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21(前)-5


 あたしたちは、[まほら]の優れた科学技術を悪用したソロンさんの魔法で、時間と空間を超えて喚び寄せられた。一方通行のそれは、メインコンピュータと同化したレインが帰れないと断言したのだから、たぶん本当に帰るのは無理。

 だけど、レインはルイスの眠っていた超能力を開放して、みずからも魔法を習得しようとしている。もしこれがうまくいけば、こちら側から扉を開くことも可能かもしれない。

 でも。だが。しかし。否定の言葉ばかりが頭をめぐる。

――本当にできるのかな……。

 叶わない希望を抱くのが嫌で、あたしがカエルを抱きしめていると、ルイスがひょいとそれを取り上げた。

「目の前に私がいるのに、他のものに熱い視線を注がないでくれ」

「物だよ?」

「物でも」

 腰をかがめて、唇を寄せてくる。懐かしい石鹸の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。

「ね、ほんとに異界の扉開くの?」

「どこまで可能かは分からない。が、レインの力は強い。私が協力することで、もし彼が魔法を自在に操ることができるのであれば、試してみる価値はあると思う。……君を帰したくはないけど」

 青い瞳が複雑に揺れる。きっとあたしの瞳も揺れている。帰りたい。でも離れるのも恐い。

「可能だとしても、それがいつになるかも分からない。まったく初めてのことだから、君たちを実験台にすることもできないしね。だが例えばの話、実際に移動できなくても遠話鏡のような形で話ができたり、手紙のやり取りができればいいと思うんだ」

 遠話鏡は、ルイスがアクィナスでしていた鏡を使ったテレビ電話みたいなやつだ。

 ぱっと彼を見上げた。

「それ、すごく嬉しい! できるの?」

「努力はする。あまり期待をされるとつらいが……君たちも家族に無事を報せたいだろうしな」

「うん!」

「それに結婚の許可ももらわないといけないし」

 やっぱりそこか。

 あたしはベッドのマットレスを手のひらで叩いて、隣に座るよう促した。マント姿のまま、ルイスが腰を下ろす。

「なに?」

「ううん。もうちょっと二人で話したいなと思って」

 あたしだって、らぶらぶなシチュエーションを愉しみたいと思うわけですよ。

 なのにルイスは、少し驚いた顔をしてわずかに目を伏せた。

「早く異界の扉を開けに行けと、せっつかれるかと思っていた」

「だって、どうなるか分かんないでしょ? 急がせる気はないよ」

 ルイスは一度こうと決めたら実行する人だ。どんなに難しくても、きっと扉を開けるために努力してくれる。それが分かっていたから、早くしろとだだをこねてお尻を叩くような真似はしたくなかった。

「連絡をとりたいんだろう?」

「そうだけど、悪いのはソロンさんなんだし、ルイスが責任を感じることでもないじゃない。会いたいし帰りたいけど……こっちでもルイスが心配しないでいいって言ってくれたし」

「もちろんだよ」

 あたしの左手をとり、右手の指を間に通す。

「君に気を遣わせてしまうようで、すまない」

「ううん」

「できるだけ、扉を開く努力はするよ。だけど確約はできない」

「うん」

「それに、開いても君を帰すとは約束できない」

「……るいす?」

 ぎゅ、と指に力がこもる。ちょっと痛いんですけど。

「君を帰したくない。これが私の本音だ。忘れないでくれ。君をここに繋ぎ止めておくためならなんでもする」

「ルイス。さっき、もしあたしが二度と会いたくないって言ったら、どうするつもりだった?」

「姿も素性も変えて、別人として現われる。それで改めて君に迫る」

 微笑む唇があやしく見えるのは、幻ではないはず。

――ほんと、あたし男を見る目を養おう。

 心の中の決意を見抜かれちゃいけない。

「ちょっとストーカーだからそれ」

「君が出て行けと言わないでくれてよかった」

 もし出て行けと言ったらどうなっていたか、想像したくないデスヨ?

