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11-4


 乗馬で乗ったのは、もちろんコマだ。王子のは白っぽい若いコマで、タクのは黒くて、見たことないほど大きなコマ。両方ともオスだ。そのほうが力が強いんだって。

 アル王子の言っていた森というのは、王城の城壁に囲まれた小高い丘と林のことだった。それでも東京ドーム二~三個分くらいはあると思う。とにかく広い。

 ズボン姿の真紀は、颯爽と王子の後ろに跨っている。シエナに相談して短めのスカートの下にレギンスみたいなものを着込んでいたわたしは、タクの前に横座りする格好で乗った。

『王子、供の者は?』

『いない。そのほうが、おまえも良い治療になるだろう?』

 王子はにやりと笑い、ぴしりとコマに鞭を打つと、丘に向けて駆け出した。

――治療ってなんだろう?

 思ったけど、口に出して聞けなかった。タクがどこか重く黙ってしまったから。

『タク……』

『早々と行ってしまわれたな。では、俺たちも行こうか』

『うん』

 そう言うことしかできなくて、わたしはぎこちなくタクの胸に掴まった。わたしの左手が取られ、鞍の前端にそっと乗せられる。

『絶対にこの手は離すな。俺が落ちても、リオコだけは掴まって落ちないようにするんだ』

『タク、コマから落ちるの?』

 わたしの問いに、タクはくすりと笑って、

『残念ながら、まだその経験はない。子どもの時からコマとの相性は良かった』

『じゃあ、大丈夫だね』

『万が一ということだ。離さないように、忘れるな』

 わたしの手の上から、タクがぐっと握り締める。わたしは頬が赤くなるのを感じながら、頷いた。右手で手綱を持ち、タクがコマを駆る。

『はっ!』

 鋭い掛け声とともに、コマが大地を蹴って走り出した。

――息が……詰まる。

 わたしは吹きすぎる風に眼を細め、息苦しさを堪えるように少し喘いだ。

 馬車とは全く感覚の違う獣の息遣いと躍動感、体の下をうねる筋肉。すぐ傍にあるタクの鼓動なんかが一緒くたになって、胸が一杯で苦しくてどうしようもなくなった。

 必死で左手で鞍を握り、右手でタクの上着を掴む。わたしの様子に気がついたのか、タクがコマの歩調を緩めた。

『リオコ……大丈夫か?』

『……う、うん。なんか、あんまり早くてびっくりしちゃって』

『そうか。すまない、リオコはまだコマに慣れていなかったな』

 わたしは深呼吸をくり返して、どうにか自分を落ち着けた。先に行ったアルマン王子と真紀は、もう丘の向こうだ。

『ゆっくり行こう。時間はまだある』

『うん』

 ぽくぽくと蹄の音をたてて、わたしとタクを乗せたコマが土の道を歩く。

 なんとなくぎこちない。タクは口数の多い人ではないし、わたしもどちらかというと聞き役が多いから、よく喋る真紀が間にいないと会話が進まない気がする。

――真紀に会う前はどうやって会話してたっけ?

 ぼんやり考える。魔法話の指環が手に入った途端、喋ることが思いつかないなんてずいぶん皮肉だ。シエナやラクエルとなら、なんでもない女同士の会話ができるけど、タクはそうはいかない。

 わたしは、うまく動いてくれない口をなんとか開いて話しかけた。

『真紀たち、ずいぶん先に行っちゃったね』

『ああ』

『早く追いつかないといけないんじゃない? コマ走らせても、もう平気だよ?』

『マキはあの格好だからコマに跨れる。だから速度を出しても大丈夫だ。リオコは横に腰掛けているから、コマを早く走らせるのに向いていない。それだけのことだ。急ぐことはない』

