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結局ルイスはせっかく実家に来ているならと、待ちぼうけさせるところだったシグバルトを呼び寄せて、せっせと過去の資料の発掘をはじめた。最初の乙女の騎士役をしたご先祖の日記とかごっそり持っていく許可を領主から取り付けたんだそうだ。
そうだよね、強気に出られる時に出ておかないとね。おじさん、ごめんよ。半分はあたしのせいだ。半分は自業自得だけど。
放っておかれたあたしは、壁にかかった代々の肖像画をずらーっと見ていった。
うふ、子どもの頃のルイスも発見したぞ。赤ちゃんのときとか成人式っぽいのとか魔法士の制服姿らしきもの――結構あるぞ。実はおとーさん、息子ラブ?
なんて考えながら、どんどんアクィナスの歴史を遡る。二十枚を超える多彩な肖像画を見ながら思ったのは、総じてみんな目元涼やかな好男子ということ。肖像画なんだから多少良く描いたとしても、それでも全体的に似通った美形なのだ。
ある一枚などは、ルイスそっくりで笑ってしまった。他の人よりも髪が茶色で、目がグレーっぽいから余計そう見えてしまうのかもしれないけど。
肖像画の前で一人でにやついていたら、領主がやってきた。
『なにか面白い発見でもありましたかな?』
『はい。この人って、ルイスにそっくりだと思って』
『三代目当主セオバルトですな。ふむ……そんなに似ておりますかな?』
『似てます。鼻筋とか目とか輪郭とか、あと耳も』
ちょっと出っ張ったような、くりゅんてなった耳。三角っぽいの。
『隔世遺伝なんですかね。ご先祖の血、ですよね』
『カクセイイデン?』
裏返ったような領主の声。あ、こっちは遺伝とかあんまり知られてないのかな。
『えと、人間には体を作る設計図みたいな〝遺伝子〟っていうものがあって、子どもは父親と母親からそれを半分ずつもらうんですけど、ときどきそこに隠れている形質がぴょんと遅れて出てきたりして……それを隔世遺伝っていうんです、わたしの世界では』
『なかなか……難しいことを考えておられる』
『いえ、そんな難しくないです。中学レベルですから、メンデルの法則とか』
超有名だもん。分かりやすいし、血液型とかでも知られてるし。
『めんでる……?』
『ええと、見た目に現われるカタチっていうのは、表に出てきやすいものと隠れているものの二通りあるんです。で……』
話しながらお茶席のテーブルまで来たあたしは、給仕されていたティーセットの中にクッキーに似たお菓子を見つけた。
都合のいいことに、白と茶色の二種類。それをテーブルに並べて、生物の講義を披露する。
『では、このひとつずつが遺伝子――人を作る素(もと)としますね。遺伝子は、二つ揃わないと人間が作れないというところがポイントです。
この茶色さんは、一人でも自己主張ができるタイプ。表に出てくる遺伝子です。対して白さんはひかえめで、二つ揃わないと決して主張できないタイプ。つまり隠れやすい遺伝子ですね。
ですから、この茶色さん●●と白さん○○が結婚して子どもが産まれると、子どもは親からひとつずつ形の素をもらって●○、つまり全員茶色さんになるんです』
分かりやすいように、白と茶のクッキーもどきを組み合わせながら説明する。
『ただし彼らは、隠れてはいますが白の素を持っていますから、この子ども●○同士が結婚すると――兄弟での結婚云々はさておき――●●、●○、○●、○○の四種類のカタチを持つ子どもが産まれて、見た目だけをいうと、茶色さんから白さんが産まれるというびっくりな結果になるわけです』
あたしは周りを見渡し、理解を求めてから続けた。
『不思議なことのように見えますが、もともとこの茶色さんは白になる素質をもっていて、ただそれが表に出ていなかっただけなので、同じ白の素質をもつ相手と出会うとかの条件が揃えば、起こって当然な結果なわけです。で、こんなふうに隠れているカタチが世代を飛び越えて突然現われることを隔世遺伝と呼んで――』
教師っぽく熱弁を奮うあたしの耳に、いきなりガタンッと振動が飛び込んできた。
つつましやかに隅の席に座っていた領主婦人が、真っ青な顔で立ち上がっている。その蒼い顔がみるみる露出している胸元まで真っ赤になって、耳まで染め変わった途端、怒声が響いた。
『ああああなたっ!!』
『ど、どうしたんだね、おまえ。急にはしたない……』
『はしたないなどと今この場でおっしゃるなんて、なんて人なんですっ! わたくしは……わたくしは今日という日をずっと待ちわびておりました。汚辱を晴らすこの時を……!』
〝おじょく〟とは穏やかでない。ちょっと昼メロになりそうな感じだよ?
