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21(後)-2

お待たせいたしました。2週間ほど風邪でダウンしてました…すみません。

待ってて下さる方はいるかなー(汗;)。


 馬車が止まったのはなんとなく覚えている。『そのまま寝ていて』と言われ、脇の下と太腿の裏に腕が回されて体が浮き上がったことも、落ちないように右手でしっかりとパンを抱え、左手でルイスの服を掴んだことも、そのままどこかへ連れて行かれたことも。

 聞き覚えのある女の人の声に名前を呼ばれたり、ふかふかのベッドに横たえられ、鞄を取られ、靴を脱がされて――あとで聞いたところによると、パンだけはどうしても離さなかったらしいけど――布団を被せられて、ルイスが前髪をどけて額にキスして出て行ったことまで、夢の中の出来事のように曖昧だけど記憶していた。

――これで旅も終わり……か。長いようで、あっという間だったな。

 夢うつつで、ちらりとそんなことを考えていたのだけど。目覚めた状況は、そんな感傷にゆっくり浸ることを許してくれる感じではなかった。

 瞼を開けて飛び込んできたのは、高い天井と白々と輝く豪華な照明器具。巨大ベッドの隣では、理緒子が子どもみたいに横向きに丸まって、まだ寝ていた。枕元ではパンがちんまりと箱座りして、あふと欠伸をひとつしてあたしを見る。

――帰って、きたんだ。

 間違いない、ここは天都の客室だ。理緒子を揺り起こして指環を返すと、タイミングよくドアがノックされた。

『お目覚めでいらっしゃいますか?』

『あ、はい』

『失礼いたします』

 やってきたのは、シエナとラクエル。それに見覚えのある白髪の老婦人と髪を三つ編みに編みこんだ年上の女性だ。その二人をまじまじと見つめ、あたしは極限まで目を開く。

『アルノさんにミルテさん……? なんでここにいるの??』

『マキさまが天都でもご不自由のないようにとの若様のご配慮です』

『わ、わざわざアクィナスから来てくれたの?』

 もしかして鏡電話とかで呼び出されたとか。馬車で三日もかかるのに、なんて暴挙だ。若様にしても押し切りすぎだよ。しかも、あたしなんかのために。

『なんだかごめんなさい。でも、こんなにすぐに会えるなんて、すごく嬉しい』

『天都で人手が不足するわけもないでしょうが、見知らぬ者よりも多少は顔の知った者がおりますと、なにかと気分も違うものです。ご遠慮なくご用事をお申し付け下さいませ』

『えっと、じゃあ』

『ご自分でお洗濯はだめでございますよ?』

 鋭い眼光を飛ばし、アルノが機先を制す。アクィナスでのやり取りを思い出して、思わず笑った。

『じゃあ、湯浴みと着替えの支度をお願いします。ここじゃ何着ればいいかわかんなくて』

『かしこまりました』

 天都にいる侍女や女官のお仕着せとは違った、シンプルな仕事用ワンピースと前掛けを着た二人が揃って頭を下げる。なんとなくイェドから来たシエナとラクエルが嬉しそうなのは、地方から来たもの同士、通じるものがあるからかもしれない。

 理緒子にも二人を紹介し、あたしはようやく旅の生活が終わったことを実感した。さっそく朝風呂に、と浴室に向かいかけ、大事なことを思い出す。ぱたぱたとスリッパを鳴らして、まだベッドにいる理緒子のところに戻り、手を繋いだ。

『ええと――シエナにラクエルにアルノさんにミルテさん、ただいま帰りましたっ』

『みんなただいま!』

 四人は一瞬驚いたように固まり、それからそれぞれに違う微笑を浮かべて、揃って頭を下げた。

『お帰りなさいませ、リオコ様、マキ様』


 用意された着替えは、高校の制服だった。王様に謁見するのだとぴんときたけど、その前に腹ごしらえだ。一日半くらい食事らしき食事をとっていないんだよ。あのなんちゃってカレーピザが最後の晩餐(朝ごはんだけど)とか、勘弁して欲しい。

