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終-4

4.再会――真紀


 ぐらりと足元が揺れ、黄金の光が暗転する。体勢を保とうと踏ん張れば、誰かが背後からやさしく支えた。

 目を開ける。すぐ間近に広がるのは、すりガラスの嵌まるグレーの壁状の物体。家のドアだ。

 顔をあげて隣を見ると、金髪碧眼の見慣れた男がそこにいる。瞬きもせずにドアを凝視していた。

『マキ、着いたのか?』

 かすかに違和感を覚える声。気付いて右手の中指から指環を抜き、スポーツバッグのポケットに入れた。手の中の砂時計は、これまでの時間の続きを示すようにさらさらと落ち続けている。

 目の前に立ちはだかるドアの横の〝朝野〟の表札を仰ぐ。

「たぶん、帰って来た、と思う」

「……すごく寒い」

「そだね。入ろっか」

 マフォーランドに行ったのが十月。それから向こうで約百日が経っているのだ。時間が同じなら現在冬の真っ只中。夕方なのか、灰色の薄闇に包まれた住宅は枯木ばかりで、彩度の沈んだ寂しい雰囲気だった。

 ピンポンを押そうとして自分の家だと思い直す。ノブを引くと、鍵のかかっていないドアは難なく開いた。

「…………た、だいま~」

 恐る恐る呼びかければ、鳴きわめく犬が応える。「しー!」と叱る声が聞こえ、廊下の奥のドアががらりと横に開いた。目つきの悪い大柄な男が顔を出す。

「た、ただいま?」

「……おう」

 一重の眼が、ちらりとあたしの背後に向かった。

「えと、友だち連れて来ちゃった」

「……」

 にーちゃん、怖いです。無言がすごく怖いです。二つ上の兄が腕に金色のミニチュア・ダックスを抱いたまま、くいっと顎をそらして奥に呼びかける。

「かーさん、真紀が帰ったわ」

 ぱたたたた、とスリッパを鳴らして、台所から母がかけてきた。

「あらあら……あらあらあらあら!」

 ちょっと痩せただろうか、エプロン姿の母がちんまりと玄関先に膝をつく。

「まあー、おかえり」

 あまりにもあっさりした出迎えに、あたしも普通に「ただいま」と返した。

「お友だち?」

「うん。ごめん、急なんだけど、しばらく泊めてもらえる?」

「――突然お邪魔してすみません。ルイスといいます」

 丁寧に一礼するルイスに、母も指をそろえて頭を下げる。

「どうも、真紀の母です。こっちは兄の光樹(みつき)です。どうぞよろしく」

「まあ、あがりんさい」

 来客に興奮したシナモンが這い上がるのを両手で押さえ、兄が母にどけるよう促す。

 あたしはルイスに「ここで靴脱いで」と伝え、先に手の中のものを玄関脇の棚に置いて荷物を下ろした。ルイスの荷物も壁際に並べ、客用スリッパを出す。

「家の中は土足厳禁だから、これ履いて」

「君は?」

「あたしはいつもこのまま」

 スリッパで動き回るとこけるんですわ。自分は靴下のままあがると、母と兄がなにやら話している。

「ええと、電話電話」

「とりあえず警察と学校に連絡入れときんさい。とーちゃんにはわしからメールするわ」