 タクはやさしい。だけど、そのやさしさが少しだけしんどくなる時がある。まるで自分が未熟だということを思い知らされているみたいで。

 それでもわたしは明るく会話を繋げようと、思いつくことを喋った。

『わたし、初めて馬に乗ったの。だから、すごいどきどきする』

『……俺も女性を乗せたのは初めてだ』

 ほんわりと嬉しさが込み上げた。タクがわたしの右手を取り、自分の腰に回させる。

『掴まって。このほうが安定する』

『うん』

 密着度も高くなって、なんだか早く走らせている時より、どきどき感が増した。

 ぽくぽく、ぽくぽく。コマが丘を歩く。ふとタクが手綱を引いてコマを止めた。

『――リオコ。見て』

 指を差されたそこには、丈の低い白くて小さな花が、それこそ本当に絨毯のようにその場一杯を埋め尽くしていた。

『わあ……』

『キッキーナだ』

 お披露目の時、頭に飾った花だ。小さなマーガレットに似ていて、地味でシンプルな花だと思ったけど、こうやって群生している光景はとても感動だ。すごくかわいくてきれい。

 国の花ですって説明されたけど、ほんとは正直、真紀の髪に飾ったフェイオウが華やかで羨ましかった。他人の芝生は青く見えるって言うけど、わたしとは正反対の彼女の姿に自分が余計小さく子供っぽく感じて卑屈になってたんだ。

 だけど、そんな心の奥に溜まっていたどろどろでさえ、この花たちの清らかさが消し去ってくれるみたい。それくらい純粋に、素直に美しいと思った。

――遠乗りに来て良かったぁ。

『きれい。……ね、お花摘みたいな。降りてもいい?』

『ああ』

 タクがざばりとマントを翻して先にコマから降り、わたしの腰を持って下ろしてくれる。

 キッキーナの野原にしゃがみこんで花を折ろうとしたら、意外に筋張ってて切れなかった。

――なにこれ。かったーいっ!

 一人で茎を握って格闘していたら、タクの手が伸びて、小さなナイフでぷつりと切ってくれた。

『キッキーナは強い植物だ。素手では切れない』

 そう言って、ナイフの柄をわたしに差し出す。

『使えるか?』

『う、うん』

 柄の部分に刃が収まる、携帯タイプの小刀だ。幅はカッターナイフよりちょっとあるくらい。

 わたしはそれを借りて、きれいそうなキッキーナの花を摘み、緑の葉っぱもちょっと切った。長めに取った茎を数本束ね、それに新たな花の茎を絡めてくるりと回す。そうやって次々繋いで、わたしはキッキーナで花の王冠を作った。

 コマの前で座ってわたしを待つタクのところに、それを持って行く。

『はい』

 タクの頭に被せたら、ちょっと小さかった。だけど青みがかった黒髪に白が映えて、とてもよく似合う。タクが笑った。

『器用だな、リオコは』

『小さい頃、従姉に教わったの。良かった、作り方覚えてて』

 子どもの頃からお姫様に憧れていたわたしは、どうしても花の冠が作ってみたくて、田舎に住む従姉に頼んで作り方を教えてもらった。近所の河原に咲いていたクローバーと蓮華で、被りきれないくらいの花冠を二人で作ったのを良く覚えてる。

 タクは片手で花冠をとり、わたしの頭に乗せ替えた。

『俺よりもリオコのほうがよく似合う』

 嬉しい。だけど、せっかくタクにあげたのにな。

『あ、じゃあちょっと待ってて』

 わたしはまたナイフを持って、今度は短めのキッキーナの花輪を手早く編んだ。それをタクの右手に通す。

『お揃いにしちゃった』

『……ありがとう』

 タクが少し驚いたような、照れたような顔をした。

『タク、ナイフ返すね。ありがとう』

『いや、それはリオコにあげるよ』

『いいの?』

 嬉しいのに、すぐに人の行動の裏を勘繰ってしまう。悪い癖だ。

『ああ。これをもらったから、お返しに』

『ありがと……』

 今度はわたしが照れてしまう。男の人に花をあげてナイフを女の人がもらうなんて、普通は逆かもしれない。でも、初めてタクから貰ったもの。しかも彼が使っていたものだ。今まで誰に貰ったどんなものより、わたしにとってはものすごく特別なプレゼントに感じた。

『そろそろ行こう』

『うん』

 手を差し出すタクに掴まり、わたしは再びコマの背中に戻った。甘いというよりどこか緑の濃い爽やかなキッキーナの香りに包まれ、ぽくぽく、と再びコマが歩き出す。

『タク。あのね、怒らないで聞いてくれる?』

『ああ』

『わたし、このキッキーナを髪に飾った時、地味な花だなって思ったの。国の大事な花って聞いたけど、地味で素朴でどこにでもありそうな普通の花だなって……まるでわたしみたいに』

