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終-3

3.召還――マキ


 帰ると決めたものの、とうとう当日までルイスとはまともな会話ができずに終わってしまった。フェイオーの金の飾りのついたネックレスを首から外す。

――直接返すのは無理……か。

 ため息をついて、手の中でもてあそぶ。荷物は昨日のうちにできていた。スポーツバッグにスニーカーに制服。来たときのまんま――ではなく、いろいろと変化はある。

 ルーズリーフには覚えたマフォーランド語がありったけ書いてあるし、文字の練習や宮殿の地図、果ては礼儀作法の図解まである。電池の切れたオーディオプレイヤーはあのままツークス領主にあげたし、シャーペンとかポストイットとか、こまごましたものはアルノやミルテにあげた。あんまり変なものはあげられないので、主に文具系だけど。

 対してこちらからは、仕上がったアルの絵や、せっかくだからといただいた侍女服など、日常で使っていたものを記念にと持っていく。おかげで手提げ二個分増えた。

「アルノ。ディ、ア ルイス(これ、ルイスに)」

 年配の侍女にネックレスを手渡すと、アクィナスの紋章に気付いて顔色を変える。

「ダンカス アレス、アルノ(ありがとう、アルノ)。トレ ダンカス(とってもありがとう)」

 アルノは涙ぐみながら「もったいない」ということを言っていたけど、こんなに大事なものはさすがに異世界に持っていけない。ルイスがくれたものだから欲しかったけど、他にもいろいろ形にならないものをもらったからと、自分をなぐさめた。

 上着のポケットから、小さな巾着を取り出す。ルイスにあげたあと、ペアのつもりで作ったお守りだ。ピンクの花柄とか死ぬほど恥ずかしいけど、これだけでも彼と繋がっていたかった。

――どんだけ乙女だ。

 乱暴にポケットに戻す。きっとあたしは、もう誰も好きになれない。

 最後に泣くのは嫌だから歯を食いしばって荷物を持てば、仕切りのシーツの向こうから理緒子が現われた。昨日タクと話して落ち着いたと言っていたけど、初めて会ったときと同じセーラー服を着た彼女を見た瞬間、あたしはどきりとする。

 足元に置かれた鞄。黒の革でできたそれは、きれいにまとめられていた。たったひとつだけ。

「理緒子……」

 なにも言わず、理緒子が手を伸ばす。あたしの右手をとり、馴染み深い紅い指環を中指に押し込めた。

「わたし、ここに残る」

 頭が、真っ白になった。

『なんで……?』

 茫然と尋ねるあたしに、理緒子は泣き笑いの顔で、おがむように両手を合わせる。

「えへ、ごめんね。高遠理緒子、親不孝にも家族より彼氏を選んじゃいましたっ」

『うそ……』

「嘘じゃないよ。わたしもね、悩んだの。家族は、一緒にいてもいずれ離れるでしょう? だけどタクは、今失ったらもう一生逢えない。だから、選んだの」

『せめて向こうにいったん帰って、親と相談しようとかは思わんの?』

 しまった方言。でも、もう止まらない。

『相談して、頭冷やしてからこっち戻るとかすればいいじゃん?』

「一度戻ったら、もっと揺れるの。もうこれ以上揺れたくない」

 理緒子の表情は、小波ひとつない湖面のように凪いでいた。

「臆病でごめんね。でも、わたしなりの答えなの。ほんと、ごめんなさい……」

 頬を伝う涙。それでも理緒子は笑顔だった。

 もうこの笑顔は、くつがえせない。

『じゃあ、理緒子のほうが指環いるんじゃ――』

「いらないの。わたしはここの人間になる。指環にはもう頼れないから、真紀ちゃん持ってって? わたしが甘えないように、持ってって。ね?」

 ああ、理緒子は本気だ。根性据えてここに残る気なんだ。抑えていたはずの涙が噴きこぼれる。

『理緒子……』

「真紀ちゃん。わたし、真紀ちゃんに逢えて良かった……!」


 結局昼のあいだは、部屋にいろんな人が入れ替わり立ち替わり挨拶に来てくれて、泣いたり笑ったりしながら、これまでお世話になったお礼を言った。中学の卒業式より泣いた気がする。

 そして夜、太陽が完全に沈んだ頃にタクが迎えにやってきた。理緒子とアルノ、ミルテ、シエナも引き連れて[太極の間]に向かう。奇しくもここは理緒子と初めて顔を合わせた、あの会見場だ。

