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5-3


『できたか?』

『――もうちょっと』

『そのままでいいと言ったのに』

 ルイスの実家の門の前で繰り広げられる、あたしとルイスの押し問答。

 原因は、一着しかない制服を親切にアルノが洗濯してくれて、あたしは朝から丸ごとマフォーランド風の服を着ていたってこと。もちろんドレスなんかじゃなく、ルイスが昔着ていた服をリメイクしたもの――足の長さが破格的に違いすぎるのが感じ悪いけど。

 だけど、この格好じゃ異界から来たといっても信じてもらえそうになく、あたしは目下ルイスを追い出して馬車内で着替え中ってわけ。

 さっさと面会を終わらせて立ち去りたいルイスは、かなり鋭角にご機嫌斜めだ。

『あの男の目には何を着ていようが分かるものか。行くぞ』

『――ね、ルイス』

 あたしは馬車の小窓から頭を突き出した。

『やっぱ、下着も履き替えたほうがいい?』

 ものすごーく冷たい目。ち、冗談の通じないやつめ。

『だってほら、気分ってものがあるじゃない。全身のコーディネイトというか――』

 言い終わる前に馬車の扉が開き、あたしは強引に引きずり出された。当然着替え済みだったけど、むっとなって彼の手を振り払う。

『ちょっとルイス、着替え中だったらどうする気だったのよ! このすけべっ』

 ルイスの目が恐い。まじです。あたしは即、白旗を上げた。

『はい、すみません。ふざけすぎました』

『すぐに済ませて出発する』

 目顔でシグバルトに待っているよう指示し、ルイスはあたしの腕を掴んだまま、屋敷の門を潜った。

 しかし、これが尋常じゃなく広い。庭だけでルイスの家の五倍はあるかもしれない。

 ほけーっと感心して辺りを眺めるあたしを尻目に、ルイスはどんどん進んでいく。

『あの、ルイス。腕、痛いです』

『……』

『もうちょっと手を緩めてくれないと、あおぢが――』

 おっと広島弁。マフォーランド語訳はどうなってしまうんだろう?

『あの、青痣ができるかも』

 ルイスはあたしの二の腕から手を離し、代わりに背中にくるりと腕を回す。というと見た目はカッコイイが、実際は抱え込まれてぐいぐい運ばれている感じだ。

 写真でしか見たことのないような白い宮殿が、あり得ない大きさで行く手に立ちはだかり、すぐに視界から全景が切れた。巨大な木の扉が、圧し掛かられそうな迫力で目の前にそびえ立ったところで、ようやく足が止まる。

 入口に立つ執事さんみたいな人に頷きかけ、ルイスがあたしの頭の上で囁いた。

『挨拶して二秒で帰るぞ』

――そこまで嫌ですか。

 あたしは一瞬呆れ―― 一歩屋敷に足を踏み入れた途端、それを理解した。

『お帰りなさいませ、ルイセリオ様』

『お帰りなさいませ』

 一斉に頭を下げる白と黒の一団。ルイスの家など比にならない侍従、侍女の数だ。その中央に立つ、威風堂々とした体格の男。これがルイスの父親だと、ぴんときた。

 彼と同じように長身で、日に焼けた冷たくも見える整った顔立ち。後ろへ撫でつけた頭髪も短い顎鬚も鋭い両の眸もすべて、彩る色は、まぎれもない夜空のような深々とした黒だ。

 隣にいる薄紫のドレスを纏った奥様らしき人と薔薇色のドレスの少女も、まじりっけなしの漆黒の髪と瞳をしていた。

 もちろん使用人一同も例に漏れずで、その中でルイスの金髪碧眼は、病的なくらい浮き立っていた。異端といわれても仕方ないほどに。

――違う。

 異端であることを毎秒毎秒突きつけるような空気を纏っているのだ、この空間は。

 二秒で帰るのではなく帰されるんだと、あたしはそのとき思い知った。恐くて傍らの男を見上げたのに、彼はすでに武装状態のような冷たい表情を張り巡らしていた。

『ただいま帰りました、父上、母上』

『よく戻りましたね。元気そうで何よりです』

『母上もご健勝そうで。ユリアミス、また大きくなったようだな』

『はい、お兄様。お戻りお待ちしておりました』

 美少女という言葉がふさわしい娘が、膝を折ってにっこり微笑む。だが兄と父の間にあるものを知っているのか、親しみをそれ以上表わしてはこなかった。

『ルイセリオ、そちらが異界からいらした乙女かね?』

『はい。――マキ。私の父であるアクィナス領主ザヴエルだ』

『ザヴエル・ミロード・カーヅォ=アクィナシアと申します。ようこそいらっしゃいました、異界の乙女よ』

 ルイスの父親が髭面を笑みくずし、あたしに手の平を差し伸べた。

『初めまして、朝野真紀です。どうぞよろしく』

 仕方なく右手を重ねると、領主はその手を持ち上げて唇を触れた。慌てて引っ込める。

『おやおや。異界の乙女は恥ずかしがり屋なのですかな?』

『私たちはこれから天都へ参ります。長居はしていられませんので、失礼』

 宣言どおり、挨拶のみでルイスが退席しようとする。

『待ちなさい、ルイセリオ』

 笑顔のまま領主が制した。黒々とした瞳は一欠けらも微笑んでいないけれども。

『異界の乙女は、われわれが送り届ける。おまえはここで待機していなさい』

――……今、なんと?

