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わたしとタクの様子に安心したのか、ルイスとヘクターさんがこちらへ近づいてきた。真紀が手に提げているヘッドフォンを覗き込む。
『マキ、それは一体なんなんだ?』
『あ、ルイスも聞く?』
真紀がさらっと尋ねて、ルイスの両耳にヘッドフォンを被せ、手元のプレイヤーを再生する。その瞬間、ルイスが叫び声をあげてそれを振り外した。
床に叩きつけられかけた異世界の道具をヘクターさんが受け止め、一瞬取り落としそうになった。その丸い小さな機械からは、恐ろしい金切り声とギターのかきむしる音が鳴り響いている。
わたしは目を見開いて叫んだ。
『真紀ちゃんっ。一体タクになに聞かせたのっ?!』
『なにって……ガンズ?』
ほら、と真紀がプレイヤーの画面をわたしに見せる。
Guns N' Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)――といってもわたしにはぴんと来ないけど、真紀の説明によると、ハードロック界の金字塔を打ち立てた超有名なバンドなんだそう。ロック好きなら知っておかないと恥レベルというのは、真紀のお兄さんの話だ。
『理緒子がちょっと激しめの曲っていうから、これにしたのに』
『こんなに激しいとは思わなかったの!』
『デスメタルとかパンクじゃないだけいいと思ってよ』
しれっとした顔で真紀は言う。
真紀のプレイヤーに入っていたのは洋楽がほとんどで、わたしの知らない曲ばかりだったのだ。曲数がいくら入るといっても、こんな音楽とポップスやミュージカル曲なんかが普通に混在している人も珍しいと思う。
真紀は、癖なのか片耳だけヘッドフォンをつけ、音を絞ってプレイヤーをいじっている。
『ちょっと音量大きすぎたかなって思ったけど、曲はいいんだよ? 他のも聞いてみる?』
その申し出に、タクとルイスはうんざりした顔で首を振って辞退した。初の異界の音楽は、彼らには激しすぎたみたい。たぶん、わたしにも。
『でも、罰ゲームならこれくらいしないとね?』
『今度君を怒らせるときは、気をつけるようにしよう』
言って、ルイスがひょいと真紀の手からプレイヤーとヘッドフォンを取り上げる。操作方法は教えていないのに、するのを見ていたのか、簡単に電源をOFFにして曲を中断させてしまう。
『とらないでよ、ルイス。それ、あたしのなんだから』
『後で返す。人と話をしている時に、他のことをするのは失礼だぞ』
先生のような口調で、ルイスが諭す。真紀がふくれっ面で、はーいと返事した。
――なんだろう、この親子な感じ……。ルイスは、本当に真紀のこと好きじゃないのかな?
わたしの恋愛レーダーが騒いだが、残念ながら今回はそれ以上進展はないみたいだった。
ヘッドフォンのコードをくるくるとまとめ、それをプレイヤーごと脇に挟み持ち、ルイスがわたしを向く。整いすぎて冷たい雰囲気もある顔をやわらかく崩した彼は、意外な台詞を口にした。
『リオコ、よく彼を許してくれた』
『許す、なんて』
『君が気を悪くするは当然だ。だが、それでも君は彼を許し、同行を認めた。許すということは、言うほど簡単にできることではない。よく決断してくれた』
ルイスが言うと、なんだか重く聞こえる。そんな大袈裟なことじゃないのに、と言おうとして、わたしは気付いた。はっとタクを見る。そして、ヘクターさんに目を向けた。
――まさか……。
誰も何も言わない。それでも、わたしには分かってしまった。ここでわたしが許さなければ、タクは船が降りるツークスで別れるつもりでいたということを。
タクが、なぜ旅が始まった今、鞄のこと持ち出したのかは分からない。鞄をとり返せたのが出発直前だったのか、それともアルマン王子や王様の目から離れるまで待っていたのか。そのことをタクは教えてくれる気はないのだろう。
騙すのではなく――たぶん、彼自身の責任のひとつとして。
彼の想いも知らず、軽々しく〝罰ゲーム〟なんてふざけていた自分が、急に考えなしの子どもに思えて仕様がなくなった。
『ルイス、わたし……』
『リオコ。彼は君に罪を犯し、君はそれを許した。その事実は変わらない。それこそが大事なんだ。君の決断は正しかったと、私は信じている』
まるでわたしの考えを見透かすようにルイスはそう言い、そっと、本当に優しくわたしの頭を撫でてくれた。タクの温かさとは違う、春風のような微かなぬくもりに、ほっと心が落ち着く。わたしは頷いた。
――信じよう。わたしを……タクを。
その傍らから、ヘクターさんもわたしに声をかけてくる。
『リオコ。まさかこのようなことになろうとは予想していませんでしたが、私も良い決断をされたと思いますよ。ただ盲目的に信じるよりも、試練を乗り越えた後のほうがより信頼が深まるというもの。彼は必ず、貴女を守り抜いてくれるはずです』
『はい』
『しかし……罰を遊戯(ゲーム)にするとは、あなたがたの世界の法は一体どうなっているのです?』
怪訝げにそう訊くヘクターさんに答えたのは、なぜかルイスだ。
『おおかたマキが言い出したのだろう。まったく』
すごい、さすがルイス。大正解。
おーと小さく拍手したら、真紀に恨めしそうに睨まれた。
『理緒子だって盛り上がってたくせに』
『だって、やっぱりちょっとは仕返しがしたかったんだもん』
仕返し、という言葉に、男三人が軽く噴き出す。
『仕返しがこれか?』
とタクがテディベアを摘み上げる。
『ううん、それは仕返しのおまけ』
『おまけ?』
タクが、さらに不思議そうになった。本当はペアのクマの片方を好きな相手に渡すと気持ちが通じるとか、ずっと一緒にいられるとか言われる恋守りテディなんだけど、そこは恥ずかしいから内緒だ。
それに、無骨で男らしいタクがかわいいぬいぐるみを提げているというだけで可笑しいし、なんだか和む。
こっちの世界の人はテディベアなんて知らないと思うけど、それがタクと釣り合わないということは分かるらしくて、みんなにやにやしていた。タクは困った顔をしつつも、外そうとはしない。わたしと目が合うと、照れ臭そうな顔をした。
さっきまでの気まずさとは違う、ちょっと前までの関係に戻れた気がして、わたしの胸がどきんとした。
――え……!
予想もしなかった高鳴りに、わたしは驚いて自分の胸を押さえた。どきどき、している。
今までとは明らかに種類の違う動悸に、わたしはなぜか、胸の深いところからじんわりと嬉しさと安堵感が込み上げてくるのを感じた。
――わたしまだ、タクが好きなんだ。
分かってる。この気持ちが、不安から来てるってこと。誰かを頼りたいって思う気持ちが、一番身近でわたしを気にかけてくれた存在に傾いただけってことも。
でも、だからこそタクを疑ったり悪く思ったりした後でも、自分がまだこの気持ちを持てたことが、素直に嬉しかった。
――わたしは、タクが好き。
すべてが曖昧にされている状況の中で、この気持ちだけが確かなことのように感じる。
これだけは絶対に手放したくないと、わたしの心に決意に似た気持ちが湧きあがった。
そんなわたしと彼を、他の三人がどんな顔をして見ていたのか、わたしはまったく気付かなかった。
ガンズ知ってる人、どれだけいるんでしょうか……。
ほとんどいないような気がしますが(汗;)