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9-3


 昼近くになって、私の部屋にマキがやって来た。

 昨夜と同じく、ドレスが嫌だからと私の家から持って来た、少年用のシャツとズボンを着ている。動きやすくて本人は気に入っているらしいが、女性らしい丸みを帯びたラインが際立って、最初見たときは正直落ち着かなかった。

――この格好で王子に会ってきたのか?

 さぞ驚かれたことだろう。変な目で見られていなければいいが。アクィナスは服も揃えられなかったのかと非難されるくらいは業腹だ。

 私は執務机に山積みされた仕事に手をつけることなく、まだ昨日のまま資料を握り締め、ソファに座っていた。やや鈍る目で、所在なげに入口近くで立ち尽くすマキを見上げる。

 普通の顔色で安堵する。どうやら会見は、悪い首尾には終わらなかったようだ。

 読んでいなかった資料をサイドテーブルに重ね、ソファを空ける。

「座らないか?」

『う、うん』

 魔法話の指環をしている。王子と会ってきたのだから、そのついでなのかもしてない。私は荒んだ気持ちでそう思う。

――情けない……。

 言葉が何も思い浮かばない。王子の名を口にしていいのか、それに触れるのもためらわれた。

「用があるんだろう?」

『うん。あの、き、昨日のことなんだけど……』

「今朝もらった手紙に書いてあったよ。脅され……たのか?」

 震えかける声を気力で捻じ伏せる。

『う、うん。だけど、今日ちゃんと謝ってもらったから』

 謝ってもらった? 驚いて聞き返す。

「王子が?」

『うん。きちんと話したらね、アル、すごくいい人だったんだよ』

 アル。親しげにそう呼ぶことを、あの王子が許したというのか。

「命をとると脅した相手が?」

『んんと、それだけど……まあいろいろと複雑な事情があって』

「全部話してくれ。最初から」

『最初って、タクの手紙にあったことも?』

「全部。君の口から聞きたいんだ」

 隣に座る膝の上の手を取ると、少し冷たかった。それでも私の手よりわずかに暖かく、やわらかい。

『ルイスの手、冷たい。寝てないの?』

「ああ」

『ごめん、帰ろうか?』

 ぐっと手を握り直す。ここで彼女を逃がしたら、私は一生後悔する。そんなのはごめんだ。

「君の話が先だ。話してくれ」

『う、うん。でも最初って……アルに会った時から?』

「宴に出席したとき、緋色のドレスを着ていたな」

『うん』

「そこから」

『えっ?』

 マキの目が真ん丸になる。

『なんで……そこ?』

「どうしても。話してくれ。なぜあの色に決めたんだ?」

 空いているほうの手で、艶のある短い黒髪に指をからめ、滑らす。

『理緒子があれと紺色のを見せて、どっちがいいかって聞いてきたの。だから……』

「すごく大人っぽい色だった」

 マキの顔が赤くなる。眼を逸らそうとするので、手でそっと戻した。

「マキ?」

『似合って……なかった、でしょ?』

 どうして彼女がそう思うのか分からない。マキはときどき自分を過小評価しすぎる。こんなときに、うまく気持ちを解きほぐしてやれない自分の口下手が嫌になった。

「すごく綺麗だった。驚いたよ。別人に見えた」

『初めてお化粧されちゃった』

「髪にフェイオウを挿していたな。紅いドレスだから?」

『うん。あの花、かわいいね。どんな木に咲くのかな』

「私の家の庭にあっただろう? 君が来た辺りの大きな木だ」

『そうなんだ。ルイスの家、いっぱい花が咲いてたから見逃してた。もったいないな』

「また見に行けばいい」

 言いながら、胸が苦しくなる。あの家に彼女を再び連れて行くことはあるのか。数日前の楽しい出来事が、急に遠い過去になる。

 気がつくと、彼女が泣いていた。

『……ルイス、ごめんね』

「なぜ泣くんだ?」

『あたし……すごく我が儘で自分勝手だった』

「我が儘を言われた記憶がないけど?」

『だって、ヘクターさんに怒鳴って、お父さんにも怒鳴って、王様にも反抗して、ルイスすごく困った、でしょ?』

 しゃくりあげながら話す。

 全部終わってしまったことだ。今さらそんなことを気にする必要などないのに。やはり慰める言葉が思いつかなくて、無言で彼女を抱き締める。

『服、汚れ……ちゃう』

「着替えるよ」

『し、しごと、いいの?』

「後でするよ」

『あたし、と、いて嫌じゃない?』

 困った。なんだか激しく彼女に誤解させてしまっていたのは、私のほうなのか?

