第14章 鋼の街――マキの役割
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鉱都ツークスに着いたのは、日も沈んだ夜だった。
さすがに大きな飛行船は、着陸するときに結構衝撃があったけど、すぐに収まった。窓の向こうの暗闇からちらちらと並んだ明かりが見えて、大地にいるんだと実感する。
着陸してもいろいろと手筈があるようで、あたしたちはまだ客室に取り残されたままだ。ドアから覗くとルイスもヘクターさんも忙しそうにしていて、邪魔になると判断したあたしは、部屋のソファベッドに戻って腰掛けた。
楽な旅のはずだったのに、体を動かしていないせいか、やけにだるい。それに飛行船の発動機の音と振動で食欲が湧かず、昼食もろくに採らなかったから、余計に胃がむかむかした。
車酔いしやすい理緒子は、後半ほとんど寝ていたけど、起きた今も調子が良くなさそうだ。顔から血の気がない。
『だいじょうぶ?』
『ん、ちょっとしんどい』
横に座った理緒子が、あたしの肩にことんと頭をくっつけてきた。
――うう、かわいぃ。
タクのことがあって、一緒に泣いたり過去話をしたりしたせいか、ちょっとだけ理緒子は甘えてくるようになった。まあ今までのことを考えると、あたしはあまりにも頼りないから、なかなか信頼してもらえなくても仕方ないけど、こうやって甘えてくれると、心を開いてもらえてるのかと思って嬉しくなる。
あたしも理緒子のほうへ頭をくっつけた。そうやって二人で和んでいると、扉を叩いてルイスが顔を出す。
『二人とも出ておいで。降りるぞ』
『分かった』
声を返し、あたしと理緒子は、すでにまとめていた荷物を持って外へ出た。出た途端、冷たい風が足元を吹き抜ける。
来る時に上ってきた床の入り口が再び開けられ、勢いよく外気が吹き込んでいるのだ。ズボンを履いていてよかった。
ルイスに荷物を渡し、先に地面に着いたタクやヘクターさんたちに見守られながら、理緒子、あたしの順で後ろ向きに梯子を降りる。風が梯子を揺らすので少しどきどきしたけど、明かりが足元を照らすから、そこまで危ない感じはしない。と思ったら、
「きゃっ」
最後の一段を踏み外して、理緒子が梯子から手を放す。よろめいた体を、タクの両腕ががっちりと受け止めた。
「あ……ありがと」
礼を言う理緒子にタクが何か言っているけど、指環がないから聞きとれない。体格の良いタクの体にすっぽり収まってしまう理緒子の姿を見ながら、あたしの胸は小さく痛んだ。
――理緒子、今笑ってるんだろうな。
陰になって見えないけど、そう直感する。理緒子がタクを好きなのは前からで、あの鞄の一件のせいで嫌いになったかといえば、そうじゃなかった。むしろ、理緒子は不思議なくらい冷静に自分の気持ちと向き合っているように、あたしには見えた。
――あんなことされたのに、許せちゃうんだ。
あたしだったら幻滅しそうだけど、理緒子みたいな恋愛をしたことがないから否定をする気にはなれない。
いろいろ考えていると、頭上からルイスが声を掛けてきた。片手を伸ばし、梯子を握るあたしの指先に触れる。
『マキ、恐くなったのか?』
どうやら梯子の途中でしがみついているあたしが、降りるのを恐がっていると思ったらしい。下を見ると、地上から全員がこちらを仰いで、心配そうな視線を送っている。
「ううん、大丈夫」
あたしは笑ってみせ、早い調子で階段を降りた。あたしが地面に着くと、作業員のような格好をした男の人たちが梯子を駆け上がり、あたしと理緒子の荷物を運び出し、最後にやっとルイスが降りる。長い金髪と外套をひるがえして立つ姿は、魔法士の服装じゃないのにとても様になっていた。
「xxx」
偉そうな態度で口早に、作業服の人たちに何か言っている。飛行船が降りた場所はだだっぴろい広場のようなところで、魔法光らしき丸い光の玉が直線の列を作っている。建物は見当たらない。出発先の王城のように、どこかの敷地の一部ではなくて、敷地の外れといった雰囲気だ。
飛行船から少し離れたところに、コマ二頭立てのやや大きめの馬車があった。その馬車の後ろにあたしたちの荷物が積まれ、紐で括りつけられる。
魔法光の淡い明かりしかない薄闇に目が慣れてくると、作業服姿の人の他に鎧をつけた人も結構いて、あたしたちはかなりの人数に囲まれていることが分かった。
『リオコ、マキ。馬車にお乗りください。今夜の宿泊先までお連れいたします』
ヘクターさんに話しかけられ、あたしは慌てて理緒子の手をとって言葉を聞きとった。
手を繋いだまま馬車に乗り込み、あたしの胸にふと疑問がよぎる。
――これって、四人乗りだよね?
