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終-8

後半、視点が変わります。

8.手紙――リオコ


「xxx?」

 タクに話しかけられ、わたしははっとした。また真紀のことを考えていた。顔を上げれば、ゆっくりした口調で、もう一度「水を飲むか?」と身振りを交えて聞いてくる。

「ヤー(はい)。ダンカス、タク(ありがとう、タク)」

 慣れない言葉は、まだ文章には程遠い。それでも真紀と二人で競うように書いたファイルを何度も開いて確かめながら、つたなくても会話はなんとか成立していた。

 タクがにっこり笑って、そこから出て行く。馬車の旅はだいぶ慣れたつもりでいたけど、やっぱりそれも真紀とのなんでもない会話があったからなのだとつくづく思い知る。

――どうしてるかな……。

 ルーズリーフを眺めて、また思いを飛ばした。一人マフォーランドに残ったわたしのことを、王様がどう説明したのかは分からない。だけど二人がいなくなった途端泣きくずれたわたしに、みんなどこか気を遣うように接してくれている。

 真紀はもう、真実を知ってしまっただろうか。

 わたしはずるいから、許してくれることを期待している。そしてわたしが想うように、恋しく思っていて欲しいと。

――ずるいなあ……わたし。

 強くなったつもりだったけど、全然違っていた。来た時代に十年の差があることを言えなかったわたしに、強さなんてあるはずがない。

 帰らないと告げたとき、タクは声を荒げてわたしを怒った。だけど真実を話して、母の手紙を読み聞かせると、残ることに納得はしてくれた。それでも、やっぱり真紀には一言相談するべきだったとぐさりと言われてしまった。

 分かってる、それが正しいってこと。だけど、正しいことばかりできるわけじゃない。

 明るい陽射しが降り注ぐ止まった車窓に目をやり、少し日除けを下ろした。

 ため息を吐いて、ファイルに挟んだよれよれの手紙を手に取る。読み返しすぎて、内容を憶えてしまったほどのそれを再び開いた。


------

理緒子へ


 突然の手紙で驚いたことでしょう。

 正直わたしは、この手紙があなたに見つからないことを心のどこかで祈っています。でも読んでいるということは、あなたの身にそのことが起こったということだと思います。


 理緒子、わたしたちはあなたが今どんな状況に置かれているか、知っています。

 あなたは今、わたしたちのいる世界とは別の世界にいるのですね。そこの国の名は〝マフォーランド〟というのだと聞きました。世界は暑く乾いて、雨を必要としていると。そのためにあなたが喚び出されたのだそうですね。

 このことをわたしたちに教えてくれたのは、十年前に逢った一組のカップルです。

 クリスマスから風邪を引いて、年末におばあちゃんの家にいけなかったときのことを覚えていますか? あの朝突然電話がかかり、あなたに会わせてもらえないかと言われたのです。ちょうどそのときパパは、おばあちゃんのところの手伝いに行って留守で、風邪の治りたてのあなたとわたしが二人で家にいたときのことでした。

 その電話相手が、あなたの顔を見るだけもいいからとあまりにしつこく言うので、仕方なくわたしは近くのファミリーレストランで待ち合わせることを承知しました。


 やって来た子は、まだ高校生のようでした。背が高めで、どこか中性的なきりっとした印象の女の子です。男の人は金髪の外国の人で、その子とは少し年が離れているようでした。言葉には問題ありませんでした。なんでも翻訳する指環があるとか。

 ともかく、話をしたのは大部分が女の子のほうでした。一生懸命に喋ってくれたのですが、その内容は詐欺かと思うほど荒唐無稽で、聞き終わってもなにが言いたいのかさっぱり分かりませんでした。お詫びにと差し出された品物も、受け取る気にもならず断りました。

「なにをしに来たの?」とわたしが聞くと、

「信じてもらえなくてもいいんです。あたしは理緒子と、彼女を育ててくれたご両親にどうしてもお礼が言いたかっただけですから。

 お話ししたのは、なぜお礼を言いたいか分かってもらえたほうがいいかと思ったからです。混乱させてすみません」

 そう言い、その子は一粒涙をこぼしました。それはなぜか、とても澄んでいるように見えました。

 しかもわざわざ広島から来て、その日には帰るというのです。

「なぜそうまでするの?」と問えば、

「友だちですから」とその子は迷いもなく、真剣そのものの顔で答えました。


 あなたも大きくなったら分かるでしょうが、あなたの今の年頃にできた友だちというのは、一生の財産です。そのときわたしは、小さいあなたが将来それを手にできるのだと思うと、疑っていたはずなのに胸が熱くなるのを感じました。

 それから三人でいろいろ話をしました。あなたは彼女にいろんなことを話したのですね。わたしたちをパパ・ママと呼ぶこと、わたしが[Crys†allize]のクリスのファンだということ。(金髪の彼が来たのは、あなたの差し金ですか? クリスよりずっとかっこよかった!)