 やっぱりいない間にいろいろと面倒なことになっていたらしい。

「あれ、とーさんは?」

「仕事」

「にーちゃん大学は?」

「休み。ちなみにおまえの学校も休み」

 そこまで聞いて思い出した。

「あ! ね、今日何日?」

 は?と小馬鹿にしたような兄の声があがったけど、無視して廊下の日めくりカレンダーの前にすっ飛ぶ。見れば、そこには〝平成二十一年十月十五日〟の文字が。

「あれ、時間経ってない?」

「違うわぃや。十二月二十八日月曜日」

 ばさりと朝刊が頭に載る。それを手に取って日付を確かめ、あたしは壁の時計が五時四十分を指す様子を眺めた。いなくなって二ヵ月と二週間というところか。

「……なんか微妙」

 自分がいなくなった日付で止まったカレンダーの前で呟けば、兄の皮肉が飛んでくる。

「冬休みに入ってから帰ってくるとか、おまえも大概ええ根性よの」

「好きでこのタイミング選んだわけじゃないもん」

「どうせなら誕生日とかクリスマスに間に合えばよかったのにねえ?」

 母が、まるっきりポイントのずれたボケをかます。

「そこはまず〝今までどうしてた?〟ってことから入るところじゃないん?」

「お父さんが帰ってきてから、ゆっくり聞けばいいかと思って」

 相変わらずのんびり屋の母だ。つか、やっぱりあたしの誕生日過ぎてたのか。

「いつの間に十七才……」

「お祝いをし損ねてしまったな」

 編み上げブーツをようやく脱いだルイスが、律儀に荷物を抱えてやってくる。

「ばたばたしてたからしょうがないよ」

「遅れても、やっとけばええじゃん。ひとつ年をとったことを祝えるうちに祝うときんさい」

 そのうち祝えんようになるけんのう、と笑う兄の脛を爪先で蹴った。はずみでシナモンが床に飛び降り、ルイスに向かって吠えながら走りはじめる。

「しー、うるさい」

「一応番犬じゃけの」

「いーや、これは同族嫌悪」

「同族?」

 足元をぐるぐる回る、金色のモップのような胴長短足長毛の犬をルイスが見下ろす。すいっと細められた青い瞳が、シナモンの目と合った瞬間かすかな火花を散らして見えた。

――犬に喧嘩を売ってどうする。

 シナモンもヤバいと思ったのか、小さく後退りして兄の足の後ろに隠れる。ルイスが追い討ちをかけるように、ほがらかに笑った。

「かわいいイヌだね?」

 黒いものが漂うその笑顔に、シナモンがあっさりと尻尾を脚の間に丸めて負けを認めた。


 いい具合に煮立った鍋の音が響く中、皆で夕食を囲んだ。ダイニングテーブルの長辺に父、向かいに兄と母。両サイドの短辺にあたしとルイスがそれぞれ座る。

 目の前にあるのはご飯に刺身、それに土手鍋と呼ばれる味噌仕立ての牡蠣の鍋料理だ。白ネギも白菜も半透明に煮詰まり、春菊も投入されてなんとも食欲をそそる匂いが漂う。

――うわあああ、鍋だ鍋~。

 百日ぶりの日本食に興奮気味のあたしを置いて、突然戻った家出娘+初対面の外国人(異世界人だけど)に対する尋問が開始された。仕事から帰ってセーターにコットンパンツ姿に着替えた父が、ルイスと自己紹介した後、温厚な顔をあたしに傾ける。

