21(前)-3
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今、自分が置かれている状況がどういうものか、さすがのあたしも理解した。
好きな相手なんだから、本当は喜んでいい展開のはず。だけど気持ちも確かめずになし崩し、というのは、いくらなんでもNOだ。
――でも、好きになってもらう要素ないしなあ。
顔も体型も平凡。異界から来たということで、もの珍しいという付加価値はあるけど、マフォーランド人の中で際だって目立つ外見というわけでもない。もちろん特殊能力ゼロ。
元婚約者のアマラさんが美人でゴージャスな上に仕事も有能なんて知っちゃったから、余計に自分が無価値に思える。卑屈じゃない、相対評価ってやつだ。
アマラさんの言葉を信じるなら、あたしはルイスを変えたってことだけど、昔のルイスを知らないからこれもよく分からない。
ただ言えるのは、あたしといるときにルイスは笑ってくれるということ。
それに――どこまで義務感があるかはさておき―― 一緒にいるのを嫌がらないし、離れたくないと言ってくれた。希望があるのはそれぐらい。
だったら、まな板の上の鯉のままはいどうぞ、というほうが想いが叶そうだ。だけど、やっぱりあたしはわがままな子どもだから、どうしても形よりもまず気持ちが欲しいと思ってしまうわけで。
――撃沈したら、このあと気まずいだろうなあ。
理緒子はうまくいったのかなと、青い部屋に消えて行った二人を思い浮かべる。
そんなことを考えているうちに、何日かぶりのふかふかのベッドの魅力に惹かれ、それがまな板代わりだということもすっかり忘れて、あたしはそのまま眠りこけてしまった。
さらり、というさざめきと共に、耳元で髪が重力とは違う方向へ流れ、あたしは薄目を開けた。体をねじると、よく似た白い部屋着に着替えたルイスが、ベッドサイドに腰掛けてこちらを見ている。
「……ごめん、寝てた」
「疲れているんだろう。仕方ないよ」
洗いたて乾きたてのまばゆい金色の髪が、軽やかに彼の肩口から流れ落ちる。
いつもシンプルに後頭部できっちり束ねている髪が、たまにこうやって解放されているのを見るのが好きだ。雰囲気がぐっとやわらかくなるし、なにより心を許してもらっているような気になるから。
起き上がり、くるりと丸まった髪の先を摘む。
「すっかり乾いたね。お風呂大丈夫だった?」
「溺れてはいないよ」
「違うってば。使い方分かったかなって」
さすがに未知の機器類だからと心配したけど、余計なお世話だったようだ。あたしじゃなくて管理している約一名が。
「お節介な神がいちいち指示を出してきた。今度はもうすこし静かに入りたい」
「ルイス、ほんとにレイン嫌いだね。なんで?」
「君はあれを〝神〟だと思うか?」
「ううん、全然」
「私もそうだ。だが、目に映る姿そのままの君と同じ年くらいの青年でもない。成熟した大人の男性だ。あまり親しまないほうがいい」
「なんで分かるの?」
「彼が〝テレパシー〟というのは双方向性だと言っていたのを憶えているか? 彼に力を開放されたときに、ほんのわずか彼の記憶が視えた」
「え、じゃあ――」
言いかけたあたしの唇を、ルイスの人差し指が押さえる。
「他人の記憶など言いふらすものではない。特に彼が言わないのに、私の口からはこれ以上言うことはない。ただ、節度は守るんだ。いいね?」
「……はい」
ひさびさの保護者モードで言われ、しぶしぶ頷く。レインの実年齢なんて、とっくにウン百才とかウン千才なはずで、親しむどころの話じゃないと思うのに。
あたしの不満を感じたのか、ルイスが釘を刺す。
「年頃の女性なら、見知らぬ男性とはきちんと距離をおいて接するものだ」
「レイン、人じゃないよ?」
