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8-3


 異界の乙女のお披露目の宴など、いかにもクガイたちの言い出しそうなくだらぬ馬鹿騒ぎには、最初から出る気はなかった。だが、あのもう一人の渡り人を間近に見てみたくて、俺は会場の周辺で待つことにした。

 立場上どこにいても咎められることはないが、誰の目に触れても困らぬよう礼式の服装を整え、中庭に通じる外回廊の片隅に立つ。宴はすでに始まり、早々と抜け出た男女が連れ立って木陰に走っていた。興味がないわけではないが、俺には刺激が強すぎる。そう思い、場所を移した。俺はあのように人目も憚らずいちゃつく神経が理解できない。

 会場からだいぶ離れた中庭の端のポーチに、一人の女がいた。

 どきりとした。体のラインに添って仕立てられた、質のよい綺羅地の緋のドレス。うなじや体つきに花ほころんだばかりの初々しさが漂う。数年もすれば匂いたつような妖艶さが滲み出そうな、危うい女。

 空のグラスを傍らに置き、月光の降りしきる中で座り込んでいる。男にでも振られたかと思って、はっとした。女が花飾りの落ちた髪に手をやり、乱暴に手ぐしでほどく。

――短い……!

 花でごまかされて気がつかなかったが、女は、兵士並みに短い髪をしていた。

「おまえ、アクィナスの渡り人か。こんなところでなにをしている?」

 思いつくと同時に、俺は声をかけていた。驚いたように女が振り向く。頬に涙の痕。

――泣いていた?

 あれだけのことをしてのけた女が泣いているのが奇妙で、俺は少し笑ってしまった。

 女が警戒した眼で、俺を見る。俺はその腕を掴んだ。思ったよりもしっかりした腕。抵抗する力も強い。が、俺の手を振りほどくほどではなかった。

『おまえ、もうひとりの渡り人だな』

 送心術を使ってそう伝えると、娘は一瞬怯えた顔をした。

『私が連れてきた娘を異界の乙女と宣言してくれて、感謝しているぞ』

 王を脅した娘を怯えさせることに成功して、俺は優越感にひたっていた。ここでもう少し、念を押しておこう。俺に歯向かおうなどと思わぬように。

『もうしばらくいい子でいておけ。そうすれば、命だけは助けてやる』

 そうだ。怯えろ。俺を憎め。憎まれてこそ俺は――本物の王になる。

『おまえを聖地には行かせない。水門の鍵を手にするのは……ひとりだけだ。あの女が、この私に王冠を授ける』

 涙に濡れていた茶色の目が、きらりとした光を帯びた。

――なんだ?

 この目、見たことがある。

 俺がわずかに気を抜いた隙に、異界の娘は未知の言葉で喋りはじめた。ひとつひとつの音がはっきりした言葉だが、まるっきり意味が分からない。思わず問い返す。

『おまえ、なにを言っている?』

 しかし、言葉が通じないことなど構わぬとでもいうように、娘は喋るのを止めなかった。

 時折甲高くなるが、ヒステリックというほどでもない、耳馴染みのよい低めの声。それでも、確実に怒っているのだと分かる言葉。しかも、なんだか馬鹿にされているような印象まで受ける。

『何を言っているんだ、さっぱり分からんぞ。奇怪な言葉だ』

 そう告げると、女の語気がさらに荒くなった。イントネーションが先程とは桁違いにおかしくなる。

 だが、通じないと分かっているのに、泣き腫らした顔を真っ赤にして自分を睨むように見据えたまま懸命に喋り続ける娘に、だんだんとこちらの心も萎えてくる。

――俺は……何をしようとしていたんだ、この娘に。

 どうみてもただの娘だ。自分とそう年も違わない。

 こんなところで背伸びしたドレスを着て、ひとりで泣いていた娘。それに俺は、なんと声をかけた?

――情けない。俺はやはり……ただのつまらぬ子供だ。

 女から眼を逸らす。するといきなり、女が俺の髪に触れた。びくりとする。そんなことをしてきたのは母くらいなものだ。

 異界の女は少し驚き、先程よりやわらかな口調で話しかけてきた。

 よく喋る娘。それに物怖じしない。俺が王子だと分かっているのだろうか。

 女が月を示し、足元の影を差した。自分は影だと言っているのか。

――俺も同じだ。

 王の光に照らされて落ちる影。光が消えれば、また消える。それでも大丈夫だというように女は俺を見、もう一度髪に手を触れた。俺はその手を掴んだ。

 かすかに怯えた瞳。ああ、そうだ。これは昔飼っていた、小さな野生動物の目に似ているのだ。

 近付くと退き、遠ざかれば近付く。誇り高く、決して手懐けられない熱い命。

『おまえはまるで、野生のミヤウのようだな』

 気がつくと、そう言っていた。

 この女をもっと知りたい。そう思った瞬間、その場に金色を纏った男が現われた。

 [双月]士団長にして最強の魔法士、そしてマーレインでもある男――ルイセリオ・セイアン・カーヅォ=アクィナシア。

 この娘を連れてきたはずの男は、俺の手に捕らえられている彼女を見て、蒼ざめた。

――珍しいこともある。

 氷の男として有名なアクィナスは、有能だが感情がないともっぱらの評判だった。俺は可笑しく思い、同時に腹立たしかった。彼を見つけた瞬間、娘の頬に浮かんだ喜びの色を目にしてしまったから。

 その口が、親しげに彼の名を呼ぶ。

「ルイス」

「おいで、マキ」

 冷静さを欠いているのか、アクィナスは通じないこちらの言葉で娘に話した。娘が戸惑った顔をする。俺はかすかに息を吐いて、彼女の腕を離した。

――本当はおまえとは、もっと別の形で会いたかった。

 そんな想いが込めながら、彼女をアクィナスの元へ押しやる。娘が小走りに、彼の胸に飛び込んだ。

「失礼、王子」

 精一杯怒りを押し殺した声でそう告げ、アクィナスと異界の娘は去っていった。



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