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ヘクターさんからはいろんなことを教わった。
マフォーランドは、一つしかないテーエの大陸のほとんどを支配しているから管理が大変で、元々国があった範囲を主権領、それ以外を属領と呼んで治め方を変えているらしい。
イェドやアクィナスなどは主権領なので代々の領主が統治、納税を行なうけれど、属領はキヨウの貴族などが数年の交代で領主を務める。目が行き届かないから、統治者を固定しないことで地方の力を削ぐ意味があるのだそうだ。
ところで、この〝領主〟というのが曲者で、単に地方の土地持ちの人なんじゃないんだな。
あたしたちの世界の感覚で〝州〟や〝県〟のトップ、つまり知事だ。聞いた瞬間、あたしはムンクの叫びみたいになったね。
――おおぅ……知事に意見しちゃいましたか、あたし。
ルイスのお父さんもそうだが、実はアルも領主だったりする。イェドは彼の領地なのだ。キヨウから出て行く時に王様からもらったらしい。どんだけ感覚がデカイんだ?
――ビッグすぎる……。
蒼ざめているあたしの心境など露知らず、ヘクターさんは説明を続ける。
まずは身分。この国は絶対身分制という、民主主義と正反対の境地にある。トップは王様。次が王族、貴族、平民というピラミッドになる。その下にはさらに賎民(せんみん)というすごい身分の低い人がいたんだけど、人身売買が問題になって王様が撤廃したらしい。だけど事実上はまだ残っているという、シビアな状況だ。
身分は名前に反映されて、王様は〝ディーノ〟。王族は〝ミア〟を冠した名前を特別につけられる。
王族はコーヅァ、貴族はカーヅォ。カーヅォの中でも特に高い身分の人たちはクガイと呼ばれて区別されることなんかも教わった。
――な、なんか単語が頭の中でぐちゃぐちゃですぅ……。
これに職業が加わると、さらにえらいことになる。平民は商人、工人、農民が大多数で、貴族は官僚や神官、騎士など。
ヘクターさんのように代々神官の家系の人をカヌシェ、代々騎士の家系がブーシエと言われて、またここでどっちが上だのあって。
――うー分からん……。
ちなみに魔法士は資質が大いに関係しているので、家系というのはあまりないそう。特別なんだ。大きな神官の家系に多く産まれるとも言われているらしいけど、それも確かではないみたい。
特にマーレインの力は突発的で予測不能。かなり貴重な人材ということで、場合によっては平民からも抜擢されることがあるとか。
『今の魔法士長は平民出身です。だいぶ苦労をされたようですが』
おお、マフォーランドドリーム? 王様って意外と寛容なのかな。
『王はかなりの実利派です。能力のない者はクガイであっても容赦なく格下げをしますし、失敗をすれば首を刎ねます。年寄りクガイたちも必死ですよ』
だから、その簡単に首を刎ねるのはどうかと。
『王族の人はあんまり見ないね?』
『コーヅァの位を持つ方は、比較的穏やかでもの静かな方々が多いのです。というより、王に成り得る他の人物に権力を持たせることを王が嫌いますので、宮殿に住まいを設けて属領の管理に出たり、王の代人として命を授受しています。
キヨウ周辺の領地に居を構えるものもいますが、基本的に地方領主に口を出すことはできませんので、おとなしいものです』
『なんでクガイは偉そうなの? ……あ、ヘクターさんもそうか』
『クガイは、もともと大臣以上の役職の名前でした。王が他の王族に支配特権をもたせなかったせいもあり、それが世襲化して、代々政治面の主導をクガイが握る図式が出来上がったのです。いくら王でも一人で財務から何からできませんからね。そこで、王に影響力をもつクガイたちが出てきたというわけです』
むむ、これぞ宮廷ドラマ? 巻き込まれそうな身としてはいただけないが。
『独裁政権よりはましでしょうが、意見を言うクガイが腐っていてはどうにもなりません。幸い王はあまり耳を傾けるほうではありませんが、擦り寄るのが巧い者が多いのも事実です。それをどう利用できるかが施政者の資質なのでしょうが……』
日々そんな暗黙の闘争を続けているらしいヘクターさんは、軽く溜息を吐いた。
『すみません、あなた方には関係のない話でしたね』
『ううん、いいよ。聞いたのはこっちだし』
わたわたと手を振るあたしの横で、ぽつりと理緒子が呟いた。
『……わたし、廊下でお化粧したおじさんに〝君の正体は分かっている。私が味方になるから、こっちへおいで〟って言われちゃった』
『ええっ!』
なんだそれ。それってつまり、理緒子が偽者だっていう前提で言っているわけで。
『馬鹿にするにもほどがあるでしょーがよ、それ……』
『だよね。その時はパニクって何言われたか分かんなかったけど、後から考えてすごく気持ち悪くなって……』
『それいつ? お披露目のとき?』
『うん。真紀ちゃんが帰るのを待ってる間、落ち着かなくてラクエルと散歩に出たの。その時ちょっとはぐれちゃって』
『うわ、ごめん。あたしのせいだ』
『ううん、いいよ。すぐにラクエルが駆けつけて追い払ってくれたし』
口ではいいって言っても、理緒子の唇は白く噛み締められていた。
ヘクターさんが、あたしとつないでないほうの理緒子の手をテーブル越しに優しく握る。
『恐かったでしょう。申し訳ありません、われわれの落ち度です。よく話してくれました。すぐに護衛の数を増やしましょう』
『いいの。だって大袈裟にしたら、みんなに迷惑がかかるでしょう? ラクエルにも黙っててって頼んだの。今のは、ちょっと話が出たついでに思い出しただけ、だから』
『リオコ。謙虚なのは美徳ですが、すぎる遠慮はかえって事を乱します。もしこれであなたの身に何かあれば、その相手は一族もろとも極刑に処されるでしょう。今の間に正しい手を打つべきです』
『え……』
また首切りの話ですか?
