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終-9

9.決断――真紀


 たくさん泣いた。たくさん泣いて悩んで迷って、出した答えはシンプルなものだった。他人によっては後退したようにも逃避にも見えるだろうその選択は、だけど憑き物が落ちたようにあたしの肩の荷を下ろして、胸にすとんと納まった。

 あとは家族を説得するだけだ。

 お土産を買う傍ら、新横浜の駅で母から借りた携帯を使って兄に電話を入れる。親に話す前に相談しておこうと打ち明ければ、いきなりガツンと怒られた。

(「はぁー……おまえは、馬と鹿を何頭飼えば気が済むんよ?」)

「に、二十頭くらい?」

(「たわけ」)

 呆れたようなため息が、機械の向こうから洩れる。

(「おまえは、なんで今頃そうゆう結論に達するんじゃ。遅すぎるわ。分かりきっとることじゃろうが」)

「え……」

(「〝タイムパラドックス〟ゆう言葉を知らんのか。いや知っとるはずよの。こんな常識的なことを知らんほうがおかしい」)

 一人勝手に結論が出され、お説教が続く。

(「ええか、ルイスさんとこの世界は未来。ゆえに過去の人間であるおまえが未来に行くことに支障はない。じゃが、未来の人間が過去に戻ることは許されん。時は逆行して流れることはないんよ。物事は〝原因〟があって〝結果〟がある。〝結果〟が先にやって来たら世の中の法則はすべて破綻する。それは未来を変えてしまうかもしれん。それが〝タイムパラドックス〟よ」)

「し、知ってるよ」

(「分かっとらん。おまえはもう、ここの人間じゃない。未来の人間じゃ」)

「――」

(「この世界におまえの居る場所はない。分かっとるんか」)

「な、なんで……」

(「ええか、未来のものを過去に持ち込むことは因果を破綻させる。じゃけぇルイスさんが持ってきたものも、おまえの友だちの携帯も未来に返さんといけん。

 おまえが未来で生きてきたんなら、それも同じじゃ。おまえ自体がすでに未来のものよ。あほで頭が足りんで馬と鹿を二十頭くらい飼っとるわしの妹のままじゃけど、十月十五日にいなくなった〝朝野真紀〟とはもう別人じゃ。自分でも違うと分かっとるんじゃないんか?」)

 聞きながら考えた。行く前のあたしとの違いに、ひとつだけ決定的に思い当たるものがある。

「[まほら]の鍵……あたし鍵を持ったままだ。腕に、あるの」

(「未来の最たるもんじゃないか。ばかたれが!」)

「だって、気にせんでいいって王様が」

(「頭を働かせえよ。確かに[まほら]本体がないんなら、鍵を持とうが意味はない。じゃが〝バタフライ効果〟いう考え方が世の中にはある。〝ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスでトルネードを引き起こす〟いうカオス理論の一種よ。

 ざっくり言うと、些細な出来事がまったく関係のない大事を引き金になる――そうゆう考え方。おまえの存在は、その蝶じゃ」)

「……うん」

(「まあSF的に言やあ〝過去を改変されたことも歴史のひとつ〟的なオチもないこともない。けどが正直その只中におるわしとしては、お試しされる気にはならん。ゆーわけで、とっとと帰れ」)

「にーちゃん、いいの? 反対じゃないの?」

(「ああ? おまえは人の話を聞いとらんのか、このたわけ!」)

 はい、二度目の〝たわけ〟出ましたー。

(「だいたいな、おまえはこの先こっちで生きてどうするんよ? まさか将来ルイスさんみたいな人とまた出会えるとか、甘いことを考えとるわけじゃなかろうの?」)

「そ、そんなことは思っていない、けど」

(「おまえのために仕事辞めてここまで追いかけて頭下げて、とーちゃんの酒に付きおうてくれるような奇特な人は他におらんで? 断言しちゃるわ。あがいな人と二度とは逢えん。おまえの一生分の運を使い果たしても二度はないわ。おまえの兄を何年やっとる思うんじゃ」)

