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第1章 扉――真紀の現実

初投稿です。展開はややゆっくりめ。よろしくおねがいします。


 あたしは朝野真紀。

 その日あたしは、学校からの帰り道をくたびれきった体を引きずるようにして歩いていた。部活が思ったよりも長引いて、秋口だというのに空は暗くきりりと冷えている。

 あたしは溜息をひとつついて、制服のブレザーの前ボタンを嵌めた。

 部活はコーラス部。れっきとした文科系だ。中学と同じ感覚で入部したあたしは、初日から違うって感じた――先輩たちの熱の入れように。

 腹筋背筋柔軟の基礎体力作りはもちろん、早朝からみっちり行なわれる朝練と夕方の課外練習にはマラソンとスクワットまでこなさなければならない状況は、退部という二文字を脳裏にちらつかせるに充分だった。

 それでも一年半続いているのは、ひとえにそれを口に出すことのできない部内の雰囲気によるものだ。

 放任な親は辞めろとは言わないけど、2年も後半になって〝受験〟という言葉を頻繁に持ち出してくるようになった。塾に行かされるのも時間の問題かもしれない。

――女子高生なのに遊ぶ時間がないってどうだよ……。

 内心ぼやきながら、あたしは整然と並んだ建売住宅の隅っこにある自宅に辿りついた。

 無造作に灯りの点る玄関を開ける。刹那、ぐらりと足元が揺れ、目の前が暗転した。

「え……」

 疲れすぎて貧血か。それとも血圧が下がったのか。空腹で低血糖ということも有り得る。

 回転する脳で色々な理由を考えているうちに、あたしはたたらを踏んで正気に返った。

 さくり、と柔らかな感覚が足裏に伝わる。

 モザイクが晴れていくように、だんだんとおぼろだった視界が輪郭を取り戻してきた。

――疲れて……るのかなあ。

 家の中に入った気がしなくて、あたしは眼をこすった。

 冷たい風が頬をかすめる。

「えー……と」

 あたしは、まだ外に居た。見たことのない野原に。


******


 今いる状況が理解できなくて、あたしは目を瞬かせた。何度も。

 さきほどまで居た家の狭い玄関スペースではない。

 足元は、踝(くるぶし)くらいまでの丈の草が広がる地面。周りには不気味な翳をつくる木々が黒々と茂っている。

 ざわり、と夜風が景色を波立たせる。

 あたしは、完全に見ず知らずの場所に立っていた。

 恐る恐る、後ろをふり返る。が、期待していた画(え)を見ることはできなかった。

 数秒前、確かにくぐったはずの玄関のドアは、そこにはなかった。

 左肩に掛けたスポーツバッグを胸に抱えこむようにして、および腰で歩き出す。草地を踏む普通の感覚。

――この場合、普通とも違うような?

 突然見知らぬ場所に現われるというどこまでも非現実的な現象の中で、何が普通なのか見当もつかない。それでも、ここに居てはどうにもならないことだけは、はっきりしていた。

「……寒ぅ」

 同じような夜の星空。今見る方が澄んでいる気がするのは、どうやら自然に囲まれているという認識のせいなのか。

 落ち着きを取り戻してきた目に、前方でぽっと輝くものが飛び込む。建物の灯りのようだ。

――人が居るかもしれない。

 あたしは足を速めた。と、目の前の灯りが一気に広がる。

 ぎょっとしたあたしは、闇に沈む建物の一画が開け放されたのだと気が付いた。

 暗い視界の中で、四角く切り抜かれた光が、まっすぐにこちらを照らしている。

 その中に立っている人物がいた。背の高い――たぶん、男。

「xxx?」

 あたしの予測は、その人の発した声音で確信に変わる。

 深い豊かなバリトン。いい声だ。教会のような響きのいい場所で喋らせたくなる声。しかし、どうも言葉が聞き取れない。

――というより……。

 ふつふつと湧きあがる悪い予感を懸命に抑える。

 ここは日本だ。自分の家だ。百歩譲って、疲れきったあたしが家を間違えたのだとしよう。それでも日本語は通じるはずだ。

 相手がまるっきり外国人であれば別だが。

「あ、あのー……すみません」

「xxx?」

 やはり分からない。君は誰だと問いかけられている気もする。

――なんだろう。英語でもドイツ語でもフランス語でもないし……韓国語、中国語……少し籠もったような舌が転がる感じ。ロシア語?