 レインの予告通り雨の降りはじめた中庭を窓越しに見つつ、客室の一画にあるダイニングに向かう。

 細長いテーブルの置かれた部屋には、久々に制服を着たルイスとタクの姿があった。珍しく二人とも剣を身につけていない。

『おはよー』

『おはよう』

『あれ、アマラさんは?』

『魔法士団の本部に顔を出しに行っている。体調はどうだ?』

『んーあんまり』

 胃が重いのかお腹の上辺りを押さえ、理緒子が困り顔になる。アマラさんやラクエルから受けた治癒術は、症状を緩和しても食欲増進というところまではいかないから仕方ない。

 タクが大きな手で、ぐりぐりと理緒子の頭を撫でた。

『無理をせずに部屋で休んでもいいのだぞ? 食事なら届けさせる』

『ん。動いたほうが気がまぎれるから。みんなにも会えるし』

 幸せそうにふにゃりと笑う理緒子に、足りてなかったのは栄養とか休憩ではなくタク成分だったんじゃないかとあたしは疑った。ちらり、と隣に座るルイスを見ると、目が合う。なんだか機嫌が悪いらしい。寝起きの悪さも手伝って、眉間の皺が三割増しになっている。

 あたしたちが向かいの席につくと、さっそく料理が運ばれてきた。前にも出されたことのある山盛りのパニと数種類の果物にスライスした燻製肉、ゆで卵、スープ。男性もいるから少し多めなそのメニューは、旅をしてきたあたしの目には破格なまでの大御馳走に映った。

 料理が並び終わり、おのおのの席に飲み物も注がれたのに、なぜか上席の一隅が空いたままだ。ヘクターさんでも来るなら待ったほうがいいのかな、などと思っていたら、慌しい足音をさせて最後の人物が部屋に現われた。

『待たせたな』

 鷹揚な声をかけ、長い髪をひるがえして彼がテーブルの脇に立つ。

『アル!』

『王子』

 弾かれたようにタクが席を立ち、つられてあたしたちも立ち上がった。十日間くらい会わなかっただけなのに、ずいぶん大人びた顔つきになったアルがふっと笑う。

『皆、無事でよく戻ってきてくれた。お互いいろいろと話もあるだろうが、とりあえず今は食事が先だ。俺は腹が減ってかなわん』

『……俺?』

 ざっくばらんな王子さまの口調にルイスが聞き返し、タクが渋面になった。アルは気にした様子もなく、なんだかふっ切れた顔でにやりとそれを見返す。身振りで座るように促して、上席に腰掛けた。

『ミア=ヴェール。これはいったいどういうことなのですか?』

『手短にこちらの状況を話すと、非常に厄介なことになっている。アクィナス、おまえは当分宿舎に帰るな。タキトゥスと共に俺のいる離宮へ身を寄せろ』

『なぜです?』

『おまえたち二人は、まだ〝旅の途中〟だからだ』

 焼きたてのパニにジャムをつけて頬張りつつ、アルがあっさりと告げる。一瞬意味不明な内容は、だけどルイスの顔色を変えるのには充分だった。

『では……彼女たちは?』

『〝聖地で役目を果たし、異界に帰還した〟というところだな』

『それであの厳戒態勢ですか?』

『そういうことだ。ちなみに俺は〝乙女に執着するあまり、彼女たちの部屋で帰還を待ちわびる狂信的な王子〟だ。なかなかのものだろう?』

 ひとつ間違えば致命的な悪評となりかねない設定に、さすがにタクが眉を顰める。あたしたちも果物を摘んでいた手を止めた。気にする様子もなく、アルは指先についたパニの灰を濡らした布巾で拭い、優雅に食事を続ける。