「十七年、です」

(「腹ん中に入っとるときを含めて賞味十八年じゃ。このわしの言うことに間違いはない。行っとけ。向こうの気が変わらんうちに、頭が混乱しとる今のうちに、さくっともろうてもろうとけ」)

「……うん」

(「土産は買うたか?」)

「うん。家用にシュウマイと月餅。あと向こう用にも洋菓子とか買った」

(「ええじゃろ。とりあえず、とーちゃんは甘いもんを食わせとけばどうにかなる。あとはかーさんか。まあ……どうかできよう。気ぃつけて帰ってこいや」)

「うん、ありがとにーちゃん。じゃ、あとでね」

(「おう」)

 長電話で携帯が熱くなっている。呼応するように高鳴る胸を、あたしは吐息をこぼしてわずかに冷ました。


 夜十時半、大量のお土産を抱えて帰宅したあたしとルイスを待っていたのは、家族会議だ。兄が事前にある程度の話をしてくれたらしい。

 玄関を通りすがりざまに目を向ければ、砂時計はもう八割方が下の段に落ちていた。積もった砂は不思議なことに白っぽく色が変わって、淡い虹色を発していた砂粒も時を追うごとに光を失っているようだ。

 コートを脱ぐのもそこそこにリビングに行くと、両親が無言で向かい合ってお茶を飲んでいた。微妙にこわばる空気の中お土産を並べたものの、お酒と並んで甘い物が好物のはずの父の機嫌は、だが到底緩和されたようではなかった。

 某有名店の月餅を完食した後、激昂するでもなく淡々と父からの詰問がはじまる。

 なぜあちらに行く必要があるのか。

 ここへ帰る前に、すでにあちらの人たちと別れを告げたのではないのか。

 今でないといけない理由はあるのか、などなど。

 ついにはルイスにマフォーランドの情勢や社会保障の話まで聞き出して、話し合いは混迷を極めた。重箱の隅を突くような質問に、ルイスは丁寧にその都度答え、あたしもできるだけ感情を抑えて理緒子とのやりとりを話し、どうして向こうに行く気持ちになったかを語って頭を下げ続けた。

 兄も例のSF的な内容を持ち出して援護射撃をしてくれたけど、さすがに両親はなかなか首を縦に振ってくれない。

「……おまえは自分では一人前のつもりでおるかもしれんが、まだ十七になったばかりよ。これから高校卒業して大学行って一人暮らしもしてみて、社会を学んだ上で決断してもええんじゃないんか。それとも、おまえの言う大事な人たちはそれくらいの時間を待ってくれんのんか?」

 この調子では、明日の朝黙って出て行かないといけないかと暗い気持ちに包まれていると、兄が行き詰まる話題の方向を変えた。

「なんの判断材料にもならんかもしれんけど、その帰るということについてイッコ確かめたいことがあるんじゃけど。――真紀、ちょっと例の砂時計持って来てみぃ」

 下駄箱の上に乗せていた、金属フレームに囲まれた虹色の砂時計を取ってきて卓上に置く。平たい銀の台座に片手を預け、兄が続けた。

「最初にこれを見たとき、なんで時計がいるんか思うたんよ。普通じゃったら三日後に帰るとか言うじゃろ? それに真紀は、帰った瞬間〝今何日?〟って聞いたんよ。つまり……向こうとこっちじゃ時間の流れが違う、ゆーこと」

「ほんまか?」

 目を丸くする父の問いにうなずく。

「うん、向こうでは百日ちょっと経ってたの。言ってなかったっけ?」

「あちらを発った日がちょうど百一日目でした」

 ルイスも口を添える。

「もうイッコ同じ時計を理緒子が持ってて、九割以上の確率で同調してるはずなんよ」

「それで基準になるんか。普通時計を合わせるゆうたら、せめてネジ巻き式とかにするけどな」

「この砂、魔法の元になる微粒子が凝縮されとるんと。だからそれを使うってことは――」

 きらきらと光を失いながら落下する砂粒を眺める。

「砂の自由落下じゃないのう。重力に関係なく微粒子の崩壊速度で時を計っとる、ゆーことか」

 兄の呟きに、あることが頭をかすめる。この砂時計は、クオリア素子を凝縮した法玉にレインが〝全身全霊を籠めてさらにプライドを注ぎ込んで作った〟ものだ。いつも誇大広告気味の妄言が多い彼だけど、ときにそれが言葉通りであることは知っている。つまり。

――これは、あっちのレインと繋がってる……?