 王様のいた壇上は、玉座をどけた剥き出しの石床にチョークのようなもので幾何学模様が描かれていた。いわゆる魔方陣というやつだろうか。星形と円で作られた層の中心に立たされる。不安なので、ぎりぎりの時までタクと理緒子に付き添ってもらうことにした。

 部屋を囲んで灯された魔法光の丸い明かりが、辺りを不思議に照らしている。どこかきらきらしたその輝きを目で追い、アマラさんの晶壁に似た巨大な力が部屋全体を覆っていることに気がついた。数箇所あるドアの前に立っているのは、衛兵ではなく魔法士だ。

 半円を描くように立ち並ぶ天都魔法士の中には、ラクエルの姿も見える。

――大掛かりって言っていたけど、本当なんだ……。

 フロアには、一番前に王様夫妻とシャルルさん、ヘクターさん、それにアル。なぜだかアクィナス領主一家まで揃っていた。その横に見慣れない大柄な一団がいるなーと思ったら、なんとタクの家族だという。王様がこっそり呼んだらしい。

 ツークス領主にシグバルト、姿を見せちゃいけないはずのジャム&パンもいる。イェド近衛隊も警護を兼ねているのか、ほぼ全員が揃ってフロア後方を埋め尽くしていた。

 オズ、レス、アマラさん、イジーの魔法士メンバーは、魔法の発動に備えてか他の魔法士たちの描く半円の内側に立っていた。全員正装。すべて、あたし一人を送るための最後の儀式だ。

 その中に、ルイスはいない。

――もう、会えないのかな。

 絶望的に思う。

 一目だけでも会いたかったと溜息を吐けば、荒々しい音と共に壇上近くのドアが開いた。そういえばここに来たときもダッシュで駆け込んだっけ、と思い出が脳裏をよぎる。

 息せき切って最後に現われたのは――あれほど待ち望んでいた金髪の魔法士だ。なぜだかマントもない私服姿で、肩に大きな荷物をひとつ背負っている。

『間に合ってよかった』

《――遅い》

 文句とともに金色の粒子を撒き散らして、水門の神が壇上に現出した。さすがに今回はネウロではないらしい。

《先にはじめるところだったよ》

『すまない、手間取ってしまった。助っ人が来てくれて助かったよ』

『助っ人?』

 なんだそりゃと思うあたしの疑問に応えるように、激しく物の壊れる音が部屋の外で鳴り響いた。

 首をめぐらせば、一番奥の扉が乱暴に爆ぜ開き、白いクガイの化粧をしたおじさんとその他数名が頭から突っ込んでくる。続いてのそりと覗く、真っ黒な巨獣の鼻づら。

 女性たちの口から小さく悲鳴があがり、ヘクターさんが呻いて指先で額のあたりを押さえた。あたしも目をぱちくりさせる。どうやっても見覚えのある、ガウルに似た六つ目と二股しっぽ。

『鬼……?』

『――面目ない。少々投擲の方向を間違えてしまいました、主さま』

 しょんぼりと黒弦がうなだれれば、その体の陰から顔を出した人物がハスキーな低声で答えた。

『気にするな。片付けたら、後でまとめて記憶操作する』

 物騒にもほどがある台詞を吐くのは、聖地から姿を消した闇の魔法士だ。藍色の旅装束姿の背後では、どこからか湧き出たクガイ連中と白い神官服を着たおじさま集団が、白弦と傀儡たちに抑えつけられているのが垣間見える。その数、約二十名。

