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『あの……ルイス。質問いいですか』
読み物に没頭していたのだろう、ルイスが眼だけでちらりとあたしを見た。
『あ、いえ。いいです』
『遠慮はいらない。なんだ?』
やっぱりちょっとぶっきらぼうだ。昨日振り回して、機嫌を悪くさせたんだろうか。
『……ルイス、疲れてるんですか?』
『いや』
『なんだか、元気ないみたい』
ルイスが苦笑して、手にしていた紙の束をテーブルに置いた。
『すまない、気にしないでくれ。私はいつもこうだ。朝は苦手で』
『朝、弱いんですか?』
『夜のほうが元気なんだ。昼を過ぎると少しましになる』
『あたしも夜型です。最近は朝練があるから、頑張って起きてますけど』
『あされん?』
『クラブ活動の朝の練習。学校の授業が始まる前にするんです』
『マキは学生か?』
『はい。高2……えーと義務教育っていうのがあって、小学校が六年、中学が三年。それが終わったら大体の人が高校っていうのに進んで、その三年あるうちの今二年目です』
『十二年も勉強するのか。熱心だな』
『身についているかどうかは別ですけどね』
『では今は十四? 十五?』
『十六です。ルイスはいくつですか?』
『二十三だ。君の世界と数えかたが一緒であれば』
ビンゴ。二十歳過ぎという勘は、間違ってなかったらしい。
『あたしの世界の一年は三百六十五日。一日は二十四時間。一年は十二ヵ月に分かれて、一ヵ月は二十八日から三十一日で区切られます。こっちとすごく似ています』
『そうだな』
『季節は春と夏と秋と冬の四つ。夏は暑くて冬は寒い。最近は温暖化で、四季がぐちゃぐちゃですけど』
『温暖化? 君の世界も乾いてきているのか?』
『単純に乾いてきているというのではなくて、異常気象って言ったらいいですかね。
星自体の気温が上がって、ハリケーンが起きたり氷が溶けたり、局地的な豪雨が降ったりです。各地ばらばらで』
昨日見せた世界地図を思い出したのか、ルイスが考え込むように口元に手を当てた。
『かなりたくさんの国があるようだったが』
『はい。数えたことはありませんけど、百はあると思います』
わが世界ながら、答えがあやふやなのが哀しい。
『こちらはマフォーランド以外に国はないんですか?』
『以前はあった。島国も合わせて七十二の国に分かれていたといわれる。それを神王ナシュベルが統一し、今の国家の礎(いしずえ)とした』
『七十二を統一って……すごいですね』
中国の歴史のようだ。あれだっていろんな国とか民族をまとめるのに、かなりの年月戦争を繰り返したはずだ。
『完全な統一には百年近くかかった』
『王様、長生きですね』
『死後だよ。だが、彼の功績は大きい。現在の王家の始祖と言われている。テーエが乾いて地方国家が弱体化したことも統一の大きな要因だ』
つまり侵略や領土拡大よりも、生き延びるためにひとつに成らざるを得なかったってことだ。
――まさか……水門の鍵って、かなり重要?
