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21(後)-3


『マキ』

 朝食の後、寝室のある部屋に戻ろうとしたあたしをルイスが呼び止めた。パンを部屋に残してきていたから早く帰りたかったんだけど、半分予想していたことだ。素直に足を止める。

 腕を掴む左手に青い指輪を見つけたので、理緒子と目顔で会話し、一人促されるままに部屋をつなぐ出入り口の陰に身を寄せた。タクとアルの主従はまだダイニングで話をしている。

「なに?」

「いや、少し二人で話したくて」

 一瞬アルに気持ちを奪われていたと自覚したから、そのことで厭味を言われるのかと身構えた。だけどルイスは穏やかに微笑して、あたしの髪に指をからめてくる。陽射しが強いせいか、その毛先はなんだか来たときよりも不ぞろいに伸びていた。

「この服装を見るのは久しぶりだな」

「あ、うん。やっぱ、異界から来たって感じだよね」

「よく似合ってる」

 囁き、ルイスは制服から出ているあたしの首筋に顔を近づけた。くすぐったい、と思ったら、ちくりと違和感。首の付け根、シャツの襟があたるくらいの場所にキスされたらしい。しかもいつになく強めだ。

「もう、くすぐったいよ」

 押しのければ、抵抗もせずに顔を離す。ルイスの体が壁になって周りからは見えないはずだけど、みんなのいる場所でべたべたするのは嫌だったから、少しほっとした。

 軽く睨んでると、あたしの襟を整え、今度は軽く唇に落としてくる。

「……うん。これで完璧」

「なにが?」

「食事の締めはデザートだからね。ごちそうさま?」

「!」

 思わずルイスの胸を小突いたけど、内心ちょっと嬉しかった。そうやって見せ付けられる独占欲が、浮ついたあたしの足元をルイスの彼女の位置に引き戻してくれる気がして。

 端から見ると確実にバカップルだと顔を赤くしながら、ルイスに手を引かれ、あたしは部屋に戻った。


 王様との謁見のためにあたしたちが向かったのは、前に招かれた広間ではなく、内宮という王族の住まいの一画にある会議室みたいなところだった。[星辰の間]という名前がついているそこは、太陽と月と星とが抽象的に描かれた横長の絵が掛けられたほかは、重厚な長机が中央に置かれているだけのシンプルな造りだった。