「限りなく〝人に近い〟人外だ。それが幸運なのか不幸なのか分からないが」
誰にとっての不幸なのだろう、ルイスの口調は皮肉ではなく、どこか苦かった。
「特に君は警戒心が薄いからな。ファリマとも二人で会っていただろう?」
「覗き見してたの?」
「ジャメインから報告を聞いた。君がひとりになりたそうだったからあえて放っておいたが、近くにはイジーとアマラもいた。幸い危険なことにはならなかったが、もう少し用心してくれ。君は特別なんだから」
――特別……。
なんだか、もやっとする。ルイスはあたしをあまり〝乙女〟扱いしてなかったけど、やっぱり鍵を手に入れて水門を開けると、立場も変わってくるんだろうか。
「ルイス。あたしを偽者だと思ったことはない?」
青い目がやや驚く。軽く弧を描いて笑みを作った。
「ないよ」
「なんで? だってルイス、最初っからあたしを異界から来たって信じてたじゃない。普通もうちょっと疑うもんじゃないの?」
「私は、自分の魔法士としての力をわりと強いほうだと自覚している。君と会う直前、その私の感覚でも捉えきれない何かが起こった。あのとき私が、なぜ暗闇にいる君をすぐに見つけたと思う?」
「探しに、きてた?」
「なにが起こったか確かめに行こうとして、そこへ君が現われた。疑う余地がどこにある?」
あたしがどうの、ではなく、ルイスの魔法士としてだかマーレインとしてだかの力が理由だとは思ってもみなかった。これだけ聞いたらどんだけ自信家?って話だけど、魔法士の実力はもう嫌ってほど見ちゃったし。
「真偽の問題は、君よりもリオコのほうが切実だっただろうな」
「理緒子? なんで?」
「今だから言えるが……リオコの手荷物は、王手ずから調べられたという。つまり王は、最初のうち彼女が偽者であると強い疑いをもっていたのだと考えられる」
「え……」
「王は、異界の乙女を見つけたものに王位継承権を委譲すると公言した。これはクガイどもの口を封じて王の都合のいい者を次期王に据えるための策だと思っていたが、違っていたようだ。思惑は分からないが、王は〝異界の乙女が現われない〟ことに確信に近い気持ちを抱いていたのだろう。
だが――よりにもよって本来の第一継承者である王子が、乙女らしき少女を連れてきてしまった。偽者を連れてくれば、確実に極刑だ。だから、王は確認と会見を急いだ」
「え、じゃあちょっと間違ったらルイスも?」
「そう。だが単なる魔法士が連れてきた少女よりも、王子が連れてきたものが偽者だった場合の方が、社会的影響が大きい。ヘクターは眠れなかったろうな」
あたしがあまり調べられなかったのは偽者でも影響が少ないからって、どうだよ。しかも、やっぱり首切りは本気だったわけで。ぞわりと悪寒がはしる。
微妙な笑みを唇に貼りつけ、ルイスが続けた。
「リオコが本物だったのは王にとって驚天動地だったろうが、同時に重大なことを意味した。王は何らかの形でリオコが本物だという証拠を見つけたということ。そして根拠となるものを王が秘匿していたということだ」
「ユリアさんの何かが残っていたのかな?」
「そうとしか考えようがないな。まさか前の乙女が王妃だったとは考えつきもしなかった……まったく」
溜息混じりに呟き、ルイスがベッドの上に足を移動させた。あたしに向き直り、手をとって、投げ出した足の間に下ろす。正座を崩して座るあたしは、ルイスの長い足にちょうど囲われた形になった。
「帰ったら、王を問い詰めないといけないな。大仕事だ」
「答えてくれるかな?」
「この[まほら]の存在と引き換えなら、国も買えそうだよ」
軽く言われたけど、ちょっと複雑になる。この国この世界と、あたしの生まれ育った星が負った歴史がここにあるのに。
「……王様、どうする気かな」
「分からない。ここで悩んでも仕方ない。あまり考え込みすぎるな」