『あなたがたは正式な王の客人。しかも、異界から来た特別な方々です。その方に手出しをするということは、王に歯向かうものとみなされます』
『じゃあ、アルは?』
『彼は王子ですからそこまでの咎を負わせることはできませんが、たとえ子供でも罪は罪。ですから万が一を考えて、あなた方と顔を合わせないよう配慮がなされていました。まあ……会ってしまったのですが』
ルイスが血相を変えたのも頷ける。王子を敵に回すというより、王に王子を処罰させる可能性がそこに潜んでいたのだから。
――あたしたちって、まだまだ子どもだ。
なんだか大人の世界の複雑さを思い知った気分だ。理緒子も同じだったらしく、重い気持ちで目を合わせる。そんなあたしたちに、ヘクターさんは仮面をとり払った微笑を投げかけた。
『不自由なようですが、大人しく守られておいて下さい。われわれにそれは誇りですし、喜びでもあります。旅のことも心配しないでよいのですよ。
準備はわれわれがいたします。この世界の手助けをして頂くのですから当然でもありますし、それは大変な名誉なのです。これ以上の遠慮は無用ですよ』
たぶん、これには二つの意味がある。あたしはなぜかそう直感した。
ひとつは、あたしたちはそれだけ手厚く守られているということ。もうひとつは――あたしたちは選ぶ権利などなく、彼らの保護下にいる義務があるということ。
この旅が終わるときまで。
『ヘクターさん。もし……旅がうまくいかなかったら、みんなどうなるの?』
『おや、マキ。あなたの口からそんな弱音が出ては困りますね』
ヘクターさんは、いつもの意地悪な口調に戻って言った。あたしはむっと頬を膨らませる。
『悪いけどあたし、最悪の事態を考えて行動する人間なの。そうじゃないと覚悟決まんないし、上手くいったら嬉しさ倍増だもん』
あたしの人生訓は〝だめもと〟だ。
ダメで元々。ダメだってことが前提なら、何でも挑戦してみる価値はある。念じるだけでは前に進めないのだから。
ヘクターさんは真面目な顔に戻り、やや低く言葉を口にした。
『王は……たとえ口約束でも、違えることを善しとされる性分ではありません』
つまり期限を過ぎたら、ルイスやタクやヘクターさんも極刑ってことか。
あたしは、理緒子の左手に重ねた、少し血の気の失せた右手に力を籠めた。
『分かった。じゃあ、頑張る』
あまりにもシンプルなあたしの言葉に、ヘクターさんの顔が微妙になる。
『意味を分かっているのですか?』
『うん。失敗したらあたしたちの首はない。あたしたちが逃げたら、ルイスたちの首はない。そういうことでしょ?』
簡潔な表現に、理緒子がさらに蒼ざめたのが分かった。
『きっと王様も必死なんだよね? ルイスやタクやヘクターさんはこの国にとって大事な人なのに、その人たちがあたしたちに関わってるって知っててそんなこと言ったんでしょう?
だから、頑張る。やれるとこまでやってみる。それでだめなら――』
為せば成る為さねば成らぬ何事も、だよ。ばかやろー。
『みんなを連れて異界に逃げる』
『――はっ???』
ヘクターさんの口があんぐりなった。真紀ちゃん…と、理緒子の呆れた視線がイタイ。
あたしは顔が赤くなるのを感じながら、必死に言い訳をした。
『だ、だって死にたくないもん。命惜しいもんっ』
『だからといって、なぜそこで異界に逃げるんです?』
『マフォーランドに居たら王様に見つかって首をちょん、だからに決まってるじゃんっ』
『そんな簡単に……』
『だーかーら、そこはヘクターさんにお任せするってゆーことで』
よっと左手を挙げる。頑張れ、というあたしなりの励ましだ。
『異界の扉探し、よろしく』
『私、ですか……?』
『決まってるじゃん。分担作業だよ。あたしたちは水門を探す。ヘクターさんは万が一の脱出用として異界の扉を探す。これでばっちり!』
親指立ててグーだ。とーぜん、仲間なら分かち合わなきゃね!
『真紀ちゃん、問題を無理矢理軽く考えようとしてない?』
『重く考えても軽く考えてもやることは一緒だよ?』
どうせやるのだ。気楽に行く。あたしはそんな深刻にひたれる性分ではない。
ヘクターさんの目が、完全に遠くを仰いだ。
『一瞬たりとも、あなたを弱気と評した自分が哀しくなりますね』
『いやいや褒められても』
『褒めてなどいません。むしろ逆です』
心なしか、リオコまでが冷めた吐息をつく。
『あーあ、わたしちょっと真紀ちゃん尊敬したのになあ。なんかがっかり』
――なぜそこであたしの評価急降下? なにがいけなかった? どう考えても、これ以上ないほどの素晴らしいアイディアでしょうがよ??
しみじみと溜息をつく二人の傍で、あたしは訳が分からずおたおたし、そうこうしている間に本日のお勉強時間は終了となった。
次章は…誰でしょう? お楽しみ~。