終-6
あと4節でおしまいです。
月内には終わるよう連続投稿をしようと思っていますので(現在推敲中)、よろしくお願いいたします。
6.真実――真紀
レインは女二人でも姦しいと言っていたけど、女六人揃ったところに見目麗しいメンズが加われば、ほぼ阿鼻叫喚と化すってものだ。テンションが下がる気配などない。文句をつけるどころか、意気投合しすぎて半分あたしは置いてけぼりだ。
最初はみんなの好奇心を満たすべく、二人の出逢いや告白などが根掘り葉掘り聞かれたのだけど。
「そういえば今日どこにご飯食べに行ったの?」
というあたしの問いに、ルイスがMではじまる某ハンバーガー屋をあげたことから軌道が大幅にずれた。
「なんでハンバーガーなんですか?」
「なにを食べたいか聞かれて、こっちの世界の食事が他に分からなかったから」
ハンバーガーは理緒子が最初に作った地球料理?だからね。
「どうでした?」
「うん、面白かったよ。そのあとは〝げーせん〟に行ってきた」
キミタチは人が必死で頭下げて回っている間なにをやっているんだ、まったく。
――やっぱり兄は実刑に処そう。
不穏な考えが顔に出たのか、ルイスが少し困った顔をした。
「ミツキが日本文化を学べというから」
「まあ向こうには絶対ないだろうけどさ。おもしろかった?」
「わりと。でも音がうるさかったな。……あ、お土産があるんだ。はい」
ダウンのポケットから現われたのは、トラのぬいぐるみだ。「来年の干支だって」と、あたしの手に乗せるルイスのどこか得意げな笑顔。
こんなところで暴露されるなんてと拳を握りしめたい気持ちと格闘していると、続いて数枚のシートが差し出された。
「これもお土産」
「……」
怒りのあまり、トラを持つ手がふるふると震える。どうしたのと夕陽が覗き、黄色を通り越したけたたましい悲鳴をあげた。
「きゃああぁ~、なにこれええぇっ!」
ルイスが手渡したのは、なんとプリクラ。しかも兄とツーショットだ。
――兄めえええっ、絶対しばく!!
きらきらのハートフレームに囲まれた男二人は、頬を寄せ合い、裏ピーしたキメ顔でこちらを見ている。色違いで二種類あり、その完成度にあたしは地の果てに辿り着きそうなほど打ちのめされた。
うおおお!と日頃冷静な茜の口から雄たけびがあがる。
「やばいわ、やばすぎる。朝野先輩ぐっじょぶ!」
「ちょっと大人の[Crys†allize]みたいじゃない?」
「ありえん! 本気でありえん!」
「やーん、あたし欲しいぃ~」
「つか売れるわ」
みんながきゃいきゃい言っている中、あたし一人が「ありえない!」を連呼した。
「ありえないっ。なんでルイス、にーちゃんとプリクラ撮ってんの?」
「記念だからって」
「だったら一人で撮ろうよ! にーちゃんなんか腐るほど彼女とプリクラ撮ってんのに、なんでルイスと最初に撮っちゃうんだよ、もうっ。信じらんない!」
「ええと、ごめん」
「しかも洋服買いに行ってご飯食べてゲーセン行ってプリクラって……っ!」
拳を突き上げて叫べば、うむうむと女子高生一同がうなずく。
「まさに王道、いや鉄板のデートコースですなあ」
「青春ですなあ」
「……言うてくれるな皆の衆」
あたしの立場って、と机に突っ伏していると、ルイスが心得顔で両手を打ち合わせた。
「ああ、マキも一緒に撮りたかった?」
「いーよ。ルイスはにーちゃんとラブラブしてれば」
ぽいっとトラのぬいぐるみを投げれば、片手で受け止められる。
「マキ。ミツキは君のお兄さんだろう? 仲良くしてなにがいけないんだ?」
「正攻法で責めんで。あたしだって、ここにユリちゃんいたら一緒にプリクラ撮ってるわ。……はぁ~もう。せっかく二人で時間とれると思ったのに」
だって付き合ってるのに、まだ一度もデートしてないんだよ? 「節度は守る!」なんて言っちゃったし恋愛初心者だけど、なにもイベントなくても二人きりになりたいと思うんだよ。
これじゃ恋人どころか友達未満だ、と机に頭をぶつけてふてくされていたら、ルイスが軽くため息を吐いてプリクラをひらつさせた。
