終-10
10.未来へ――真紀
さらさら、さらさらと絶え間なく落ちる砂をじっと眺める。
「……なかなか終わらんのう」
「わりに残ってるのねえ」
玄関先に置いた砂時計を覗き込み、兄と母が不満そうに零す。帰る準備は万端だ。
服装は、動きやすくジャケットとストレッチの効いたデニムにした。キャリーケースに手提げが二つ。
ルイスも自分の荷物以外に、お土産の入った袋と母の詰めた正体不明の鞄を提げている。移動の回を追うごとに増えていく荷物の数は、もはや宿命と呼ぶしかない。
兄は未来のものは未来へ返すべきだと主張したけど、王様の親書だけは失礼に当たるからと、父が受け取った。理緒子の家族に携帯も渡してしまったけれど、正直、蝶のはばたきがどこまで未来の竜巻になるか想像がつかない。それに未来の痕跡はいたるところに残っている。
プリクラにみっちょんたちとの写真。家族とも写したし、ルイスは近所の人にも声を掛けられていた。たくさんのこまごまとした蝶の鱗紛を振りまきながら、あたしたちは未来に帰っていく。
そして、なにより重大な課題が残っていた。
「じゃあにーちゃん、よろしくお願いします」
ピンポン玉大の金属球を五つ入れた巾着を渡す。次元迷彩付き超低周波電磁界発生装置(ELFFG-DC)。帰るあたしにはもう扉の破壊ができないため、兄に託すことにしたのだ。
「くれぐれも間違えんように、失くさんように。分解もせんように」
「分かっとるわ」
「ミツキ。すまないが、もし会えればツジ・ユリアさんのご家族によろしく頼む」
「おう。任せときんさい」
ルイスは、ユリアさん用の王様の親書と品物を預けた。兄にすべて任せることになってしまい、いろいろと申し訳なくなにより不安だが、他人には気遣いのできる人だからと自分に言い聞かせた。いなくなった後のことを気にしても、あたしにはもうどうしようもできない。
昨夜、家族やみんなに宛てて手紙を書こうと思ったのだけど、何一つ文章が浮かばなかった。代わりにルイスと撮った写メを印刷したものに一言添えて、自分の机に置いてきていた。
「……そろそろか?」
「あと五分くらいかしらねー」
砂時計を挟んで、真剣な顔で両親が頭を突き合わせる。その間を、扉に巻き込まれないようにリードを付けられてテンションのあがりきったシナモンが駆けずり回っていた。
うろちょろする細長い体を兄が抱き上げる。
「にーちゃん。その、いろいろありがと」
「まあ、どうしてもだめなら抜け道でも見つけて帰って来いや」
あるのか抜け道。最後の最後まで冗談が冴えないとは困ったものだ。
と、兄の携帯がブルブルとバイブ音を響かせた。着信を見、兄が顎をしゃくってドアを促す。
「真紀、ちょっと外出てみぃ」
砂時計の残りを確かめてドアをそっと開ければ、どこからか明るい呼び声が聞こえる。
「……おぅーい。朝野真紀ぃー!」
「黙っていくゆうんは、どーゆーことよー!」
叫びながら走ってくるのは、みっちょん、茜、おタカさん、夕陽、のん、それに他の部員たちだ。
「わあ近所迷惑」
蒼ざめれば案の定、何事かとお隣が顔を出す。年の瀬の朝に突然降って湧いたこの騒ぎと、さらに玄関先に立つあたしとルイスの涼しい恰好と大量の荷物に無言で驚かれた。愛想笑いでごまかすにも限度がある。
――言い訳は家族に任せよう。
苦笑して、住宅街を駆けてくるみんなに手を振って応える。ルイスは荷物で手が挙げられないが、
「じゃあ……せっかくだから、みなさんにお礼を」
と、空いている指をぱちりと鳴らした。
途端、辺りにはらりひらりと舞い落ちる光の欠片。残り少ない砂時計を補充するように、だけど確かに違う輝きを放って落ちるそれは、冬の青空に幻想的なイルミネーションとなって彩った。
「ルイス、これ魔法光?」
「そう。雪がきれいだったから、真似をしてみたんだ」
「こっちに魔法ないんじゃないの?」
「ないわけじゃなかったんだ。違う形であるんだよ。実はミツキが〝崩壊〟と言ったことから気付いたんだけど、地球上にはクオリア素子そのものがない代わりに、それに変換できる物があるんだ」
もうなんか、すごいを通り越して訳が分からない。呆然としていると、家の中から声がかかった。
「おい、真紀。時計時計!」
砂時計を両手に抱え、父が慌てて玄関を降りてくる。ところが、数歩踏み出したところでつっかけが引っかかり、目の前で銀色の柱体が宙を跳ね飛んだ。
「ちょ……!」
思い切り手を伸ばす。
まるでこの時計が壊れたら、時が止まってしまうような――あっちの世界との絆が絶たれてしまうような気がして、伸ばした右手に全神経を集中させた。心の中で絶叫する。
――止まれ……止めて、レイン……っ!!
