21(後)-6
説明が多いです…。
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それからは怒涛のように時間が過ぎていった。
あたしと理緒子は、いつの間にか眼鏡男子になっていたシグバルトとの再会に驚いたり、アルノたちに旅のことを語って聞かせたりする時間を惜しんで、後宮に上がる準備に追われた。
難関は引越し――ではなく、城に勤める様々な人たちの目だ。
王城は大きい分、働く人も多岐にわたる。侍従でも個人につく係、部屋の掃除をする係、食事を運ぶ係、洗濯をする係などなど。お客が一人増えるごとに彼らの仕事も変動し、それによってどんなに口外しないよう注意しても少しずつ秘密は外へ洩れていくのだ。
しかも出入りの激しい彼らに、いつ誰がどんな形で擦り寄るか分からない。ルイスがアルノとミルテをわざわざアクィナスから呼んだ理由も、このあたりにあるのだと思う(理緒子には、ただ単にあたしの外堀が埋められただけだと言われたけど)。
最大の秘密は〝異界の乙女がまだこの世界にいる〟こと。この事実を知っているのは本当に一握りの、事実上の国のトップたちだけだ。あたしたちを保護する立場である神殿でさえ、神官長のヘクターさん以外知ることはない。
これは、あたしたちの表立ちたくないという意志――後の話し合いでどうしたいかと聞かれ、きちんと乙女を辞めます宣言はした――と、神殿の勢力を抑えたいという政治的意図の二つが手を結んだ結果だ。
『下手につつくと、眠った古蛇を起こして厄介なのでな』
とは王様の弁。
大昔神殿が政治の中心だった頃、搾取が酷くて本気で国が滅びかけたらしい。暗黒時代と呼ばれるその黒歴史のせいで、冠婚葬祭以外で神殿が政治に関わることは厳禁とされているのだ。
余談だけど、実は神官長という立場が太政大臣と並んで国の双肩と呼ばれるものだと知らされ、あたしはその場で十メートルほど穴を掘って埋まりたい気分になった。当たり前すぎて教えるのを忘れていたとか、そんなの有り得ないと思う。
そんなこんなで、あたしたちは〝王后になる準備のために心労の多い第一妃のお相手をする侍女〟という分かりやすい名目をこしらえた。この嘘は、実は二段構えになっている。
表向きは第一の名目。お世話になる第一妃周辺の侍女にはさらに〝某有力貴族がこの飢饉で路頭に迷っていた地方部族の娘を拾い、教育と箔付けのために後宮に入れた〟という半分真実の嘘を伝えてあった。なにしろ女の園、生半可な嘘ではごまかされてくれない。
それがいつの間にか〝第一王子が拾ってきた后候補〟だの〝王が蛮族に産ませた子を暴露されかけ、慌てて受け入れた〟だのという噂にすり替わるのは、もうあたしたちの関知するところではない。
後宮は、巨大なコの字型の宮殿だ。お妃様ごとに宮殿があるのだと想像していたら、以前後宮がいっぱいになったときに間を継ぎ足してひとつにしてしまったらしい。なので、とてつもなく広大。庭の草木も繁って、端が見えない。
内宮に背を向けたコの字の縦棒部分が第一妃、左棟が第二妃、右棟が第四妃の宮室だ。
あたしたちは第一妃の持ちスペースのうち、侍女とも王妃様とも離れた2LK(台所はない)くらいの小部屋を間借りした。引越しは少人数でと言われ、ミルテとシエナだけについてきてもらったのだけど、彼女たちは別の侍女部屋で寝泊りする。
服装も、後宮にいておかしくないものを支給された。ベアトップのワンピースは胸の下をタイトに絞り、そこから折り畳んだプリーツが床まで落ちる。足元はシンプルなペタ靴。上には薄い素材でできた短丈の長袖を羽織り、胸の横一ヶ所を紐で結んだ。全体的にはチマ・チョゴリみたいな雰囲気だ。