「で、なにがどうしてどうなったん?」

「ええと……いろいろ話すと複雑なんですが、突然不慮の事故に巻き込まれたというか」

「怪我をしたわけじゃないんじゃろ?」

「うん。事故っていうのは、えー……家のドアを開けた途端、異世界に行っちゃいまして」

「……」

「ルイスに助けてもらって、さっき異世界から戻ってきましたっ! 心配かけてすみません!」

「それについては私からも説明を――」

 気遣わしげにルイスが口を出すが、父は首を軽く横に振った。

「長くなりそうだから、先に食べようか。あ、ルイスくん、牡蠣食べれる?」

「食べたことがないので分かりません」

「じゃあしっかり食べなさい。ジャパニーズオイスターは広島が本場よ?」

「……とーさん。ルイスは異世界人だから英語の意味ない」

「そうなんか?」

「うん、全部指環で変換されるから」

 家族の目がルイスの手に向かう。ルイスは小指に指環を嵌めた左手をかざしてみせた。

「これがないと私はあなたがたの言葉が理解できません」

「翻訳機?」

「そのようなものです。こちらの言葉を私の言葉に、私の言葉をこちらの言葉に変換しています」

「指環なんだ。翻訳機というとイヤホンかと思うけど」

「音は振動じゃろ。体に振動が伝わって音だと認識されれば問題ないんじゃないんか」

 さくさく鍋の中身を小鉢に移して食べ進める兄が、理系的発言をする。

「なんでも振動ではなく、脳への電気刺激だと聞きました」

「あー、鼓膜じゃなくて脳に伝えるんか。そのほうが効率的かもしれんな。……じゃ、おまえもそうやって話しとった、ゆうことか」

「うん。ルイスのとは別に、日本語=マフォーランド語変換指環があるの。見る?」

「ええわ。あ、ルイスさん、箸どんな?」

 母からよそってもらった小鉢に、たどたどしく箸を突っ込んでいたルイスが口元で笑う。

「難しいですが、なんとか」

「あれ、あっちお箸なかったっけ?」

「使う地方もあるけど、天都ではほとんど使わない」

 未来の日本人は箸文化を捨ててしまったのか。こんなに便利なのにもったいない。

 母が木製のスプーンとフォークを食器棚から出して並べる。

「難しかったら、こっちどうぞ」

「すみません。でももう少し挑戦してみます」

「やりやすいほうにしときんさい。味は変わらんし」

 兄からの勧めに、「じゃあ失礼して」とルイスがフォークを手に取った。慣れない食器と料理なのに、あくまでもその所作は洗練されている。

――説明もなしに来たけど、こんな家でいいのかな……。

 久々の豆腐をほくほくと味わいながら、あたしは悩んだ。自分の家がみすぼらしいとは思わないけど、アクィナスの家や天都と雰囲気が違いすぎる。とはいえ、旅の間はテントでの寝泊りに文句ひとつ言わなかった人だ。大丈夫だと思いたい。

「へえ、ルイスさんは魔法士なんか」

 思いに耽っている間に、話が進んでいたらしい。

「魔法士って魔法使うん? どんな仕事?」

「主な業務は国の治安の監視ですね」

「水源探すんじゃないの?」

 あたしの疑問にルイスが苦笑した。鍋の熱で、顔が赤く火照っている。

「いつもじゃないよ。地方から要請があれば水源探しや田畑の開墾の相談にのることもある。あとは、その土地に適した農作物を助言したり病気に効く薬草を処方したり。自然の動きや働きを感じとって、人々に広く伝えるというのも大事な仕事のひとつだ」

 なるほど、それで薬草をたくさん持ってたりしたんだな。兄が感心したように相槌をうつ。

「幅広いねえ」

「はい。それなのに魔法士は数が少なく能力にばらつきがあるので、一度に対応できるのはごくわずかな地域になってしまうのが問題なんです」

「魔法ゆうても限度があるんじゃな。え、ゆーことは真紀がそっちに行ったんも魔法か?」

「はい。かなり大掛かりな……古い魔法です」

 言い、ルイスが複雑な表情でフォークを置いた。

「信じていただけないかもしれませんが、私たちの世界は、ここから三千年ほど先の未来。約三十光年離れた別の惑星にあたります」

 なんともいえない沈黙を、鍋のぐつぐつという音が埋めていく。

「彼女はわれわれの世界の事情で設置された大掛かりな魔法によって、こちらから突然われわれの世界へ飛ばされました。巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません」

