0-3
光樹視点です。
3.光樹と手紙
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というわけで、プロポーズは大成功です。すぐに〝おばさん〟と呼ばれるようになるので、首を洗って待つように。
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そこまで書いて、ペンを止めた。
やっとなのかと大袈裟に呆れる妹の顔が目に浮かぶ。しばらく便箋を眺めた。
あるべき時間も空間も離れた妹との連絡手段は、多くが文字だ。魔法の技術が進歩して半透明な紙に絵姿を焼き付けることにも成功したらしいが、魔法の素となる微粒子が原型を留めないこちらでは、魔法はすぐに分解されてしまう。
仕方なく、それらはすぐに写真に撮り直し、ファイリングして綴っていた。その冊子ももう二冊目になる。
共にこちらの世界を訪れた金髪の男と夫婦になり、子どもも二人できてそれなりに年を重ねているのは承知しているのに、なぜか脳裏に浮かぶのは別れた十七歳の姿のままだ。
――もう十年か……ほんまにちゃんとやっとるんかいのう。
胸中をよぎるのも心配しかない。
十年前異界に帰った妹との交流が復活したのは、いなくなった二ヵ月後のことだ。
ある朝突然玄関に切手も差出人もない小包が落ちており、開けてみれば明らかに手作りと分かるチョコレートが入っていたのだ。〝ハッピーバレンタイン〟という下手くそな砂糖の文字を上書きされて。
ちょうど後期授業が終了して帰省していたので、菓子を包んでいた紙を裏返して感想を書いた。
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怪しいものを送るな、このたわけ。あやうく通報するところじゃったわ。
もっとましなものを送って来るように。 兄より。
追伸:チョコは甘いもの好きな父ちゃんがほとんど一人で食べました。75点。精進せえよ。
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それを畳んで玄関先に小石を乗せておいて置くと、いつの間にか消え、数日後小さな包みが現われた。
端切れらしきピンクの花柄の布で包んだその中には、キャラメルに似た数個の飴がラッピングされている。そして文句の書かれた紙が一枚。
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にーちゃんのばかたれ。
理緒子の作った飴なので、120点のはず。心して食すように! 真紀
追伸:一個だけあたしが作ったのを混ぜました。さてどれでしょう?
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それからは文通というか暴言というか、くだらないやり取りの応酬である。まるで一緒に暮らしていた頃と同じように――いやそれ以上かもしれなかった。手書きの文章は残る分、会話よりも濃厚な気がした。
どうやら異界に戻る寸前に〝鍵〟とやらが使えるようになったせいで、[まほら]への接触が以前よりも容易にできるようになったことがきっかけらしい。
やり取りはだいたい月に一往復。お互いへの影響を考えてか、送り合うのは主に食料品と手紙に限られていたものの、明らかにそれはいなくなった家族の欠落を埋めていった。日が経つとそこに一緒に異界にいる高遠理緒子が加わり、時にルイスまで参加しながら、途切れることなくやり取りは続いた。
県外の大学に通っていた自分が直接加わることは少なかったが、一喜一憂する親からの報告を聞くたびに、扉を閉じるタイミングを完全に逃したと苦くも思い、嬉しくもあった。
まだ高2だった妹に異世界行きを勧め、両親を説得する一役を買って出た自分の後悔が、いくぶんか和らぐように思えたということもある。
――ほんまにえかったんじゃろうか。
独り身で子どももいない自分に親の気持ちは分からないし、ましてや異世界に行った妹の気持ちなど本当は分かるはずもないのだ。それでも、そのときは正しいと信じた。
因果やカオス理論など偉そうに持ち出したが、実際根拠などない。ただ――あのとき玄関を入ってきた二人を見た瞬間、
――妹はこいつと一緒になる。
そう直感しただけだ。今のところ外れてはいないが、ただの直感であそこまで押し切った自分は、若さゆえに盲目だったのだろうと思う。
もし今なら。
もし自分が異世界に行っていたなら。
もし――行ったのが真紀ではなく、今ここで眠る彼女だったら。
――わしは正気ではおれんかもしれんのう……。
運命という一言だけで片付けられるものなのだろうか。
ちら、と一人用ベッドの片側で小さくなって眠る彼女を見やる。従姉の失踪事件があるせいか小さいときからお洒落に興味がなく、目立たないようにしてきたという彼女が、自分と会うときだけかわいらしい恰好になるという事実に気がついたとき、好きになっていた。
気は強いが前に出るわけではない。勘は悪くないが、問い詰めはせずに辛抱強く待つ。
――まあ、ちょっと待たせすぎじゃったけどが。
自分のようにこだわりの強い男に、彼女ほど合う女はいないと分かっていた。難を言えば、もう少し素直になってほしいところだが、ひねくれた彼女をいじくり倒して本音を窺うのも乙なので問題はない。