『すでに馬車も用意した。失礼のなきよう、われわれとしても最高のものを用意させて頂いたよ。おまえには――まだそこまで準備はできぬだろう?』

 親しげにルイスの肩に手を置く。ぴくり、と彼の体が震えた。

『私に任せなさい。それに一介の魔法士にすぎないおまえがお連れするより、ここはひとつ領主である私がまかり出るのが筋(すじ)というものではないかね?』

 すごく正論ぽい。でも笑顔で押しつけられる正論に、はいそうですねって納得できる頭は、残念ながらこの体にくっつけていないんだ、あたし。

『あの……失礼ですけど』

 ふーっと陰で息を吐ききり、なるべく小さい声で言う。

 喧嘩に来たのではない。挨拶だ。これは挨拶の続きだ。

『彼はわたしを最初に保護してくれた人です。ならば天都への報告は、その本人が直接おこなうべきと思いますが?』

 領主は明らかに驚いたようだったが、年長者として金持ちらしく高い身分っぽく威厳を漂わせてあたしに言った。

『異界では、当主の責任というものは重視されないのですかな? このアクィナスを治める者として相応の敬意を示すことに?』

『わたしを歓迎していただいて、大変感謝しています。わたしは異界から来たばかりですので、こちらの風習をよく理解しているとは言えませんが、領主のあなたの息子さんである彼は、充分当主の代理に成り得ると思いますが、間違っていますでしょうか?』

 そんなわけないよね。跡継ぎだもんね。どうでい、おっさん。

『しかし私にも、当主としての責務を果たしたいとの想いがございます。元来アクィナスは最初の乙女の――』

『失礼ですが』

 あたしは、声の震えをねじ伏せてそれを遮った。時間の無駄は省きたい。

『お話を中断させてすみません。こちらのご先祖さまと前の異界の乙女とのことは、ルイ…セリオさまよりお聞きしています。ですが、わたしはその方となんの所縁(ゆかり)もありませんし、むしろ――』

 ごくり、と唾を飲む。呑まれるな。いけ、あたし。

『まだ伝説のことすらきちんと分かっていない状態で、異界の乙女だと呼ばれることも納得できるものではありません。ご期待に沿えればとは思いますけど――わたしは、ただの一人の人間です。

 なんの力もない、この世界で右も左も分からない、ただの迷子なんです。今ここで人前で話すのも手が震えてしまう……』

 ぐっと拳を握る。泣きそうだ。上を向いて堪える。

『こうして歓迎していただいたこと、お話させていただいたこと、とてもありがたく思っています。ですが、わたしはあくまで普通の十六の子どもにすぎないんです。

 わたしは今からこのまま、ありのままで天都にいる王様に挨拶にいきます。それは異界の乙女などというものではなくて、純粋にこの世界にお邪魔した一人の人間としてお会いするつもりです。

 水門のことは……どうなるか、わたしにも分かりません。ですから、どうか大袈裟になさらず、このまま彼とわたしを天都に行かせてください。お願いしますっ……!』

 もう論旨はぐちゃぐちゃだ。あたしは思いきり頭を下げた。そのあたしの頭を、力強い腕が抱き寄せる。低い声が耳に落ちた。

『まったく君は……無茶苦茶だな』

『……ルイス』

『行こう。あいつは君が涙を見せてやるような相手じゃない』

 囁き、ルイスがあたしを抱えるようにして踵(きびす)を返す。

『――待ってくれ』

 かすかに震える領主の声。なにかを堪えているような――怒り、苛立ち、それとも――。

『すまなかった。君たちを傷つけるつもりはなかった。許してくれ』

 謝罪。口先だけなら何とでも言えるけど。

『せめて遠き異界より来た客人に、茶の一服なりともてなすことを許してもらえないだろうか? お詫びとして……頼む』

『あなたは昔から、何気ないふりをして人の心を踏みにじるのがお得意だ。彼女にそれはさせない。行こう』

 氷よりも冷たい言い方をして、ルイスがあたしを促す。だけど、あたしは動かなかった。

 このまま行けば、きっと二人の関係は決定的に皹(ひび)が入ってしまう。それでもいいと、ルイスは言うだろう。でも、直せるなら直すべきだ。

 父親が他人の前で息子に頭を下げるのって、それは形だけでも、やっぱすごいことなんだよ。男は変なところでプライドが高いから、仲直りだって面倒なこと、あたしは兄で経験してるから。

『お茶、飲んでいこうよ、ルイス。あたし喉渇いたよ』

『……いいのか?』

『うん。ちょっと喋りすぎた。喉イタイ』

『分かった。シグバルトには待ち時間が少し伸びたと伝えさせる』

『うん』

 頷きながら、あたしはルイスの体の陰で、潤んだ目を素早くこすった。この家の人たちにはバレバレだったのかも知れないけど。

――あーあ。これで異界の乙女は変なやつって知れ渡っちゃうんだろうなあ。

 あたしとルイスに注がれていた奇異の視線が、どこか生温く感じられるのは、きっと気のせいではないだろう。

 慌ただしくもなく、それでいてどこかいそいそとお茶の支度が進む中、あたしはぼんやりとそんなことを考えていた。



注)分かりにくいですが、前半のオヤジどのの台詞は明らかに侮蔑です。士団長は「一介の魔法士」などと呼んでいい立場ではありません。

こんなところで注釈してどうするっていう…。

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