「……偶然、ゆうことか?」

「偶然であり、必然でもありました。彼女を飛ばした魔法は人を捕らえるために仕掛けられたもので、その仕掛けの先はここ――このご自宅の玄関先に繋がっていたのです」

 理解に苦しむという顔で、家族が眉をひそめる。確かにいい感じがするものじゃない。フォローしようと口を挟む。

「その定点を仕掛けたのは別の時代のことなんだよ。定点っていうのは、目印みたいなものだけど」

「まあでも、かーさんとかとーさんが飛ばされる可能性もあったわけよ?」

「確かにあります。ですがわれわれに分かるのは、われわれの世界に来たものだけ。つまり巻き込まれても辿り着かなければ、われわれがそれを知るすべはないのです」

 ちょっと血の気が引いた。他の誰かが召喚に巻き込まれて行方不明になっている可能性なんて思いもよらなかった。ルイスが申し訳なさそうにあたしを見る。

「恐がらせるようですまないが、定点は六ヶ所ある。いろんな可能性を考えておくべきなんだ」

「その言い方じゃと、他にも巻き込まれた人がおるいうことか?」

「はい。マキと一緒にもう一人。それに、われわれの時間で百五十年前にも一人います」

「その人らは、一緒に帰って来たん?」

 ルイスが気まずく、あたしと視線を交わした。

「帰還のための扉を開くことに成功したのは、約一ヵ月前です。百五十年前の方はすでに亡くなり、マキと一緒に来たもう一人は――」

「……理緒子は帰らないんだって。残るって、言われちゃった」

「まあ、人それぞれ事情があるからねえ」

 母ののん気な言い方に、少し救われた。兄が話を戻す。

「じゃあ少なくとも三人が、そっちの世界に飛ばされたゆうことか。ほいでも理由はどうあれ……それは犯罪よな?」

 歯に衣着せない兄を思わず睨んだ。

「にーちゃん言い過ぎ! ルイスが悪いわけじゃないじゃん」

「マキ。庇ってくれるのは嬉しいが、これはわれわれの世界の責任だ。その一員である私が責められるのは当然なんだよ」

「ルイスくんはつまり、あちらの世界の代表として来たというわけか?」

 父の問いに、ルイスはしっかりと目を見てうなずく。

「はい。了承もなく彼女をこちらの事情に巻き込んでしまったことを、直接ご家族のみなさんにお詫びしたくて参りました」

 脳天をがつんと殴られた気がした。なんてこった。〝お嬢さんをください〟なんていう甘さは一欠片だってなかった。『家族に挨拶』の真意はこれだったんだと思い知る。

「国王陛下からのお詫びの親書と品物もお預かりしています。本来ならばこの国の国家元首にお渡しすべきでしょうが、御目通りが叶うとは思えませんので……こちらで受け取っていただけないでしょうか」

 ルイスの目は真剣だった。父はふいっと視線を逸らし、レンゲで鍋をよそった。

「まあ……食べてしまおうか。硬くなったら美味しゅうないけん」

「……はい、いただきます」

 ルイスが湯気の冷めた牡蠣を口に運ぶ。気まずい雰囲気をとり繕うように、母が質問をした。

「ルイスさんは、いつまでこっちにいられるの?」

「持ってきた砂時計が落ちきったときに扉を開けるよう、お願いしてあります」

「こっちからはできんのん?」

「おそらく不可能です。確かめたわけではありませんが」

「じゃあ向こうから操作すれば、行ったり来たりも可能なんか?」

「理屈では可能ですが、ここは私たちにとって過去にあたります。交流はどちらの世界にとってもいい影響を与えるとは思えません。実は、今回の召還もかなり問題だったのです」

「まあ、言うたらタイムトラベルじゃもんの」

「それもありますが、前例がまったくないので同じ地点・同じ時間軸に着けるのかという確実性と……やはり安全性ですね。私は魔法士ですからいざとなれば魔法で干渉できますが、彼女はできませんから」

 その言い方が気になった。

「ルイス、まさかそれでついて来たわけじゃないよね?」

「君が帰る決断をしなくても、私だけ親書をもってこちらへ伺うつもりだったよ?」

「理緒子と一緒に帰るんだったら、人数オーバーじゃん」

「そのときは君たちに強力な魔法具を身につけさせて親書を託すか、扉の破壊を後回しにして、時期をずらして私が君と理緒子を一人ずつ連れて行くという案もあったんだ。レインが召還の影響を最低限にしろというから、物を召喚するしか確認作業ができなくて」