 アルに連れられて四人でぞろぞろと入ると、そこでは疲れた顔のヘクターさんが、頭の禿げた恰幅のいいおじさんとなにやら話をしていた。こちらに気づいて立ち上がる。

『マキ! リオコ!』

 黒銀の長い髪をなびかせて駆けてくると、二人まとめてふわりと両腕に抱きしめられた。

『よくお戻りになられました。ああ、無事で良かった……!』

 頬が当たる胸越しにも響くその声は、本心からの安堵に満ちていて、鼻の奥がつんと痛む。

『た……ただいま』

『ただいま、ヘクターさん』

『お帰りなさい、お二人とも』

 ようやく腕を緩め、ヘクターさんが腰を屈めてあたしたちの顔を交互に覗き込む。

『辛い旅だったでしょう。最後まで無理をさせて、すみませんでした。体の調子はいかがですか?』

『うん、あたしは平気だけど――』

『湯浴みして朝ごはん食べたら、だいぶ元気になった。ありがと』

『それは良かった』

 なんて和やかに会話するあたしたちの横では、ルイスが知り合いらしいハゲ頭のおじさんから、挨拶にしては乱暴なハグを受けていた。

『ようやく顔を出したな、ルイス。この薄情者め』

 ばしばしと背中を平手で叩かれ、軽く咳き込む。

『それはこちらの台詞です、オズ。もう少し連絡のつくところに出張してください』

『相変わらずかわいげのない弟子だ。どれ、よく視せてみろ』

 片手でルイスの顎を掴み、右に左に傾けた。タクやアルも目を丸くする中、ルイスは観念したように為されるがままになっている。

『ふむ、ずいぶんと面白いことになったな。気分はどうだ? 悪いわけはないだろうが……双剣を二つとも身に着けておらぬのにこの安定性とは、非常に興味深い』

 ルイスを弟子と言うくらいなんだから、この人も魔法士なんだろう。彼の変化を一発で見抜いた態度で、上から下までじろじろ検分するけど、その眼差しはあたたかかった。

 びっくりして二人をガン見していたら、黒々とした両目がこちらを向いた。ルイスの首に腕を巻きつけ、にやりと笑う。

『これはどうも、異界の乙女どの。わが不肖の弟子がお世話になりました。私は魔法士長のオリザリオ・アーヴェンと申すもの。どうぞ、オズとお呼び下さいますよう』

『あ……と、あたしは真紀です。朝野真紀』

『高遠理緒子です』

『マキどの、リオコどの。お二人にお会いできるのを愉しみにしておりました。この会談のあと、少しお話する時間を頂いてもよろしいですかな?』

 ルイスにヘッドロックをかけた状態でそう尋ねるオズに、ヘクターさんが答えた。

『お二人は戻られたばかりです。お手柔らかにお願いしますよ、オズ』

『過保護だぞ、ヘクター』

『あなたには負けます』

『……これのどこが過保護だというんだ』

 オズの腕の中から、恨み節のように反論が聞こえる。すると、やおら大きな手が金色の頭をがしがしと撫で回した。

『やめて下さい、オズ』

『生意気なことを言うからだ』

 同じくらいの身長なのに体格のいいオズは、逃げようとする彼をがっちり捕らえ、さらに粗雑にかきまぜる。あっという間にセットしていた金髪がぐしゃぐしゃになった。

『オズ!』

『おまえの頭は撫でやすい』

『もう五年も前に成人したというのに、まったく!』

『わははは』

 ルイスの抵抗など気にもせず、オズは豪快に笑う。この二人って師弟とか上司と部下とかじゃなくて、まるで親子みたいだ。アクィナスのご両親のことを思うとちょっと複雑だけど、

――ルイス、なんだか嬉しそう。

 耳だけじゃなく首まで真っ赤なので、照れがMAXなのは分かるけど、全力で嫌がっている様子ではない。それに、がっしりしたおじさんに首を押さえこまれて頭をわしわしされている図は、感動的な再会というより、むしろムツ○ロウさんにかわいがられている犬だ。心なしか見守る全員の目が生温かくなる。

 そこへ別の人たちが部屋に入ってきた。先頭にいたのはレス。その後ろから、背の高い見知らぬ人物と眼鏡の青年が続く。

『マキ、リオコ、よく戻って来たね。将軍も、お勤め御苦労さま』

『――レス!』

『ああ、ルイスもお帰り』

『お帰り、じゃない! この暴力親父をどうにかしてくれ』

『嫌だよ。俺、おまえのいない間ずっと相手してたんだから。あとは任せた』

『嘘をつけ。おまえ扉の調査に行っていたはずだろう!』

『そのことだけど、事情があって呼び戻されたんだ。後で話すよ』

『なに?』

『……まあ、おまえたちほどではないが、こちらはこちらでわずかばかり動きがあったということだ』

 そう告げ、ようやくオズがルイスを解放した。みんなを席のほうに促しつつ、前を通り過ぎるレスの茶色い後ろ頭を軽く小突く。

『台車ごと茶菓を運び入れておけ。侍従は一人も入れるな』

『了解』

『それから小杯をふたつ追加だ。ひとつには清水を入れて、手拭は多めに持って来ておけ』

 そこまで言ってオズは、不思議そうな顔をするレスではなく、なぜかあたしを見やる。

『これくらいで安心かな? マキどの、餌(え)は持ってきておられるのだろう?』

――ば……ばれてる。

 朝食から戻った部屋の惨状があんまりだったので、アルノたちの反対を押し切り、ルイスにも内緒で制服の下に忍ばせてきていたというのに。

 覚悟を決めて、きっちり留めていたブレザーのボタンを外す。上着の内側から現われたその姿に、その場に驚きとも呆れともつかない嘆息が広がった。

『なるほど。追加座席はいらないみたいだな』

 レスの声に答えるように、あたしの肩によじ登ったパンが、チィと鳴き声をあげた。


 席の配置はこうだ。

 まず壁側の列の中央に王様、向かって左側にヘクターさん、右側に頭半分見事に真っ白な背の高い男の人――太政大臣のシャルルさんが座る。ヘクターさんの隣にオズ、レスと続いて、シャルルさんの隣にはアル。そしてなぜかあのツークス領主が秘書のような顔で座っていた。

――本当にこっちもいろいろあったんだな。

 おしゃべりを封じ込めて書類や筆記用具を整える領主は、疲れているのか心なしか表情が暗い。

 こちら側は、いつも通りあたしの左にルイス、理緒子の右にタクだ。六対四の不均等な並びは、なんだか個人面談のあの居心地の悪さを思い出させる。特に最初の時と違って、王様とあたしたちを隔てるのは、わずか1メートルほどの平たい木の板だけだ。

