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終-5

5.雪色――真紀


 翌日、日本で行方不明状態になっていたあたしを待っていたのは、挨拶回りである。県外にいる母方の祖父母にだけは昨日のうちに電話したのだけど、どうしようもないこととはいえ泣かれて困った。とりあえず謝り倒すしかない。

 失踪の理由は、異世界うんぬんとは言えないので〝海外の友だちに誘われて衝動的に家を飛び出した〟という、不本意な言い訳が家族の手によって作られた。巻き込まれた身としては少々不満が残る。

「なんかあたしの人格に問題あるみたいじゃん」

「そのものずばりじゃろ。さっさと行って頭下げて来い」

「マキ。やっぱり私も一緒に行ったほうがいいんじゃ……」

 兄の服を借りて着替えたルイスが、傍らから蒼ざめた顔を覗かせた。昨日父にさんざん日本酒を飲まされて、まだ酔いが抜けてないらしい。治癒術も効かないみたいだ。

 ちなみに父は普通に出社。温厚な仏顔の下はうわばみだと、もっぱらの噂である。

「ルイスは家に居って? 顔出したら、余計に揉めると思うし」

「そうそう。かわいい子は千尋の谷に突き落とすもんよ」

 余計なことを言う兄を睨み、黙らせるためにメタルホワイトの携帯を渡す。

「これ友だちの携帯、充電しとってよ。会社同じよね?」

「電気代払え」

「払うんなら、とーさんに払うわ。あ、中身見んでよ?」

 言いながら、玄関でタイツの上からショートブーツを履いた。洋服は白のハイネックニットに紺の膝丈台形スカート、ベージュのボアフード付きダッフルコートというおとなしめの恰好――本日の目的とあたしのかわいく見せたいという欲望がせめぎ合った結果だ。

 目を上げれば、下駄箱の上に置いた砂時計が、上に四分の一ほどの空隙を広げて落下を続けている。

――思ったより早いな。

 黒雲のように押し寄せる不安をぎゅうとお腹の底に押し込めた。臙脂地の雪柄マフラーと揃いの手袋をはめて気合いを入れる。

「じゃ、行ってきます。にーちゃん、携帯失くさんでね」

「はいはい」

「お留守番よろしく。光樹、出るんだったら戸締りしといてね」

 ルイスにも手を振って、頬を刺す朝の寒空の中を歩き出す。

 年末のせいか、街は閑散としていた。途中の和菓子屋さんで菓子折りを山ほど買い、両手に下げてまず警察へ向かう。そこで「やっぱり家出か」という冷たい非難と叱責の浴びせられる中、二時間ばかり頭を下げっぱなして書類手続きを済ませた。