 あなたが小学校四年生からいじめを受けること。それに負けずに登校して、中学受験をして離れた進学校へ通うこと。彼氏ができること。

 そして今……とても大事な人がいること。相手の人はとっても真面目な人で、別の世界から来たあなたをいつも気遣って守ってくれるナイトみたいな人だということ。

 お裁縫や料理を披露して、みんなに喜ばれたこと。

 立派に〝異界の乙女〟の役目を果たして、マフォーランドに雨を降らすことに成功したこと。

 実はマフォーランドが日本人の子孫が創った国で、異世界というのは未来の別の惑星だということ。


 正直、信じられる内容ではありませんでした。ですが、そのときは聞き入ってしまうほどの力をその子は持っていたのです。帰ってから、パパやあなたに話すのに忘れないようにメモ書きをしながら、想像を超えた内容に我ながら唖然としてしまったのを覚えています。

 お店ではとうとう三時間ほど喋り、外でも少し話して、その子たちとは別れました。それ以来、会っていません。

 実はあのとき、わたしは二人からあなたの手紙と携帯、それに〝異界の扉を破壊する装置〟を預かっていました。でも話を聞かせたパパも全然信じる気がなくて、しばらくはそれも忘れていたのです。

 ですがあなたが小学校にあがり、中学受験をして新しい学校に通いはじめ、ふとそのことを思い出しました。メモやそれらの品物とつき合わせて現実との符合に気付くのに、そう時間はかかりませんでした。

 このままでは十六歳になった十月十五日に、あなたは異世界へ行ってしまう。

 わたしたちは何度も話し合いをして、おばあちゃんにも相談をしました。だけど何度話し合っても結論は出ませんでした。わたしたちは娘を一生失うか、娘の一生の道を変えさせるかの岐路にいたのです。

 そしてとうとう前日になり、パパが言いました。

「家族は離れていても家族でいられる。だけど、友だちや好きな人はそうはいかない。一生大事にしたいと思える相手に巡りあう機会はそうあることじゃない。

 自分が必要とし、相手に必要とされる場所に行くというなら、送り出そう。君が見たその子の眼を、僕も信じよう」と。


 これがわたしたちの結論です。そして今、わたしはあなたに向けた手紙を書いています。

 本音を言えば、その日はあなたを閉じ込めて一生わたしたちだけの娘にしておきたい。そう思う心を止めることができません。

 だけど一方で、あなたが羽ばたくことを止める権利は親にはないのだという気持ちでもいます。


 あなたにはあまり話したことがありませんが、わたしには心の友と呼べる親友がいました。自由奔放で、でも寂しがり屋の彼女とは、親にも言えないような秘密をいくつも抱え合ったものです。

 理緒子。この名前の由来をあなたには〝理(ことわり)の初めの子〟だと教えてきましたが、実はもうひとつ意味があるんです。

 わたしの親友の名前は〝緒子(なおこ)〟。そう、わたしの名前の〝理奈(りな)〟と合わせた名前が〝理緒子〟なのです。素敵でしょう? これはパパも知らない、緒子との二人だけの秘密です。

 彼女とはもう離れ離れでめったに会うことはないけれど、今も親友であることに変わりはありません。彼女もわたしを親友だと思ってくれていると知っているから。

 心のどこかで、細いけれど確かな糸が繋がっているのを感じると、きっと同じ空のどこかで彼女も頑張っていると思うと、それだけで強くなれる。親友とは、そんな存在だと思います。


 理緒子、もしあなたがここではない別に世界に行くことで、そんな人と巡り会えるのなら――そしてわたしにとってのパパのような人と出逢えるのなら。これほど素晴らしいことはありません。

 あなたはいつもどこか少し引っ込み思案で、周りを気にする癖があるけれど、どうか自信を持って自分の心のままに生きてください。

 あなたの人生は、あなたのものです。自分だけの幸せを精一杯掴み取ってください。あなたが幸せでいることがわたしたちの願いです。

 パパとママのことは心配しないで大丈夫。二人で、大人になった理緒子を想像しながら、ゆっくり生きていきます。そしてまたいつか、未来で会いましょう。


 長くなってしまいましたが、このへんで。

 くれぐれも体にだけは気をつけてください。自分を大事にね。

 いつまでもずっと遠くから理緒子のことを見守っています。


   ママより

------


 ぽた、と涙がひとつぶ便箋に落ちた。慌ててハンカチで拭う。だけど読み返すたびに溢れる涙で、もうママの字はところどころ滲んでしまっていた。

 これ以上汚さないようにと、隣に置いていた学生鞄に皺をのばして納める。本当はこの鞄も持って行ってもらったほうがいいのかとも考えたけど、向こうの世界のものを全部手放すのも心細かった。

