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ひどい顔色で帰ってきたあたしを、部屋にいた理緒子が半泣きになって出迎えた。あれからすぐにあたしが戻ってこないことに気付いて、ヘクターさんに伝えて城中捜索がかけられていたらしい。
あたしはふらふら歩いていて分からなかったけど、かなり中庭の外れたところにいたそうで、発見に時間がかかったみたい。なんでそんなところにいたのかと聞かれたけど、答えるには込み入りすぎていた。
戻ったあたしの様子を見て、みんなきっといろいろ想像を膨らませたんだろう。これはただの身から出た錆(さび)なのに。事情を聞きたがる理緒子にどう説明しようかと、あたしは回らない頭を一生懸命働かせた。
よくよく思い返すと、結構すごいことを言われていた気がする。この国の王子から直々に、言うことを聞かなければ命を取るぞと脅されたのだ。
――なんで王子はあんなことを言って来たんだろう。
思った瞬間、あたしの頭の中は、彼ともう一度きちんと話さないといけないという焦りに似た考えで一杯になった。
「ごめん、理緒子。今だけ指環貸してくれる?」
「う、うん。いいけど」
侍女のシエナが不安そうに見ている。あたしは自分の部屋に飛び込むと、ドレスを脱いでアクィナスから持ってきたシャツとズボンに着替え、指環を嵌めた。
『ちょっと出てくる』
「真紀ちゃん?!」
説明したいけどその時間すらもどかしくて、あたしは廊下に飛び出し、そこに立つ男と鉢合わせした。凄い形相をしたままのルイスだ。
『どこへ行く?』
『ごめん、ちょっと行かなきゃ――』
『部屋に戻れ』
『だけど――』
『戻るんだっ!!』
叩きつけるようなルイスの怒声が廊下に響く。頭を殴られたみたいなショックが、少し遅れて脳にぴいんときた。
――ああ、あたし、もう彼の信頼を失ったんだ。
はっきり分かった。腕を掴まれ、強引に部屋に戻される。もぎはなすように、指環が取られた。
真っ暗な部屋に一人置き去りにされ、あたしは一晩中泣き明かした。
カーテンも閉めていない窓の青い闇が、薄紙を剥がすように明るさを増してゆき、あたしは朝が来たことに気がついた。
朝は好きだけど、今日はどうも好きになれそうにない。ベッドの上で仰向けになってそんなことを思っていると、こつこつとドアが叩かれた。控えめに、理緒子が顔を覗かせる。
「真紀ちゃん、起きてる?」
寝てないからね。
「ちゃんと、眠れた?」
仰向けのまま、頭を振る。シンプルなワンピース姿の理緒子をちらりと見上げると、目が赤く腫れていた。
「理緒子も寝れてないの?」
「……うん。なんか、いろいろ考えちゃって」
のそのそと上体を持ちあげるあたしの横に、理緒子がすとんと座る。
「なんか、わたし昨日から全部真紀ちゃんにいろんなこと押し付けて、頼りすぎて悪いことしたなあって……」
「はあっ?」
驚いて飛び起きた。
――いや、全然違うんですけど? むしろ振り回したのあたしだし。
「理緒子、そんなこと考えてたの?」
「……違うの?」
思わず正直に、うんと頷いてしまった。
「じゃあなに? なんでいなくなっちゃったの? わたしものすごく心配したんだよ?」
理緒子が涙声で、ばしばしとあたしを叩いてくる。
「一緒に行こうねって約束したじゃないっ。置いてくなんてひどいよ……!」
「いやだって、タクいたし。ちゃんと戻る気でいたし」
「関係ないよっ」
いや、それはタクに対してひどいでしょ。ってか、タクは人のうちに入ってないのか?