 考え込むあたしの隣で、ルイスもまた別の思いを巡らせているようだった。

 ともかく、と兄が話を戻す。

「時間の流れがこっちと違って、向こうのほうが早いゆうことは、五年後に真紀が行ったとしても向こうで十年経っとるゆう可能性もあるわけよ。その間に政権交代でもされたりしたら、今覚悟を決めて思い描いた状況とはまったく違う事態ゆうことにもなってしまうんじゃないんか?」

「でものう」

「とーさんもかーさんも、真紀が向こうに行っとったことを〝外国で勉強させてもろうたようなもん〟ゆうとったじゃないか。同じことよ。将来どう転ぶにしても年とって頭が固うなってから行くよりは、今のうちに行って語学や習慣がきちっと身についたほうがええじゃないか」

 兄の猛攻に父が言葉に詰まる。

「コウキさん」

 静かに呼びかけ、左隣のソファに座るルイスが父に向き直った。

「突然お嬢さんを連れ去った挙句に虫が良すぎるとは分かっています。それでも私にはマキさんが必要なんです。共に暮らし、共に年をとっていきたい。彼女に不自由な思いはさせません。ですから、どうか私と一緒に行くことを認めて下さい」

「娘はこっちではまだ未成年よ。つまり法的に親の保護を必要とする年齢で、たとえ本人の意志があったとしても責任はとれないと判断される立場なわけ」

「はい、彼女から聞きました」

「それでも連れていくんか」

 黙って下を向いたルイスが、突然目の前のテーブルを軽く押しのけ、ソファから降りて床で膝を折った。両手を前につき、覆い被さるようにして頭を下げる。

 ザ・土下座。まさか異世界人のルイスからそんな大技が出るとは思わずに、みんなの目が点になった。

「すみません、マキさんを無理矢理ご家族から引き離したいわけではないんです。ですが、私も彼女を離したくはありません。私が一生をかけて守り抜きます。お嬢さんの一生を私に預けていただけないでしょうか」

「……まあ、待ちんさい。娘の一生は娘のもんよ」

 父がそう返すと、と胸を突かれたようにルイスが頭を上げた。

「これが付き合うてすぐの人と一緒に暮らしたいとか海外に行くとかいうんなら、僕はどこまでも反対するわ。けどが、これは事情が違いすぎる。普通の判断じゃ、ダメなんじゃろうじゃないの。

 光樹の言う〝タイムパラドックス〟のことは僕はよう理解せんけどが、この機会を逃して一生涯娘に恨まれるのも嫌じゃしな?」

 父が、皺の増えた頬をくしゃりと歪める。

「……とーさん」

「一度は死んだと思うた娘が、生きて戻っただけ儲けもんと思わんといけんゆうことか。――真紀」

「はい」

「ルイスさんに全部おんぶに抱っこじゃいけんで? おまえが決めて選んだことじゃ、おまえがしっかりせんといけん。きっちり勉強して周りの人の迷惑にならんようにせんと。ルイスさんのことも、ちゃんとサポートするんで?」

「……うん」

「コウキさん、じゃあ――」

 続くルイスの言葉を父が遮る。

「いくつか条件がある。ひとつ、学校には通わせること。小学校からのやり直しになるかもしれんが、語学、一般常識、歴史、計算やその他そっちの人が一般的に身につけるべき基礎知識の習得をさせること。これが大原則じゃ」

「はい」

「そして、もうひとつ。結婚は真紀がそれを完璧に習得し終わったあと、お互いにそういう意志があれば好きにすればいいわ。まだそっちの常識も知らん間に都合のいいようにされても困るし、真紀にも選ぶ権利はあるしな?」

「は……はい」

「もうひとつ言うとくと、日本の成人は二十歳じゃけね? そこんとこよろしく頼みますわ」

「……はい」

 頷くルイスの頭が再びどんどん下降していく。どうやら説得は、半分は成功して半分が失敗した印象だ(ルイス的に)。

 言いたいことを言ってすっきりしたのか、やっと笑顔になった父が、手のひらでぱしりと膝を叩く。

「よぅし、飲もうか!」

――おぅい、父!