髪は首の後ろできつく結び、結んだ先を柄布でくるんで大きな蝶々結びを垂らす。第一妃のカラーにちなみ、スカートの色は杏色、上着はアイボリーでリボンは朱色だ。お化粧はないけど、それなりになんとか恰好がついた。
『まあ、お二人ともお似合いですこと。少しは落ち着かれまして?』
引越しの翌日、あたしたちは早速第一妃のお部屋に呼ばれた。
ミア=コラーユ第一妃は、ほんわりとやわらかな雰囲気の女性だった。緑色の目だけじゃなく、しなやかな細身の体型がアルに良く似ている。目を惹く美人というよりは和み系だ。
『アルマンからお話は聞いています。気を楽にして過ごしてくださいね』
にっこりと挨拶されたときの手首の細さと透き通るような白い肌に、しばらく見惚れてしまった。王様がベタ惚れするのも納得の可憐さだ。どう見ても二十代前半。アルと並ぶと姉弟にしか見えない。
だけど性格は外見とは真逆のしっかり者で、現在三人いるお妃様たちのまとめ役なのだそうだ。王様の寵愛を受けているだけでなく、その気配りや細やかな声掛けで、最初は敵対していた他のお妃様からも一目置かれているらしい。
『後宮は王様をお慰めする場所でしょう。そこがぎすぎすしていたら、和めませんものね?』
お茶を飲みながらそう笑顔で語ってくれたけど、そこに至るまでは大変な想いをしたはずなのだ。なにしろ王位継承権争いに巻き込まれ、二人の子どもを失っているのだから。
『あのときばかりは愛想が尽きて、アルマンを連れて後宮を出るつもりでいましたわ』
さらりと口にされた言葉が重い。
このとき慌てた王様が一時二人をイェドに避難させ、主犯である第三妃と後見だった当時の太政大臣クロヴィス・フージェ・ハランを解雇。さらに太政大臣の伯母にあたる王太后様(王様の実母)も事実上追放し、後宮の大掃除に着手したことで、なんとか丸くおさまったらしい。おさまらなかったのはフージェ・ハラン側だ。
一族である第二妃と第四妃を取り込もうとしたものの、第一妃を慕い、そのうえ継承権争いで子どもを亡くしていた二人は断固拒否。クロヴィスの恨みはそのまま王様に向かい、貴族院議長という立場を利用して反体制派の一大勢力を作り上げた。
で、第三王子ミア=サフィーロ殿下を擁立しようという動きが起こったところへ、異界の乙女の予言の年がきたというわけ。
――そんなことしてる間に国中旱魃とかなってるっちゅーの。
しかも第三妃はおとなしく追放されたと思いきや、舞い戻って内宮にいた自分の娘二人を道連れに自殺とか、もうほんと数年分は昼メロ観なくてもいいくらいの宮廷ドロドロ愛憎劇だ。
現在アルの兄弟は、弟二人、妹一人。子どもは通常、三歳を過ぎると母親のいる後宮を出て内宮で一緒くたに育てられる。これはオルフェイド王以降からの王妃制に関わるもので、母親の位に関わらず、子どもは等しく王位継承権を与えられ選抜されるという慣習があるためだ。世襲制である王にはできるだけ優秀なものをという意図は分かるが、それが殺伐とした継承争いを引き出すのなら本末転倒って気がする。
その争いに終止符を打つべくなされたのが、あの王様の宣言。だけどフージェ・ハラン一族はしぶとかった。主要な決定は主要八省大臣を含めた貴族院閣議の採決をもってされるのだけど、王太子決定を断固として拒否してきたのだ。当然フージェ・ハランの根回しがきいている。付け加えて、アルが〝凶王子〟と称されていることも問題視されているらしい。
『まあ、俺は王位などどうでもいいのだが』
出会った当初に見せていた執着とは裏腹に、あっさりとアルは言ってのけた。
『王様になりたいんじゃないの?』