「いくら待っても帰ってこないから、誘拐されたとかすごい騒ぎだったんだから!」
「あー……ごめん」
「帰ってきたら、指環もってどこか行くって言うし。何がなんだか分かんないよ! ちゃんと説明してよっ!」
「……うん」
頷いたけど、あたしは迷った。王子の言ってきたことは理緒子にも関わることで、到底さらりと聞き流せる種類のものではなかったから。知れば、きっと理緒子は傷つく。王子を主君とするタクを想うと、板ばさみになるかもしれない。
だけどあたしは、全部話すことにした。二人に関わることで理緒子に隠しごとはするべきじゃないと思ったから。
会場を飛び出したのは、気持ちが混乱してて恐くなっただけだから、素直にそう言った。あたしにも恐いことがあるのだと、理緒子はほっと笑ってくれた。
王子のことは、彼の言ったことだけを伝えた。あたしが話した内容は正直自分のためだったから、あんまり詳しくは言わないでおく。まあ、言い返したことだけは教える。
伝え終わると、理緒子はしばらく考え込んだようになり、ぽつりと言い出した。
「あの、ね……。アルマン王子、あたしにも同じこと言ってきたの」
「ええっ?!」
「最初に会って、挨拶をね、されたとき」
あの手の甲にチュッてやつですか。あたしはおじさんにしかされたことのない、あれ。
「彼の声が聞こえたの。〝わが国に水をもたらし、我に王冠を授けよ〟――って」
「それ、誰かに言った?」
「ううん、言ってない。なんか言えなくて……」
あたしは黙って、少しの間考え込んだ。
それでも、あたしたちの知識だけではそれ以上なんのいい知恵も浮かびそうになくて、誰かに打ち明けて相談したほうがいいって感じた。
――誰がいいかな……ルイスは絶対ダメ。ヘクターさんもダメ。レスも……同僚だからダメ。シグバルトも却下。あとはラクエル……タク。
「タク、だね」
決定だ。アルマン王子をよく知っていて、でも理緒子のことは絶対裏切らない人間といえば、彼をおいて他にいない。
主人に逆らわせることになるかもしれないけど、あたしたちはタクを呼んですべてを話した。
『そうか……』
彼の表情に変化はない。笑顔と無表情以外、表情筋ないのかな?
『話は分かった。だが、ルイスには話したのか?』
『ううん、まだ』
『話したほうがいい。彼は本当に君を心配していた。きちんと説明をするべきだ』
『でも……その前に、王子とちゃんと話をしたいの。なんでこんなことを言ってきたのか、とか。昨日のこと、きちんとカタつけたいの。それが終わったら、ルイスに説明する』
タクは、あたしが引きそうにないと思ったのか、かすかにため息をついた。
『王子と会うつもりなら、きちんと冷静に話ができる環境でするんだ。第三者の……少なくとも、俺かルイスのいる前で。そうすれば王子も無理なことは言わない』
『それじゃ意味ないじゃんっ』
あたしは声を荒げた。本音で話さなきゃいけないんだよ、あの王子とは。
『タク。あたしさ、王子はさ、悪い人じゃないと思うんだ。すごく強がってるけど、中身はきっと……違うんじゃないかって思う。王冠にこだわる理由とか、本当は彼、もっと違うことが言いたかったりしたかったんじゃないかって、そう思うの』
『……』
『なんとか会えないかな、二人で』
『真紀ちゃんっ?!』
理緒子がびっくりするような声をあげる。当然自分も一緒だと思ったのだろう。
『だめだよ、理緒子。これはあたしが王子に売られた喧嘩なの。あたしが買う』
『真紀ちゃん……ふざけないでよ』
『ふざけてないよ。たぶん王子は、理緒子には手を出さない。だから一緒にいたら――』
本音が聞き出せない。なんであたし、あんなやつの本音が聞きたいんだ?
『本気の喧嘩にならない。タク、理緒子を頼むね』
『だめだ』
うそ。タク、そこでダメって言う?
『王子と会う約束は取りつけよう。ただし、俺が立ち会う。リオコはシエナたちとここに残れ』
『だけど――』
『マキの言うとおり、王子はリオコを狙うことはない。だが、狙われるのはマキ、おまえだ。その場に一人で行かせるわけにはいかない』
戦闘経験を積んだ若き将軍の迫力に、ただの高校生のあたしが逆らうことなんてできるわけもなく――それから間もなく、あたしはタクと一緒にアルマン王子との面会に臨むことになった。
次章は彼の視点で。