「嫌じゃないよ」

『めいわく、してない?』

 振り回されてはいる。もう本当にこんなことは初めてで、二度とごめんだと思うほど心身がぼろぼろに引きずり回された気分だった――今日彼女に会う一瞬前までは。

 こつりと彼女の頭に額をつける。

「してないよ」

『でも……』

「なぜ私が、マキを嫌いになって、迷惑していると思うんだ?」

『だって、ここ、ルイスの仕事、場、でしょ? 邪魔、じゃ、ない?』

――そうか……。

 仕事にかこつけていたのを、彼女は本当に忙しいのだと勘違いしたのだ。確かに休暇後だから雑務が山積みで、初日の夜はずっとそれに追われてはいたのは事実だが。

――私のせいか……。

 彼女を悩ませていた原因がそんなことだと分かったら、一気に心が軽くなる。

「すまなかった、マキ」

『ルイス……?』

「私のせいだな。最初から何を置いても君の傍にいるべきだったのに」

『そんなの……』

「タクもいるし、君はかわいいリオコに夢中だし、もう私など要らなくなったのかと思っていた」

 冗談めかしたら、マキがもう、と私の胸を叩いた。半分は冗談でもないのだが。

「間違いでよかった。君の傍にいる」

『でも……仕事しないと、クビに、なるよ……?』

 まあそれはそうだが。甘い気持ちに水を差したくはないな。

「変な王子に付きまとわれたりしたら困るだろう?」

『アルは、変な王子じゃないよ?』

「君に痣を作るような男がか?」

 胸の間に縮こめている彼女の左腕をとり、赤紫に変色していた内出血の痕を消す。正確には代謝されるべきものを少し強引に押し流したというところだ。

 手首の痕がなくなり満足した私に、マキはなぜか、シャツの右の袖をめくって肘辺りを見せる。やや淡い、別の指の痕。日にちが経ったのか少し黒ずんでいる。

『ルイスの』

「……なに???」

『おとーさんのところに行くのに、腕掴んだでしょ。その痕』

「……」

 即座に癒した。気まずい。確かにあの時は気が焦って、ちょっと力を入れて掴んだような気もする。マキもたしか青痣ができるとか言っていたような。

「……悪かった」

『いいよ。治ったし』

 明らかにあまり許しているふうにない顔で、マキが言う。

――あれだけ気が強くて元気そうなのに、こんなところでか弱いとはどういうことだ……?

 女性の体とはそういうものだったかと思い返す。こんなことでは、キスも迂闊にできそうにない。

 下心が顔に表われていたのか、マキが胡乱な眼で私を見ていた。

『……ルイス。今、絶対なんか変なこと考えてた』

 だから君は、なぜそんなところで妙に聡いんだ?

「いいや?」

 できれば、もっと別のところで聡くなって欲しい。

 異界の〝制服〟とやらの短すぎるスカートから出ている足に、大半の男たちの目が釘付けになっていることや、着々と増え続ける味方の面子の濃さに立場を危うく思っていることや、誰かを守ろうと予想外の方向に無鉄砲に突き進む姿に胃を痛くしていることなど。

――知ったら逆に、情けないと思われしまうんだろうな……。

 哀しく思う。

 マキ、それでも君を守りたいんだ。こんな私でも。

「傍にいさせてくれ」

 万感の想いをこめて囁く。前髪に唇を触れる。痕が残らないように、そっと。

「私ではだめかな?」

『……ううん』

 手も頬も熱い。マキの全身に真っ赤に血が昇っている。

『ルイス……』

「なに」

『……もう、怒ってない……?』

 これが、どう怒っているように見えるというんだ?

 本当に分からない。

 君は掴んだと思ったら、すぐにその手を擦り抜けてしまう。風のように、光のように。

「怒ってないよ」

『ほんとに?』

「……ちょっとは怒ってる」

『う。ごめんなさい……』

「嘘」

 もうっと怒る彼女を両腕に閉じ込めながら、私は絶対に、ソロンの指環をもうひとつ創ろうと固く心に誓った。



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