第10章 表と裏――マキの学ぶもの
1
アルとの長い朝食が終わったのは、たぶん十時を過ぎたくらいだった。時計もあるんだけど、こっちの人はあまりそういうのを気にしていなくて、神殿の鐘を目安に〝一の鐘の半時すぎ〟とか〝二の鐘の少し前〟なんて表現をするので、すごく分かりにくい。
ちなみに、一の鐘は六時。鐘の数は最大十二回。頭が混乱するから、あとは割愛だ。
中庭をぐるっと回って理緒子の待つ部屋に戻る途中、タクと話をした。饒舌な人ではないけど、根がまじめだから短いやり取りが途切れもせずぽつぽつって感じで、結構会話が続いた。
そんな中で、彼があたしにこんなことを言ってきた。
『マキ。王子を責めないでくれてありがとう』
『え?』
『あのとおり彼はいい若者なんだが、とても誤解をされやすい。マキは厭な思いをしたのに、最初から王子を悪く言わなかっただろう?』
『う、うん』
『すごく嬉しかった。まあ……ひとりで話に行くだとか、友達になるだの言われたときは驚いたが』
ちっとも表情変わりませんでしたが?
『王子は小さい頃から命を狙われてきた。だから、周りの人間をほとんど信用していない』
『……そうなんだ』
『本当はとても繊細な方なんだ。俺は持たないので分からないが、マーレインの力のせいか、人の気配や心の動きにも敏感で、だから環境によっては余計に神経質になる。特に宮廷では、侍従も迂闊に近づけない』
感受性が強いってことかな。同じ力をもつルイスと、ちょっと重なった。
『昔はもっと穏やかな方だったそうだ。だが……』
タクが言いよどむ。
『なに? 教えてよ』
『楽しい話ではない。でも……そうだな。マキには聞いてもらっておいたほうがいいかもしれない』
言葉を切り、タクはやや声を低めて続けた。
『彼にはあまりよくない渾名がついている。〝凶王子〟という』
確かにちょっと恐い感じではある。
『言われはじめたのにはいろいろと理由がついて回るが、おおよそ二つある。ひとつは彼と同じ母親の血を引く兄弟が、彼を除いて全員死亡していること。二つ目には、幼い頃仕えていた侍従の咎(とが)を許さず、首を刎ねたことだ』
――う。
あたしは蒼ざめた。さっき食べたパニが、一瞬胃の中ででんぐりがえりする。
『……ほんとに首、刎ねたの?』
無意識に首をさすってしまう。ああ小心者。
『ああ。噂では、世話をしていた侍従がペットを傷つけたのに腹を立て、係累を含め三名を処刑したなどと言われているが、俺が王子から聞いた話はそれとは少し違う』
タクの切れ長の眼に、哀しいようなやさしいような色が浮かんだ。
『首を刎ねられた侍従がいたのは本当だ。それは乳母だった女性の甥で、王子も信頼をしていた男だったそうだ。
人をあまり信用できなかった王子は、当時数多くのペットを飼っていたが、あるとき一匹が死んだ。戯れに王子の食事を横取りした、そのあとで』
ぞくり、と厭な感覚が背筋を走った。
王位継承権第一位だから命を狙われるって、さっきアルから聞いた話が心に警鐘を鳴らす。あたしの想いを読むように、タクが頷いた。
『それは、王子の命を狙う者が仕込ませた毒だった。しかも、王子のもっとも身近にいたその侍従が買収されて行なったものだったんだ。
罪を公(おおやけ)にすれば、彼の一族は計り知れない打撃をうける。だが、乳母に恩のあった王子は公表せず、代わりに彼個人の失態として極刑を許可した。それでも真実を勘付いた乳母は、責任を感じて職を辞したんだ』
『……それで、そんな渾名つけられちゃったんだ』
アルのことだから弁解もせず、噂なんて気にも留めないような振りをしつづけたんだろう。
ただの噂と分かっていても、心が傷つくことに変わりはないのに。
『かわいそうだね、アル』
簡単にそんなふうに思っちゃいけないかもしれないけど、呟いたあたしに、タクが同意した。
『俺もそう思う。王子には……年の離れた兄上と姉上がおられた。だが、お二人とも成人を待たずして亡くなられている』
『それって……まさか』
『ああ。特に姉のミア=シエル姫は、王子が訪ねていった部屋で毒入りの水を飲んで亡くなっていたそうだ』
ペットが毒殺された時のアルの心境を思うと、やりきれない。
――こんなん間違ってるって。
泣きそうになりながら思う。
なんだよ王位って。小さい子を虐めて殺して何がいいのさ。こんなの立派な児童虐待だよ。
殺された子たちも勿論可哀相だけど、残されたアルが一番辛い。
体が寿命を終える前に、こんなんじゃ心が殺されちゃう。
『……やっぱりアル、王様になんかならなくていいって思うな』
平民でいいから生きていて欲しい。友達だもん。
『ああ、俺も同じだ』
タクが大きく頷いた。あたしを安心させるように、ふわりと微笑む。百点スマイルだ。
『イェドに逃げた卑怯者だと罵る者もいるが、俺はそれで構わぬと思う。王子にはこんな宮廷ではなく、あの簡素な城が似合う。まあ……ここに残ると言われてしまったが』
――それでも城なんかいっ。
ちょっと元気の出てきたあたしは、心の中で叫んだ。
でも、これはタクのおかげだ。言葉の端々から王子を気遣う優しさが溢れていて、知らない間に一緒にその優しさに包まれてる気がする。現実の苦さが少し和らいだ。
『マキが王子と友達になってくれて良かった。ありがとう』
タクはそう言って、本当にものすごく嬉しそうに笑った。
――スマイル百二十点!
あたしの得点ランプが最大限点灯する。
ああ、理緒子はずっとこの笑顔に癒されていたんだなって、そう思った。
それに優しいだけじゃない。彼にはきちんと周りを見て、判断を下す冷静さがある。これが将軍と呼ばれる人と一般人の違いなのかもしれない。
ここまでついてきてくれたこともルイスへの手紙も、すごく的確なのに決して押し付けがましくない。
アルの話も、彼の噂を他であたしが聞く前に教えてくれたのだろう。そして彼がどういう立場にあり、あたしがどれだけ危ない橋を渡ったかも、何気に気付かせてくれた。すごい配慮だ。
――おっきいなあ……。
ルイスと違って、タクには懐の深さと安心感がある。大木のようなまっすぐな強さ。
だから心が病的になったり、すぐにひねくれたりいじけたりあたしにとって、彼の存在は嫉妬するくらい眩しかった。
軽く頭一個分上をいく身長や、服を押しのけそうに盛りあがった胸や腕、大きな足なんかを見ながら、あたしは思う。タクの強さは肉体的なことじゃない。心が、強いんだ。
――負けたくないな。
素直にそう感じる。ひねくれアル王子が、タクを身近に置いている気持ちがちょっと分かった。彼も、タクみたいになりたいって思っているのかも知れない。
そう言ったら、タクは少しはにかんだ笑顔をした。
爽やかすぎだ。ある意味罪だよ、タク。
そんな彼と今度は他愛もない会話をしながら、あたしは理緒子の待つ部屋に帰った。