 ゆっくりすると決めたのか、ルイスが腰の剣とマントを外して、ベッドサイドに置いた。

「君にたくさん質問をされたから、私からもひとついいかな?」

「うん。なに?」

「〝しーくん〟って誰だ?」

「…………」

 そこ?そこ聞きますか??

 スルーされることを期待していた、いや半分なかったことにするつもりだったうっかり失言に、言葉もなく蒼ざめた。

 こちらを窺う青い瞳が冷気を増す。

「マキ?」

「え……ええと。な、なんのこと、だろう……ね?」

 〝ね〟ってつけちゃった。つけちゃったよあたし!

 おかげで「なんの話かワカリマセーン」とすっとぼけることもできなくなってしまい、あたしはおろおろと言葉を探した。ルイスを包む温度がさらに下がる。

「マキ」

「あああ、ごめん! あの、ね。ちょっとあのとき寝ぼけてて」

 だめだあたし。さらっと受け流すオトナの女性にはなれませんでしたごめんなさい。

「ちょっと……間違えて、その……うちの、犬と」

「……イヌ?」

「え、あ、うん。そう、なの」

 はああ、言っちゃったよおぉ。

 でもまだ手を握ったままだから、そこまで怒ってないのかな、と思ったら違った。

「マキ。それは、家で飼うと言っていた動物のことか?」

 ぴんと張り詰めた低い声音。尋ねる口調が、永久凍土並みの硬度を帯びている。

「う、うん、あのね。三年くらい前に、スーパーの駐車場で捨てられてたのを見つけたんだ。足を怪我してて、毛も伸び放題のもつれ放題でひどかったの。元気になるまで家で看るつもりだったんだけど、貰い手もなくて、もう兄の喘息も治ってたからそのまま飼うことにしたの」

 ルイスの反応を見るのが恐くて、一気に言う。

「しーくんっていうのは呼び名で、本当はシナモンっていうんだけど、ときどきあたしの枕元で寝ることがあって、だからね」

「どのあたりで間違えたんだ?」

 そこが一番言いにくいんだよね。

「その……シナモンって毛並みが金色で」

「……」

「ほ、本当はゴールドじゃなくて濃いクリームなんだけど、きれいな金色で、しかもちょっと長めで」

「…………」

 あああ、その沈黙がつらい!

「だから……ごめんね?」

 手を握ったままうつむくルイスを、こわごわと横から見上げる。

「その、イヌと、勘違いしたと」

「だ、だって、寝てるときにしーくん以外あんな近くにいることなんてないし……完全に寝ぼけてたし」

「……そうか」

 吐息がひとつ洩れる。

「ごめん、ルイス。怒った?」

「そのイヌの毛並みと色が一緒だったから好きになったと言われたら怒る」

 さすがにちょっと噴いた。

「そんなわけないじゃん。だって全然違うよ?」

「そうか」

 やっとルイスが少しだけ笑った。よ、良かった。

「ほんと、ごめんね?」

「いや。私ももう少し冷静に考えればよかった。君が軽々しく異性と同衾するようなひとではないと分かっていたはずなのに。馬鹿だな」

 どうきん。日常生活では絶対使われないその言葉を咀嚼するまで、しばらくかかった。

――もおおぉ、ルイスってば妄想もいいとこだよ。

 彼の頭の中で起こっていた出来事を察して、耳の先が熱くなった。ルイスも勘違いが気まずいのか、照れたように左手で顔を覆っている。

「……あたしそんなにもてないって言ったじゃん」

「うん。見る目がなかった異界の男たちに感謝しよう」

 どんな感謝だ。

「少なくとも、異界の扉が開いても、私はタキトゥスのように斬りに行く相手がいなさそうで安心したよ」

「タクの相手って、理緒子の元彼のこと?」

「そう。二人いるらしいが、彼の腕前なら問題ないだろう」

「や、問題あるって。斬りに行ったらだめだよ? ふつーに犯罪だよ?」

「君の世界に決闘はないのか?」

「ありません!」

 いくら過去でも江戸時代から来たわけじゃないんだよ。決闘も仇討ちもハラキリもNG!

