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第0章 終わりとはじまり

*主人公が出てきません。3節で終わりです。

1.和紗と曲がり角


 平日の夕方だというのに、その道は人通りが少なかった。地元住民しか用のなさそうな駅裏から住宅街へ通じる道を、目の前の男は迷いもなく進んでいく。

 小走りに追いながら、大きな背中を苛立たしく睨んだ。いい加減、穴のひとつやふたつ開けばいいのに、柔道で鍛えたという頑丈な背筋は残念ながら破れそうにない。

――いつか破ったる。

 ふうぅ、とイライラを息に籠めて吐き出した。と、突然イライラの原因が足を止め、無愛想な顔をくるりと向ける。咄嗟に笑顔を作れば、それをぶち壊す一言が投げつけられた。

「歩けとるんか? おまえ」

「……今までどないやってついて来てたと思てはるわけ?」

「いや、だってその靴」

「なにか?」

 何気ない風を装って聞き返す。

 べつに連絡がないと思ってたところに平日空けられるかとメールが来て、それが行楽の秋に横浜に行くというから、はりきって履き慣れない厚底ウッドソールのごろりんとしたかわいらしいミュールを履いてきたわけではない。

 断じてない。

 ぎりぎりと視線で訴えると、切れ長の一重の目がふっと逸れた。

「まあ、ええけどが」

「なんのこと?」

「……素直じゃないのう、辻和紗(つじ なぎさ)さんは」

 呟きとともに翻った背中が、だが先程よりゆっくりした速度で前を行く。この気遣いが憎らしいのだ。

 口を開けば皮肉とつまらない冗談。豆知識が多くて饒舌かと思えば、肝心なことははぐらかしてばかりだ。表情の出にくい日本人特有の顔の作りながら笑うと少年のようなのに、TPOは古臭いほどこだわる親父だったりする。

 とにもかくにも、出会ったときからわたしを振り回すのだ、この朝野光樹(あさの みつき)という男は。


 最初に会ったのは十年前。金土日で正月の三が日が終わってしまい、中途半端な授業開始に怠け心がむくむくと湧きあがってしまったその日、自分一人で家に居たところへ彼はやってきた。

(「すみません。お届け物に来たんですけど」)

 インターホン越しの玄関に立つ姿は、明らかに宅配業者ではなかった。

 がっしりした体格に黒のロングダウン。黒い短髪をゆるく遊ばせて立たせ、自分と同じ二十歳前後の顔立ちながら、鋭い目つきと落ち着いた佇まいが年齢を曖昧にしていた。

「どちらさんでしょう?」

 警戒を含めて問えば、画面の向こうで強面の顔がにぱっと笑った。

(「すみません。わ……や、ぼくは朝野といいます。こんにちは。ここ、辻さんのお宅ですよね?」)

「そうですけど」

(「辻由梨亜(つじ ゆりあ)さんってご存知ですか?」)

「――お引き取り下さい」

 反射的にそう返した。両親がいなくて助かった。その名前は鬼門すぎる。

「そんな人は知りません。お引き取り下さい」

(「ええと。すいません、てっきり苗字が同じなのでご親戚かと思いまして。まだご親戚がこちらにお住まいなら、これお預けしたかったんです」)

 手に提げてきた小さい紙袋を持ち上げてみせる。

(「ほんとすみません。ぼくがうっかりしてました。いくらご親戚でも、十八の女の子がこの家で風呂上りに突然失踪したなんて、年頃の娘さんに教えるはずないですもんね」)

「……今、なんて」

(「え? やあ衝撃的な話ですよねえ。いくら夏の暑い日でも、お風呂から上がったばかりの若いきれいな娘さんがタオル一枚巻いた恰好で消えたんですから。まあ新聞やなんかでは〝家の庭にいたらいなくなった〟って書かれてますけどね……?」)

 マイク越しに一気に喋り、切れ長の目が含んだように細められた。蒼ざめた顔を見られなくて良かったと思いつつ、インターホンのボタンを押す指に力を籠める。

「なぜそれを」

(「うちの妹も同じようにいなくなったんです」)

 風呂場じゃなくて玄関先ですけど、と付け足された言葉は、だが右から左へ素通りした。突き動かされるように口にする。

「……どうぞ、お入り下さい。お話は中で聞きます」

 玄関の引き戸の鍵を外して開けると、思ったよりも大柄で、それでいて親しみやすそうな男がそこにいた。

「おじゃまします」

 運動選手のようにきっちり一礼して、彼が中に入る。上がってもらうのはさすがに躊躇していると、持っていた紙袋が差し出された。

「これ、どうぞ。手紙と粗品です」

 若草色の紙袋を覗けば、妙な形の水引で結んだ封筒と革製のケース。それにお饅頭らしき小さな菓子折りが入っている。

「うちの地元のですわ。定番で申し訳ないですけど」

「あの……」

「ここ、座らせてもらっていいですか?」

 そう尋ね、彼は許可も待たずさっさと上がり框(かまち)に腰掛けた。手を擦り合わせ「ひゃあ寒かった」などと言われれば、仕方なくすぐ傍の部屋のファンヒーターを移動させる。