『皆には無理をさせて、さらに隠れるような真似をさせるが、これしか方法がなかった。あいつらの動きが予想より早くてな』

 どこかで聞いた台詞だ、と考えて、馬車の中のルイスとアマラさんの会話を思い出す。

『予想、というと?』

『まあ、元はといえば乙女を見つけたものに王位を譲ると公言したのだから自業自得なのだが、現実になるとそれに不服を申し立てるものも出てくる』

『フージェ・ハランですか』

『ああ。雨が降ったその夜から、もう行動を起こしてきた。よほどに俺が気に食わないらしい』

 夜よりも真っ黒なカフェオを口に運びながら、ルイスが軽口をたたくアルを睨む。

『異界の乙女が真実だったこともありますが、元よりあなたは正当な王子でしょう。彼らの口を出す隙がどこにあるのです?』

『そんなものはあいつらが屁理屈でもこしらえるさ。そのうえ、ちょうど間の悪いことに王が王妃制を見直そうとされていてな』

『まさか、ではミア=コラーユ妃殿下は……』

『王后になる予定だ。これは今回のこととは関係……なくはないのだが、付録のようなものでな。まあ俺を立太子するのならついでに、という話がもちあがっていたのだ』

『確か他の王妃さまがたはフージェ一族の出のはず……なるほど、それで』

『王の意向としては他の王妃とその子たちをないがしろにするつもりはないのだが、王后が立つとなれば王妃の地位は著しく落ちる。さらに――おそらくここが一番重要なのだろうが――外戚としての一族の影響力が低下する。それを未然に防ごうと、なんとか乙女を利用して時間を稼ごうというわけだ』

『ヘクターは?』

『クロヴィスの猛攻を受けて、半分生気が抜けかけているが生きているぞ。それよりアクィナス、おまえも気をつけろ。乙女が本物だということが確実になった以上、もう一人を連れてきたおまえを取り込もうと、やつら躍起になっているらしいからな』

『勘弁してください。政権争いの矢面に立つのは御免です』

『かなりの条件を提示してくるぞ? 地位も領地も望みのままというくらいは言ってくる』

『私が王位を欲しがるとすれば、それは唯一無二を手に入れるための取引の材料にすぎません。彼らに与えられるものではありませんよ。それを言うなら、あなたの部下のほうを案じられるべきでは?』

 まるで旧知の間柄のようにルイスとまったく朝に似つかわしくない会話を交わすアルは、そう言われ、相手の隣の男に目をやった。

『確かに本来なら、俺ではなくタキトゥスが王位継承者となってしかるべきだな。……おまえはどうする?』

『必要ありません。俺のことはお気になさらないで下さい。問題は彼女たちの身です。今後どうなさるおつもりですか?』

『とりあえず隠す。が、フージェ一族にとっては彼女たちが〝帰還した〟という状況は喜ばしいものでな。全力をあげてその存在が偽りだったと証明してくる……というか、現在その真っ最中なのだ』

『じゃ……じゃあ、あたしたち表に出たほうがいいの?』

 訊けば、アルは濃い眉を胡乱げに顰めた。

『おまえたちを欲しがっているのは神殿だ。〝異界の乙女〟とは生き神だ。特に今のような国の情勢では崇高な存在として祭り上げられるだろう。そうなりたいのなら、表に出ることを反対はしない。が、完全に隔離され、こうしてまともに口をきき合うことなどできないぞ?』

『でも、なんだか話を聞いてると、フージェ・ハランって人を黙らせるにはあたしたちが出て行って一発がつんと言ったほうが、効き目があるような気がするんだけど』

『……おまえは本気でやりそうだから恐い』

『私が全力で止めます』

『そうしてくれ、と言いたいが、アクィナス。実は彼女たちを後宮に移そうと思っている。おまえもそこまでは見張りきれまい』

 後宮というと、あの女の園とかいうアレかな。案の定、ルイスの周りの空気が氷結した。

『どういうことです?』

『残念だが、この天都王城内でもっとも安全な場所はそこなのだ』

『もっとも危険の間違いでは?』

『中は殺伐としているが、外からの防衛ということに関しては王の寝室よりも厳重だぞ?