ふり向くと、案の定タクが御者台のほうへ向かいかけ、ヘクターさんに止められていた。
『何をしているのです。あなたは護衛でしょう。戻りなさい』
『しかし、ヒジリ・アーダをそのような場所に座らせるわけには……』
『おのれの役目を忘れたのですか、タキトゥス・ムシャザ。あなたは今は将軍でもなければ、ミア=ヴェール殿下の近衛でもないのです。われわれと――リオコさまが賭けた信頼を裏切ってはなりません』
『……承知いたしました』
タクが右腕を前、左腕を後ろに回して一礼する。ヘクターさんはそれに軽く頷いただけで、さっさと御者台に乗り込んでしまったようだ。
――〝リオコさま〟か……。
この国は身分制があると分かっていたつもりだけど、みんな親しげにしてくれるから時々それぞれの立場というものを忘れてしまっていた。だけど、ヘクターさんは国中の神官の頂点に立つ人で、現時点では一番偉い人。ルイスは特異な力を持つ指折りの魔法士。タクは功績こそすごいけど、一地方の騎士にすぎない。
そして理緒子は、そんな彼らに守られている立場だ。あたしもおまけで若干近い立場にいることはいるけど、表立つのは理緒子一人。
ぞくり、とあたしの心を厭な感覚が走り抜ける。
ルイスとタクが護衛ということだけでなく、ツークスまでヘクターさんが着いてきたという事実が、急に禍々しいことの先触れのような気がしてきたのだ。
それに、さっきのタクとの会話。
――タクは、理緒子が好きで護衛してたんじゃないの?
あたしがドア側に座っていたので、手をつないでいても、理緒子にあの会話は聞こえていないはずだ。声も押し殺したように低かった。
――気付かないふりをしたほうがいいのかな。
一生懸命タクを許して信じようとしている理緒子に、証拠もない憶測なんて伝えられない。
それに正直、知らないで済むなら、のほほんとした馬鹿な子供のままでいたほうが楽だ。
考えているうちに、あたしたちの前の席にルイスとタクが乗り込んできて、馬車はがたごと進みだした。相変わらず気遣いやさんの理緒子が場をつなぐようにルイス相手に話をしていたけど、体調がよくないせいか、あまり会話も弾まない。
『泊まるところって、どれくらいかかるの?』
『たいしてかからない。五分か十分ほどで着くはずだ』
『なんだ。もっと遠いのかと思った』
『移動ばかりで疲れただろう。すまない』
『ううん。さすがにちょっとお腹減ったけど』
『……それより、あたしは眠いよぉー』
情けない声で訴えると、三人が少し笑った。
『船の中ではしゃぎすぎたんだろう』
『はしゃいでないもん。こんなにおしとやかなのに、なんでそんなこと言うかな』
あたしは心の淵に押し寄せる暗い波を追い払うように、明るく喋った。すぐに顔に出る自分をなんとかごまかそうと、眠たいふりをして理緒子の腕に腕をからめ、顔を押しつける。
子どもだな、とルイスの笑う声が聞こえる。理緒子の手が、やわらかく髪に触れた。
『着いたら起こしてあげるよ』
どうしてなんだろう、知られたくないのに、どこかで悩んでいる自分を気付いて欲しいなんて考えてしまうのは。
――身勝手だな、あたし。
混乱した思考のまま、あたしは自分の言葉通り、ほんの一瞬の短い悪夢のような眠りに就いた。
〝ヒジリ・アーダ〟の説明は次回で。