「……ひょっとして、あの新聞?」

 母の言葉に、ルイスがぱっと顔を輝かせる。

「着いていましたか! よかった」

「新聞?」

「そうそう。いつだったか朝刊が来てなくて新聞屋さんに持って来てもらったんだけど、一週間後に突然玄関に落ちてたのよ。まだあるかしら」

 言いながら母が席を立つ。

「ルイス、召喚した新聞を召還したの?」

「試すためにね。着いたことを確認できないのが問題なんだけど」

「そりゃまあね」

「君たちが無事なことを日本語で書いて送ろうと思ったんだけど、あまりにたどたどしくて、かえって誘拐犯からの手紙みたいだからやめろとレインに止められて」

 なんとなく想像はつく。いきなり落ちてた新聞に〝お嬢さんは無事です〟とか書いてあったら、確実にどん引きだ。

「なあ、レインて誰?」

「[まほら]のメインコンピュータよ。[まほら]は宇宙船」

「めっちゃ和の香りがしよるけど気のせいか?」

「日本船らしいよ。で、ルイスたちのご先祖なんと」

「ほー……僕らの子孫はこうなるんか。ええねぇ。そういう進化もありなんか?」

 なぜかルイスを見、相好を崩す父。兄が真面目にうなずいた。

「そりゃ石器時代のことを考えたら、ないとは言えんじゃろうて」

「なんでネアンデルタール人とか関係あんの」

「進化のしがいがあるわー」

「少なくともにーちゃんの努力は、なんも結果に反映されんとは思うけど」

「やー、楽しみじゃね?」

「いやいやいや、五年十年じゃないんよ。三千年先じゃけね?」

「父さんも金髪になるんかね??」

「「ならん!」」

 くだらない親子の会話に、ついにルイスが噴き出した。ああもう、馬鹿な家族なのがばれてしまう。

「楽しい家族だな、マキ」

「じゃろ?」

「にーちゃんが言わんでいい!」

 すっかり話が本題から逸れた頃には、土手鍋は完食されていた。


 ルイスが持ってきたのは、海泡珠という真珠に似た大粒の宝石でできたネックレスと、水引に近い細いリボンで束ねられ、封蝋の押された一通の文書だった。

 その文書、つまり王様からの親書はもちろんマフォーランド語で書かれ、金箔の装飾のついた上質な厚手の紙と流麗すぎる筆記体が確実に公文書だと証明していた。

 場所をダイニングからリビングに移して、ローテーブルの上にそれらを広げて皆で囲む。

「うわ、こうゆうの初めて見るわー。まったく読めんし」

「あたしも」

「おまえもか!」

 兄に突っ込まれたけど、とりあえずスルー。親切にも、シャルルさんが書いたという日本語訳がついていた。

「言葉が通じないと失礼にあたるかと思って」

「うん、書き順は怪しいけど字は合ってるよ。すごいな、シャルルさん。さすが天才」

「シャルルさんいうのは誰や」

「太政大臣」

「えっらい人出てきたな」

「親書は国王陛下からだから当然じゃないの? ……あ、じゃあルイスさんは国家公務員?」

 母よ、なぜ微妙に呆けるのだ。ルイスが困り顔になった。

「私の国にはコッカコウムインがありません」

「天都っていう国の首都にある王城で働いてて、魔法士の最高位のチームリーダーだよ」

「そりゃ国家公務員どころじゃないのう。ええんか、こんなのについてきて」

 こんなの、と兄が指差したのはあたしの頭。くそう兄め。

「一応副官に引継ぎをして、魔法士長にも断りを入れてきてあります」

「……ひょっとして直前にオズに渡してたのは辞表?」

 あたしの問いに、ルイスがさらに困ったように眉尻を下げた。

「ああ、不測の事態に備えてね」

「こっちに来るんのが、それだけ危険ゆうことか?」

「それもありますが、私は〝彼女たちを誘拐した国の代表〟ですから」

 どんな罰も受ける覚悟はあります――と続けられた言葉に、再び重い沈黙が落ちる。一人用ソファに腰掛ける父が口を開いた。

「ルイスくんの覚悟は分かるけど、この国で罰は、人が罪だと認めたものに与えられるものだからね。それにはまず罪を証明しないといけないわけだ。それができないと、いくら求めても罪も罰も存在しないということになる。分かるね?」