「じゃあ、これは捨てるから。新しいのを一緒に撮ろう?」
「――お言葉ですが、ルイスさん。捨てるくらいなら下さい。記念にします」
すかさず、みっちょんが手を出す。さすがしっかり者のコーラス部長だ。
「こんなものでいいの?」
「はい。真紀のほうは写メ撮って機嫌とっておきますから」
ほら、と促され、あたしはしぶしぶ顔をあげた。みっちょんが鮮やかなブルーの携帯を構える。
「撮った写メ、朝野先輩に送っとくけぇ。そこからデータもらい」
「……うん。でも、みんなとも撮る」
「あたりまえ」
にっとみっちょんが笑う。みんなの携帯を駆使して行なわれた撮影は、何枚になったか分からないくらいで。そしてそのうちの十数枚が、復讐を兼ねて一枚ずつ兄の携帯に送られた。
プリクラを切り分けたり、ルイスのリクエストでコーラスを披露しているうちに時間は思いのほか経っていた。気がつくと四時半を回っている。
「わあ、やばい。帰らんと」
「ごめん、みんな遅くなった」
謝れば、スポーツバッグを肩から斜め掛けしたみっちょんが笑顔で首を振った。
「ええよ。今日は特別。他のみんなにもメールしとくけね?」
「うん、ありがと」
「あんたもいい加減、携帯持ちぃ」
「つかGPS埋め込み。あ、異世界行ったら意味ないか」
あはは、と笑い合い喋りながら、みんなで音楽室を出る。ルイスももこもこの不審者姿に戻り、後ろに続いた。階段を下りる途中、誰もいない教室を少しだけ覗く。人数は全然足りてないけど、みんなの声が明るく校舎を跳ねて懐かしさを誘った。
校庭にはもう吉沢の姿はなくて、校門でみんなと別れる。
「ほいじゃあ、うちらはここで。あとは二人で仲良く帰りぃ」
「じゃあねー。ルイスさん、バイバイ」
「もう逃亡せんのよ?」
「よいお年を! また来年ね」
「ちゃんと部活出てきんさいよー」
口々に言うみんなに手を振り返す。
「じゃあね、みんなありがとー」
「ありがとう」
〝バイバイ〟の習慣がないらしいルイスも、ぎこちなく手をひらひらさせる。二人並んで歩きはじめた。
「ルイス、マフラー苦しくない?」
「平気。みんななんであんなに薄着でいられるか分からない。この世界は寒すぎる」
長いマフラーを鼻まで巻き、深々と帽子を被ったルイスは目だけが出ている状態だ。常夏のマフォーランドと比べたら極寒の地なのは分かるけど、ここまで寒がるとは思わなかった。
「寒くて肌がひりひりする」
「乾燥するんだよ。じゃあ、ほら」
足を止め、毛糸の手袋を嵌めた手でルイスの両頬を包む。
「あったかい?」
「うん……」
照れ臭そうにルイスが青い目を細める。その手をとられ、そのまま路地陰に引っ張られたと思えば、驚く間もなく唇が重なる。触れ合う場所の温度が上がりきったころ、ようやく口の先だけが離れた。
「……近くに公園があるの。寄ってく?」
もうちょっとお互いを感じていたくてそう言うと、ルイスが承知した。手を繋ぎ、帰り道からやや外れた小さな公園に向かう。ブランコと滑り台とベンチしかない公園は誰もおらず、褪せた茂みと冷えきった静寂とに囲まれていた。
すっかり葉の落とした大きな欅の陰に二人で寄り添う。マフラーを緩めたルイスが、ミトンを嵌めた手を差し出しかけて眉をひそめた。
「じゃまだな」
ミトンを脱いでポケットに突っ込み、もどかしそうに素手であたしの顔を引き寄せる。二ヶ月。この温もりに飢えていたんだと思えば、外なんてことはどうでもよかった。間で押し潰されるコートとダウンジャケットの厚みが、今だけ邪魔だ。
大人のキスはまだ慣れない。すっかり息が上がって吐息を洩らせば、たち籠もる白い湯気の向こうでルイスが笑った。赤くなった頬を寄せる。
「寒い気候のいいところをひとつ発見した」
「なに?」
「君とこうやってくっついていても、言い訳ができる」
ぎゅう、と押し潰されそうな抱擁が嬉しかった。脇の下から腕を回す。
「……ルイス。一緒にこっちに来てくれてありがと」
「しつこいと嫌われるかと思った」
「嫌わないよ。会えない間、すっごく寂しかった」