『……』

『でも、こうやって地面に咲いているところを見たら、間違ってたって思った。しっかり地面に根を這って、強くていじらしくてとても綺麗な花だと思う。

 きっと、あの時あんなふうに思ったのは、この花のせいじゃなくて、わたし自身がそうだっただけなんだね』

 うまく言えない。だけど、なんだか言わなきゃいけないって思った。この可憐な白い花を誤解してたこと。それをタクに聞いて欲しかった。

『わたし……真紀みたいになりたいな』

 今まで言えなかった本音が洩れる。

『真紀みたいに、辛いことがあっても乗り越えられる人になりたい』

『マキはマキだ。リオコじゃない』

 そうだけど、なれないのは分かってるけど。ぽくぽく、ぽくぽく振動が響く。

『リオコはリオコになればいい』

『え……?』

 わたしは、思わずタクを見上げた。切れ長の瞳が微笑んでいる。

『マキならそう言う。他になる必要はないと』

 やっぱりタクも真紀をすごいって思ってるんだ。少し、心が沈んだ。

『昨日アルマン王子と話したとき、マキが王子にそう言っていた。〝アルはアルでいい。王になる必要はない〟と』

 真紀らしい。言ってる顔が思い浮かんで、ちょっと笑った。

『すごい言葉だと思う。誰でも皆、誰かになりたいと思う。その誰かを目標に努力をする』

『タクも?』

『ああ。父も上の二人の兄も剣の師匠も、みな俺の超えられない人たちばかりだ。だけどマキの言葉を聞いて、俺も吹っ切れた気がした』

 落ち着いていて、将軍といわれるタクがコンプレックス持ってるなんて、信じられなかった。

『俺は、俺にしかできない生き方をする。リオコもリオコの道を行けばいい。リオコならできる』

『うん……』

 俯いてずれたわたしの花冠の位置を、タクの左手がそっと直す。

『あの時マキは、フェイオウをつけていたな。フェイオウは木に咲く、力強い花だ。暑さの厳しい場所でも根を張り、花を咲かす。その木で人は家を建て、火を起こす』

『……』

『キッキーナは、小さく可憐な花だ。だが、フェイオウよりももっと過酷な環境で育つことができる。その草が乾燥を耐え、白い小さな花を咲かせてようやく人々は、そこに田畑を開いて住むことができることを知る。

 どちらが優れているのではない。どちらも美しく大切で、人々の心の慰めとなる。その意味は違っても』

 タクの静かな声が、じんと心に響いた。

 どちらも大切な花――どこかで聞いたような歌のフレーズが甦る。さらっと聞き流していたけど、その意味を知っているのと理解するのでは全然違うのだと、そのとき感じた。

 世界にひとつしかない花で在ること。たとえ〝世界〟は違っても、悩みも願いも同じなのだ。

『ねえ、タク。タクは、何の花がいい?』

 タクにはどんな花が似合うだろう。花のイメージは青だ。雲の流れる空の青。

――大きな木が似合うかな。

 大地にしっかりと立つ巨木がふさわしいだろうか。そんなことを思い巡らせていると、タクがぽつりと呟いた。

『俺は……木に咲く花よりも、野の花のほうが好きだ』

――それって……。

 じんわりと嬉しさと恥ずかしさが同時に込み上げてくる。まるで自分のことを好きだと言われたみたいに、全身が熱くなった。

 確かめたかったのに、タクはわたしと眼を合わさないで、コマの首を森のほうへ向けた。

『そろそろ急ごう。少し走らせてもいいか?』

『う、うん』

『しっかり掴まって』

 そう声を掛け、タクはコマを走らせた。最初よりはゆっくりだったせいか、今度はもう恐いとは思わなかった。

 真紀たちと合流してお茶を飲み、帰りに四人で丘に沈む夕陽を見た。空が燃えるような大きな夕焼け。あの素晴らしさはきっと一生忘れない。

 わたしを支えるようにずっといてくれた彼のおかげで、わたしは誰よりもわたしらしくその場にいて、友達と語り笑いあうことができたから。

――タク。

 心の中で何度もその名前を呼ぶ。わたしの心を変えてくれた、大きな人の名前を。

 わたしはその時、自分でもはっきりと自覚するくらい、どうしようもなく真っ直ぐ彼との恋に落ちていた。



次は真紀のターン。次章で天都篇が終わります。

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