 中に放り込まれた一人が、広間の様子を一瞥して叫んだ。

『ヒ、ヒジリ・アーダ! これはいかがいたしたことですかっ! この様相は一体……異界の乙女をどうなさろうというのですっ』

『乙女はすでに帰還されたのではなかったのですか、陛下! 皆を謀られたのですか! ご説明をっ!』

 口々に訴えるが、もちろん王様は例のごとく無表情だ。その関心の無さがむしろ心強い。つか、皆様こうなることを知ってたとしか思えないんですけど。

『説明など無駄だ。どうせ忘れる』

『ヴェルギウス。精神崩壊しない程度にとどめて下さいよ?』

『……神官長様のお望みとあらば』

 その会話に、おじさまたちが凍りつく。化粧してもしてなくても蒼白だ。クガイの一人が、やけくそ気味にヴェルグに怒りをぶつけた。

『き、貴様! フージェ・ハランとの契約はどうした!』

『金額に見合うだけの任務は遂行したぞ。アクィナスの他に魔法士二人、原始型マーレインに風神の異名をとる将軍の計五名が相手では、追加料金を請求するところだ』

 あっさりと雇われていたことをばらし、ヴェルグが皮肉な微笑を刷く。

『それにな――損得もなく手を貸すことが、それほど悪いことでもないなどと甘っちょろいことを言う娘がいてな』

『腑抜けたか、ファリマめ!』

『俺が腑抜けならば、貴様らは魂まで腐れ果てた膿だ。隅々まで清めてやる』

 ざわり、とヴェルグの周囲に闇がまとわりつく。光に包まれた室内で、そこだけ空洞ができたようだ。オズが、ちらりとふり向いて声をかける。

『ヴェルグ、暴れすぎるなよ?』

『補修は任せた、魔法士長。では……娘、さらばだ。退屈になったら、こちらに戻って来い。今度はやさしくしてやる』

『……ありがと。ヴェルグも気をつけて』

 軽く片手を挙げ、闇を纏った男が背を返す。途端広がった黒い触手が乱入者たちの体に巻きつき、そのまま廊下に引きずり去った。頭を下げ、黒弦がそれに続く。

 ばたりとドアが閉まった直後、声にならない叫びがあがった気がしたけど、分厚いドアと強力な晶壁のおかげですぐに聞こえなくなった。なにが起こっているのかは想像しないことにする。

『――相変わらず気障なやつだ』

 厭な相手に借りを作った、と言わんばかりの呟きが間近で聞こえる。いつの間にか右後ろにいたルイスが、あたしの腰に左手を回した。小指に光る青い指環。

『ルイス、あの人たちの相手をしてたの?』

『ああ。人の口に戸を立てるのは難しい。ならば、ここでまとめて片付けようという太政大臣の発案だ』

 ほんとに容赦ないな、シャルルさんは。まさかヴェルグが出てきたのも想定内だったら、まじで恐すぎる。激闘してきたのか、ルイスの頬に散った金髪を指先で脇にどけた。

『忙しいのに、来てくれてありがと』

『なかなか時間が取れなくてすまなかった。片付けごとが進まなくて――あ、ちょっとごめん』

 言いかけ、ルイスが壇上を降りて、オズになにやら白い封筒を押しつける。肩を叩き、レスと握手し、なぜかルイスパパと軽く抱き合ってこちらに戻ってきた。

『いいのか?』

と、尋ねるのはタク。ハテナマークが飛び交うあたしの隣で、ルイスがかぶりを振った。

『いや、あまりべたべたするのは柄じゃないから』

 べたべたしてるような、と再び腰に回された腕に視線を落とす。それを無視して、またも男同士のハグが、微妙にあたし込みで交わされた。

『じゃあ、気をつけて』

『ああ、君たちも』

――ん? なんだこれは??

「真紀ちゃん」

 頭の中でなにかが繋がりそうで繋がらないあたしに、理緒子がそっと薄手のマフラーを巻きつけた。向こうが寒かったらいけないから、というのがやさしいけど、やっぱり一人で帰るんだと胃が重くなる。二通の手紙と携帯を差し出してきて、

「お願いなんだけど、この手紙、携帯と一緒に親に送ってもらえる? 住所書いといたから」

『う、うん。もちろん』

「こっちの手紙は真紀ちゃんに。えと、すぐじゃなくて……どうしてもわたしに何かを聞きたくなったときに読んで」

 なんだか不吉な言い方だな。

「絶対ね? 約束よ?」

『分かった。約束する』

 それらを受け取ると、失くさないように手首にかけた手提げ袋に入れた。

 ありがと、と微笑んで、理緒子がタクと一緒に一歩退る。

「じゃ、二人とも気をつけてね」

『リオコも幸せにな』

「うん」

――あれあれあれあれ? おかしいぞ??