「私もだ」
自分の体に形状記憶されるくらいルイスを感じる。首、肩、胸、お腹、腕。温もり、匂い。ときおり風にあおられて絡みつく細い金髪の冷たさすら、愛おしかった。
「マキ。私は、おそらく明後日には帰る」
返事の代わりに、しがみつく手に力を籠める。
「一週間くらいはいられるかと期待したけど、今朝の砂の落ち方を見ると二日と保たない。……お別れだ」
「居ればいいじゃん。ずっと居て、こっちで暮らせばいいじゃん。魔法士辞めてきちゃったんでしょ? だったら、こっちで就職しちゃえば?」
分かってる、これはただの我が儘だってこと。だけどもう言わないで後悔したり、一人でぐるぐる想いを閉じ込めておくなんてできなかった。
「ルイスなら、きっと大丈夫だよ。仕事見つかるまで一緒にうちに住めばいいじゃん」
「マキ、私は魔法士だ。この世界に魔法はない。なにも、感じないんだ」
レインが〝クオリア素子〟と名付けた、魔法の源となる物質。なぜそれがマフォーランドにはあって、この地球上に存在しないのかは分からない。星が異なるからか、はたまた未来になにか変化があるのか――凡人であるあたしには、なにひとつ考えつくことはない。
分かるのは、ただひとつ。ここではルイスは魔法士として働くことが出来ないってこと。
「いいじゃん、魔法士じゃなくても。あたし、ルイスが魔法士だから好きになったんじゃないよ? 他にできることだって絶対あるよ。あるに決まってるよ……」
「マキ」
「ねえルイス。あたしじゃだめ? あたしじゃ、ルイスのお家になれないの……?」
言いつのる声が涙で曇る。分かってる、分かってる。本当はここで嫌な態度をとってでも、ルイスが心残りなく向こうの世界に帰れるように、きっぱりさっぱり見送ってあげるのがいいんだって。
だけどあたしはやっぱり子どもで――迷惑かけないようにと思った理想の防波堤は、あっさりと決壊した。ぐずぐず泣き出したあたしの頭を、ルイスが手のひらで肩口に抱え込む。
「……まいったな。本当に、ここにずっと居たくなってきた」
「困らせてごめん。だけど……」
「ううん。嬉しいよ。すごく嬉しい」
耳元で籠もるルイスの声が、ほんのわずか潤んでいる気がした。
「本当はもう少しここに長く居られたら、君とご両親を説得して、君を一緒に連れて帰るつもりだった。さすがにあと一日半では叶いそうにないな」
「ルイス、いつこっちに来ること決めたの?」
「実はぎりぎりまで迷っていたんだ。王の親書とお詫びの品を用意することはわりに早くから決まっていたけど、それを持参して謝罪することはただの自己満足じゃないかと思ってね。それに下心もあったし」
「下心?」
「大事なお嬢さんと付き合っている相手が良識のある誠実な人間だと、君の家族に思われたかったってこと」
照れ隠しなのか、やや早口でまくしたてたルイスの表情は見えない。顔を見たら絶対に幻の耳が垂れていそうだと思いつつ、金色の頭を撫でる。
「友だちって紹介して、ごめんなさい」
「どうして? 男性の友人というのは交際している相手を指すんだろう?」
男性の友人=ボーイフレンドか。どこからそんなネタを仕入れてきたんだろうと疑問を感じて、すぐに打ち消す。出所といったらひとつ、傲岸不遜なひねくれ大王のレインだ。
「まあ家族中にばれたしね」
「まさか、あんなに飲まされるとは思わなかった。久しぶりに腰が抜けるくらい飲んだよ」
それでも飲んでいる間も敬語が崩れることはなく、自分で歩いて客間に帰って布団に入って寝たというのだから、ルイスも相当酒に強いようだ。
「ごめんね? とーさん調子に乗っちゃって」
「いや、楽しかったよ。お酒も美味しかったし……初めての味だったけど」
言い、ふっとルイスが言葉を切った。あたしの頭に頬をつける。
「今日街に出て〝車〟を見たよ。前に君が言っていたことが、少しだけ分かった」
前というのは、初めて飛行船に乗ったとき『どうして車がないの?』と質問攻めにしたことだろう。