「――うわ、母さん二度と警察行けないわー」

「あんまり行くのもどうかと思う」

「そうだけど。じゃ、早いけどお昼食べとこうか」

 本当はすぐに高校に行くべきなのだけど、先生方が会議とかで午後からにしてくれと言われているのだ。定食屋で母と饂飩をすすりつつ、挨拶回りの計画を立てる。

「高校に行くの何時だっけ?」

「一時」

 今は十一時半。自宅から徒歩圏内にある高校は、ここからなら歩いて五分程度だ。

「微妙すぎるわ。いったん帰って、先にご近所さんに行こうかな」

「そうねえ」

 そんな会話をしているうちに、母の携帯に着信が鳴る。

「お兄ちゃんから。〝ルイスくんとご飯食べに行ってきます〟だって」

「は?」

 行動が意味不明すぎる。なんで兄が、彼女である妹を差し置いて彼氏とご飯食べに行くかな。

――そういえば〝友だち〟って紹介しちゃったな……。

 なにしろ初めてなもので対処に困る。さすがに異世界から彼氏と帰ってきましたっていうのもなんだから、しばらくこのままにしていようと密かに決めた。

 それでもワカメを箸で拾いながら、つい愚痴が零れる。

「なんで勝手に連れてくかな……」

「真紀、ルイスさんと付き合ってるんでしょ?」

「ぶ……っ!」

 口の中でワカメが逆流した。

「な、な、なんで」

「分かるわよ。付き合ってもないのに仕事を辞めてついて来るなんて、ただのストーカーだしねえ」

「どこまでばれたかな?」

「うーん……お父さんもお兄ちゃんも、だいぶルイスさんにお酒飲ませてたもんね?」

 はい、家族認定なんですね。

――やけに飲ませるなあと思ったんだよ……。

 椅子に小さく縮こまりつつ、ごめん、と今朝の蒼ざめた顔のルイスに心の中で謝る。

 五目饂飩をつまみ、母が上目遣いにあたしを見た。

「付き合ってるんでしょ? ちゃんと」

「う、うん。でも、えと……成人するまでは待ってくれる的なことは言ってくれた」

「ふうん。ルイスさんいくつ?」

「二十三」

「役職のわりに若いのね。落ち着いて見えるわ」

 箸でつゆを混ぜ、丼(どんぶり)を持ち上げて一口飲む。

「じゃあ、あんたももうちょっと料理とかお裁縫もやらないと」

「うん。理緒子に少し教えてもらったよ」

「帰らないって言った子?」

「うん……」

 ぞろぞろと麺をすすりながら考える。一緒に帰ってきていたら、今ここで笑いながら並んで饂飩を食べられていただろうか。

「二人に遠慮したわけじゃないんでしょ?」

「言わんで。それが一番キツい」

「仲、良かったんでしょ?」

「うん」

「じゃあ、それはないわ」

 なぜかあっさりと断言し、母がとん、と丼をテーブルに戻す。

「その子が帰らないと決めたのは、その子の責任。あんたは帰ると決めたんだから、ここであんたの責任をきちっと果たせばいいの」

 ときどきボケてて天然な母だけど、たまに親の顔をする。帰ってからどんな料理を教わるべきかとあたしは思いを巡らせ、空になった丼の上に箸を揃えて置いた。


 住宅地でご近所というときりがないので、挨拶は同じブロックのお宅だけを回った。小さい頃からお世話になっている人たちばかりなので思いのほか時間がかかり、休む間もなく高校に向かう。

 昨日のうちに電話していたので、校長室には校長、教頭、担任、副担まで勢ぞろいしていた。

「どうもご迷惑かけてすみません」

「いやいや」

「お騒がせいたしまして」

「いえいえ」

 こんなやりとりが一時間ばかり過ぎ、ようやく解放される。ちくちく嫌味は言われたけど、逆ギレされたり怒鳴られたりということはなくて、ほっとした。単に叱りつけてまた衝動的にいなくなっても困る、ということもあるのだろうけど。

 人気のない校舎は、がらんとしすぎてあんまり戻った実感が湧かない。母が、仲の良かった一年のときの担任と渡り廊下で話しこんでいる間に、一人で校庭をぶらついた。さすがに部活をしている生徒の姿もない。風が冷たくてフードを被ったそのとき、

「――おい、朝野ぉ!」

 野太い声があたしを呼んだ。ふり向くと、グラウンドを均すT字の用具を持った、ジャージ姿のグラサン狸が立っている。生活指導の吉沢だ。口調も態度も教師っぽくないけど、なぜだか生徒全員の名前と顔を網羅している、あなどれないおっさんである。