辺りを舞い落ちる魔法光が、ふっと黄金の閃きに変わる。
《――……やれやれ。二人で帰るとは聞いてないんだけど?》
皮肉な、心に響く声。共鳴するように心で返した。
《れ、レイン……?》
《やっとお目覚めだね。少々寝坊が過ぎるな、お嬢さま》
見ると右腕の鍵が淡く発光し、半分に断ち切られていたはずのそれは、模様のままに渦を巻いてあたしの二の腕全体を包んでいた。
《鍵が……》
《二つに分かれたからどうなるかと思ったけど、特性が分かれたわりに安定しているな。単独でも問題なさそうだ》
《どうゆうこと?》
《簡単に言うと、君たちは0.5+0.5=1ではなく、1×1=1になった、いうことだ》
相変わらず言うことが謎すぎる。
《レイン、今どこにいるの?》
《もちろん[まほら]だよ。まあ時計に限らず、扉を開いた段階で周辺を含めた時間的空間的位置というものは僕の管理下にある、というところまで気付いて欲しかったけど》
いつもの皮肉を言い、意識の片隅で彼が笑う。
《とはいえ、いくら僕でもこちらの三日が限度だ。――これより召喚を行なう》
心を満たしていた思惟が、ざっと金色の吹雪となって舞い上がる。
待って、と呼びかけ、右手が現実の何かを掴んだ。金属の大きな砂時計。残り一握りとなった光る砂粒が、ガラスに沿って最後の煌めきを放つ。
家の中のみんなを見つめ、道をかけてくる友だちをふり向く。そしてまた家族に目を戻した。
「時間……きちゃった。ほんとにいろいろありがとう。みんな元気でね!」
「お世話になりました。コウキさん、約束は守ります」
ルイスが深々と頭を下げた。父が無言で頷く。
荷物を持ち、ルイスの手を握ってその瞬間を待つ。背後から、威勢のいいエールがあたしの背中を後押した。
「――異世界でぶちかまして来い、朝野真紀っ!」
なにをぶちかますのかは疑問だ。だけど、心意気はそうであってもいいだろう。
あたしは十六年間、いや十六年と十ヶ月を過ごした世界とはまったく別の時間と空間と法則の下で、新しいものを作り上げていくのだ。
今はまだゼロ。なれるとしても、あたしはたったひとつのものにしかなれない。
自分という存在だ。
すべてはここから始まる。
******
さわりと、やや丈の伸びた草を踏みしめて大地に立つ。まばゆいほどの太陽と木々の青さ。乾いた風。波立つ木々がやさしく出迎えを奏でる。
冬から夏へ。過去から未来へ。別の星へ。
あたしは帰ってきていた。
そして上げた視線の先――かつて運命的な出会いをもたらした瀟洒な邸宅の大きなフランス窓には、はみ出すほど人が立ち並び、こちらを見ている。
ヘクターさん、アル、オズにアマラさん。レス、イジー、シグバルト。アルノ、ミルテ、アクィナス領主夫妻にユリアミス。ラクエル、シエナ、タク――理緒子。
言葉はない。それでも迎え入れるような笑顔がすべてを語っていた。オズが去り際に見たあの封筒を破り捨て、放り上げる。
そして弾かれるように、焦げ茶色の髪をした小柄な少女が、泣き声に似た歓声をあげて駆け出してきた。
立ち尽くすあたしを傍らから金髪の男が覗き込む。
「マキ、大丈夫か?」
零れそうになる涙をこらえて、心地よいバリトンの主に笑顔を返すと、青い瞳が笑った。
かつてのように広やかな右手が、手のひらを上にして目の前に差し出される。
「――ようこそ、マフォーランドへ」
その手をしっかりと取り、あたしは再びの一歩を踏み出した。
FIN.
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!
本編はこれにて終了です~。最後まで読了ありがとうございました。
みなさまの忍耐に感謝感激です(涙)。
このあとは単独か、この続きかで「0章」を少し載せる予定(まだ続くんか!)ですので、完結済みにはいたしません~。
1週間先くらいでお目にかかれればと思います。
活動報告に後書きのようなものを載せておきますね。
それでは。
みなさま、ありがとうございました!!!
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2012/3/29:終-9を二つに分けました。内容は同じです。