「来る前に多少はこの世界のことを勉強したつもりでいたけど、想像するのと現実はまったく違うんだな。君に不自由はさせないつもりでいたのに、まるで雲泥の差だ」
「あたし、ぜんぜん不自由じゃなかったよ? すごく良くしてもらったし」
「だが、ここでは与えられるものの質も量も違う。通信網や情報網も早いし豊富だ。私はそれらすべてを理解したわけではないけど、あの便利さの中に居た君やリオコが、あちらの暮らしに文句を言わなかったことがむしろ不思議なくらいだ」
「だって、なかったらないでしょうがないじゃん」
「その割り切り方は、血なんだな。君のご家族はみんな度胸が据わっている。こんな奇妙な状況を受け入れてくれるんだから」
「みっちょんたちとだって仲良くなったでしょ?」
「……君の周りが特異なのかな」
もうっと回した手で背中をぶてば、頭の上でルイスの笑声が流れた。
「ねえルイス。聖地から戻って、なかなか二人でゆっくりできなかったでしょ? だからこっちにいる間だけは、ルイスを独り占めしていい?」
「もちろん。そのために来たんだから」
どうしても顔を見たくて頭をねじって上向けば、笑みくずれるルイスの顎のラインが目に入った。間で絡まる金髪を指先で払うとそこに、ふわりと止まる白い結晶。
「実は最終的に私が来ることを決めたのは、リオコの後押しがあったからなんだ」
「え……」
「召還の前日わざわざ訪ねてきて、帰らないと教えてくれたんだよ。そのうえで、できれば君と帰って欲しいと告げられたんだ」
「なんで……ルイスはなにか理由聞いた?」
「答えてくれなかったよ。ただ、自分に勇気がなくてマキを傷つけることになると思う。だから、そのときは私が傍で支えて欲しい――と。私は最初、一緒に帰還しないことを言っているのかと思ったんだ。だが今は、違う気がしている」
「あの手紙と関係あるのかな……」
雪が舞う。ひとつ、ふたつ、みっつ。ひらひらと風もないのに漂い、彷徨いながら天から落ちてくる。
「ルイス。あたし明日理緒子の家に行ってみようと思うの。手紙も携帯も、送るより直接会ってご両親に渡したほうが喜ばれると思うし」
「ああ。私も行こう」
よかった、と白い息をこぼせば、少し冷えた唇にルイスが軽くキスを落としてきた。
「私を独り占めするんだろう? 残念ながら、私は君を独り占めできなさそうだけど」
「なんで? あたしは最初からルイスのだよ。いらなくても押し売るのに」
「よく言う。今日は半日私を置き去りにしたくせに」
青い瞳が、わりと真面目にあたしを見下ろす。
「置いてかれたの、怒ってた?」
「君とずっと一緒にいるはずの計画が台無しだ」
真剣な顔に真剣な口調。端から見ればお説教なのだけど、内容が内容だけにあたしはつい笑ってしまった。
「笑い事じゃないんだぞ? せっかく持ってきたお土産も怒られてしまうし」
「ご、ごめん。そんなに気を遣ってくれてたとは思わなくて」
「帰ってきたばかりでいろいろ付き合いがあるのは分かるけど、君はすぐ余所見をする。……心配なんだ。この二ヶ月、私が王子や近衛の存在を気にしなかったとでも思うのか?」
あたしの前髪をかきあげ、またキスを落とす。
「お願いだから、ここに居る間だけは私だけを見てくれ」
『――マキどの。どうかあやつの傍をいつまでも照らし続けてください』
脳裏に呼び起こされるオズの声。
『―― 一度温められて融けた氷は、もう元には戻りませぬゆえ』
――あたしはいつまでルイスを照らせるんだろう。
白く淡く降りかかる無数の雪の粒。現われては消え、ふいに止まり、また溶ける。
金色の睫毛にのったひとひらを指先で払った。
「あたしはずっとルイスだけだよ。他なんて忘れるくらい、あたしをルイスでいっぱいにして……?」
「君の口から言われると、破壊的だな」
「破壊的?」
「私の理性を粉々にする」
それは口付けというより、お互いを食らい尽くす交歓。確実に雪色に包まれながら、だけど二人の間だけは熱く滾りつづけたまま、あたしたちはしばらくその場から動かなかった。
時の流れが、この降りしきる雪で一瞬でも凍りつくことを願いながら。
