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21(前)-7


 映画館並みの巨大スクリーンの真ん前に陣取り、あたしは検索用のコントロールパネルを起動させた。タッチパネルとはちょっと違う。

 まずL字型のカーブを描く、鉛筆ほどの太さのヘッドセットを額から右のこめかみにかけて嵌める。すると、あたしの視界の左斜め上に小さなウィンドウが現われるのだ。これは〝ある〟けど〝ない〟、電脳上の存在だ。

 それはあたし個人の意識と直結して、知りたいことが文字や画像としてランダムに表示される。そこからまず〝選択〟。OKという意識を伝えるだけのその作業で、選択画面が現実のスクリーンに投影される。スクリーンに映った情報は、球状の操作盤の上で指先を動かすことでスクロールや拡大縮小、詳細情報の表示が可能だ。ウィンドウにはさらに意識を誘導するように捕捉情報が流れ、また選択して投影という流れができるというわけ。

――はっや!

 もちろん手打ちで文字入力もできるけど、キーを叩いたりマウスを操作するのと比べて断然速度が違う。慣れた人ならまばたきで操作するらしい。便利だけど、指先が退化しそうだ。

――でも肩こりにはならなくていいかも。

 座り心地のいい椅子で頭をヘッドレストに預け、あたしが元いた世界の情報の海で楽しくサーフィンする中、部屋にいい匂いが流れはじめる。

 源は廊下の先の調理室。レインが有機合成とやらで作りだした人参・ジャガイモ・玉葱・牛ロース・小麦粉・カレー粉・オールスパイスで、理緒子がカレーを作っているのだ。あたしも材料切って炒めるくらいは手伝ったんだけどね。あとは煮込むだけだからと調理室を追い出されてしまった。このところ理緒子の強気が著しい。

 それにしても、種も蒔かないのに元素からいきなりナマモノが合成されるのって、すごく奇妙だ。からっぽの冷蔵庫が、次に開けたら食材転がってるんだよ。どこの魔法だ。

 炭水化物+糖分+食物繊維+脂肪+たんぱく質+ビタミン+ミネラル、それに水分。これらの割合でだいたいどの食材も合成されるという。で、さらに主要な栄養素である前の五つは、炭素と水素と酸素と窒素があれば賄えたりするわけで。

――おいでませ有機化学の世界へ、だな。

 皮肉に思いつつ、ようやく自分のいた頃の地元の風景に辿り着いた。どこの国の衛星写真なのか懐かしい街景色をすっ飛ばして、緑深い山裾の小さな住宅地を目指す。

 画素数の足りない縮尺をめいっぱい低くし、自分の家とおぼしき場所に照準を当てた。二〇〇九年十月十五日に時刻設定し、夕方五時くらいから早送りを進める。

 三十分が過ぎ、変わらない緑と四角い建物の区画が並ぶ空中写真にあたしが見切りをつけようとしたとき。ザ…と画面にノイズが走った。

 画面右下の時刻は、2009/10/15/17:32:28:06。

 巻き戻し、もう一度その映像をスロー再生した。時間にして0.03秒の、まばたきより短い画面の乱れ。

――これ、だ。

 この0.03秒のノイズの間に、あたしはこちらの世界に来たのだと確信した。

 すでにすべてが過去になっている記録映像は、何度巻き戻されても一瞬の揺らぎのあと変わらぬ穏やかな時間を刻み続けている。ゆっくりと黄昏れていく、けして戻れない風景。

 ふつふつと誰にぶつけていいか分からない憤りが込み上げた。血が滲むくらい唇を噛み、泣き出しそうになる自分を抑えて画面をスクロールさせる。東に移動し、神奈川県の縮尺を下げようとして、理緒子の家の住所を聞いていないことを思い出した。

 席を立って調理場に向かいかけ――止まる。

――確かめて……どうするの?

 自分たちがその世界からいなくなったことをこの目で確かめる意味を自問し、あたしは椅子に深く腰を埋めなおした。してることに意味なんてない。ただ、自分が本当にその世界にいたのだと確認したかっただけ。それだけだ。

 見慣れた弧状の島が、次第にきらきらとした電飾の光に彩られていく。そこに流れる時間は過去であり、あたしの知らない未来だ。

 指示を出す右手の指が、操作ボールの上で動きを失う。レインに見せてもらったダイジェスト版で、日本と地球の未来は知ってしまった。だけど[まほら]に詰め込まれている何千年分ものデータは、例えばあたしがいなくなった年の野球のクライマックスシリーズの結果とか、年末ジャンボの当選番号とか、あの芸能カップルはどうなったのかとか、そんな些細な好奇心も間違いなく満たしてくれる代物でもあるわけで。

 そう考えて、ひとり自嘲する。

――そっか……そうだよね。

 あたしは向こうの世界から切り離されてしまったけど、残してきた誰もが知り得ない情報を知ることのできる立場にある。まるで禁断の果実を手にしたイヴだ。

――恐い。

 この[まほら]はマフォーランド人だけじゃなく、誰にとっても危険で甘美すぎる誘惑の固まりなのだと思い知る。現状を詳しく知ろうとしなかったユリアさんの気持ちが、少しだけ分かる気がした。知れば知るほど、きっともっと知りたくなる。ここはそんな底無しの欲望の口を開け、同時に満たすことが可能な場所だから。

