第7章 宴――マキの後悔
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理緒子は正直、ルイスには会わせられないくらいかわいい子だった。あたしが異界の普通と言い切ったのを即行後悔したくらいの。
顔立ちが特別というのではなく、なんというか――全体的にかわいい、のだ。
あたしの目の高さくらいしかない身長も細い手足も、ふんわりしたダークブラウンの髪も、ちょっと人を窺うような二重のつぶらな瞳も、真っ白な肌に細い顎。小さな口や鼻、華奢すぎる指なんかもすべてが〝ザ・女の子〟な感じで、保護欲をすごくそそられる。
彼女に貼りつくようにしているでっかい男の人は、モロそれにやられてるって雰囲気だ。
魔法士らしいラクエルも、通訳の仕事がなくなって逆に寂しいのか、侍女のシエナと一緒に理緒子の傍で甲斐甲斐しく世話を焼いている。かなり過保護だ。
王様との会見場を出たあたしたちは、大神官のヘクターさんの準備してくれた部屋に案内された。本当は神殿に用意するはずだったけど、二人もいるし、理緒子にはイェドからアルマン王子っていうのが付いて来ていて、都合上お城の中の客室が充てられたらしい。
いろいろ大変なんだ、ヘクターさん。首切り役人なんて言って、ちょっと罪悪感がうずいた。
ルイスの同僚だっていうレスは、その一言がものすごくツボだったらしく、案内してくれる最中ずっとヘクターさんを笑っていた。仲、いいんだ。三人はその後、仕事があるからとさっさとどこかに行ってしまったけど。
あたしの部屋は理緒子の隣。すんごい大きくって、隣といってもきっと声は届かない。理緒子の部屋にはラクエルとシエナもいたけど、あたしはそっちに移ることにした。
だって、部屋の中にさらに個室があるんだよ? リビングと寝室とお風呂とトイレは別だよ? さすが天都。豪華さが違うね。
シグバルトが運ぶあたしの荷物を、部屋付きの侍従とタクが手伝ってくれた。シグバルトはやっぱりルイスの仕事を手伝わされるらしく、彼の別宅?に強奪してきた資料を置きに去っていった。いつの間にか秘書化してる気がするが、まあここはひとつ頑張ってもらうということで。
部屋に荷物を置いて少し落ち着いたあたしは、腕を上げてぐっと伸びをした。慣れない馬車に乗って体が痛かったのと、緊張とでがちがちだ。
「あ~お風呂入りたいっ」
「お願いすれば? わたし入らせてもらったよ」
え、だからそんなに理緒子はふわふわでいい香りがするの?
「いいなあ。ってか、王様の前に出る時くらいきれいにしとくべきだったかなあ?」
「わたし早く着いたから」
ええ、遅くなったのはあたしのせいですとも。ルイスの実家で脱線したから。
「理緒子、ごはんとか食べた?」
ふるふるっと首を振る。ああもう、お人形さんみたい。
「車酔いしちゃって、今日はあんま食べてないの」
「ええっ。痩せちゃうよ、理緒子。こんな細いのに」
理緒子の手を取る。小枝みたいで、でも爪の形もきれいな女らしい指。指環を嵌めようとしたら中指では緩そうなので、人差し指にした。
紅い石に触れると、言葉が翻訳されて響く。
『しっかり食べないと、タクに吹き飛ばされちゃうよ?』
傍にいた大柄な男が苦笑した。眉の下に傷もあってこわもてな感じが、一気にあどけなくなる。
意外に若いのかもしれない。きっと作り笑いは絶対にしないタイプ。ルイスとは真逆だ。
そんな彼は、もちろん理緒子のお気に入りだったりする。
『タクはそんなことしないもんっ』
『はいはい』
『うー、真紀ちゃんなにその言い方』
だから、睨まれてもまったく恐くありませんから。
かわいくてつい、理緒子の頭を撫で撫でしてしまう。
『背が縮むから撫でないでっ』
『もう成長期終わったでしょ?』
『まだ伸びるもんっ』
女の成長期は十代なかばで終わると思うけど。背の低さがコンプレックスらしい理緒子は、ぷっと頬を膨らませた。
『真紀ちゃんの背、半分ちょうだい』
『半分も取ったらあたしどんだけ縮むよ? ってか、理緒子タク超えるよ?』
タクはルイスより背が高い。大雑把に頭半分。190ってとこ?
理緒子は154くらい。それにあたしの163の半分を足して、ゆうに二メートルを超えた理緒子はかなり不気味だ。
『もー、真紀ちゃん真面目にふざけないでっ』
『どっちだよ』
けらけら笑う。理緒子は上品に口を押さえて、うふふって感じ。
だけど彼女がそうやって笑うのが本当に嬉しいらしくて、最初あたしを警戒していたタクやラクエルやシエナの視線が、一気にやさしくなる。あったかい、家族のような目。
――理緒子、愛されてるなあ。
王子様がいる関係か、理緒子はいっぱい兵士の人を連れてきていたけど、たぶん九割の心はゲットしたんじゃないかとあたしは踏んだ。
『ねえ理緒子、ひょっとしてお嬢様?』
『そんなことないよお』
『だってこれ、有名女子高の制服だよね?』
肩にエンブレムのついた、時々ドラマにもモドキで出てくる超有名私立女子校。あたしでも知ってるよ。
ちなみにあたしが広島から来たって言ったら、理緒子の反応は微妙だった。ええ、位置づけ的に微妙ですから中国地方は。関西でもなく?九州でもなく?中途半端な感じ?