「……分かります」

「ルイスくんを責めるのは簡単だ。君はそれで気が済むかもしれないけど、僕らの気持ちも同じとは限らない」

 固い口調でそう言って、父は言葉を切り、母にお酒を持ってくるよう声をかけた。倉庫にしまってある日本酒の瓶を取りに母が部屋を出る。見計らって、話が再開された。

「真紀がいなくなったとき、実は僕は半分諦めてたんだ。娘は家出するようなタイプじゃないし、学校の部活からまっすぐ帰ったことは友だちが証言してくれた。だから、事故に遭っているんじゃないかと」

 父の言葉を兄が引き取る。

「どういう事故かは分からんけど――車かバイクか何かに出会い頭にぶつかって、身元が分からんで連絡できん状態かと思うたわけよ」

「誘拐とは思わんの?」

「うちに誘拐されるような魅力的な材料はない」

 きっぱり否定し、でもな、と継いだ。

「かーさんは事故じゃないし、確実に生きとるとずっと思うとった」

「なんで……?」

「あの日おまえが玄関を開ける音を聞いたんと」

 あたしは手のひらで額を覆うようにして顔を伏せた。

「真紀が帰ってきたと思って玄関に行ったら、誰もおらんでドアが閉まった。おかしいと外に出ても姿はない。最初は気のせいかと思ったけど、おまえが帰って来んことが分かって、あのときがそうじゃないかと思うたらしい。で、今月に入ってこれよ」

 テーブルの上には、王様からの親書の他に十二月二日付の朝刊が置かれている。消えてから一週間後に現われたそれには、萎れたピンク色の小さな花が挟んであった。ユリアの花だ。

 聞けば、文字で伝えることを諦めたルイスが、せめてもと挟んだのだという。

「手紙も何もなかったけど、これでおまえが生きとるのが確実と思ったらしいわ」

「じゃあ――ルイスとあたしの話、信じてくれるの?」

 温厚な父と無愛想な兄が、二人揃ってどこか得意げに頬をゆるめた。

「朝野家を甘くみてもらったら困るわな」

「信じる信じん、ゆう問題じゃないんよ。真紀、おまえ鏡見たか?」

「う、うん。なんか変?」

「日焼けしすぎじゃボケ」

 言われて、両手を頬に当てる。ちょうどグラスと酒瓶を持って戻った母に尋ねた。

「ね、あたしそんなに焼けた? 日焼け止め塗ってたんだけど」

「焼けたねえ。髪も伸びたし」

 ルイスがあたしの髪を気に入っているから伸ばしてる、とは言えません。おかげで首の後ろではねていた髪が肩につくくらいになっているんだよね。

「それに顔が違うわ」

「顔?」

「つやつやしてる。いい顔になったわー」

 ねえ?とにこにこして母が同意を求める。あたしは涙が出そうになって下を向いた。

 帰ってきた姿を見ただけで、あたしがどんな状態でどんな生活を送っていたか、彼らには分かってしまったんだろう。それだけの比較材料を、あたしは十六年間この人たちと培ってきていたのだ。

――ああ、家族ってこういうもんなんだ。

 家族の真髄見たり、とは言いすぎだけど、支えられていたものの確かさに、あたしの胸は一杯になった。

 グラスに日本酒を注いで、父がルイスに手渡す。

「そういうわけで。ルイスくん、娘がお世話になりました」

「い、いえ。こちらこそ」

「はい、ルイスさん。かんぱーい。祝・無事帰宅!」

 兄もなぜか一緒にグラスを打ち合わせる。

「ちょっと、にーちゃん未成年!」

「祝い酒よ。はい、真紀さん。十七才おめでとー」

「お祝いそんだけか!」

「まあまあまあまあ」

 ぐだぐだな乾杯はぐだぐだなまま続いて、こちらの時間で二ヵ月余りの空白ののちの再会は、感動も驚きもほとんどなく淡々と過ぎて。

 それでも、こののんびりした空気に、あたしは〝家〟に帰ってきたことをつくづく実感した。



犬対決はルイスの圧勝(あたりまえ;)。


マキ兄がお酒を飲んだような描写がありますが、一応乾杯のみしたってことで。

未成年の飲酒をお勧めするわけではありませんので、悪しからずm(_ _)m

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