「やっほー、よっしー」

「おまえ、めちゃめちゃ久しぶりじゃないか。どうしよったんや?」

 これまでの中で、ある意味一番正しい反応な気がして少し笑った。ぺこりと頭を下げておく。

「昨日戻りました。お騒がせしました~」

「どこ行っとったんや。親も担任もチラシ配って探しよったんで? よう謝っとけよ」

「……す、すみませんでした」

「まあおまえにもいろいろ都合があったんじゃろうけどが、心配するでよ。元気なんか?」

 ぼすりと大きな手で頭を掴まれてぐりぐりされ、ふと既視感をおぼえる。なんだかオズっぽい。

 謝りすぎて疲れたのか今だけは心の鍵を緩めたくて、これまで言えなかったことが口から零れた。

「よっしー。あたし、彼氏できたんよ。七つ上」

「ほうか」

「あたし異世界に飛ばされとったんよ。どうしようか思ったけど超カッコイイ人に会って助けてもらって、その人と一緒に帰ってきたん」

 異世界とか口走るあたしを、吉沢がちょっと驚いた目で見た。グラサンの色でごまかされる。

「でも、もうその人帰らんといけんかもしれんで、今かなり悩み中」

「……じゃったら、おまえも努力せえよ」

 わしわし、とフードが脱げるくらい頭を撫でられた。

「超カッコイイ彼氏なんじゃろうが。離れるんならその間きちっと学校来て勉強して、その人にふさわしい人間になればええことよ」

 ものすごく教師らしい台詞だ。事情を詳しく言っていないから助言のピントは多少ずれている。だけど、あたしの吐いた愚痴を否定されなかったことが気持ちを軽くした。

「学校来いや。なんか言われたら、担任にわしから言うといちゃるけ」

「言わんでいいよ。だってさっき、敵みたいに宿題渡されたし」

 ええ、どさっと二十センチほどね。「これ以上増えたら困る」と菓子折り代わりにプリントのつづられたファイルの入った紙袋を見せれば、がはは、と吉沢が笑った。

「そういえばコーラス部来とったで? 顔出しとったれや」

「ほんまに?」

「部室の大掃除するゆうて、ばたばたしよったわ。喜ぼうけん、行って来いや」

「じゃあ、ちょっと行ってみるわ。ありがと、よっしー」

「おう。またな!」

 学校来いよ、と念を押され、あたしは苦笑しつつその場を後にした。


 先に帰る母に宿題の紙袋を託し、一人足早に音楽室のある校舎に向かった。全校的には冬休み前に大掃除をするのだけどコーラス部はクリスマス・コンサートの出前があるので、それが済んだ後に打ち上げを兼ねた大掃除をするのが通例なのだ。

 普通は午前に大掃除、お昼ご飯をみんなで食べて解散という段取りなんだけど、今回は開始が遅かったのかと訝りながら階段を上がり、四階の角にある音楽室に向かう。

 校舎の中は校庭よりも静けさがこもり、それが反響しているみたいに不自然に沈黙していた。大掃除をしている気配はしない。

 だけど締め切った音楽室の下駄箱には靴が五足並んでいて、中からかすかにピアノの音が洩れていた。スリッパに履き替え、どきどきしながらそっとドアを開ける。暖房のついているぬるい空気が、ふわりと流れた。机を左右に片付けた空きスペースに立つ、数名の影。

「こんちはー……」

 小さく声をかけると、一番手前にいた制服の下にジャージを着込んだおかっぱが、くるりとこちらをふり向いた。途端、絶叫があがる。

「はああああ? 真紀じゃんっ!」

 そんなに驚かれると、こっちもびっくりだ。えへへと笑う。

「お久しぃ……」

「えええ! 真紀? 本物?」

「まじでー?」

 どどどと音を吸収するはずの床を鳴らして、室内の全員がかけてくる。腕をぐいぐい掴まれて真ん中まで引っ張り込まれた。みなさん、ちょいと恐いですよ?

「えー真紀だー」と先程からくり返してるのが、一番小柄でお下げの〝のん〟こと小原野依子。

「ちょっとフードとってみようか」と訳の分からない反応なのが、ややふっくらした〝おタカさん〟こと崎山貴子。

「ほんまか? 偽物じゃないよね?」と疑いの眼差しを向けるのは、短髪ヤセ眼鏡の白沢茜。

「本物~」と頬を摘むのは、幼稚園から付き合いのツインテール娘〝ゆーひ〟こと神崎夕陽。

「……で、どういうことよ?」と腕を組んで睨んでくるのが、最初に目の合った〝みっちょん〟こと鷺島美和。

 計五名。全員二年の同級生で、恥もなにも晒し尽くした部の仲間である。

 有無を言わさず椅子に座らされ、周りをぐるりと囲われた。

「いつ帰ってきたん?」

 のんが訊けば、すかさずおタカさんが突っ込む。

「いやそこは帰ってきたんか戻らされたんか退院したんか、というとこじゃない?」

 わりにいろいろ想像されていたらしい。どうなん?と目で訴えられる。

「昨日の夕方、帰って来た」

「今までどうしてたの? なにがあったん?」

「ええと」

「真紀。適当にごまかすと今日はここから帰れんけーね? ずばっと残さず白状しんさい」

 みっちょんの詰問に、あたしは息をひとつ吐いて答えを探した。今日何回となく言って回った答えが一番無難で、聞く人も納得できるものなんだろう。だけど嘘にはもう飽き飽きしていた。だって嘘を吐かなきゃいけないような後ろめたいことは、本当は何ひとつない。