 こっそり横を窺う。いつになくさっぱりした顔色のルイスは、最初に会ったときのようなシャツにズボンにブーツ姿だ。ただし剣はない。右肩には旅の時と同じくらいの大荷物を持って、今にもどこかへ出掛けるような雰囲気だ。

『ルイス、あのさ』

《じゃあ説明するねー》

 あたしの声を遮り、レインが金色の光を撒き散らして頭上に立つ。

《はい、まずこれ持って》

 どこから出したのか、マグくらいの大きさの砂時計をあたしの手に押し付ける。銀色の金属の枠に支えられたガラスの中には、砂ではなく虹色に光る不思議な粒が詰められていて、音もなく落ちはじめたばかりだった。同じものを理緒子に手渡す。

《クオリア素子を法玉内で凝縮し、粉末にしたものを用いてある。これが基本となる時計だ。僕が全身全霊を籠めてさらにプライドを注ぎ込んで作ったから、おそらく九割の確率で異世界にいっても同調しているはず》

『……は、なんのこと??』

 やばい、あたしさっきから状況が理解できてない。いや――理解したくないだけなのか。

 碧の瞳が呆れたようにあたしを睨んだ。

《だ・か・ら。異世界時計。この砂が落ちきったらタイムリミットだから》

『なんの?』

《ここへ戻る期限だよ。それを過ぎたら、強制的に扉を閉じる処置をこちらで行なう》

 開いた口が塞がらないって、こういうときのことを言うんだね。大人になったよ、あたし。

 口も目も開いたまんまのあたしの空いた手に、今度はばらばらとピンポン玉大の鈍い銀色の球が落とされる。全部で六つだ。

《で、これが宿題ね》

『なんなのこれ??』

《次元迷彩付き超低周波電磁界発生装置――Extremely Low Frequency Fields Generation equipment with Dimension Camouflage――愛称はELFFG-DC(エルフ・ダーク)。簡単に言うと、魔法の干渉を弾き返す道具だね。これを各定点に設置することで、扉は完全に破壊される》

『レインのほうから壊すんじゃないの?』

《定点を利用してある以上こちらだけを一方的に破壊すると、かけられた魔法が歪む可能性があるんだよ。双方向からの破壊がベストだ》

 ええと、なんだか重大な任務をおおせつかった気がするけど、あたしほんとに帰るんだよね?

 不安になって隣を見ると、この大騒ぎに一役買った最強魔法士が、にっこりと罪のない笑顔を浮かべた。

『大丈夫、私も手伝うから』

『いやいやいやいや、なんでルイスが?』

『君を一人で帰すわけないだろう。ご両親に挨拶しないといけないしね?』

 やっぱりか! ここまで引っ張ってそんなオチなのか!!

 離れたところに立つ理緒子を見れば、砂時計を胸に抱いて、にこにこと手を振っている。

――やられた……完全にやられた……!!

『ちょっとルイス――』

《はい、使い方を説明しまーす。真ん中のボタンを押すと定点の地図が出ます。で、定点に着いたらロックを外して捻り、点滅をはじめたらすぐに投げてください。すると周囲十キロに、わずかな電磁波の結界ができます。これはすぐに次元迷彩が起動して見えなくなるので、二十世紀代の人間には分からない無味無臭無害の完璧な装置なのです――って聞いてるの?》

『ごめん、現実逃避してた』

《どうせ今からそうなるじゃない。ええと……愛の逃避行、だっけ?》

『ああ、なるほど』

『ちがうっっ!!』

 ルイスがうなずくのとあたしが否定するのがほぼ同時で。その瞬間、なんの前触れもなくあたしたちの周囲が黄金の光で埋め尽くされた。一斉に、魔法士たちの詠唱が響きわたる。

 教えてもらった讃詞よりももっと複雑な、広間を波のように包み込む歌。祈り。祝福。

 詠唱に引き寄せられて、何かが急速に集まりはじめる。降り注いでいたはずの光の粒が、それらと触れた途端、逆行して下から上に昇りはじめた。すぐに輝きは臨界を迎え、膨張してよじれるように頭上の空間を突き破る。

《はい、行くよー》

『え、ちょ、ちょっと! まだ――』

 心の準備が、と言おうとすれば、たくましい腕が後ろからしっかりとあたしを抱きこんできた。左肩にはショルダーバック。手提げ二個を手首にかけて、砂時計となんたら装置を握りしめる。どこの観光帰りかというくらいの、荘厳な儀式とは真反対の間抜けすぎる恰好だ。

 耳の奥がきーんとする。圧力とは違うなにかが押し寄せ、なんとか薄目を開ければ、黄金の光の向こうに理緒子の姿が見えた。

『……理緒子』

「真紀ちゃんっ」

『理緒子……ごめん。じゃあ、行ってきますっ!』

 ありったけの声で叫ぶと、理緒子が身を振り絞るようにして叫び返した。

「行ってらっしゃい!!」



とゆーわけで次回は日本です。

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