『あなたっ!』
『はいっ?!』
思わず返事をしてしまう領主が哀れだ。
『マキさまのお言葉を聞いておられたでしょう? これでお分かりですわね。わたくしが不貞を働いたのではないということが!』
――つまり……ルイスの金髪碧眼が夫婦の危機を招いたってこと? ……妹さんいるけど。
『おおお、おまえこんなところでなんということを!』
『いいえ! この場ではっきり申し上げておきます。ルイスはあなたの息子です! わたくしが幼き頃より誓ったただ一人の方にすべてを捧げたというのに、あなたはまだお信じになられないのですかっ!』
『し、信じているとも、ねえ?』
助けてくれと領主が娘に眼で訴える。しかし令嬢は、優雅に小指など立ててティーカップを傾けるばかり。
ガンバレ、領主。自分の奥さんだ。御してこそ、いや御されてこそ男だ。
――潔く散って来い。
あたしはにっこりと、テーブルの影で小さく手を振った。領主の笑顔が微妙になる。
ついでに夫人には、横からガッツポーズを送る。あたしの親と同世代とも思えない美しい奥様は、見事に戦闘的な微笑をたたえ、ご主人をお茶の席から強引に引きずり出した。
お茶を注いで回る侍女たちの、なんと動じないことか。
嵐のごとく去っていた夫婦を見送り、喋り疲れたあたしは、淹れたてのお茶を美味しく頂いた。うん、喉に染みるよ。
『あれって……喧嘩するほど仲がいいっていう、あれ?』
『まさしくそれ』
いつの間にかあたしの隣に来ていたルイスが、お茶を飲みながら答える。たしかに顔立ちは、領主よりも婦人似だ。だけど体格は明らかに父親譲りで、なおかつあれだけ先祖に似ていれば疑う余地なんてありそうにないのに。
そんなことを思いつつ喉を潤していると、テーブル越しの席からぽつりと呟きが聞こえた。
『……本当、呆れた人たちですこと。わたくし、あとで年の離れた兄弟ができたって聞かされても驚きませんわよ』
『ぶっ!』
――こっちが驚くわ!
お茶を気管に入れかけたあたしは、涙目で向かいのユリアミス嬢を見た。さすがルイスの妹。よくできていらっしゃる。
『ユリはませていてね』
『あんな親を持つと嫌でも大人になりますわ』
『ユリさん、おいくつなんですか?』
『十一才です』
小5ですか。てっきり十四才くらいかと思ったのに。結構下なんだ……いや、精神年齢はすでに負けてるような気がする。
『大人っぽいですね』
『マキさまはおいくつなんですか?』
『あ、さまは抜きで。これでも十六です』
『では、わたくしのこともユリと。マキはご結婚されてらっしゃるの?』
さすが女の子。話題がラブリーだ。
『いえ。法律で女は十六で結婚できるんですけど、さすがに早いほうですね。だいたい二十代……なかばとか後半とか。今は三十超えても普通です』
『遅いんですのね』
姫君に可哀相な目つきで見られると、ちょっとツライですが。
『では、兄でも充分ですわね?』
『はは。そういえば、ルイスも独身なんだよね。これって遅いほうなの?』
『普通だ』
『兄は女嫌いで困ってますの』
――女嫌い? 下着の下に興味があるなんて言ってたやつが?
