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まったりと朝食を食べ終えた後、ルイスは仕事があるといって、別の部屋へ去っていった。
聞けば、彼の職業は〝魔法士〟という名前で、普段は王様のいる天都(てんと)で[双月](そうげつ)という魔法士団の士団長を務めているらしい。ふむ、さすが優秀なんだ。
で、その優秀なだけでなく今も仕事っていうくらい仕事中毒のルイスが、一年ぶりくらいにとった休暇で里帰りしたところ、あたしと出くわしたというわけ。
ここアクィナスは、彼の故郷であると同時に父親の領地であり、彼は跡継ぎという立場でもある。実は、このお屋敷は実家ではなく、街から外れたところに建てた彼の住まいなんだそうだ。実家ではご両親は健在で、年の離れた妹さんと一緒に暮らしているとのこと。
妹さんとは仲が良いらしく、話している時は目尻が下がっていた。うちの兄に見習わせたいよな、こんな表情。
――でもルイスの妹なら、かわいいんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、あたしはアルノに教えてもらった洗濯場で、下着と靴下を洗った。ついでにバッグに入れていた汚れたジャージも一緒に。
お客様に洗濯をさせるなんて、とアルノは相当渋ったが、異界ではこれが普通だと強引に説き伏せたのだ。
郷に入っては郷に従えというが、従わないほうが健全なこともある。あたしは自他ともに認める頑固者だ。
昨日湯浴みで使った、葉っぱの細切れを布に包んだものが石鹸代わり。あんまり使うと流すのに大変そうだから、ほとんどたたない泡を立てて濡らした衣類に揉みこむ。で、何度かすすぐ。靴下はもう一歩って感じだったけど、黒だから分からない。ジャージなんて言わずもがなだ。
洗濯物を抱え、外の小高い野原に向かう。木の枝に括りつけたロープに、三列の洗濯物が万国旗のように色とりどりにたなびいていた。
異界代表のあたしは、ピンクの苺柄ブラとショーツ、黒のハイソックス、海老茶のジャージを控えめに端っこに掲げた。枝でできたクリップみたいなもので、飛ばないように止める。風が強い。
――夕方には乾くかもな。
一仕事終えた気分でいたあたしの耳に、びっくりする声が飛び込んでくる。
『――なんだとっ! それは一体どういうことだ!』
ルイスの怒鳴り声だ。
『私が偽りの報告をしたとでも思ったのかっ!』
(『……』)
『彼女は間違いなく異界の人間だ。そう言っているだろう!』
どきり、とした。あたしのことで誰かと言い争っているんだ。
空の洗濯籠を持ち、草を蹴って野原を滑り降りると、裏手から声のする部屋に近寄った。
ルイスが仕事をすると去っていった部屋だ。天井まで届く本棚が四方の壁を埋め、黒っぽい大机が中央に鎮座している。机の端から端まで紙の束が積み上げられ、いくらかは散らばって、いかにも仕事をしている最中という雰囲気だ。
そして誰かと話しているようだったルイスは――机の傍の姿見の前で仁王立ちしていた。
――なんだろう? 鏡がおかしい。
大きな鏡越しにルイスが向き合っているのは、彼自身ではなく、髪の長いゆったりとした服装の男の人だった。なんとなく魔法使いの親分っぽく見える。
その親分に向かい、ルイスは今までの穏やかさが嘘のように、腹立たしげに頭に手をやり腰に手を当てて、鋭い語調を突きつけていた。
『私はこの眼で確かに彼女が現われるのを見た。なぜ信じない?!』
(『ですから、天都へ来ていただければはっきりすることです。どちらが偽者か』)
『彼女は来たばかりで、昨日は気を失って倒れたんだぞ。それだけのために天都へ連れて来いと?』
(『そうです』)
『陛下とてまったく信じておられるわけではないのだろう、水門の乙女などと。わざわざ好奇心を満たすためだけに会わせろというのか!』
(『真実がなんにせよ、異界から渡り人が現われたのです。予言の信憑性はかなり高いと、われわれもみています』)
『ならば、このまま行かせればいい。二日の無駄がなくなる』
(『無理です。彼女が本物だという確証がない以上、タキ=アマグフォーラに近寄らせるわけにはいきません』)
『……あのぉ』
たまりかねて、ルイスの背後から小さく呼びかけた。
はっと顔色を変えたルイスがふり向く。同時に鏡の中の彼もあたしを見た。
(『これは……』)
『マキ、いつからそこに?』
『外で洗濯物を干してたらルイスの声が聞こえて……ごめんなさい。立ち聞き、してました』
『何を聞いた?』
『信じるとか信じないとか……あの、この人って?』
鏡を指差す。実際ここにいないので、等身大のテレビを見ているような感じだ。聞こえる声もどこかぼんやりしている。
鏡の中の人も、あたしを見て驚いているようだった。
(『確かに……その格好は、この世界の人間のようには見えませんね』)
『彼は大神官ヘクトヴィーン。天都にいる神官長だ。君の事を報告していた』
『そう、なんですか。魔法って便利ですね』
混乱して、よく分からない感想を言ってしまう。神官の偉い人らしき彼が尋ねる。
(『あなたの声には魔法がかかっているようですが、どうなっているのです?』)
『あ、ルイスがこれを貸してくれて』
右手の指環を鏡に向けて引っぱれば、さっき石鹸を触ったせいか、意外にするりと抜ける。それをルイスに渡して、また喋ってみた。
「あれがないと、言葉通じないと思うんですけど」
「xxx」
久々に聞く、生マフォーランド語だ。やっぱりさっぱり分からない。
(「ジ イェ トレ インタレシス エスト シ エルシェイン ダ アクィナス……」)
「シレンティオ!」
荒々しく、ルイスが遮る。戸惑って、あたしは彼の手の中の指環を握った。
『さっきから一体なにを揉めていたんですか?』
ルイスが大きく息を吐き、このうえない苦い表情で、信じられないことを口にした。
『東の地イェドにも渡り人が現われた。君と同じ、異界の人間だ』
『え――』
驚いた。仲間がいる。
ルイスとヘクトヴィーンが言い争っていたことも忘れて、あたしは叫んだ。
『会いたいですっ! あたし、その人に会ってみたい!』
*文中訳はこちら。
「ジ イェ トレ インタレシス エスト シ エルシェイン ダ アクィナス…」
→「アクィナスに現われるとは大変興味深い…」
「シレンティオ!」→「黙れ!」