 幸い二人は女性だし、少し年かさだが行儀見習いにあがったと言っても問題ない年頃だ。母が王后になる準備に人手を集めるといえば、今いる侍女たちも一緒に入り込めるだろう。身の振り方が決まるまで隠れるには最適な場所だ。礼儀作法や一般常識も覚えられるだろうしな』

『やけに周到ですね。誰の発案です?』

『……シャルルだ』

 少し嫌そうにアルが答えれば、ルイスが深く息を吐いて首肯した。

『なるほど。カトゥア大臣の言ならば、善処するに越したことはないでしょう。ならば、話し合いには大臣も?』

『ああ。あとはおまえの知った面子が来るくらいだ』

『王子。その話し合いには俺も出席するのですか?』

 恐る恐るといった口調でタクが問う。お茶を飲み干し、アルが真顔で頷いた。

『当たり前だろう。流暢に状況説明しろとは言わないから、目だけは開けて相槌を打っておけ』

『非公式とはいえ、俺ごときのものが陛下に拝謁するというのがどうにも気が進まないのですが』

『ずるいよ、タク。あたしたちも気が重いのに』

『そうだよ。一緒に来てよね?』

 テーブル越しに理緒子に上目遣いで迫られ、タクの大きな肩がしおしおと下がった。すっかり飼い馴らされてるな。

『王はあるがままの話が聞きたいとおっしゃられていることだし、そこまで堅苦しい会談にはならないだろう。おまえの手の話も聞かねばならんしな?』

 いつの間に気がついたのか、アルの眸がタクの右手を一瞥する。四十一世紀の医療は、術後二日で彼の手をもう普通の働きができるまでに回復させていた。まだ包帯は巻いているけど、抜糸も必要ない。

 そう――これからあたしたちは王様に、複雑極まりないこの星の過去と未来の話をしないといけないのだ。

『話さなきゃいけないこと、たくさんあるよ。アルも一緒に聞いてくれるんだよね?』

『もちろんだ。ずっと待っていたからな。……よく無事で帰ってきたな、二人とも』

『うん。ただいま、アル』

 そう答えてひとつ年下の王子を見つめ、はっと気がついた。出発間際アルが言った言葉――『もし旅から帰っても、おまえがおまえのままだったら……言うことがある』と。

――ああ、馬鹿だ。

 今ここで彼の目を見て、やっとその意味が分かった。あれはアルの精一杯の告白だったってことが。

――なんて鈍いんだろう、あたし。

 それはたぶん、あたしが恋愛を知らなかったせい。旅を終えたあたしは〝本気で人を好きになる〟という感情を知ってしまった。ルイスを好きになったから見えてきたその気持ちは、だからこそ余計にどうしようもないものなのだとあたしに思い知らしめた。

 つきん、と胸の奥が痛む。人を好きになる気持ちはすごくやさしいはずなのに、どうしてこんなに砕いたガラスを呑んだような痛みが走るんだろう。

 辛いのは、アルの気持ちに応えられないからじゃなく、応える気持ちがあたしの中にほんの少しあったと分かってしまったから。理緒子の言ったように、あたしは少しだけアルに惹かれていた。今さら自覚するなんて遅すぎる。

 アルにすまないと思う気持ちと、それでもやっぱりルイスを好きっていう気持ちがぶつかり合って、苦しくて彼から目を逸らした。

 それはほんの数瞬のこと。だけど、その短い間にアルはすべてを察したようだった。重苦しく口を閉ざす。居心地の悪い空気の中、やけに食器の音が響いた。

『……たとえ旅の間になにが起こったとしても』

 静かにアルが言い出す。

『二人がここに帰ってきてくれたことが、俺は嬉しい。また会えてよかった』

 思わず見つめ返した澄んだグリーンの瞳は、だけど奥に熱い熾き火をちらつかせて、あたしの心の片隅に音もなく忍び入ってきた。




今年1年ありがとうございました! みなさま良いお年をお迎え下さい!

21章はこれから最後まで毎日投稿しますね。

(次話だけ今夜11:00に予約入れておきます)

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