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ディーノ=サルディンは実際的な男だ。水が出そうだといえば惜しみなく投資して井戸を掘らせるが、失敗に終わった時には容赦なく首を刎ねる。神話としてみられることの多かった異界の乙女の伝説をもう一度神官たちに調べ直させ、異界の扉を探させたりもした。大賢者ソロンの遺した予言の時が間近に迫っていたことも、彼を駆り立てたのだろう。
だから異界の乙女に関心はあっても、畏怖も敬意も彼にはない。ただひたすら国のために、雨をもたらす天の水底を開け放ってもらいたいだけだ。
それを知っている俺は、天都の王城に着くと同時に王に面会を求め、リオコの持ち物を見せて本物であることを証明した。そして、魔法話の指環を彼女に差し出すことをアクィナスに命じるよう、頭を下げた。
「何卒ご配慮をお願い申し上げます、我が君」
「実は、な。アクィナス側も本物と見られる節がある」
「なんですって?」
「確かに話としては都合がよすぎる。その点は儂(わし)も疑う。しかしだな、ミア=ヴェールよ。その娘は、ヘクトヴィーンにこう申したそうだ。異界に繋がる扉が存在するのなら、再びそこが開かれるのは必然ではないかと」
信じられない。俺が呆然としていると、王は黒い瞳を興味深そうに煌かせ、くくっと笑った。
「しかも、大賢者たるものが扉をひとつしか用意していないという証拠がどこにあるのかと。二人とも本物という可能性を考えないのかと、恐れ気もなく言い切ったというのだ」
「しかし……」
「珍妙な娘よ。だが――その言葉に偽りはないと儂はみる。そして歯痒いながら、それを一笑に伏すだけの確証をこちら側が持たぬということもまた事実」
王は淡々と指摘して続けた。
「おまえの意見は受け止めよう。しかし最終判断は、アクィナスの到着をもって決する」
「王……!」
追いすがる俺を冷たい眼差しが一顧し、そして去っていった。
俺は納得がいかなかった。しかも二人の渡り人が会いまみえるその場に列することを、王から直々に拒否されたのだ。
「くそ……っ!」
思わずテーブルを拳で殴りつける。レニエの木は硬材として有名だが、日頃剣や武道で鍛えている俺の拳に傷など入らない。そんなことなど気にもならなかった。
――王め……どこまでも俺を舐めよって!
あの王には、俺のすることなどただの飯事(ままごと)のように映るのだろう。
どうせ、まだ成人もしていない十五の俺だ。いくらでも舐められようが、虚仮(こけ)にされて黙って引っ込んでいるほど子供でもない。
俺は身形を変え、接見が行われる会場に潜り込むことにした。会場は王城の表御殿にある[太極の間]。表御殿の中心部であり、公式行事を執りおこなう通例舞台だ。
接見の内容が内容だけに見張りの数も相当なものだろうが、物見高い貴族連中が軒並み揃うことを考えると、混乱は必至。潜り込むに問題ないと、俺は判断を下した。だが、不安はある。
背は男としては高くない方だから何を着ても目立ちはしないが、問題はこの眼だ。母と同じ〝永久の緑葉(とわのみどりば)〟と讃えられたこの色だけは、ごまかしようもない。俺は、甲冑を深く被る会場の警護衛視に成り済ますことに決めた。
ついてきた近衛や侍従は、俺がこっそり部屋を抜け出たことなど気付くはずがない。王子が単身で気軽に行動するとは考えもしないのだ。この癖を知っているのはただ一人、二年前から近衛に入ったムシャザの三男、タキトゥスだけだ。
あいつは誰よりも俺の行動に通じている。しかも、剣の腕も比類ない。だから近衛隊長に抜擢したのだ。
だが今、彼はリオコにぴったり貼り付いている。あの女のどこがいいのだかさっぱり分からないが、守ってやりたくなると普通の男は考えるようだ。俺にはただ、伝説の水門を開けてくれるだけの存在にすぎない。
俺は部屋を出るとドアの影に潜み、[太極の間]に向かう一人の衛視に体術をかけて失神させた。すばやく物陰に引きずり込むと、鎧を剥ぎとって身につけ、会場に入って何気なく様子を窺う。
――ち。人が多いな。
異界から来た渡り人を一目見ようと、大臣やら神官たちがぎっしり列をなしている。どうせ冷やかし程度の者も多いのだろう。顔を白く塗り、紅を差したクガイの化粧が、気味の悪いことこのうえなかった。
――化け物どもめ……!
久しぶりに目にした、他人を蹴落とすことしか頭にない連中に、心の中で唾を吐き捨てる。
なぜか、とてもイェドが恋しくてたまらなくなった。あの荒れ果てた大地を吹き渡る風が。
俺は人の間から、必死に前を見ようとした。鎧が体に合っておらず、上手く動けない。人々がどよめいて、渡り人たちが到着したのが分かった。
騒がしく駆け込んできたのがアクィナス側、対してリオコは、タキトゥスに守られるようにして静かに入場する。
俺は兜のひさしを上げた。姿がはっきり見えない。リオコよりも背が高く、やはり変わった服装をしている。異界の人間というのは、あんなに足を出しても平気なものなのか? 膝が丸見えで、年頃の男としてはちょっと目のやり場に困る。
兵士のような短い黒髪。リオコも女としては短いほうだが、色気というか整っているものを感じた。こちらは飾りも何もない。すぱりとした感じだ。
アクィナスの渡り人は、明るい声で「あさのまき」だと名乗った。どれが名前だか分からない。名前がこれで全部なのかも不明だ。
リオコも名前も短かったし、このようなものなのかもしれないと納得する。思わずはっとした。
――何を考えているんだ、俺は……!
まるで自分が、もう一人も異界の乙女だと認めているような気がして焦る。
その間にも少女達は囁くように会話し、やがてもう一人がリオコの手を握って、王に二人になりたいと頼んだ。当然王は拒否するが、そのとき女は、とんでもないことをした。
それは見えたわけではなかった。会場がざわつき、王が信じられないという顔で玉座の前に視線を落とす姿が隙間から捉えられただけだ。
聞いたことのない言語の会話が聞こえはじめ、ようやく状況を理解する。
――恐ろしいことをする……。
二人になることを拒まれた異界の娘たちは、魔法話の指環を外し、自分たちの言葉で誰にも分からぬ会話を交わしはじめたのだ。これが水門の鍵をもつとされる異界の乙女でなければ、即刻打ち首を申しつけられているに違いない。
おそらくリオコが言い出したことではない。あのもう一人、大神官ヘクトヴィーンに意見したというアクィナスの娘だろう。
――なんてやつだ……。
くっと笑いが洩れる。
自分ですら恐ろしくてできぬこと――王に歯向かうということを、この衆人環視の場でやってのけた異界の娘が小気味よすぎて笑えてきた。
しかもリオコを乙女だと言い、二人で水門を探しに行くと抜かした。それだけでなく、恥じらいもなく人員や金銭まで要求するとは。
――こいつなら、叩きのめすにちょうどよいかもしれぬ。
その高い鼻っ柱を叩き折ってやろう。俺はそう、心に決めた。