 一番上に入れていた、色あせた肌身守りを手に取る。

――そういえば、これをくれたのはママの友だち……だったような。

 昔のことで、はっきりとは思い出せない。記憶の中でぼんやりとした輪郭を描くその人が、〝ナオコさん〟なんだろうか。忘れられないのは、わたしをずっと支え続けてくれた言葉だけ。


「――辛いことがあっても、絶対理緒子なら乗り越えられるよ」


 希望ではなく確信をもって告げられた言葉。そして――。


「――たとえ、この先なにがあっても、あたしは……の友だちだから」


――え……。

 繋がったキーワードに思考が混乱する。

 これは本当に正しい記憶なんだろうか。期待とおぼろな過去の声が交錯して不安になり、手の中のお守りをぎゅっと握った。

 木のコップを持ったタクが馬車の扉から顔を出す。

『リオコ。水を持ってきた』

 時が、止まった。滂沱と溢れる涙を、もうわたしは止めることができない。

――この手の中にあるものは……――。

 握りしめた拳を、そっと開く。固く蝶々結びされた色褪たピンクの花柄の巾着袋。たどたどしい手縫いの跡。

 震える唇で、言葉を発する。魔法と未来の技術で変換された言葉を。

『……タク。わたしの言葉、分かる……?』

『リオコ、これはいったい――』

 気付いたタクが、驚きのあまり転がり込むようにして隣にきた。コップを窓際の小さな台に置き、わたしが握り締めているそれを摘み上げる。年月が経って解きようのない結び目を小刀で切り、袋を開けると、少し黄ばんだ綿に包まれたものが出てきた。

 綿を開けば、そこにはやや黒ずんだ銀色の指環がひとつ。嵌まる石は深い赤。

 指環には、ぼろぼろになった小さな小さなメモが添えられていた。

〝ずっと友だちだよ。 真紀〟

――真紀ちゃん……。

 もうなにも憚るものはなかった。十年という月日を飛び越えて受け取った指環を握り締め、わたしは声をあげてタクの胸で泣いた。

――真紀ちゃん……真紀ちゃん。逢いたいよ……!


******


 六歳の理緒子は、めちゃめちゃかわいかった。コーヒーブラウンの髪はもっとくるくるほわほわで、桃色のほっぺたもぷっくりしている。でも人を窺うように見上げる目は同じだと思った。

 理緒子のお母さんはよく似たやわらかい雰囲気の人で、突然のことなのにあたしたちを拒むこともなく、わりと冷静に話を聞いてくれた。完全に信じてはもらえなかったけど、理緒子と逢える時間を作ってくれただけでもありがたかった。

 王様の親書とネックレスは受け取ってもらえなかった。でも理緒子からの手紙と携帯、そして異界の扉を壊す装置・ELFFG-DCはどうにか渡すことができた。

 ELFFG-DCを理緒子の両親に預けると、もしかしたら十年後、理緒子はマフォーランドに来ないかもしれない。だけど向こうのご家族を巻き込むのならきちんと全部を伝えるべきだと、兄とルイスとも話した結果、渡すことにしたのだ。

 渡したものは他にもある。理緒子の携帯から移した写真を兄が夜なべで印刷したものと、もうひとつ。

「……はい、理緒子ちゃん。お守りあげる」

 かわいらしい小さな手に、手作りのピンクの巾着袋を乗せる。理緒子に教えてもらって自分用にと作ったお守り袋を渡すことに、矛盾を感じないわけじゃない。それでも理緒子に渡すべきだと思ったのだ。

 紅い魔法話の指環を。

「これから大きくなったらさ、きっといろんなことが起きるよ。楽しいことだけじゃない、辛いことも哀しいことも逃げたいこともいっぱいあると思う。だけどね」

 これはあたしのエゴだ。指環には理緒子を守ってくれる力はない。それでも持っていて欲しい――いつかのために。あたしの想いが届くように。

「辛いことがあっても、絶対理緒子なら乗り越えられるよ。理緒子にはすごく強い力が眠ってるって、あたし知ってるの。だから大丈夫」

 いつか、未来で会えることをあたしは願ってる。

「たとえ、この先なにがあっても、あたしは理緒子の友だちだから」

 逢いたい。今すぐ十年後に飛んでいって、理緒子に会いたい。

 あたしが召喚されたのは偶然。だけど、きっと理緒子は――あたしが喚んだんだ。

 十年の時を超えて、あたしたちが再び出逢うために。


 雪のちらつく公園から理緒子がお母さんと去ってからも、あたしはその場に立ち続けた。ルイスが背後から腰を回して抱き締める。

「マキ、体が冷えてる。もう行こう」

「……そうだね。帰ろう、ルイス」

 くるりとふり向いて彼を見上げる。

「帰ろう、マフォーランドに」



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