 唾を呑むのも憚られるような緊張の中、ただひとりテーブルに上がって、オズに用意してもらった杯の水を飲むパンのてちてちてちという音だけが無性に響く。

『ミヤウは警戒心が強いと聞いたが……まさか、これも異界のものだとは言わぬだろうな?』

『さすがに違います、陛下。ナアカの村で売られていたところをマキが買いました』

『買った?』

『……えっと、その怪我をしていたのでお金を払ってもらって、治ったら山に放そうと思ったんですけど、パンが一緒にいたいと言ったので連れてきました』

『パン?』

『そのミヤウの名前です』

 説明係のルイスが教える。

『言ったと申すが、魔法話の指環で動物の声まで聞こえるわけではあるまい?』

『えっと』

 あたしは救いを求めるように、理緒子越しにタクを見た。ジャムは表に出たらマズいと言っていたから、喋っていいのか自信がない。

『今回随行しました私の部下の中に、原始型のマーレインがおりまして』

『魔法士ではないのか?』

『はい。マーレインといっても魔法士になる素質もない、体術ばかりが取り得の卑しき生まれのものです。皆さまのお耳に入れるほどのものではございませぬ』

『――ほう。ムシャザ将軍は、素手で野盗十人余を倒し、さらに魔法士でもないのに闇のファリマ相手に善戦した部下に対してそのように評価されるのですかな?』

 掠れた声音で口を挟んだのはシャルルさんだ。王様が鋭い眼差しを右の下座に投じる。

『どういうことだ、ミア=ヴェール』

『どうもこうも、それはただのタキトゥスの私兵です。彼の剣の一振りとでもお考えいただくのが妥当かと』

『そういえば、殿下。確か二年ほど前に、イェド周辺を騒がせた[紅連鬼]という名の盗賊団がおりましたな? 首領はなんでも炎のごとき赤き髪の異相で、風を読み動物を意のままに操る、まさしく〝鬼〟のような男だと』

『遠き辺境の地の話だというのによくご存知だな、大臣』

『軍が手をこまねく大盗賊団を十九の若者がたった一人で討伐したとなれば、噂は否が応でも広まりましょう。まして離れていますれば、尾ひれ背びれもつくというもの。盗賊団の首領が生かされ下げ渡された、などという噂はどうしても耳に入ります』

『当時タキトゥスは[紅連鬼]の一部構成員による幼児の略取と売買の現場に居合わせ、二十余名と交戦したおりに負傷し、偶然異能の男に助けられました。その男は[紅連鬼]の所業をたいそう憎悪しておりまして、その後も一団の壊滅に尽力してくれましてね。

 タキトゥスになついていたため、功績を認める意味も含め、彼の私的な部下として採用することを私が認めました。もちろん[紅連鬼]の首領は、すでにこの世におりません。それらの話が混乱して伝わったのでしょう。よくあることです』

 にっこりと王子スマイルを浮かべるアルに、あたしの胃がきりりと痛む。

――うう、この会話ヤダ。

 話の中心は明らかにジャムで、問題は彼がとんでもない盗賊団の首領で、それを知りながらタクもアルも部下として使っていたということ。しかもあたしたちの護衛まで、だ。

 ジャムはタクをすごく尊敬していたし、タクもジャムを信頼していた。そのことは間違えようないからあたし的にはいいんだけど、お互いの身分や立場を考えたときに恐ろしくマズい。

 王様が、いつもの感情の浮かばない真っ黒な瞳で、ちらりとタクを見た。

『剣の一振り、か。ムシャザ、使い心地はどうだ?』

『問題なく、我が意を汲んで働きます。あれに勝る剣はなかなかないかと』

『それほどの名剣なれば、一度拝見してみたいが……ちょうど魔法士長も刀剣に興味をお持ちでな?』

『は……』

――興味があるのは剣じゃなくて、マーレインの力じゃんっ。

と突っ込みを入れたいけど、さすがに無理。しかもタクは完全にあたしを助けようとしてドツボに嵌まった感じだ。やんわりと包囲網を囲われ、精悍な顔が強張る。咄嗟に声を発した。

『え……えと、剣は今、修理中ですっ』

『ほほう、さようか』

 なぜか嬉しそうに笑ったのはオズ。言葉遊びをはじめたのはそっちのくせに!

『それは残念でございますな、陛下。では、またの機会を愉しみにいたすことにしましょう』

『仕方あるまい。――ミア=ヴェール』

『はい』

『鋭利な刀剣を身の内に呑むと、思いも寄らぬところで我が身を傷つけられることもある。心得よ』

 さすがに神妙にアルが頭を下げる。

『……御言葉、しかと心に刻みました』

『タキトゥス・ムシャザ。戦神の息子なれば誤ることはないだろうが、剣の扱い方は重々気をつけろよ?』

『む、無論にございます』

『世に二振りとないと申すなら、大事にするがいい。おのれが手に取ると決めたのだ。手の内を傷つけられたとて手放すな。心を開け。剣もまた、それに応えよう』

『……はい』

『おまえは王子の近侍である前に、わが国の由緒ある騎士の一人だ。心して勤めよ』

『はい』

 椅子に腰掛けたまま、タクが丁寧に頭を下げる。痛んでいた胃が、すっと冷えた。

――本当に王様、なんだ。

 同じテーブル、同じ目線にいる目の前の人は、確かにこの国の統治者なのだと思い知らされる。あたしですらこんな状態なのだから、タクは椅子から飛び降りて地面に頭を擦りつけたい気分だろう。

 そんな状況を生み出した原因を連れてきたあたしは、内心冷や汗をかきつつ、この会談の特異さをようやく身に沁みて理解した。

 以前とはまったく違う、本当に国を動かす人が腹を割って話そうとしているのだ。

 どこか人間らしく思える彫りの深い顔立ちを、テーブルの上に座るパンが小首をかしげて見上げる。それを見返す黒い瞳は、わずかに微笑んでいるようにもあたしには見えた。



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