第12章 出発――マキの戸惑い
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ルイスの様子がこの頃変だ。正確には、仲直りをした時くらいから。
どうおかしいかというと、やたらべたべたする。頭にちゅーとか、ハグとか。
それに、あたしのことにいちいち口を出してくるようになった。昨日は服装をきちんとしろと散々言われた。ルイスのお下がり、結構気に入っているのに。お尻と太腿が少しキツいけど。
『えー、じゃあ何着ればいいの? ドレスはやだよ?』
『もう少し女性の自覚をもった格好をしてくれ』
女の自覚はあるよ。ってか、どう見てもあたしゃ女でしょ?
――ルイスには女の子に見えないのかなあ……。
ちょっと寂しくなる。隣にいるのが理緒子だし、びらびらドレスとお化粧の宮廷の貴婦人たちと比べると、あたしは女の範疇に入らないのかもしれないけど。
『う~。じゃあ、ラクエルたちに相談してみる』
『そうしてくれ』
ルイスは結構偉い立場だから、周りの人からも何か言われたのかもしれない。あたしが承知すると、彼はほっとした顔になり、あたしの頭の上辺りに軽くキスして出て行った。
指環の都合上、横で見ていた理緒子が目を丸くしている。頬を染めて、こっそり耳打ちしてきた。
「ルイス、大胆だね」
「たぶん、ただの挨拶なんだと思うんだけど……」
あたしはがっくりとその場に沈み込んだ。十六年間彼氏もできたことのないあたしにとって、平気なふりをしても心臓によくない出来事なんだ、これ。
「なんかこないだから、ラブラブだよね?」
「もー勘弁して欲しいよ。あたしゃ日本人だっつーの。普通にしてくれー」
ルイスのラブラブごっこに付き合えるほど大胆な性格じゃない。沈んでいると、理緒子が首を傾げた。
「真紀ちゃん、ルイスと付き合ってるんじゃないの?」
「ぶっ!」
あたしの耳の先が一気に熱くなる。大慌てで両手をぶんぶん振った。
「ないないないない! 全然、付き合ってないですからっ!」
「そうなんだ。仲直りした時からいいムードだな~って思ってたけど、違ってたんだね」
確かにその頃からべたべただけど。
あって欲しいような、ないほうがいいようなその可能性を、あたしは溜息で押し殺した。
「ルイスにとってあたしは保護対象なの。心配かけたからその分、微妙にやんわり仕返ししてるだけだよ」
あれだけルイスの心臓に負担をかけたのだ。倍返しくらいしてもいいと思っているに違いない。心臓への負担の意味合いが、若干違うけど。
「そうかなぁ? ルイス、そんな意地悪する人には見えないけど?」
「意地悪だよっ。ヘクターさんのことだって、ずっとからかわれてたんだからっ」
そうなのだ。彼らは仲が良い。鏡電話でルイスが怒っていたのも、ヘクターさんが厭味バリバリだったのも親しい間柄があってこそ――つまり、首切りなんてあるはずもない事態なわけで。
「さんざん脅かされてからかって笑われたの! あたしの下着を見つけた時も――」
言いかけてちょっと止まった。さすがに頭にブラ被ったっていうのは、イメージが悪すぎる。見た目がイイ男なだけに、夢の崩れ方が著しく激しい。
――乙女心はビミョーだよ。
「と、とにかく! あいつは見た目とは逆をいく性格なの。理緒子も気をつけてね?」
理緒子がこっくりと素直に頷く。花のような笑顔になって、
「だけど、そうされるの真紀ちゃんだけだと思うよ?」
ぐさりと指摘。そんな特別扱い嫌ですってば。
「ルイス、真紀ちゃんがかわいくて仕方ないんじゃない?」
「……なんか、可愛がられ方が微妙に動物なんだよねー」
愛情というより愛玩だ。愛でておもちゃにされている。
ちなみに、アルの言っていたミヤウというのは砂漠に住む小さな動物で、たまにペットとして捕まえられることがあるけど、気性が荒くて馴れさせるのにすごく大変なんだそう。
『――王子もなかなか面白いことを言う』
教えてくれたタクは笑っていた。黄色の縞のあるかわいい動物らしいけど、複雑な気分だよ。
どんな意味合いであれ、ルイスがあたしを大切で守りたいと思っていてくれているのは分かる。彼にとって、それがすごく特別だということも。
だけど――いや、だからこそ彼の想いを勘違いして受け取ってしまいそうな自分が恐い。
――好きになりたくないよ……。
あたしはいずれ元いた世界に帰る。いくら親しくなっても、別れはくるのだ。別れ前提での恋愛がダメだとは思わない。でも、あたしには無理だ。
――理緒子はどうするんだろう。
彼女がタクに想いを寄せているのは気が付いてた。昨日の乗馬で、それがはっきり分かった。
理緒子が白いキッキーナの花冠を載せ、タクも同じ腕輪をつけてやって来た時は、それはもうものすごく絵になる光景で、あたしはしばらく見惚れた。そして気付いてしまった。理緒子のタクに向ける視線の甘さに。女のあたしがどきりとするくらい、とろけるような眼差し。