『国を治めることには興味はある。なにしろ国の未来を動かすことができるのだからな。だが、ここへきて自分の未熟さが身に沁みたのだ。長らくイェドに引きこもっていたせいかな。くだらぬと思っていた閣議も、真面目に聞くとそれなりに面白いし勉強になる。今は継承権よりも、学びたいことが多すぎてそれどころではないのだ』
――そういう人が王様になってくれたほうがいいんだろうけどな。
それは王妃様も含めたアルの周囲みんなの意見だと思うけど、貴族たちの執拗な反対とアルのあっさりした撤退に、王太子の決定は見送りとなった。
その代わり〝第一妃を王后とし、国の窮状を鑑みて経費のかさむ後宮を縮小する〟ことが決まる。これは王太子選出が見送られた代わりに、フージェ・ハラン側が折れた形だ。
この決定に伴い、第二妃は役目を解かれてツークスへ戻ること、第四妃は神殿に入ることをそれぞれ希望してきた。ミア=コラーユ妃殿下は精一杯引きとめたのだけれど、ミア=クリスタ第二妃は後宮に嫌気が差しており、ミア=ペルーロ第四妃に関してはフージェ・ハランが王太子に擁立したがっているミア=サフィーロ王子の実母のため、これ以上宮廷を混乱させたくないという気持ちが強いらしい。
『本当は子どもたち全員の乳母になりたいのですが……難しいですわね』
『なればよいではありませんか。わたくし一人では王后になどなれません』
『お姉様なら大丈夫ですわ。これ以上子どもたちが争いに巻き込まれぬためには、後宮を閉じるほかないのです』
そう言ってミア=ペルーロ第四妃は、二十六才の瑞々しい美貌に微笑みを浮かべた。完璧な容姿というものがあるのなら、この人のことを言うのだと思う。ゆるく波打った髪は銀粉を撒き散らしたような光を秘め、ほぼ漆黒に近い瞳は見つめる相手の息を止める美しさだ。クロヴィス・フージェ・ハランのとっておきの手中の玉。さらに一族でもっとも古い名門クージョのお姫様である彼女は、実家に戻されると絶対に政権争いの駒として使われる。
そのことを誰よりも第二妃自身が一番よく分かっていた。もちろん王様と未来の王后様も。
王様とアルを交えた何度目かの話し合いで、二人の意志が固いと分かり、その二つの事項は確定となった。
にしても、後宮ってすごい。侍女さんたちを含め、みんな美人しかいないのだ。しかも美人って言っても、いろいろあるんだよ。集めたくなる男性心理がよく分かる。まさに花園だ。
ミア=コラーユ第一妃は親しみやすい撫子(なでしこ)、ミア=クリスタ第二妃は凛とした菖蒲、ミア=ペルーロ第四妃は華やかな桜。それぞれに個性が分かれ、三人が揃ったところを端から見ると眼福極まりない。
――うわ、かわえええぇ。きれえええぇ~。
何も知らない立場の意見も欲しいからと同席を許されたお茶会で、幸せを満喫していたら。
『貴女がた、王后様をお慰めするのが役目でしょう。なにか披露なさいな』
話が一段落したところで、ミア=クリスタ妃殿下の命が下る。他の王妃様二人は事情を知らないのだけど、薄々あたしたちが只者じゃないと気付いているご様子だ。
『じゃ、じゃあ歌でも』
理緒子と目で相談し、テーブルの下でさり気なく指環を受け取ると、部屋の片隅の小さな箱型の楽器へ向かう。椅子に座れば、肩にいたパンがひらりと箱の蓋部分に飛び移った。
ムジカートというその鍵盤楽器は、音が弱いもののピアノに似た音色を奏でる。第一妃は芸術全般に関心があるらしく、シトゥラもあったのだけど指が届かなくて諦めた。こちらの音楽は、音階がほぼ同じなのが助かる。さすが元・地球文明だ。
不安そうなアルの視線を無視して、適当に鍵盤を鳴らして曲目を考える。
――なーにがいいっかなあ?