 きっぱり否定すると、今度はなにやら考え込むルイス。

「どしたの?」

「いや、決闘ができないなら闇討ちするしかないのかと思って」

「……なぜ二択」

 男同士でどういう会話してたんだよ、まったく。

「もールイス。異界の扉開いても、絶対タクにはしばらく内緒にしててよ?」

「分かった」

 笑いながら頷かれると、そこはかとなく不安がよぎるのですが。

――ま、いざとなったら理緒子が止めてくれるだろうし。

 考え、あたしは不思議に穏やかな気持ちに包まれていた。あれだけ、心の底が焦げつきそうなくらい帰りたかった元の世界。それが目の前で掴み取れそうになった途端、なぜか手を伸ばすことにためらいがある。

――どうしてだろう。

 帰れないと一度覚悟を決めただけじゃない。ルイスと想いが通じ合ったからでもない。

――あたしは、どうしてあんなに向こうの世界に帰りたかったんだろう……。

 友だち。家族。自分の居場所。十六年という時間。

 急に知らない世界に放り込まれたことで、あたしはそれが全部絶たれた気がしていた。だけど、〝あたしの〟時間と世界は、あたしが〝今〟いる場所で続いていくんだ。

 友だち。好きな人。自分の居場所。これからの時間。それはどちらの世界で築いていっても、あたしがあたしである以上、真実だ。

――大丈夫。大丈夫だ。

 あたしはあたしらしく生きることを辞めない。それでいい。

 この勇気をくれた手を、そっと握りかえす。問いかけるように、ルイスがあたしを見た。

「ね、ルイス。あたし、帰るならアクィナスがいいな」

「……天都じゃなく?」

「うん。ルイスのあの家がいい。またお庭を見ながら、一緒に朝ごはんが食べたい」

 ルイスが一瞬あたしをまじまじと見て、はにかむように顔を伏せた。

「うん……そうだな。そうしよう」

「そしたらルイス、天都とアクィナスの往復になっちゃうね。一週間に一回くらいしか会えないかな? でもその間、あたしはこっちの勉強をすればいいもんね」

 不確かな未来を紡ぎ出すように、でたらめな言葉を連ねる。

「あー、けど確実に理緒子とは離れちゃうなあ。きっとタクのとこに行くって言うよね。鏡電話があるから寂しくないかな?」

「……マキ」

 あたしの妄想を断ち切り、低く名前が呼ばれる。手を離し、ルイスは自分の腰にくるりと回してある金色の帯――剣を固定する剣帯から、小さな飾りをひとつ取った。

「これを君に」

 その飾りは金属で、小さいのに重かった。フックのついた下に丸い飾り部分が下がっている。丸いコイン状の中央には、どこかの寺院の屋根の上にいるような派手な鳥が一羽。

 手の中の落とされたそれを、あたしはしばらく眺める。精緻な彫刻と使い込まれた輝きに、単なる装飾品でないのはすぐに分かった。それにこの鳥は、どこかで見たような気がする。

「これ……」

「アクィナスの紋章だ。伝令の神フェイオーだよ」

「フェイオウ?」

 くり返すと、ルイスが首を横に振った。

「それは植物。こっちはフェイオー」

 〝オウ〟と〝オー〟で違うらしい。もういちど慎重に発音する。

「ふぇい、おー?」

「よくできました」

 目を細め、ルイスがおでこにキスをする。ぬうう、子ども扱い。

「フェイオーはアクィナスの祭神だ。この紋を持てるのは、アクィナスの直系四親等までと定められている」

 アマラさんから聞いた話が甦る。神官の血を引くアクィナス領主は、唯一光と闇を行き来できる神フェイオーの加護を受けていると。

「そんな大事なもの、あたしが持ってちゃまずいんじゃない?」

「君だから持っていて欲しい。これは物だけど、少なくともこれを持つことで、君はアクィナスの者であると判断される。いいことばかりではないが――マキ」

 囁いて、あたしの体をそっと引き寄せる。金の飾りを握る手を広い両手が包んだ。

「私は騎士ではないから、君に忠誠を誓うことはできない。だけど、この紋章に懸けて君に誓うよ。私が君の家になる。君の帰る場所は、ずっとこの私で居させて欲しい」

 家。それは単なる住居(ハウス)ではない。居場所(ホーム)だ。

――〝私が君の家になる〟。

 突飛な言葉かもしれない。だけど、それはなぜだか、あたしの心の深いところにすとんと落ちた。

 ルイスが無条件にあたしを受け入れようとしてくれていることを、頭じゃなく心が理解した。好きだとか結婚しようと言われたときよりも、全身が震える。熱い固まりが胸の底からせり上がった。