「ねえ、理緒子」
「うん、なに?」
理緒子がくせのある髪を揺らしてあたしを見たけど、首を振ってごまかした。彼女の想いはあたしが口を出すことじゃない。問題は、あたしの気持ちだ。
――どう、したいんだろう……。
彼と恋をする? だけど、もし両思いになっても別れるなら。もし彼があたしに興味を失ったら。もし別の女性を選んだら。
そんないくつもの暗い仮定を想像したあたしが辿り着いた結論はひとつ。このままでいること。これ以上は望まない。ペットくらいの立場なら、甘えても我儘言っても守られても許される。彼の心が他に移っても、たぶん許せる。
――恋は、しない。
我ながら、なんて卑怯で逃げ腰なんだと呆れる。それでも、それが今のあたしにできる精一杯の決断だった。
今日のお昼にはタキ=アマグフォーラに向けて出発するとヘクターさんから聞いていたので、あたしは朝からルイスを探した。彼の部屋でシグバルトたちといるところを見つける。
仕事をしている時のルイスは別人だ。目つきも厳しいし、口調も態度もなんだかデカイ。士団長って立場もあるのかもしれないけど、ちょっと怖い。近寄りがたい雰囲気がある。
ルイスは金髪碧眼っていう容姿を気にしていたけど、どっちかっていうとその雰囲気が問題なんじゃないかとあたしは思う。それに、向けられる視線の半数は貴婦人たちの乙女な視線だ。
――モテモテなのに……。
これを好奇心とか奇異の視線と言われると、姫君たちも辛いだろうに。
部屋にやって来たあたしを見て、集まっていた男たちの表情が仕事モードから切り替わる。
「ボナン マテン、シンジョリノ マキ」
「サルーナ、マキ」
にこにことシグバルトとレスが声をかけてくる。うん、これは基本の挨拶だ。
「ぼ、ボナン マテン(おはようございます)」
「イオ ヴィ エスタス?」
何か用っていう意味かな。
「えと、ミ ソシエント イェ アル(あたし、アルに会ってくる)」
そう、出発前にアルに挨拶をしたくて、わざわざルイスの許可をもらいに来たのだ。あたし偉い!
ルイスは頷くと、机から立ち上がってあたしのほうまでやって来た。右手を肩に置いて、いつものように送心術で話しかける。
『一人で行くのか?』
「うん。メル エストロ ダム(少しの間だけ)」
だめ?というように彼を窺う。
ルイスはちょっとあたしの格好に視線を走らせ、左手を口元に当てた。考える時の彼の癖だ。
『その格好は?』
――ルイスが女らしい格好をしろというから、こうなったんだけどな。
言葉が分からないから、日本語で聞き返す。
「変かな?」
『なんというか……似合ってはいるんだが』
あたしの今の格好は、縦襟の腰丈の上着とズボン。つまり、ルイスとお揃い。色はグレーで、ルイスやレスのようにごてごて刺繍は入ってない、シンプルなものだ。
――だって、どうしてもドレスは嫌だったんだもん。
ラクエルに〝女らしい服装〟を相談しようとして、はたと気がついた。魔法士の彼女はズボン履いてるんだよね。聞くと、女性でも騎士や魔法士は仕事柄ズボン姿なんだそう。
というわけで、あたしはルイスのものから彼女のお下がりに切り替えた。見習い魔法士の服装だ。
「ラクエル プルンティス(ラクエルくれた)」
『……』
なんだろう、この送心術での沈黙って。
「マキ、ヴィ エスタス トレ ジョリ」
困っていると、レスが笑顔で話しかけてきた。ルイスの横からあたしの肩に手を置いて、送心術で言い直す。
『とてもよく似合ってるよ。息子の嫁に欲しいくらい』
聞こえたのか、ルイスが横目で睨んだ。自分のマントを外し、ふわりとあたしに着せかける。左肩のところで金具を留めて、
『これでいい。気をつけて行っておいで』
乗馬に行った時と同じことを言う。どこまで過保護なんだろう。
――もうちょっと信用してくれたっていいのに。
少し腹の立ったあたしは、臆面もなくみんなの前で頭にちゅーをしようとするルイスの顔を腕で押しのけた。高い鼻を指で摘む。
「マルティーモ パルトロ(心配しないで、お父さん)」
ルイスが固まった。前に「笑って!」って言った時と同じくらいか、それ以上。
笑い上戸らしいレスが横を向いて噴き出したので、ちょっと悪かったかな、と思ったけど、ずっと遊ばれ続けるのも困る。これくらいの復讐、かわいいもんでしょ?
鼻高々でその場から立ち去ったけど、後でルイスに絶対二度とするなと叱られた。とくに〝鼻摘み〟よりも〝お父さん〟が嫌だったらしく、私は君の父親ではないと懇々と諭された。親子な態度をしてるのはルイスのほうなのに。
――やっぱり分からん。
男性だからか年上だからか異界の人だからか。あたしにとってルイスは〝見た目はいいのにひねくれた意地悪な人〟なだけでなく、大きな謎を抱えた人物になってしまった。