理緒子が住んでいたのは神奈川県。関東方面に疎いあたしには〝都会〟っていうことしか分からない。うん、東京近郊はみんな都会だ。
『やっぱお嬢様じゃーん』
『違うよー。ただのフツーの一般家庭』
――おお、この台詞をルイスに聞かれなくてよかった。
と思ったら、話し合いを終えたらしい当の彼が戻ってきた。ひとつのベッドに座り込んで話しているあたしたちを見て、くすりと笑う。
『仲がいいな』
『ルイスが言うと皮肉に聞こえる』
『君の耳が勝手に変換しているんだ』
指環の効果抜群ってことですか、それは?
『ねえ、真紀ちゃん。わたし、ルイスさん紹介してもらってないよ? この指環を持ってた人なんだよね?』
忘れてた。王様とのやり取りの後、ばたばたと会場を出て流れでこっちに来たから、まだきちんと挨拶していなかったんだよね、両家?とも。
ルイスはベッドに腰掛ける理緒子に歩み寄ると、ふわりとマントを広げてひざまずき、彼女に手を差し出した。ちょこんと乗せられた理緒子の右手を持ち上げて、その甲に軽く唇をつける。
『魔法士団[双月]士団長、ルイセリオ・セイアン・カーヅォ=アクィシアと申します。どうぞよろしく』
びっくりした。
ものすごく、ものすごーく様になってるけど、なにその態度の違いは?
『あ、高遠理緒子です。はじめまして、ルイスさん。指環貸して下さって、ありがとうございます』
『どうぞお気になさらず。ルイスと呼んでくれますか、リオコ』
理緒子は真っ赤だ。そりゃルイス、罪ってもんだよ。その顔でその声で紳士的にされたら、潜んでいる腹黒さを知らない限り王子様級なんだからさ。
――しかし……あたしとの扱いの差はなによ?
非常に納得がいかない。あたしの非難の眼差しをものともせず、ルイスはタクとも握手する。こちらはいたってシンプルに。
『ルイスだ、よろしく』
『タクだ。タキトゥス・アルディ・ムシャザ。アルマン王子の近衛隊長をしている。噂に高いアクィナスにお会いできて光栄だ』
『ムシャザ? これは驚いた。イェドの英雄に会えるなどとは……さすが乙女は勇者を従えている、というところなのかな?』
ルイスに振り向いてそう言われた理緒子は、分からずに目をぱちぱちさせている。代わりにあたしが訊いた。
『ルイス、タクって英雄なの?』
『ああ。ブーシエの家系であるムシャズ領主の三男で、並居る兵士が手を焼いたイェドの賊徒二十余名にたった一人で立ち向かって勝利した男だ。
その戦いっぷりに惚れ、最後にはその頭領がみずから捕縛を願い出たとは有名な話だ』
おお、かなりの侠気(おとこぎ)! 理緒子の目は真ん丸だよ。知らなかったんだ。
『それが功となり将軍の号を授かり、憲兵から王子の近衛隊に引き抜かれたとは聞いていたが、近衛隊長とはアルマン王子もなかなか見る目があるらしい』
皮肉ではなさそうだ。ルイスの眼が本気で輝いてる。獲物を見つけた感じか?