 さっき吉沢に撫でられて形の潰れたフードを外した。

「あのさ。全部話すから、とりあえず質問なしで聞いてくれる?」

 あたしは語りはじめた。最初から――最後までを。突飛で登場人物が多くて、いろいろ場所を移動して、生活習慣も常識も違う世界の話を。百日という短くて長い期間を過ごした未来の話を、半分めためたの内容ながら、あたしは懸命に話して聞かせた。

「――と、ゆうわけ。で、今日は〝海外に行ってました〟ってことで挨拶回りだったの」

「それ家族にも話したん?」

「全部じゃないよ。部分だけ。でも異世界っていうのは話した」

「信じてくれた?」

 この様子じゃ頭おかしくなった子決定か、と暗い気持ちになりつつ、うなずく。

「うん。顔が違うって。それで分かったみたい」

「まあ……確かに焼けたよね」

 やっぱりそこなのか。真剣に美白しないといけない気がしてきた。

「髪も伸びたけど、やっぱあれだね」

「うん、あれだね」

 なんだあれって、という顔をすると、茜とおタカさんがうんうんと首を縦に振る。

「女らしくなったよ」

「やっぱ男ができると変わるもんよねー」

「そんなに違う?」

 疑問を投げれば、全員から「違う!」と口をそろえて断言された。

「雰囲気が大人になったわ」

「にしてもさ。助けてくれた人とつき合うとか、どんだけ王道だって話よね?」

「あたしも金髪碧眼の彼氏が欲しいわー」

「真紀が携帯持ってれば写メして来れたのに。もったいなーい」

「はあ、面目ない」

 肩を落として謝る。一応納得してくれたんだろうか、とみんなを窺う。みっちょんが複雑な顔で眉を下げた。

「異世界のことはよう分からんけど、とりあえず戻って来れてよかったよ」

「……うん」

「ごめんね。疑うとか、そういうんじゃないけど」

「ううん、大丈夫。やっぱり、すんなり信じたうちの家族が特異すぎるんと思う」

「懐が広いんだよ」

「かなあ? まあルイスに会っても普通の反応だったし」

「…………はあ?」

 みっちょんの切れ長の目が見開かれる。他のみんなの動きも止まった。

「まてまてまてまて。真紀、誰と一緒に帰ってきたって?」

「ルイスだよ。言わんかった?」

「もう一人の女の子じゃなくて?」

 そこを突かれると、ほんとイタイんですが。

「うん、理緒子は残ったの。で、あたしとルイスが――」

「一番大事なとこじゃん! 大事なとこ言い忘れんなよ!」

「み、みっちょん。く、首が絞まるぅ」

「あほな頭は締まったくらいがええ!」

 そんなあ、と情けない声を出すと、夕陽がにこにこと笑った。

「やあやあ、部長に副部長さん。いつもの感じだねー」

「ちょ、ゆーひ。助けよう?」

「やかましい! さっさとここにルイスさん呼びぃ。うちらが文句つけちゃるわ」

「みっちょんさんや、あたくし幸いなことに携帯を持たないのでございますよ?」

「く……原始人め」

 ふざけていえば、舌打ちと共に開放される。暴力部長がスカートから携帯を取り出してどこかへメールを打つ隙に、夕陽と一緒に窓際に逃れた。さすがに窓を少し開けて冷風を入れる。

「ふわあ。相変わらず熱い女じゃねえ、うちの部長さんは」

「ふふ、みっちょん責任感強いから」

「大掃除は終わったんよね。なんでみんな残っとったん?」

「んー、対策会議?」

 もう意味なくなっちゃったねえと呟かれて悟った。部長のみっちょん、アルトリーダーのおタカさん、メゾリーダーの茜、ソプラノリーダーののん、伴奏の夕陽。コーラス部の主要メンバーが集まって開かれたのは〝あたしの〟ための話し合いなのだ。

