうだが、ツークス側はちゃっかり今の領主のお姉さんを第二妃として送ったりして、やる気満々だ。

 幸い強引な前領主は早く亡くなって、跡を継いだ息子は穏やかな性格らしいけど、これがまだ十七歳。領内の古株連中を押さえ込むには、てんで力不足なのだ。

 そんな状況の中、本日あたしたちがやって来た。大神官ヘクトヴィーンを伴った異界の乙女の登場は、ツークス領主にとって降って湧いた災難に違いない。踏み絵みたいなものだ。

 丁重に扱えば王になびいたと内側から非難され、素気無くすれば王に楯突いたと非難される。

 どちらにしても非難されるのであれば、ということで辿り着いたのが、おそらくこの態度。

 つまり、出入りは認めるが歓迎はしない、ということ。

――だからか……。

 ここまで考えれば、ヘクターさんが怒っているのもパフォーマンスだと気がつく。

 二重底の腹をした神官長さまは、ここで機嫌を損ねたふりを見せて、あわよくばツークスに貸しを作っておこうという魂胆に違いない。

 あたしはなんだか気分が重くなって、周りに分からないよう溜息を洩らす。寝入っていた理緒子の頭が、がくんと垂れた。

 あたしはもぞもぞと体を動かして、その頭をそっと元の位置に戻した。理緒子の起きる気配はない。

 薄目を開けて前の席を窺うと、二人ともヘクターさんの魂胆を知っているのか、苛立つ様子はなかった。ルイスは窓枠に肘をついてぼんやり外を眺めているし、タクはうつむいて腕を組み、置物のようにじっとしている。

 その視線が、ドアのほうへちらっと走った。それを見て、あたしは静かに口を開く。

『二人にお願いがあるんだけど』

 あたしが眠っていると思ったのだろう、二人がやや身じろいでこちらを見た。

『理緒子が寝てるから静かに聞いて欲しいの。彼女の耳には入れたくないし』

 黙って、二人が頷く。

『ヘクターさんが今何をしてるのか、だいたい考えてみたの。当てずっぽうだけど、交渉してるんでしょ? だったらそれ、もう止めてもらいたいんだ』

『……』

『この国の政治事情に巻き込まれるのは仕方ないとは思うけど、でも嫌なんだよ。あたしたち、水門の鍵を探しに行くので精一杯だから。飛行船なんて乗っちゃったから、完全にお忍びっていうのが無理なのは分かってる。でも、わざわざ夜にここに着いたんでしょ? だったら、このまま普通に宿に泊まって旅を続けたい。

 ヘクターさんにそう言ってもらえないかな? 領主の人に会う必要はありませんって。あたしたちのことがあまり公(おおやけ)にできないんなら、ヘクターさんも普通にツークスに来たようにしてくれないと、お互いに困ると思うんだ。あたしたちがいることで揉めてるんだったら、あたしたちの意見も聞いて欲しい。あたしたちが今必要としているのは、誰にも邪魔されずに早く休むことだけだよ』

 二人の瞳がそれぞれ丸くなり、自然とその行き先が重なり合った。タクが頷く。

『分かった、言って来よう』

 天井が低いので背を屈めたまま、ほとんど音を立てず、タクが馬車を出て行く。外から入り込んだ夜気が、生暖かくこもった熱をミントのように清々しく冷やした。最大の重量を失って、木製の車体がわずかに揺れる。

 その振動に、あたしは理緒子の寝顔を確認し、つないで汗ばんだ手をズボンで拭いて握り直した。顔を上げると、ルイスと目が合う。

『忘れていたよ。君はいろいろと聡いんだった』

『なにそれ』

『……いや。気を遣わせてすまない』

 ルイスの謝罪に、あたしは口元だけで笑った。彼がこう言うということは、あたしの推理が八割がた当たっていたということだ。ミステリ好きな甲斐があったってもんだよ。

 ふう、ともう一度息を吐く。すごく疲れた。割合安全な国で、親や社会の庇護の下ぬくぬくと暮らしてきたあたしにとって、自分で判断して動き続けるのは精神的にも肉体的にも結構な負担だ。

