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12-2


 アルの部屋は宮殿の端っこにある。なんでそこ?って聞いたら、風が通って気持ちいいからって言われた。タクの言うとおり、アルは天都よりイェドの方が性に合うのかもしれない。

 そんな彼は、あたしとの約束を守るために王様に直談判して、ここに残ることを認めさせたのだそう。王様の首切り話を聞いていたあたしはちょっと不安になったけど、

『心配するな。俺ももう子どもではない。自分のことくらい自分で決める』

 アルは笑って、送心術でそう言った。

 あたしとの約束が負担になっていたらやだなと思っていると、片手でくしゃりと、子どもにするみたいに頭を撫でてきた。

『そんな顔をするな。おまえたちのことだけではない。ここには……母がいる。少し親孝行をするのも悪くない。長い間、離れていたからな』

 そんな話をしたのが、昨日の乗馬でのこと。

 アルは、最初の時もそうだけど、イッコ下っていうのが信じられないくらい大人びている。王子という立場とかマーレインの力とか、小さい頃から権力争いの中にいたことなんかが、彼に乾いた大人っぽさを纏わせたのかもしれない。

 それでも同級生の男の子には絶対ない翳の部分と親しみのある少年ぽいところが入り混じってて、一緒にコマに乗っている間、あたしは柄にもなくどきどきしていた。

――だって、よく考えたらダブルデート、なんだよね。

 人生初のデートがイッコ下で王子で異界で乗馬って、どんだけ有り得ないんだあたし?って思ったけど、それでもすごく楽しかった。これが日常であれば、アルに恋したかもしれないくらいに。

 お返しのつもりで、アルに草で冠を作ってあげた。完全に理緒子の真似。だけど、どうしてもアルに冠をあげたかった。あたしでは彼に本当の王冠をあげることができないから。

 名前のよく分からない草と蔓を絡めて作った冠は、風の吹く緑の丘に立つ彼にとてもよく似合った。ミア=ヴェール――緑に祝福されし貴人という呼び名にふさわしく。

 そんなことを思い返しながら、あたしはアルの部屋を訪ねた。侍従の人はあたしを覚えてくれていたらしく、ぺこりと頭を下げてすぐに部屋に通してくれた。

 開放的な庭に面した広い室内にアルの姿はなく、扉を開けて奥の部屋を覗くと、床に紙を敷きつめ、上半身裸のアルが真剣な顔でキャンバスに向かっていた。

「アル?」

「……マキ」

 アルが慌てて筆を置き、椅子に投げ出していたガウンのような上着を羽織る。それでも薄い褐色のきれいな胸板や割れた腹筋なんかが、しっかり目に入ってしまった。

――き、鍛えてるなあ。

 剣と乗馬をタクに教わっているとは聞いていたけど、細身だからこんなに筋肉がついているとは思わなかった。いつも下ろしてる髪をひとつに束ねているせいで、余計男らしく見える。

 兄と父で男の裸は見慣れているけど、それでもあたしは顔を赤くして、入口辺りでまごまごしてしまった。アルが手についた絵の具を布で拭い、あたしの手を取る。

『こんな格好ですまない』

 あたしは首を横に振り、後ろ姿を見せているキャンバスを指差した。

「絵、描くの?」

『ああ、俺の唯一の趣味だ。男らしくないと言われるが』

 言葉は分からないはずなのに通じたらしく、アルは照れ臭そうに言った。

『昨日丘で見た夕陽がすごくきれいだったから、どうしても描いておきたくて』

 あたしはにっこり笑って、大きく頷いた。あれは本当に見事な夕焼けで、空じゅうが燃え上がるような溜息の出る美しさだったから。

 見ると、キャンバスを固定するイーゼルのてっぺんには、少ししおれた草の冠が掛けてあった。

――まだ持ってくれてたんだ。

 彼の気遣いが嬉しい。決して王子様にプレゼントするような物ではないのは分かっているけど、それでも贈った側としては自分が大事にされているようで胸にぐっとくる。心が熱くなる。

『本当は、おまえたちが出発する前に仕上げて渡したかったのにな』

「え……」

 思わず彼を見てしまう。少し疲れたような顔色。まさか昨日から寝ずに描いたとか?

「アル、寝てないの?」

 空いている片手を枕に見立て、ジェスチャーを交えながら、日本語のまま聞いてみる。

『少しは寝た。だけど何度か描き直したから、半分ほどしか仕上がらなかった』

「見てもいい?」

 キャンバスを指差す。絵に近付こうとすると、手を引っぱって反抗された。でも意地悪く笑って手を振りほどき、あたしは最初に彼がいた位置に立つ。

「わあ……」

 すごい、と思った。あたしに絵の才能は皆無で良し悪しなんて全然分からないけど、それでも何か打たれるものがその絵にはあった。

 夕陽だから赤、というんじゃない。ものすごい数の色彩が渦を巻いて空を埋めていて、それが大地も森も全部を圧倒している。片隅に小さく馬に乗る影が二つ描かれてるけど、それがなかったら地面もなにも溶け込んでしまうぐらいの色の洪水。

 絵は目で見たことを描くんじゃなくて、心で描くんだって、そのとき思った。

「すごい……すごいよ、アル。あたし、この絵すごくいいと思う」

 我ながらボキャブラリーの少なさが情けない。日本語でこれなんだから、マフォーランド語なんて出てくるはずもない。

 だけどアルにはあたしが感激しているのが伝わったらしく、少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。後ろにやってきて、あたしの肩に手を置く。

『マキが気に入ってくれたのなら嬉しい』

「うん、すごく気に入った。完成したところが早く見たいな。あー……えと」

 あたしは覚えたての言葉を脳みそから引っ張り出した。

「ミ レガルディ エト ティオ(あたし、これ見たい)。ミ リヴェニオス ティエ アプレス(あたし、ここへ戻る、後で)」

『……分かった』

「プロメシオ(約束ね)」

 この間のように指きりげんまんをしようとしたら、アルが背後からぎゅっと両腕に抱き締めてきた。心臓がばくりと飛び上がる。

『俺も……行ければいいのにな』

 少し辛そうな声。やっぱりここに居るのがしんどいのかな。それなら一緒に来ればいいと言いたくなるが、なかなか言葉が見つからない。

「アル イリール イェ ニ?(アル、あたしたちと行く?)」

『……いや。見ていると辛いから、ここで待っているよ』

 辛いって、なんだろう? 疑問に思っていると、アルがようやくあたしを抱き締める腕を緩めた。白いマントを摘んで、

『これはアクィナスのものだろう?』

――なんでここにルイスの名前が出て来るんだ?

「ミ パルレ イェ ヴィ(わたし、あなたと話す)。ネ ルイス(ルイスじゃない)」

 なんだか心配した気持ちを汚されたような気がして精一杯そう言うと、アルはしばらく考え、あたしの後頭部にこつ、と頭をぶつけてきた。

『もし……旅から帰っても、おまえがおまえのままだったら』

 思い詰めたような、囁くような意志。

『俺はおまえに言うことがある。だから、絶対に戻れ』

「……うん、分かった」

 背中越しに響く声が、いつになく真剣な響きを帯びているようで、あたしは頷いた。だけど心が波立つのは止めようがなくて。彼の部屋を後してもしばらく、あたしはひどい船酔いでもしたような気分に浸っていた。

 旅に出たあたしが、今のままの自分ではなくなることなど想像もしないで。



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