「あたし、ルイスの家族に、なれるかな?」

「なってくれないと困る」

「これ、大事にするね」

 返事の代わりに、ルイスが唇を重ねてきた。紋章を持ったまま、彼の肩に手を乗せる。

 満たされすぎて足元がふらついた。こんなに与えてもらって、あたしは一体どれくらい彼に返せるんだろうと頭の片隅で考え、唇を離す。

「だけど、フェイオウが鳥だとは思わなかったな。あ、フェイオーか」

「実はフェイオウは、花の形がフェイオーに似ていることから、その名前がついたんだ。別名神鳥木とも言われる」

「じゃあ、フェイオーっているの?」

「神話とは別に、その名前をつけられた鳥は実在する。赤い体に虹色の翼を持つ稀有な鳥だ。目にしたものはほとんどいないが」

「へえ」

 もう一度手の中の紋章を眺めた。金に浮き彫りにされているその鳥は、触角のような鶏冠(とさか)に長い飾り尾羽が蔓草みたいにたなびいて、とても豪華だ。これが実際に空を飛んでいたら、本当に神さまの御使いに見えるだろう。

「そういえばお披露目のとき、あたしフェイオウをつけたんだっけ」

「ああ。君がアクィナスに現われたから、誰かが気を利かせて選んだんだろう。リオコのつけたキッキーナは国花だが、同時に光の神アーミテュースを象徴する。フェイオーはアーミテュースの伴神だから、乙女の供だと言った君にふさわしいだろうしね」

 炎のように花弁のひるがえった大きな赤い花。一人勝手に自棄になって、その花飾りを短い時間しかつけなかったことを思い出し、あたしの胸がつきんと痛んだ。

「今度はちゃんと、みんなの前でつけたいな」

「そのときは私も隣にいよう。君が逃げ出さないように見張らないと」

「逃げないってば」

 あたしにはもう居場所があるのだと、手の中の金色の鳥を指先で撫でる。

――ルイスの家は鳥の紋章かあ。酉年(とりどし)生まれだから、なんか嬉しいな。

 正確には酉は鶏だから、フェイオーとはだいぶ違うんだけど。にこにこと眺めていたら、ルイスが微妙な顔になった。あたしから取り上げたカエルクッションを抱えて、こちらを向く。

「そんなに喜んでくれるとは思わなかった」

「あのね、あたし酉年生まれなの。だからなんだかすごい偶然だなあって」

「とりどし?」

 む。マフォーランドに干支はないのか。三千年先の未来はやっぱり違う。

「えっと、十二支っていうのがあってね……」

 一生懸命あたしは干支の数え方と呼び名と伝説について説明した。カエルの頭の上で腕を組み、その上に顎を乗せてルイスがふーんと頷く。

「年に動物の名前がつくのか。面白いな。だけど十二年に一度って、なにか意味があるのか?」

「よく分かんない」

「分からないのに知っているのも不思議だな。暦は他のものを使うんだろう?」

「そうだけど」

 干支はだって、年賀状とか新年のお祝いとかあけましておめでとうに必要なんだよ!

「マキが酉なら、私は何になるんだ?」

 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。

 十二支の難点は、最初からじゃないと順番が混乱するってことだ。

――えーと。あたしが酉だから、七つ上のルイスは……。

「……とっ」

「と?」

――……トラ。

 大型犬なんてかわいいものじゃなかった。

 蒼ざめるあたしの目の前で、金色の肉食獣が牙を光らせて、にやりとこちらを見たような気がしたのはたぶん気のせいじゃない。



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