 下りてくる瞼をまばたきして堪え、気になっていた疑問を口に乗せる。

『ねえ、ルイス。あたしたちを嫌ってる人って、どんな人たち?』

『気にしなくてもいい。私たちが守る』

『それは知ってる。でも、つきっきりってわけにはいかないじゃない。教えてよ。嫌ってる人たちがいるんなら、狙うのは旅の間でしょ? 知っておきたいの』

 あたしの頑固さを知っているルイスは、観念したように額に指先を当て、それから目を開けた。寝ている理緒子の様子を気にしつつ、低い声で話し出す。

『クガイとは何者か、ヘクターから聞いたな?』

『うん』

『クガイは本来単なる役職名であり、今クガイを名乗っている連中も、元を正せば貴族の一派に過ぎない。このクガイの中核を成すのが、フージェ・ハランという一族だ。フージェ一族の勢力は絶大で、この血を受け継がないクガイはいないが、彼らの血を受け継ぐものはクガイのみにとどまらない。今の王の母君も、この血族にあたる』

 なんだか悪い予感が的中したようだ。本当に宮廷の泥沼メロドラマにどっぷり浸かってしまっている。

 あのふざけた白塗りメイクは、馬鹿な格好をしても偉いんだという証なのかもしれない。裸の王様の正体を暴く子どもは、きっとマフォーランドにはいなかったんだろう。

『マフォーランドの統治は王を頂点とし、祭祀を司る神官と、政務を司る政官の二つの柱で成り立っている。神官の長はもちろんヘクターだが、政官の長である太政大臣の地位は、代々フージェ一族が握ってきていた。ところが、王はこれを覆した。カーヅォの下級貴族である男を抜擢したんだ』

 そういえばヘクターさんが、王様は実力主義だって言っていたな。好きこのんで危ない橋を渡らなくてもいいんじゃ、と思うのは、あたしが生温く育ったせいだろうか。

『カトゥア大臣は早熟の天才と呼ばれた方で、政官としての才能も実力も申し分ない。だが、このことで王は貴族最大の一族を敵に回してしまった。

 勿論この一件だけが原因ではないのだが、フージェ一族は大臣のみならず、王もろともその座から引き摺り下ろそうと画策している。君たちは、格好の標的だ』

 とっても嬉しくない注目の的だ。そして、やっぱり気がついてしまう。

『ひょっとしてツークスの領主も、そのフーナントカの一族なの?』

 ルイスがちょっとだけ、引き締めていた唇をほころばせる。

『だから君は聡いというんだ』

『からかわないで、褒めるんならきちんと褒めてよ』

『最大限に褒めているよ。実は今言ったことは、ツークスを出た後で時間を見つけて、落ち着いたところで話そうと思っていたんだ。まさか、こんな場所で話すことになるとは思わなかった』

『そっか』

『リオコにも聞いておいてもらいたい。旅に連れ出しておいて、今さら何をと言われるかもしれないが、君たちには状況を正しく知ってもらっておきたい。恐がらせてしまうかな』

 あたしは無言で、首を横に振った。

 ルイスが手を伸ばし、あたしと理緒子の髪をそっと撫でる。離れたと思ったら、するり、ともう一度あたしの耳元の髪に、ルイスの指がからんだ。

『君たちは、私が守る。いいね? 君たちを傷つけることは――この髪の毛のひとすじでさえ、私が絶対にさせない』

 低い囁きで告げられた言葉は、どこか深い響きを帯びて、あたしの胸がばくんと跳ねた。

 長い指にたわめられ、あたしの硬い髪が戻ろうと弾んで、さらさらと隙間からこぼれ落ちる。指先はすぐに滑るように離れ、ほんのわずかに触れただけなのに、あたしの耳たぶと頬はこれ以上ないくらい熱く火照った。

 ごまかすように、理緒子のほうにうつむけた顔を寄せる。さっきまで頭を占めていた現実が熱と一緒にどこかへ吹き飛んでしまっていた。

 この暗がりが表情を消してくれているはずだと思いつつも、あたしはしばらくそのまま顔をあげることができなかった。

 周りを包む夜の空気が、なぜかじっとりと汗に濡れたように暑く、湿っぽく感じられた。



わ~説明ばっかり…うぅ、すみませぬ。

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