その夜は外食。向かう先は車で十分のお好み焼き屋さんだ。
[まほら]に居た時から念願だったそのメニューは、だけどあたしの機嫌を改善するには少々足りなかった。原因は、やっぱり兄である。なんと頼んでいたはずの理緒子の携帯の充電をきれいさっぱり忘れていたのだ。
「ありえん。ほんまにありえん。ルイスとプリクラよりもありえない! 自転車こいで発電するんじゃないんよ? 充電器に差しておけば済むことよ? コンセント差し忘れたならまだ分かるけど、普通まるっと忘れるもの??」
「まあまあ、わざとじゃないんじゃけ。そがいに怒りなさんな」
「でも今日中にあの携帯で理緒子のご両親に連絡とって、明日には手紙を渡しに行きたかったのに!」
「今からでも間に合うわよ。向こうさんだって、昼間より夕方に連絡もらうほうがご都合がいいかもしれないじゃないの。帰る頃には充電終わってるわ」
「うー。にーちゃんに頼んだあたしがばかだった……」
父と母になだめられ、あたしは鉄板のお好み焼き(肉玉そば)に向けて昼間の鬱憤も合わせた文句をたらたらと垂れ流した。カウンターで横一列に並ぶ一番端で、一人ダブルを頼んだ兄がぼそりと呟く。
「やいやい言うなぃや。済んだことよ」
目だけで睨み、あたしは反論を止めた。これが家ならば徹底的にやり合うのだけど、ルイスもいることだし、なにより外出先だ。兄は妹に対してだけ恐ろしく二重人格なのである。
に、しても反論が少なすぎる。自分の非を認める性分ではないのにと訝みつつも、目の前の香ばしい料理に気持ちを切り替えた。
キツネ色の丸い生地の上で踊る、茶色いソースに青海苔にかつおぶし。これですよ、これ。
肉玉そばの半分を四等分し、どれだけ饂飩好きなのか肉玉うどんを頼んだ左隣の母と、父と同じスペシャル(イカ・エビ入り肉玉そば)を頼んだ右隣のルイスと物々交換する。
「ルイス、お箸大丈夫?」
「それより熱くて食べられない」
じゅうじゅうといい音をさせる鉄板を恨めしそうに見ている。あたしはルイスのお好み焼きを火のないほうに移動させ、ヘラで食べやすい大きさに切った。切り口の間隔を広げて空気にさらす。
「少したったら冷めるよ。ふうふうして食べ?」
素直にルイスが箸を握り、生地と卵に挟まれたそばとキャベツを摘んで息を吹きかける。真剣な顔でかじりついた。
「美味しい?」
訊けば、まだ熱かったのか、はふはふしながら頷く。ワンコなのに猫舌なんだな。
――マフォーランドで熱々のものを食べる機会なんてなかっただろうし。
ふと、タクならスペシャルのダブルを完食かとか理緒子なら一枚でもきついだろうなとか、どうでもいいことが頭をよぎる。
――いない人のことを考えてどうする。
弱気になる心を叱咤するように、お好み焼きを口に押し込む。程よく火の通ったキャベツの甘味が最高なのに、ルイスも隣にいて家族も一緒なのに、なぜか一点の曇りもなく満足する気持ちになれなかった。心の中にだけ、まだ雪混じりの冷風が吹き荒れているようだ。
あたしはいつまでこの空虚さを抱え続けないといけないんだろう。
「マキ?」
隣から心配そうにルイスが覗き込む。余所見はよくないと、笑顔を返した。
せめて一緒にいる間だけはルイスを一番にしようと決めた心は、だがこのあとあっけないほど簡単に覆されてしまった。
夜七時半を回る頃、はちきれそうなお腹を抱えてみんなで帰宅した。すぐに携帯と騒ぐあたしをアイアンクローで黙らせ、兄が「ちょっと待て」と部屋に去る。
仕方なくお留守番をしていたシナモンとボール遊びをしながら、自室でルイスと時間を潰した。
「ところでマキ。ミツキのどのへんがファリマに似てるんだ?」
闇の魔法士の名を出され、記憶を探った。目つきが悪くて無愛想なところ(+ギターが弾ける)が似てると思ったんだけどね。
「前言撤回。ちっとも似てない」
「私もそう思う」
「ヴェルグのほうが全然いい!」
「……」