一国どころではなく星全体の未来を握っているようで、あたしはパニを持ったまま蒼ざめた。
『あの、そのころからずっと乾いたままなんですか?』
『いや、何度か危機を乗り超えてはいる。荒れた地に草や木を植えたり、地下水脈を探したり……だが最近は、それだけではどうしようもないほど急速に砂漠化が進んでいる』
やや表情を改め、ルイスがテーブルで両手を組んだ。
『実は、以前一度、天の水底が開かれたことがある』
『――――――えっ?!』
思いがけない言葉に、妙な間を置いて声をあげてしまう。
『それって、つまり異界から誰か来たってことですか?』
『そうだ。すでに史実でしかないが……今から百五十年前、星暦三百六十二年のことだ』
『百五十年……』
『マキ。これは大事な話だから、しっかり聞いて欲しい』
『は、はい』
あたしはパニを皿に置いて、ルイスを見た。朝の空と同じ澄んだ青い瞳が、こちらをじっと見つめている。
『マフォーランドには、大賢者ソロンが遺した予言の書が伝わっている』
予言。よげん。厭な予感がする。
『ソロンは、この国に百五十年ごとに大規模な乾期が訪れると予言していた。太陽神アーミテュースが眠りから覚め、世界は永(なが)の日照りに晒され、大地は乾き、森や草は枯れて人々は飢え苦しむだろうと』
天岩戸(あまのいわと)は知っているけど、これでは逆だ。寝ている方がいい太陽神って、正直まったく使えない。
『大賢者と讃えられるほどの魔法士だったソロンは、予言と合わせて、それを防ぐための術(すべ)を見出していた。神界マフォーラに住まう神の始祖イシェンナとイシュナムに請い、アーミテュースを鎮めてテーエに雨をもたらす秘法を授かったんだ。
それが天の水底、雨寿(うじゅ)の水門を開けるという鍵だ。だがわれわれはそれを持つことはできない。予言された百五十年に一度の乾期の年に異界から来た渡り人のみが鍵を手にし、水門を開け放って世界に雨をもたらす――その渡り人が訪れる印、それが三つの月の合だ』
『それが、百五十年前にも一度あったん、ですね?』
『そうだ。ソロンが予言した百五十年前に〝アーミテュースの息〟がマフォーランドを覆い尽くし、大地は乾ききった。その時、三つの月の合とともに異界より一人の乙女が訪れ、水門を開けて人々を救ったといわれる』
百五十年前。昔かもしれないが、事実がひとつも残らないほどの過去でもないはずだ。
『その人のこと、なんでルイスはあんまり知らないんですか?』
『史実として明確に残っているのは、その年に熱波が押し寄せ、それが奇跡的な雨によって鎮まったというだけだ』
昨日から思っていたけど、この人かなりの現実主義者(リアリスト)だ。魔法なんか使うのに。
『乙女は伝説だと思われていた。水門の鍵も神官たちが創った夢物語だと』
あたしは自分の右手を見た。紅い石の指環――これは確か。
『これも、そのソロンっていう人が創ったんですよね?』
『そうだ。まさか役に立つとは思っていなかったが』
だけど、この指環が家にあるってことは――。
『ルイスはソロンさんの子孫なんですか?』
『傍系だ。百五十年前、聖女ユリアが訪れた際彼女を警護した魔法士の直系で、その功績でこの指環を与えられた。本来なら天都にあるべきものだが、聖女が帰還するどたばたのうちに、先祖がこっそり持ち帰ったらしい』
結構いい加減だが、どことなく真実味のある話だ。そして、大事なことに気がつく。
『帰還って……その人、異界に帰ったんですか?』
『ああ、そう言われている』
帰れる。すごい。帰れるんだ、あたし。
表立って喜べないので、とりあえず心の中で叫んでおく。
――うわあああ。なんか道開けたわぁ!