「心配かけてごめん」

「よう謝っとき」

「うん。それよっしーにも言われたわ」

 窓の外はいつの間にか、小さく雪がちらつきはじめていた。ふうと吐いた息が白く濁る。この景色はマフォーランドでは見れないのだろうと思い、少し切なさがかすめた。

「あーもー! 役に立たん!」

 みっちょんの叫びが聞こえる。さすが部の主峰、声量がハンパない。

「どしたん?」

「朝野先輩、家に帰っちゃったって」

「……ちょっと待った。なんでうちの兄の携帯知ってんの?」

 携帯を握ったまま、鬼部長が気まずげに視線を逸らす。

「ただの業務連絡用よ」

「ふーん」

「ほ、ほんとだってば!」

 あたしの人生の七不思議のひとつなのだが、妹的にはまったくこれっぽっちもオススメしないのに、なぜか兄は周囲の女子に人気が高い。

 顔を赤くするみっちょんがかわいいので、からかおうと口を開いたとき。

「――あ! 不審者発見!」

 開けた窓を覗き込んで、今度は夕陽が声をあげた。指差した先の校庭には、黒のロングダウンに帽子、マフラーを鼻まで巻いた大きな人影が立っている。あたしの隣に来た茜が、ふむと顎に手を当てた。

「不審すぎるな。ま、今ならもれなくよっしーに駆逐されるんじゃないか?」

 吉沢は恐い見た目の通りに、柔道と空手の顧問を勤める有段者なのだ。

「カウントしてみる?」

「時間計ろうか」

 朗らかに鬼畜な発言が続く中、不審者はどこかぼんやりと空を仰いでいる。落ちてくる雪を受け止めるつもりか手のひらを上に向け、くるくる回る。さらには雪を掴もうと跳びはねはじめた。

「なにあのひと」

「相当ヤバイわ」

「ね。なんか、じゃれてるみたいじゃない?」

 のんの言葉にはっとする。不審な行動をする真っ黒な人影が雪と戯れるシナモンの姿と重なり、あたしは大声に呼びかけた。

「ルイス?!」

 雪を追うのを止め、黒い人影がこちらを見上げて手を振る。その手を包むのは、ふかふかの毛糸のミトンだ。誰の趣味か追及する気にすらならない。

――あんの、あほ兄!

「ルイス! 今降りるから、そこにいて。すぐ行くから!」

 もう一度叫び、あたしは猛ダッシュで駆け出した。ルイスvs吉沢先生が勃発して警察沙汰になることだけは避けたい。息せき切って校庭に行くと、もこもこに着膨れたルイスは、まだ笑顔で雪をつかまえることに熱中していた。

「マキ、雪だよ。ほら!」

――この大型ワンコめ!