 小・中・高と合唱をしているせいか、あたしは耳がいい。一応絶対音感なんてものもある。

 洋楽とか外国映画も好きだから、話せなくても多少外国語の聞き分けくらいはできる。なのに、分からない。

「あのっ。日本語、分かりますかっ?」

 分からないならジェスチャーだ。といって〝ここはどこ〟〝あなたはだれ〟〝道に迷った〟なんて抽象的な質問に合うジェスチャーなんてあるのだろうか。

 疑問を感じたが、あたしはその人に訴えた。

 とりあえず、怪しいものではない(お互い充分怪しいが)と思ってもらいたい。

 あたしの必死な様子に察してくれたのか、その人が灯りを手に家から出てきた。

 いたのは地面まで届くオープンテラスだったようで、履物を換えることなく、そのまま外を歩いてくる。少し離れた位置で止まり、検分するようにこちらに灯りを掲げた。

 眩しくて、あたしは片手を上げてそれを遮り、そして――見てしまった。

 光に縁取られた金色の髪。高い鼻すじと凹凸のはっきりした顔の骨格。

――マジでガイジンだよ……最悪。

 その人もあたしを見てやや驚き、また問いかけた。

「xxx?」

「すみません、日本語で喋ってもらえますか。アイ キャン スピーク オンリー ジャパニーズ、なんですっ!」

 自棄気味にベタな日本語英語を返す。その人は後ろを向くと、室内へ何かを叫んだ。

――う。通報されたらどうしよう……。

 空っぽの胃がぐっと締めつけられる。英語の〝動くな〟が分からなくて射殺された高校生がいた、なんていうどうでもいい知識が脳裏をよぎった。

 背の高い金髪の男の人は、あたしの警戒心を解くように、わずかに頬をほころばせた。左手に灯りを持ち替え、こちらに右手を伸ばす。

「xxx」

 同じ言葉をくり返している。

 大丈夫?こっちへおいで?――どうとでもとれそうな言葉に、あたしはおどおどと前に進み出た。

 その人の服装が目に入る。秋空に少し寒そうな開襟シャツにズボン。長めに伸ばした金髪はひとつにくくっていて、髭はない。足元はごつめの乗馬ブーツ。

――オシャレな人、なんだろうか。

 なんて考えて、あたしは凍った。彼の腰に纏わりついているものは、なんというか武器っぽい。いわゆる〝剣〟というものに見える。

――ハロウィン……かな。

 強引に自分を納得させた。今は余計なことを考えないほうがいい。

 その人は辛抱強く、まるで仔猫にでも話しかけるみたいに手を差し伸べてくる。

 あたしはぺこりと頭を下げ、慣れない外国風の挨拶、すなわち握手というものをした。

 その瞬間。

『君は異界の人間か?』

「ひゃっ!」

 頭の中に男の声が鳴り響いて、思わず叫んだ。はずみでバッグが地面に落ちる。

 すり抜けようとするあたしの手を、その人がぐっと握り直した。さらに肩を掴まれ、またも声でない声が頭に聞こえる。

『驚かせてすまない。こちらの言葉が分からないようだったから』

――超能力って、こういうのをいうんだろうか。

 あたしは泣きそうなのと逃げ出したいのと、耳の奥に声がまとわる慣れない感覚とで、腰砕けになった。

『大丈夫か? 怖がるな。君を傷付けたりする気はない』

「家に……帰してもらえますか?」

 彼が戸惑ったような顔になった。

『すまない。送心術(そうしんじゅつ)では、私の声は伝えられても、君の言っていることは分からない』

――じゃあ、どうやって帰ればいいんだろう。

 あたしは伝わらないと知りつつも、質問をくり返した。

「ここは、どこですか?」

 地面を指差す。ここ、と繰り返されるジェスチャーに、彼は頷いた。

『ここは私の家の庭だ。アクィナスという都市にある』

「あきなす?」

 脳内で素直に緊張感のない〝秋茄子〟という文字に変換される。それぐらい聞いたことのない都市名だ。

「ヨーロッパ? アメリカ? アフリカ? 中近東?」

 続けざまの問いに、彼はまた困惑した表情を浮かべた。ご当地での美醜は分からないが、どこか線が細くて日本人受けする顔立ち。まるで映画のワンシーンのようだ。

『マフォーランド。この国はマフォーランドという』

「は???」

 まほうらんど。魔法ランド。

――なんちゅう悪趣味なネーミングだ……。

 ネズミ王国より質(たち)が悪いと思ったあたしは、性格がひねくれてるんだろうか。

 そこでもうひとつ気がついた。

 前屈みになって腰を引いているあたし。その右手を握り、肩に手を置いている彼。

 辺りは闇だが視界は良好だ。

「えー……と」

 あたしと彼の横には、懐中電灯ではない丸い光の玉が、ふよふよと浮かんでいる。

 火でもない。電気でもない。

――魔法ランド。

 その一語が全速力で頭を駆け巡る。

「ここは……どこ……?」

 息も絶え絶えな問いに、彼はあたしの肩から手を外し、背後の空を指差した。

 ふり返って仰ぐあたしに降り注がれる、満天の星。

 暗い森を抱きすくめるその夜空には、煌々と冴え渡る満月が三つ、折り重なるように浮かんでいた。



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