そこでちょっと思ってしまった。
『……ルイス。なんでそんな先祖がいるのに、伝説信じてなかったんですか?』
『聖女ユリアがいたのはほんの数日間で、痕跡は全くといっていいほど遺されていない。姿もごく一部の人間にしか見せなかったそうだ。
すべては彼女が帰還してから明らかにされた。なぜかは分からないが』
分からないと言いながら、それでもルイスは何かを知っているようだった。
『それに、異界の乙女だの鍵だのと、小さい頃から父や祖父が偉そうに話すものでね。耳にタコができるほど聞かされたよ。だから、ずっとそれに反発を感じていた。どれかひとつでも証拠を見つけるまでは、信じるものかって、ね』
君に会ってしまったが、と苦々しくルイスは微笑む。
――なんとなく、リアリストになった理由を見つけた気がする……。
そして、とんでもなくひねくれた性格の人だということも分かった。
『後悔してますか? あたしに会って』
『いや。父たちの信じていたことが事実みたいで、複雑な気分だけど』
『好き……じゃ、ないんですか? ご両親』
『向こうがね。私は出来損ないだから』
するりと口にされた、棘(とげ)のある言葉。しばらく考える。
『あたしの異界基準では、ごく普通に見えますけど?』
ルイスが少し笑って、空気にまとわる見えない棘を払い落とした。
『色が――変わっているだろう?』
『金髪ってことですか?』
『ああ。この世界では滅多にいない』
含みのある端的な言い方に、彼の複雑な立場を思う。
彼は、初めて会うあたしでも分かるほどのお金持ちで、若様と呼ばれる身分。
アルノはすでに白髪だが、目は黒い。シグバルトもミルテも黒髪黒目だ。その中で、確かに彼の色は異質かもしれない。期待されていた息子だったら、なおさら風当たりは強そうだ。
――日本人の中で突然、金髪碧眼が生まれるようなものかな。
今の時代なら逆にカッコイイくらいの勢いだが、もう少し前ならすごく虐められていただろう。特に田舎では、少しでも変わっていると個性ではなくて異端だ。
『マキは黒い髪に茶色の目だな。みんなそうか?』
『日本人はだいたい……でも、茶色の髪の子とかもいますよ』
『そうか』
『ルイスがあたしの居た国に来たら、みんな羨ましがりますよ、きっと。カッコイイから』
『……そうなのか?』
『元から金髪碧眼って、すごい憧れですよ。だって、みんなお金かけて髪染めてカラコン入れたりしてますもん』
『からこん?』
『目に色のついたレンズを入れて、目の色を変えるんです。ファッションですよ。髪の色もアッシュとかブロンドとか、すごい人はピンクかグリーンとか入れて遊ぶんです。日本人ってみんな同じような容姿だから、そうでもしないと個性でなくて』
『ピンクとはすごいな』
『さすがにたくさんはいないですけどね』
あたしの地元ではバンドやってる人くらい。秋葉原とか行けば違うんだろうけど。
『面白いな。行ってみたい』
『きっと驚きますよ。保障します』
ルイスは背が高いから、スーツでも何でも着こなせそうだ。細身のデニムも似合いそうだし、ライダーとかロッカーっぽく黒の革でびしっと決めてもよさそう。そんな格好で街を歩いたら、写真とか撮られたりするんじゃないだろうか。
――飛行機とか新幹線とか……車も驚くかなあ。
電話とかテレビとかパソコンとか携帯電話なんかも。ルイスの驚く顔を想像して、あたしは思わずにやけてしまった。
『なんだ?』
『ううん。なんだか向こうのこと思い出して』
『……帰りたいか?』
気遣うような声。はっと首を横に振った。
『わわわわ。えと、そんなんじゃなくて。いや帰りたいけど、ここがすごく嫌とかそういうんでもなくて……』
慌てすぎて挙動不審になる。
『懐かしいなあって思って。全然違うから』
『そうか』
『帰れるって聞いて、ちょっと期待しちゃったんです。ひょっとしたら、もっと気軽にこっちと向こうと行き来できる方法とかもあるのかなって』
そんな出来すぎたアニメの結末みたいな甘いこと、夢観るべきじゃないのかもしれない。
でも――願うくらいは許して欲しい。どんなに子どもじみていてもハッピーエンドはあるって。
『伝説とか予言とか、あたしには全然分かりませんけど、ここにいるってことは何かすることがあるからなんだと思うから。ルイスだってそうです』
思いをまとめるように、ちょっと言葉を切った。
きっと、いい顔し過ぎてる。すごく八方美人なんだ、あたしは。
それでも、どんなに理不尽でも納得いかなくても、するべきことがあるのなら、する。そして帰る。それだけだ。
『水門の鍵が何か知りませんけど……それができて雨が降って家に帰って、それで異界と行き来ができるって分かったら、もう予言だって気にしなくっていいわけでしょう? みんなすごく、めでたしめでたしじゃないですか』
『……そうだな』
『だから。前向きに頑張りますね、あたし。ルイス……助けてもらえますか?』
『ああ、もちろんだ』
あたしは自分に言い聞かせるように、くり返した。
『あたし、頑張ります』