と口をついて出そうになるのをぐっとこらえる。毛糸のミトンを手に捕らえて、

「うん、分かってる。寒いから中に入ろ?」

「すごいな。こんなふうにして天から降ってくるんだ。雨みたいなものかと思ったけど、全然違うんだね?」

「ひょっとして雪、初めてだった?」

「高い山の上では見た。でも地面で固まっているところしか知らない。すごくきれいで神秘的だ」

「風邪引かないでよ。にーちゃんはどうしたの?」

「帰ると言うから、道を聞いて一人で来てみたんだ。マキの学校を見てみたくて」

 兄め、監督不行き届きでお仕置き決定だ。

「よく迷わなかったね。にーちゃんに付き添ってもらえばよかったのに」

「私は大人だよ?」

「ここは〝異世界〟。迷子になったら大変だから」

「ならないよ」

 言い合いながら、手を引いてルイスを部室に連れて行く。音楽室のドアを開ければ、不審者の登場に室内のみんなが一様に固まった。

「この人がルイスです。……ルイス、こっちがあたしの部活仲間で、みっちょん、茜、おタカさん、ゆーひ、のんです」

「はじめまして」

 もこもこのままルイスが頭を下げると、みんな戸惑いも露わに「どうも」と挨拶を返した。

「なんでそんなに着込んでるの?」

「寒いといったら、ミツキがいろいろ貸してくれた。ああ、でもここは暖かいな」

「上脱いだら? 掛けるとこないからそのへんに置いて」

「うん」

 手袋とマフラーを外して、ルイスがぽんぽんのついたニット帽をとると、束ねていない金髪がさらりと黒いビニール地の上を流れた。

「え……」

 あたしを除く全員の顔が、別の意味で凍りつく。見られるのに慣れているルイスは気にする様子もなく、脱いだダウンを机の上に置いた。下に着ていたのは、襟付きの厚手ニットカーディガンに青系チェックのネルシャツ、それに焦げ茶のコーデュロイパンツだ。朝とまったく服装が違う。

「その服どしたの?」

「コウキさんのじゃ小さくてミツキのじゃ大きいから、買いに行ったんだ」

 晃樹(こうき)さんは父のこと。ルイスの身長は178センチの兄より少し高いくらいなんだけど、やつはわりに胴回りがあるのだ。どちらかといえば足の長さの違いのほうが際立つのだが。

「支払いをしてもらったけど、よかったのかな?」

「いいよ。あたしもいろいろしてもらったし」

 むしろ量販店の服を買うくらいでは足りないくらいだ。和やかに会話していたら、おタカさんがおずおずと手を挙げた。

「あのー。その人が異世界から来た人?」

「うん」

 うなずけば、ルイスが眉をひそめた。

「話したのか? 昨日みんなで話さないと決めたはずだろう」

「だって、なにも悪いことしてないもん。友だちに嘘はやだよ」

「マキ。いくら友人相手でも、みんなで決めたことを一人勝手に覆すのはよくない。きちんと相談をすべきだ」

「もう、ルイス頭固い!」

「ご家族や周囲の人にこれ以上迷惑がかかったらどうするんだ? だいたい君はいつも考える前に行動してしまうから……」

「もうっ!」

 お説教の雰囲気に、あたしが声を荒げて夕陽の背中に隠れれば、さすがにルイスも言葉を止めた。根っからの仕切り役のみっちょんが口を開く。

「あの、ルイスさん。真紀に本当のことを話せって言ったの、あたしたちなんで。あんまり叱らないでやってください」

「……すみません。みなさんの前なのに」

「いえ、大丈夫です。でも真紀は勢い半分やけくそ半分で生きてますから、それをとり除いちゃうと長所がゼロで。それにしっかりしてるようでしてない子ですから、わりに周りに味方が多いんです。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

「そうですね……ありがとうございます、みっちょんさん」

「いえ」

 にっこりと同士の笑みが交わされる。あたしは一部始終けなされた気がするのに、これはおかしいと思う。

「マキにみっちょんさんのような友人がいて下さって良かった」

「いえいえ。あたしも真紀がルイスさんのような人に拾ってもらえて良かったです」

「ええ、貴重な出会いでした」

「ですよねー」

 貴重て、あたしは絶滅危惧種かなにかですか?

 夕陽の後ろで頬をふくらませば、茜とおタカさんがぼそぼそしゃべっているのが聞こえた。

「これは王道というより、正しい飼い主を見つけたというパターンですな」

「おさまるべきところにおさまったというか。そんな感じやね」

「……おぅい!」

 突っ込めば、みんなにそろって睨まれる。

「あんたはおとなしくしてなさい」

「……はい」

 異世界でも帰ってきても、なぜ〝待て〟なんだろうかと思いつつ、あたしは長年慣れ親しんだ空気の中におとなしく浸った。



*注1)前回から方言がこゆい(笑)感じですが、もろもろに悪気はありません。悪しからず。

 ちなみに真紀母は県外者なのであまり方言になりません。これが通常仕様です。


*注2)先生に思いっきりタメ口ですが、これはいつもあとで「敬語!」と「〝先生〟つけぇや」と丸めたプリントではたかれるパターンです。

 けして上下関係をないがしろにしているわけではない…はずです。


*注3)恋愛フィルターで真紀はルイスがワンコに見えますが、他のみんなにとっては真紀のほうが動物とゆーことで。部内ペット。

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