丸テーブルに座る一同をチラ見して、ふと理緒子の表情が気になった。なんだか王様に一人呼び出しされて〝荷物の返し忘れ〟だという封筒を受け取ってから、なんだか落ち込み気味なのだ。両親のことを思い出してホームシックになってるのかもしれない。
あたしはちょいちょいと手招きをして、理緒子を呼んだ。椅子を半ケツして、指環を返す。歌詞を間違っても、これでごまかせる。
「理緒子、なにが聞きたい?」
「なんでもいいよ。真紀ちゃんの得意なので」
そうすると合唱曲になってしまうのですが。しかもハモリ部分だけとか。
「じゃあ、理緒子は左手をこことここに置いて……半拍遅れて入ってね。合図するから」
「分かった」
気を利かせてくれたのか、理緒子が指環を右手に替えて、あたしの膝に乗せる。ぬう、これで歌詞が間違えられないではないか。
――ま、みんな原曲知らないからいっか。
あっさりと思い切り、あたしは軽快に鍵盤を叩いた。ピアノは中学で辞めたけど、ぶんちゃっちゃくらいの簡易伴奏ならなんとかできる。
選んだのは〝You are my sunshine of my life〟。サビの繰り返しが印象的で初めて聞く人にも分かり易いし、音域が低めで、喉慣らしにはちょうどいい。さすが天下のスティー○゛ー・ワンダー。
歌詞を訳すとベタ甘なんだけど、歌だからそこまで気にならなかった。理緒子が鍵盤を押さえるのに必死になってるから、思わず横から覗き込んでおどけてみせる。
〝あなたは私を照らす太陽。大好きだよ〟――そんな想いが伝わればいいと気持ちを籠めて。
その後は、飛行船で好評だった〝Over the Rainbow〟と〝世界にひとつだけの花〟を歌っておしまい。正直言うと、歌詞をきっちり覚えてる曲はそんなにないのだ。ハモリゼロなのが寂しかったけど、拍手は頂けたのでよしとする。
『聞いたことのない曲ばかりでしたけれど、どちらで覚えたですか?』
『ふ、故郷の歌です』
嘘はついていないぞ。王妃様方に突っ込まれても、とりあえず笑顔で乗り切った。つか、乗り切るしかない。
アルにも王様にも『意外な特技だな』と言われたけど、気にしない。なにより、ほぼ三日ぶりに理緒子の明るい顔が見れたのだ。
――よしよし作戦成功……て、待て。
ホームシックなら逆効果だったんじゃないのか。いやむしろ、確実に逆効果だよね。
――あたし馬鹿……。
軽く自己嫌悪に陥っていたら、その夜、理緒子のほうから話しかけてきた。
『ごめんね、心配かけて』
『あ、ううん』
心配している人に気遣われてしまうところが、さらに情けなさ倍増だ。
二人で窓を外を眺めながら、ぽつぽつと喋る。白月と青月がきれいな半月となって浮かんでいた。
『なんだかね、最近いろいろ考えちゃうの。ここに来なかったらどうなってたのかな、とか』
『うん』
『ねえ……真紀ちゃん。わたしたち、向こうの世界で出会っても友だちになれたかな?』
どうだろう。しばらく考える。
『うーん。難しくない?』
『え……』
一瞬理緒子が蒼ざめた気がした。でも構わず続ける。
『だってさ、あたしたち趣味も部活もタイプもまったく違うじゃん? ここ以外のところで逢ってたら、きっと友だちになんてなれなかったと思う。てか、友だちになろうとか思わなかったかもしれない』
『そ、そうかな』
『うん。タイプが全然違うのにここまで仲良くなれるなんて、向こうにいたままのあたしだったら想像もしなかったんじゃないかな。きっと……すごく大事な友だちを見逃してたと思う』
『……うん。そだね。見逃しちゃったかもね』
『すごい貴重だよね。そういうタイミングってさ』
運命とは違うかもしれないけど。
『ここに来ちゃったのは運悪いなーとか思ったけど、運が良かったのかも知れないなあって、あたし思うよ』
『うん。わたしも』
天上に浮かぶ二つの月の船。笑顔にも見えるそれは、時間とともにゆっくりと音もなく離れていく。
軌道が違うから滅多に重なることのない二つは、だけど同じ夜の空からあたしたちを笑顔で見下ろしていた。