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9-2


 彼女の部屋の前をどうしても立ち去れなかった。最後に見せた笑顔が心に引っかかっていた。

 誰にも言うなと脅されたのか。それでも、状況を知っている私になぜ相談をしない?

――指環か……。

 指環を嵌めていたら、マキはすべてを私に打ち明けてくれていただろうか。

 分からない。分かるのは、彼女の心が今はもう遠くにあることだけだ。

――先にシグバルトに魔法話の指環の作り方を探させるか……。

 そんなくだらないことにまで思いを巡らせていると、突然ドアが開いて、服を着替えたマキが飛び出してきた。

「どこへ行く?」

『ルイス』

 喋った一声で気がついた。マキの指に紅い指環が光っている。

『ごめん、ちょっと行かなきゃ――』

 こんな夜中にどこへ行く気だ。しかも指環をして、あんな後で誰に何を話す気だ。

 思うだけで全身の血が逆流する。

「部屋に戻れ」

『だけど―――』

「戻るんだっ!!」

 分からない、何ひとつ。彼女の望みが――自分の想いが。

 私はかつてないほど乱暴に指環を抜き取り、彼女を部屋へ押し込めた。泣き声が聞こえる。

 煩わしい。もう、私の心から出て行って欲しかった。

 リオコに指環を返し、

「どんなに頼まれても、絶対にマキには渡さないでくれ」

 そう頼んだ。

 マキがこれ以上他の誰かに心を向けるくらいなら、二度と会話できなくても構わない。私は、本気でそう思った。


 王城の東南、主宮殿と繋がった一画にある魔法士宮の部屋では、シグバルトと部屋付の侍従であるセアンがまだ起きて待っていた。私は香茗茶(こうめいちゃ)を淹れさせると、老齢のセアンに宿舎へ帰るよう命じ、二人とも退らせる。

 私にも宿舎があるが、天都にいる間はほとんどこの士団長の執務室に入り浸りで、寝室や使用人室までついたそこは、自室と呼んで差し支えなかった。私は服をくつろげ、魔法光で点した室内灯をやや弱めると、高ぶった気を鎮めようとお茶を口に運ぶ。

 いつも平静さを与えてくれる香りも、今回ばかりは違うようだ。飲み終わってからも落ち着かなくて、私は仕事部屋のソファでアクィナスから持って来た資料に眼を通した。

 だが、それも頭を素通りする。浮かぶのは、マキの泣き顔ばかりだ。

――何をしているんだ、私は……本当に。

 くだらないことで笑い合い、寄り添ったあの時間が、夢の中の出来事であったように指の間を滑り落ちていく。

 もう、取り戻せないのか。

――取り戻せるわけもない……あれは、夢だ。

 おのれに言い聞かせる。そう、彼女は夢の世界から来たのだ。

 それでも、三つの合が終わりかけた、まさにその瞬間。あの何ともいえぬ内側から全身が湧き立つような感覚は、今でもこの身にはっきりと焼き付いていた。

 そして、突き動かされるようにして庭を見た私の眼に飛び込んだ、奇妙な服を着たおびえた娘。

 乙女と讃えられるような神秘性も気高さも纏わず、ただ真っ直ぐにこちらを見て、すべてのものに驚きはしても、不思議と眼を逸らさなかった。

――どうせ、いずれ帰ることだ。こちらの常識など判断もつくまい。

 そう思って、最初から胸襟を緩めてしまったのが、そもそも失敗だったのだ。

 好奇心が強くて口先が立って表情がくるくる変わって、もの珍しさから、気がついたら目が離せなくなっていた。心が――離れなくなっていた。

――……夢であるはずもない。

 溜息をついて、両手で顔を覆う。

 何度目だろう。私の様子のおかしさに、きっと使用人室に控えるシグバルトも目を皿のようにして起きているだろう。この状況を説明したら、日頃の上品さを吹き飛ばして謝ってこいと怒鳴りつけられそうだ。

――あいつはマキびいきだからな。

 幼い頃女性にからかわれたことが元で赤面症となったシグバルトは、叔母のアルノと姉のミルテ以外の女性に免疫がない。マキに手を握られた時など、ショック死するのかと思ったほどだ。

 それでも、お嬢様扱いは嫌だと言ったマキはあいつの中で別格となり、私とマキがひとつ椅子に座って笑っているところを見て、アルノは私の人間嫌いを治したと絶賛していた。

 アクィナスの実家ではなんだかイデンという話で母(と父)を丸め込むし、ユリアミスは私に言い返す姿に〝姉〟と仰ぎ出す始末。

――いつの間にか味方が増やす天才だな。

 ヘクターも、あそこまで言われて扉を見つけないわけにはいかないとかつてない張り切りようだし、レスはレスでマキの毒舌ぶりに〝弟子にしたい〟などと言い出す。王もなにやら気に入ったらしく、珍しくうるさいことは一切言ってこなかった。

 最初から、自分だけの〝異界の娘〟などであるわけがなかったのだ。

 彼女は、何かをしにきたのだと言った。ここにいる理由が、きっとあるはずだと。

――私がいる理由は……あるのか?

 君の傍に。

 君自身にその理由はあるのかと、問いたい。だが、怖くて聞けない。

――だめだ。やっぱり会って話そう。

 朝になって、ようやくそう決意した私の元に届いたのは、ムシャザからの一通の手紙。

 読めば、これからマキと一緒にアルマン王子に会いに行くという。

 愕然とした。

 手紙には、昨日のことも簡単に書かれていた。旅に出れば命をもらうと脅されたこと。だが腹が立って異界の言葉で言い返したこと。それ以上のことはなかったこと。ただ、気持ちがかなり混乱しているので、私への説明はまだしたくないと本人が言っているということ。

 なぜだか力が抜けた。

 ムシャザに打ち明けた――つまり、リオコにも打ち明けたのだろう――ことは、王子が関わっている以上当然と言える。私を通すよりは王子に近い。それでも、なぜ脅した相手に会いに行くか理解できない。

――そういえば、実家でもお茶を飲んだな……。

 あれだけ失礼な態度をとった父をよく許す気になったと驚いたが、ふとあれは、私のためだったのではないかと言う気がしてきた。

『お茶を飲んでいこうよ、ルイス』

 ああ、もう。なぜ君は、そんな分かりにくい形でしか自分の希望を伝えられないんだ。

 はっきりといつもの調子で言えばいい。私と父に仲直りをしてくれと。

 なぜか、涙が出てきた。

 守りたい。そう思う相手に守られていたのだという想いが、涙になって流れ落ちてきた。

――マキ。声を聞かせてくれ……。

 いつものように自分を呼ぶ声を。

 それを壊したのが自分なのだと思い知り、私は力なく、冷たい革のソファに身を沈めた。



部屋の描写付け加えました。

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