――いやだな。

 素直にそう思う。悪魔の誘いのようなこの場所も、簡単に揺れ動く自分自身も。

 振りきるように画面を変え、あたしはなにも考えなくて済む世界に飛び込んだ。途端、静寂を破って明るい四つ打ちのリズムが室内を踊り出す。

 [Crys†allize(クリスタライズ)]という男性二人ユニットだ。今年の春デビューしたばかりなんだけど、熱狂的なファンの友人に全歌詞を覚えさせられたせいか、なにかと口ずさんでしまう。ヒューガラナの街でヴェルグと歌ったのもこの曲だ。

――やなこと思い出しちゃったな。

 あたしを捕まえた男の面影は気に食わないけど、曲に罪はない。検索でPVを引っ張ってきて、デビュー・ミニアルバムの五曲をエンドレス再生する。金髪と黒髪の対照的なイケメン二人が、フルスクリーン上で縦横無尽にステップを踏みはじめた。

『……すごいな』

 ぽつりと部屋の片隅からつぶやきが洩れる。例のクリーンサークル内にいるタクだ。

 怪我をした手の手術をレインに頼んだ彼は、サークルから現われた処置用の椅子に腰かけ、右手を小さなドーム状のボックスの中に突っ込んだ状態で数時間前から放置されている。これでも現在手術の真っ最中だ。

 調理中の理緒子に代わって指環を嵌めていたあたしは、椅子に座ったままふり返った。

『ごめん、うるさかった?』

『いや。退屈していたから、気分が変わってちょうどいい』

 本当は怪我の酷い右手首から上をまるまる交換する予定だったらしいけど、本人の意向で、できるだけ今の状態を生かし、歪んだりねじれた部位だけを治す手術になったという。

 分身を元に戻したレインは、難しい顔をしてタクの右手を細かく3D化したり細胞をとって調べたりと忙しそうにしていたけど、その実、

《状況が困難なほど燃えるよねー》

なんて言っていたから、嫌ではないようだ。ヘルメット大のドーム型手術ロボットに指示を出し終え、今は仲良くルイスと〝歪(ひずみ)〟と呼ばれる異相空間で戦闘している。

 稀人の力を訓練するために創られた淡い蒼に輝く球状のそれは、あたしたちがいるこの場所とほんの一枚違うだけだそうで、姿はぼんやり見えるのに音声や衝撃は一切伝わってこない特殊な空間だ。その中でアニメ顔負けの身体能力を見せているルイスには、もう心配する気も起こらない。出てきた時に髪の毛が焦げてなきゃいいなと思う程度だ。

 メインステージの奥で浮遊するその球をちらりと見やり、タクの足元のサークルに視線を落とした。手術進行率65.9%、予定残り時間00:58:26と蛍光緑の文字が浮かぶ。

『タクも大変そうだね』

『ルイスに比べればましだとは思うが、座っているだけがこんなに苦痛とは思わなかった』

『ほかの曲聞く? かけてあげるよ。理緒子のいないうちに、タク好みの美女とか』

「……なにか言ったー?」

 せっかくタクをリサーチしようと思ったのに、廊下から歩いてきた人物のせいで目論見が砕け散る。白いフリルのエプロンを外した理緒子は、大画面で踊るメンズ二人に声をあげた。

「わー、[Crys†allize]だ。なつかしー」

『だよねー』

「ママが好きなんだよね。クリスの超ファンなの」

『若いな、理緒子ママ』

 クリスは金髪で、ダンス担当の童顔垂れ目のファニーフェイスだ。理緒子は背もたれにエプロンを引っかけ、肘掛けのあたしの右手をとって中腰で画面を仰ぐ。

『そういえば前も歌ってたもんね。真紀ちゃん、どっち派?』

『うーん、あたしはコンビ派だな。友だちが完全アリゼ派で、徐々に洗脳されつつあるけど』

 アリゼは黒髪の歌担当で、美少女顔負けの色白クールビューティ。腰つきに惚れたという友人はかなり腐的な頭脳の持ち主で、そういった意味でもこのユニットは絶大な人気だ。

『……二人の世界では、これが普通の歌なのか?』

 タクの疑問はもっともだけど、ジャンルがありすぎて普通というものを答えようがない。あたしはポップスやロックなどの音楽の分類を説明しながら、コントロールパネルをいじった。

 テレビ番組も結構保存されていたので、少し前の定番音楽番組のランキングを映す。タクが目を真ん丸にして、男女の移り変わる画面を凝視した。

 あたしが半分避けた席の右側に腰掛けた理緒子が、あ、と声をあげる。

『過去にさかのぼってるんだ』

『なんか未来、見る気なくて』

『……うん。分かるよ』

 似たような気分なのか、短く同意する。

『理緒子も操作してみる?』

『ううん、いい。ね、もっと思いっきり古いの観ようよ』

 理緒子に乗せられ、歌謡曲からアニソン、昔の洋楽まで雑多に選びながらどんどん逆行していく。恐いのは、わりと親世代のも歌えちゃうところだ。刷り込み、みたいなものなんだろうか。

 過激なPVが映るたびにびくっとしていたタクも、徐々に慣れたのか、ノリノリで口ずさみながら振り付けを真似するあたしたちに腹筋を震わせはじめる。

『タク、笑ってないで一緒に踊って』

『まだ手術が終わらない。あまり動くと警告が出る』

 袖に房飾りをつけたおじさんと一緒に手をひらひら動かしていた理緒子が、席を降りて光るサークルを覗き込んだ。

「あと三十分だって」

『よし』

 きらりと理緒子と目を合わせる。そして三十分間、あたしたちV.S.タクのお笑い攻防戦が開始した。



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