 ぼぼぼ、という灯油臭い音とともに、温められた風がその場の冷気をわずかに和らげた。

「あの、どういった方でしょう?」

「実は、ぼく代理なんですわ。妹に頼まれたんです」

 ぴくり、と自分の眉が動くのが分かった。

「妹さん、いなくなりはったんと違いますの?」

「いなくなりました。で、こないだ突然帰って、またおらんなりました。もう……戻らんでしょう」

「どういうことです?」

「たぶん話しても信じてもらえないと思います。由梨亜さんがお風呂上りに突然消えたことを信じてもらえなかったように……。それに事実ゆうのは、知ったところで納得できるもんでもないんです」

 聞き慣れたものとは違う訛りで、少し寂しそうに彼が言う。これで騙すつもりなら、相当の役者だ。ワークブーツの先に視線を落とし、続けた。

「由梨亜さん、亡くなられたそうですわ。亡くなるところを目撃したわけじゃないらしいですが、妹が遺体を見たそうです。穏やかな顔だったと言うてました」

「それは一体どこの話なんですか?」

 沈黙が降りる。勿体ぶっているのではなく、本当に話したくなさそうだ。ここまで来ながらだんまりというのもなんとなく癪に障り、わたしは荷物を脇へ置いて彼の隣に両膝を据えた。

「教えてください。荒唐無稽な話なら慣れてます」

「……へえ?」

「辻由梨亜は父の兄の娘です。従姉がいなくなってからずっと霊能者やらテレビ局やら詐欺師やらが代わる代わる来て、いろんな話をしていきました。今さら少々のことでは驚きません」

「ほうですか。それは災難じゃったですね。……分かりました、話します。その前に――」

 言いにくそうに口ごもる。

「あの、お手洗いお借りしていいですか?」

「え、ええ。どうぞ」

「あ、案内はいいです。どこのお宅も似たような造りでしょう?」

 立ち上がりかけたわたしを止め、否やを言う間もなく靴を脱いで上がりこむ。折れ曲がった廊下の向こうにすたすたと消える大きな背中を、思わず首を回して見やった。

――なんや、やっぱり不審やわ。なにを企んではるんやろ?

 ダウンの下で、右手を突っ込んだズボンのポケットがやけに盛り上がっていたのが気になる。

――まさかカメラ……盗聴器?

 はっとなり、立ち上がって追いかけた。町家らしい縦長の造りは、左手に坪庭を備えた廊下に沿ってトイレと洗面所、浴室が並ぶ。そのひとつの扉の前で佇む男の姿を見つけて安堵した直後、自分の目を疑った。

 開いた右手に乗せた銀色の玉。それがかすかに光を放ち、ノートほどの大きさの平べったいものを上方に浮かべている。半透明に光る画面を見つめ、ぶつぶつ喋る独り言が聞こえた。

「……なんじゃこら、よう分からんのう。このへんでええんか」

――いいわけない!

 心で叫んで飛び出す。声に発しようとすれば、彼が無造作に風呂場のドアを引き開けた。

「ああ、ここじゃ」

「ちょっと――!」

「辻さん。危ないけん、しっかり退っときんさい……よっ!」

 彼の手が銀色の玉を捻ると、そこから強烈な光が四方へ放射される。あまりの眩しさに悲鳴をあげてへたり込めば、それを宙に投げた彼がドアを閉め、覆い被さるように抱き締めてきた。

 なんともいえない無音が流れる。

 漫画であれば〝シーン〟という擬態語が書き込まれる場面だ。膝を床についているので重くはないが、そのまましばらく体温を伝えてくる相手を軽く睨む。

「……あの、そろそろ」

「ん? ああ、すまん。巻き込まれたらいけんと思うて」

 屈託なく笑い、彼が身を起こす。ドアを開け、風呂場を覗き込む後ろから見れば、そこにはもうあの光は消えていた。異常も何もない。

「ほんまにどこいったか分からんのう。さすが未来の技術じゃわ」

「ちょっと、うちになにをしてくれはったんです?!」

 座り込んだまま詰問すれば、ふり向いた彼が悪戯そうに口の端を持ち上げた。

「異界の扉、閉じたんよ」

「はあっ?!」

「い・か・い・の・と・び・ら。ざっくり言うと、異世界へ繋がるワームホールじゃな。いやあ、巻き込まれんでよかった」

「ちょっと、何を言うてはるのかさっぱり分からへんのですけど?」

 喧嘩腰になるわたしに、少年のような顔でまたも彼が笑う。実に愉しそうに。

「なんやのっ」

「やあ、すまんすまん」

 大きな体を縮こめるように屈めて、片手を差し出してきた。

「ほいでも、今さら少々のことじゃ驚かんのじゃろう……? 辻和紗さん」

 その手をとってしまったことが、わたしの人生の大きな曲がり角だったと言っても、けして過言ではない。



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