 さすがに突っ込む声はあげられない。が、ルイス一人を犠牲にするわけにもいかずに、お酒の用意に台所に立つ母の後ろから、あたしも手伝いを申し出た。


「……かーさんは、やっぱり反対する?」

 ちくわを半分にカットしながら、話し合いの最中一言も発しなかった母に尋ねる。隣でキュウリを短冊に切りつつ、母が小さくため息をついた。

「高校は卒業したほうがいいわよねえ」

「ごめんなさい」

「あんたは昔から一足飛びに物事を考えすぎるのよ。ちゃんと足元から片付けないと」

「……はい」

「でもまあ、お父さんがいいって言うんだからいいでしょ。あんたも一度決めたら頑固だし」

 短い短冊にしたキュウリがちくわに詰められ、斜めに二等分されて皿に盛られる。固形チーズを細く切って、チーズ詰めも一緒に並べた。あとはお土産のシューマイに冷凍枝豆だ。

「ごはんいるかな?」

「いいわよ、主役はお酒なんだから。それより荷造りは?」

「あ、うん。これから」

「今しときなさい。朝は時間がないんだから」

「分かった。じゃ、あとよろしく」

 日本酒と炭酸飲料でどんちゃん騒ぎをしている男三人を放って、二階の自室に上がる。犬用ベッドに丸まって寝ているシナモンをもふもふ撫でて心を落ち着け、箪笥から旅行用のキャリーケースを取り出した。

――さて、なにを持っていくかな。

 旅行ではない。といって身ひとつで行くわけにもいかない。向こうから持ってきたものを広げて確認しつつ、三日分くらいの私服と身の回り品を選ぶ。少し悩んで制服も詰めた。

 あとは、あるだけの文房具に本。辞書から教科書、小説、漫画まで入るだけ押し込む。手紙は量が多いので諦め、代わりにアルバムから写真を抜き取って三冊ほどの小さいファイルにした。

 後悔はしない。でも、未練は星の数ほどある。

 いくつもの〝if〟を断ち切るように、あたしは自分自身の十七年間を鞄に詰め込んだ。


 気が逸っているのか、朝の五時過ぎには目が覚めてしまい、起きたついでにシナモンの散歩に行った。砂時計は、あとわずか二センチほど。重力は関係ないというが、上からトンと叩いたら瞬く間に落ちてしまいそうだ。

 散歩から帰ると、母がリビングでなにやら荷物を広げていた。

「なにしてるの?」

「あんたの持っていくもの。薬とインスタントとお水と……」

「や、かーさん。それはさすがに」

「用心に越したことはないでしょ。あと向こうさんにお土産と」

「あたしも買ったってば」

「お茶碗にお皿にお箸に……」

 だめだ、完全に混乱してる。母を放ってシナモンに餌をやり、手を洗って朝食の支度を始めた。

 トーストに目玉焼きに果物一品の超簡単メニュー――なんて、最後に手料理くらいは振舞おうと思い立った結果と実力の擦り合わせの結果なだけだけど。

 五人分のトーストとベーコン乗せ目玉焼きを用意し、林檎を剥きながら緑が足りなかったと反省すれば、心を読んだように母がほうれん草を炒めはじめた。

「こういうときはつけ合わせが先」

「……はい」

「包丁ちゃんと変えた?」

「うん」

「教わるときは素直に聞きなさいよ? 口答えと分からないのを聞くのは違うんだから」

「うん……」

 台所に新聞を持った父が現われ、朝シャワーを済ませた兄がやって来て、二度目の酒攻撃を乗り越えたルイスが疲れた顔を見せ、最後の召喚のカウントダウンが始まった。



2012/3/29:長いので二つに分けました。内容は同じです。(題だけけ新しくつけました;)

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