――もう少し我儘も聞いてやらんとな。
なにしろ十年も待たせたのだ。自分の将来と異界の扉のことが落ち着くまではと思いながら、そんな月日がたってしまっていた。
それでも、待っていてくれたのだと思えば頭が下がる。苦労はさせられないと、指環の嵌まった白い手を撫でれば、かすかに彼女が身じろぎをした。
もし、彼女が異界の扉に巻き込まれていたら。
――こじ開けて引きずり戻すか……ほんま、行ったのが由梨亜さんでよかったわ。
けして口に出せない想い。
妹が遠く離れたことが一匹の蝶の羽ばたきならば、目には見えない大きな竜巻に、自分はもう巻き込まれてしまっているのかもしれない。
彼女の手を布団の下に入れ直し、ベッドの隣の机で新しい便箋に最初からペンを走らせた。
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真紀へ
突然ですが、兄は今度結婚することにしました。相手は前にも書いた、辻和紗さんです。
びっくりするようないい嫁さんなので、見て腰を抜かさんように。……まあ、これは言いすぎじゃが、わしにふさわしい人であることは確かです。正直これ以上の人はおらんと思う。
おまえはとんと遠くにおるわけじゃけど、それでも家族が増えたことを喜んでくれたら嬉しく思います。
前にわしは、未来が過去にもたらす影響について語ったことがありましたが、最近ちょっと考えが変わりました。
夜空に見える星は離れている分だけ過去を映している――三十光年先の星の光は、三十年前のものということ――は知っていると思いますが、これは自分の視点で考えると、現在と過去が混在しているということになります。
つまり時間とはひとつの流れではなく、並んでいるものかもしれないということです。
過去と現在と未来。この三つが実は縦ではなく横のつながりを持っていて、互いが互いに影響をし合うものだとしたら。そう考えれば今おまえと連絡がとれることも、お互いの世界が破綻してないことも不思議ではないわけよ。
でも同時にそれは、わしらのおる今が、おまえのいる未来に直接繋がるわけではないということでもあるわけです(難しいが理解せえよ)。
ひょっとしたら、おまえの世界とわしらの世界は未来で交わることはないかもしれん。
ひょっとしたら、こっちでする努力は、おまえらの未来を作り変えることはできんかもしれん。
変えるということは、難しいことよ。蝶が一匹羽ばたいたところで実際変わるのは別のところじゃったり、変わることも気付かんまま蝶は死んでしまうかもしれん。いや、それどころか反対側の蝶に邪魔されて、そよ風すら起こせんかもしれん。現実は厳しいわ。
それでも、わしは努力を続けていこうと思う。人が人として在り続けられる未来のために(ええこと書いたな。感心しとけよ?)。
わしらが苦労して扉に設置したエルフ玉が、先の時代で見つかって外されて〝定点〟とやらになってしまうように、こっちで未来を変えようとする努力は、補正の力が働いて元へ戻ってしまうかもしれん。でも、生きている限りもがくのが人じゃと思う。
おまえの時代が少しでも過ごし良いようになっていたとしたら、お兄様をはじめとした過去の偉人たちの努力の結果なので、天の星に向かってしっかり頭を下げておきんさい。
おまえもわしらの努力に甘えず、しっかりもがくんで?
後悔はするじゃろう。失敗もする。いくら時が並列していたとしても、取り戻せんことはようけある。
じゃが、事実は変えられんけど変えられるものもある。それは自分と未来です。
愚かと言われても、とことん納得できるまで悩んだ道なら恥じることはない。胸を張って自分の人生を生きてください。
長くなりましたが、そんなわけで、遅ればせながらわしも幸せになります。
父さんと母さんのことは心配いらん。二人は結構悠々自適よ。
じゃけん、おまえも気にせず幸せになれ。とことんどこまでも幸せになっとけ。
幸せになることが人としての務めじゃ。しっかり果たせよ。
星の向こうの過去から祈っています。
兄より
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書き終えて目を上げれば、カーテンの隙間から淡い光が差し込んでいた。夜が来て朝が来て、そのくり返しのうちに時が流れる。そのなんでもないくり返しが、どれほど貴重でかけがえのないものであるか。
それは静まり返った部屋にこもる女の寝息が、何より雄弁に物語っていた。
瞬間を味わうように深々と空気を吸い込み、のびをする。
――もう一眠りするか。
手紙を封筒に入れ、封を閉じる。そして、ひとすじの朝陽が真っすぐ机に落ちる中、そっとペンを置いた。
【完】
これにて本編本当に終わりです~。なんやら濃い顔ぶれで終わりましたが…。
長々ありがとうございましたああああぁ。
頭百遍下げても足りないくらいです。
お礼というほどではないですが、拍手に小話とイラストを設置しています。
なろうさんに登録ない方でも覗いていけますので、よかったら覗いてやってくださいませ。
「魔法王国」はぼちぼち番外を書こうと思っています。
こんなん読みたい!という希望・感想なんでもいいので、送ってやってくだされば気合いが入ります(笑)。
本当に本当にありがとうございました!!