『若いそうだな。二年前はまだ十代と……』
『十九だ。ただの若気の至りだ。改めて言われるとむずがゆい』
照れ臭そうに、タクが眉の下の傷をかく。
若気の至りで将軍になったのもすごいけど、まだ二十一ってのもびっくりだ。いやタク、君は将来大物になるよ、きっと。
『タク、すごいんだねえ』
『まあ……なんというか、勢いだ』
困っている感じが非常に初々しくていいです。グッドです。理緒子、いい人ゲットしたね。
まだほけーっとしてる彼女を覗き込む。
『りおこ? 知らなかったの?』
『だ……だって、そんなこと分かんなかったんだもん』
顔から湯気出てるんじゃないかっていうくらい、真っ赤になって理緒子がうなだれる。ここにきて初めて、これまでずっと一緒にいた人の基本情報を聞かされて、気まずいんだろうな。
『それに聞きたくても、聞けなかったし』
『ごめん、理緒子』
あたしはなんだか申し訳なくなって、彼女のやわらかい髪をそっと撫でた。
『ごめんね。あたしがずっと指環独り占めしてたんだもんね。ごめん。しんどかったでしょ、理緒子。言いたいこと言えなくて』
伝わらないもどかしさは知ってる。伝えたくても伝えられない寂しさも。
あたしがそう言うと、突然理緒子の眼から、大粒の涙がぼろぼろ零れてきた。
『理緒子?』
『うぅ……』
うわああんっと、まさにダムが決壊したように声を放って理緒子が泣き出した。
こんなに我慢してたんだ。子どものように泣きじゃくる彼女を、あたしは膝立ちになって両腕に抱え込んだ。
『理緒子』
『ごめ……でも、なんか……う、と、とまんない……』
『いいよ、泣いて。ずっと我慢してたんだもんね。えらかったね、理緒子。ここまでよく頑張ったよ。だから、好きなだけ泣きな』
言いながら、髪を撫でおろす。震える肩は小さくて、あたしの胸もぐっと詰まった。
こんなに理緒子を追い詰めた王様もソロンさんも神様も、みんなまとめてぶっとばしてやりたい――気もするが、まあ現実的ではないので置いておいて。
理緒子は泣きながら、一生懸命言い訳をする。
タクもラクエルもみんなやさしくて、すごく親切でいい人たちで、だから余計に喋れないのが辛かったこと。最初は慣れなくて恐かったけど、旅をしたりしてこの世界もいいなって思いはじめたこと。
あたしと会って、いい友達になれそうだって思ったこと。指環をもらえるなんて――まして、乙女になるなんて考えもしなかったこと。
『だか、らね……わたし、びっくり、して……』
『うん、そうだね。理緒子はいっぱいいろんな人に大事にされて、幸せものだぁ』
ふざけて、額をこつんと当てる。ふにゃっと理緒子が、涙顔のまま少し笑った。
『そ……だね。なん、で……わたし、泣いてん……だろ?』
『泣きたかったからじゃない?』
『だけど……かな、しく……ないよ?』
強がり理緒子。だけど、きっと半分は本音だ。哀しくなくても涙は出るから。
『じゃ、嬉し涙かな?』
『う……うん。あんまり……うれしすぎ、だね……』
理緒子はまた涙を零して、真紀ちゃんのせいだから、とぱすりとわたしの胸を叩く。
かわいいから許すけど。うん、泣いても理緒子はかわいい。そろそろ周りの空気が心配になってきたので、首を回してルイスに頼んだ。
『ごめん、お水もらえる?』
『あ、ああ』
『それと、なんか軽く食べれるものないかな。果物とか』
『……おなか、へって、ないよ……?』
まだ涙の止まらない理緒子が囁く。
『少し食べたほうがいいって。胃、痛くなるよ。車酔いしたんでしょ?』
『……うん。ちょっとまだ変な感じ』
『食べてないと胃酸で余計気分悪くなるんだよ。少し食べて、薬かなんかもらって寝てたほうがいいって』
『なんか真紀ちゃん、お母さんっぽい』
あたしは、桃色に染まった理緒子のほっぺたを指でつついた。
『当然。あたしは車酔いのスペシャリストですから? 言うことを聞いてください』
『なにそれ』
『そうなの』
そうなのだ。実はあたしは見かけによらず、普通の電車でも酔った経験のある繊細な胃腸の持ち主だ、かつては。今はだいぶ克服したけど、小学生の時は大変だったんだから。
シエナが出してくれたハンカチで顔をぬぐい、タクの持って来た水を飲んで、理緒子はようやく落ち着いた。赤くなった頬をハンカチで何度も拭いて、みんなにぺこりと頭を下げる。
だからね、その抱え込んじゃう感じが大洪水の原因なんだけどね?
――溜め込むタイプだなあ、理緒子は。
ぽんぽん口にしてしまうあたしとは反対だ。
本人は辛いだろうが、周りはこういう人のほうに集まる。気がついてないようだけど、理緒子は根っからの乙女体質だ。放っておけない空気がばりばりなのだ。
――よし。セレクト間違いなし!
心の中でガッツポーズ。
じゃんけんの神様、ありがとね。後出しなのに、理緒子勝っちゃいました。完璧です。ぐっじょぶです。なにかお供えしなきゃだよ。
――石とハサミと紙じゃ怒られるだろうなあ……。
くだらないことを考えていると、手ぶらのままルイスが近付いてきた。さっきみたいに理緒子の前に屈み込む。
『たしかに……少し乱れているな』
青い瞳でじっと彼女を見つめ、おもむろに右手を上げた。彼女の髪に触れるか触れないか程度の手が、ゆっくりと肩まで下りる。
思わず眼を閉じた理緒子が、小さく吐息をこぼした。
『どしたの?』
『もやもや……とれたみたい』
『うえぇっ?』
驚いて変な声をあげてしまった。ルイス、いつの間に超能力のような――と思って、気がついた。
職業、魔法士。手を触れて心の声が伝えられて、光の玉を浮かせて、鏡電話で話ができる人なのだ。タクのことを知った理緒子どころじゃない。
白い服を着た目の前の男が、急に遠い存在になったような気がして、あたしは愕然とした。
――あたし……ルイスの何を知ってたんだろう。
胸が苦しくなる。ああ、あたし、こんなに彼に甘えてたんだ。
上辺に見せられていた彼の優しさに依存していた自分が、急にたまらなく醜く滑稽に思えた。
…ちょっと長かったですね。区切りがうまくつけられなくて…。反省。