あたしが思いきり意外そうな顔をしたせいか、片隅に座るシグバルトがくすりと笑った。本来侍従は一緒に座らないけど、お客さんってことで無理やり一緒の席にしている。
『シグバルト、ルイスって女嫌いなの?』
『私の口からは何とも……ですが、あまり女性のお客様をお招きした記憶はございません』
『陰でこっそりとかでなく?』
『……私を何だと思っているんだ?』
『だってルイス、顔が良くて仕事も持ってて家柄もいいのに女性が近寄ってこないっていうのは、絶対性格に問題があるってことだよ。そうか、やっぱり腹黒さが滲み出るのかな?』
『腹黒いか?』
『ときどき笑顔が恐いもん』
ほら、その顔だよその顔。整ってるから余計に恐いんだって。
『ルイス、腹黒いのはきっちり隠して要所要所で押さえてかないと効果ないんだよ? そのへんちゃんと自覚しないと、むやみやたらに敵作っちゃうよ?』
『考えて物を言わない君に言われたくない』
『考えてるもん』
考えてはいる。ただ、思考回路が混乱したまま喋る癖があるというだけ。自覚はしてる。制御できてないけど。
『あたしの深謀遠慮なお言葉が伝わらない?』
『深謀遠慮の意味を知っているのか?』
『〝深いはかりごとを遠くおもんばかる〟と書くはずだけど、違う?』
こちとら日常生活漢字だぜい。女子高生だぜい。知ってるさ、それくらい。
ルイスが深々と息を吐いて、額に手を当てた。
『君を天都に連れて行くのが不安になってきた』
『今さら?』
『本当に本気で王の前では一言も喋らないでくれるか。いや、むしろ喋るな。絶対に』
そこまで言われると言い返さずにいられないですけど?
『ルイス。どう考えても挨拶はするよね、あたし。ってか、しないといけない、よね?』
絶対に。
『そこで黙っているほうが、よっぽど問題だと思うんですけど?』
『……』
『こんにちは、はじめましてと名前とさようならは基本だよね? ってゆうか、常識?』
ルイスの口から溜息出たぞ。幸せ逃げちゃうぞっ。
『ルイスさん、考えてから発言しましょうね?』
『……それ以外の言葉は言うなよ』
『言わないよ。必要ないことは喋んないよ』
相手が何か言ってきたら分かんないけど。
『言い返すのだけはやめろ』
『なんで?』
『疑問も禁止だ。本当に処刑されたいのか。十六の若い身空を散らしたくはないだろう?』
そうだけどさ。
『でも……正直、偉い人にぐるっと囲まれてたら、きっとあんまり喋れないと思うよ?』
『周りの目を気にする余裕があればいいが、君は頭に血が昇ったら周りが見えなくなりそうだからな』
う。図星。なんでだ? ルイス、この三日であたしが分かったのか?
『君は分かり易すぎる』
えーえーそうですか。腹黒大王にはかないませんよーだ。
あたしはやけ食いするみたいに、目の前のクッキーもどきを口に放り入れた。
――おお、美味しいっ。
疲れた時には糖分だよね。やさしい甘さのお菓子が口の中で溶けると、あたしの機嫌もすっかり良くなる。
シグバルト曰く〝仲睦まじい〟あたしとルイスの不毛な会話がだらだらと続き、二秒で終わるはずの挨拶は二時間ものお茶会に大変身して、帰る頃にはなぜだかあたしは、すっかりユリから〝マキおねえさま〟と呼ばれるようになっていた。
ちょっとお勉強タイム。鴇合が習ったのは高校だった気がする…。