外気並みの低温な沈黙に失言を悟った。シナモンに救いを求めるけど、黒目がちののほほん顔は、どこ吹く風であたしを見ている。まだ暖まりきらない室内で冷や汗をかいて言い訳を考えていると、兄が足でドアをノックした。
「ちょっと部屋来ぃ」
携帯の調子がおかしいのかと向かいの部屋に行けば、兄は例のブツを手に、ノートパソコンを広げたデスク前に鎮座している。
中央のラグにルイスと座ると、なぜか険しい顔をした兄が、腰掛けた椅子からあたしたちを見下ろした。
「真紀。おまえ、この携帯使ったか?」
「使わないよ。操作わかんないもん。写真見せてもらっただけ」
兄が無言でメタルホワイトの携帯を開いた。普通なら縦に開きそうなそれは、横向きに水平に開いて大きな一画面になる。
「あれ? そうやって開いたっけ?」
「縦にも開くんよ」
もう一度メタルホワイトのボディを閉じ、縦に開き直す。すると上半分は画面、下半分は液晶のタッチパネルが現われた。あたしが見たことがあるのは、この形だ。
「ちなみにこれはスライドできる」
上半分を軽く閉じた状態で90℃滑らすと、さっきの横長の画面になった。
「さらにこれは重ねた状態でサイドボタンを押すとカメラに早変わり~」
「すごーい! ハイテク!」
「……おまえなあ。もっと世の中の勉強せえや。こんなもの日本にないで?」
「へ?」
「いや世界のどこにもないわ。まだ、な」
ふうぅ、と大きな嘆息と共に告げられ、あたしの思考が一瞬停止する。
「どういうこと?」
「これは〝未来〟よ。時計をよう見てみい」
携帯を取り、鮮やかなピンクのテディベアが踊る空間の片隅にある〝12.29 SUN 16:52〟の文字を確認する。
「時間はズレてると思うけど、これがなに?」
「今日は何曜日よ?」
「昨日が月曜日なら火曜……って、なんで日曜?」
「携帯の時計は電波時計と違う。時々に補正はされるが、内蔵された個々のクォーツ時計によるもんよ。異世界に行ったことで例えそれが狂うたとしても、この答えにはならん」
兄があたしの手から携帯を取り上げ、親指で操作する。差し出されたのはカメラで撮った画像ファイル。最新の一枚は飛行船でみんなで写したやつだ。
ルイス、タク、ヘクターさん、あたし――理緒子。その日付は2019.10.19だ。
二〇一九年。
「で、でも、このときは行ってから一週間以上経ってるのに十九日っておかしいし」
「やっぱり時計の故障か? じゃあこれはなんよ?」
再び携帯に指を走らせ、一枚の画像を開く。液晶画面を最大にしたそこには、旅行中なのか帽子にバック、カラフルな冊子を持った爽やかなノースリーブ姿の理緒子と友だちらしき二人が、白とも銀ともつかない細長い鉄塔の前でポーズを決めていた。
見たこともないその鉄塔は籠目を編むごとく繊細に組み上げられ、チェスのクィーンのように堂々としているのに、どこか東洋的だ。
「持っとるハンドブックを見てみぃ」
「東京……スカイツリー」
「スカイツリーの着工は去年の七月。この一週間ほど前にやっと大体の形ができたところよ。これはな、どこをどう見ても完全に出来上がっとるわ」
「でも……」
「現実をよう見ぃ。おまえはこの子のなにを知っとったんや?」
「誕生日とこっちに来た日と――」
「何年のや?」
「――」
返す言葉もないあたしを気遣うように、この状況を咀嚼するように、小さく呟きが付け足される。
「……ま、普通の会話で〝今日何日?〟とは訊いても〝今日何年?〟とは訊かんじゃろうけどな」
言いながら兄は、携帯画面を切り替え、持ち主のプロフィールを呼び出した。ピンクのクマがアイコンになっているそこには書かれている生年月日は、もう疑いようもないものだった。
マフォーランドで別れたはずの理緒子は、この世界にいる。
六歳の子どもの姿で。
注1)ユリちゃん→ユリアミス。ルイスの妹。5章参照。
ルイスのプリクラだったら、鴇合も欲しいわ~。
注2)H県でお好み焼きといえば、キャベツたっぷり+そば+豚肉を生地と卵でサンドしたものです。
混ぜてあるのも美味しいですけどね。そちらは「関西風」と言って区別します。単品で夕飯にするにはちょっと軽め。