ルイスの長い指が、あたしの髪の毛を梳くように撫でる。
「今はとりあえず帰ることだけを考えて――」
言いかけて、ルイスは言葉を切った。〝帰る〟という言葉がもつ意味の差に、気がついたのだろう。あたしは〝帰れない〟。
気まずい沈黙。さらさらと、乾いた髪があたしの頬を流れすぎる。
「ねえルイス。天都まで一緒に帰ってくれるよね?」
「ああ、もちろん」
「そのあと、は……?」
ぐっと涙がせり上がり、唇を噛み締めてこらえた。
「天都から帰って、そのあとはあたしたち、どうなるの……?」
「大丈夫だ、心配するな」
「だって、もう旅は終わりなんでしょ? みんな元の仕事に戻って、だけどあたしたちは……もうできることなんてなにもないのに」
「マキ」
低く囁いて、ルイスがあたしの頬を両手で挟む。
「君がいて欲しいと願えば、私はずっと君の傍にいる。約束するよ」
「ほんとに……?」
「本当だ。だから、なにもなくなるなんて思わないでくれ。君が望めば、天都でもアクィナスでも好きなところで暮らせるように手配する。君に不自由な思いはさせない、絶対に」
ついさっきまで考えていた怪しい想いも吹き飛ばして、ルイスの胸元にしがみついた。不安なときにあたたかい存在は、なによりも強烈な麻薬だ。甘美な毒。
「……帰りたいよ」
「ごめん。本当にすまない、マキ」
「すごく、すごく帰りたい。ルイス、帰りたいよ……」
十六年間過ごした世界、家族、学校、友だち。好きな音楽、食べ物、匂い、空気、言葉。
半月前に突然足を踏み入れた、草の茂る庭。お屋敷でのお茶会。天都で見た真っ赤な夕焼け。
帰りたがっているのは、きっと場所ではなくて、あたたかな思い出だ。絶対に戻ることのできない過ぎ去った時間が恋しくて、あたしは彼の胸にひとしずくの涙を沁みこませた。
力強い大きな腕でしっかり抱きしめ、ルイスが何度も謝る。祈るようにささやくように。あたしの我儘であんまり謝らせるのも悪くなり、指で目を拭って顔を上げた。
「なんで謝るの? ルイスはなにもしてないのに」
「……君が向こうの世界に帰らないことを望んでいるから」
冗談でも、ひねくれているわけでもなかった。青い瞳で真っすぐにあたしの目を捉え、ルイスは心の澱を搾り出すように言葉を紡ぐ。
「すまない。君が哀しいときに喜ぶような真似をして。だけど――」
そこで唐突に言葉を止めた。なぜか小指から指環を外し、それをシーツの上に置いて、もう一度あたしの手をとる。
「マキ。ワタシハ、アナタガ、スキデス」
思考が停止した。
なぜカタコトだ? あれルイス、今なにしゃべった?
「日本語……?」
指環はシーツの上。と確認して、再度止まる。あたしの手をとるルイスも止まっていた。
お互い顔を見合わせて、首を傾げる。ああ、沈黙の天使が飛んでいく。
「……ルイス、なんで日本語知ってるの?」
「リオコから習った」
指環を戻し、流暢に答えるルイス。
――ええい、まぎらわしい!
拳を握りしめ、大事なことに気がついた。
「ルイス、さっきなんて言った?」
「ごめん、上手く通じなかったかな。好――」
「わあああ、言わなくていいっ!」
叫んで、超特急で彼の口を両手でしっかり押さえる。ところがどっこい。
『〝好きだ〟って言ったんだけど?』
――送心術忘れてたーーーっっ!
もう馬鹿、あたし。馬鹿馬鹿っ。満面に血を昇らせるあたしを見、口を押さえられたまま、ルイスの目だけがにんまりと笑う。
『普通に言っても君はごまかして逃げそうだから、リオコに教えてもらったんだ。わりと通じる発音だと言われたんだけど?』
――もおおお、理緒子めええええぇ~っ! あ、あとで泣き倒してやるぅ!
「い、いつ……?」
『タキ=アチファに着く前の道の途中』
だいぶ前だよ。つか、そうすると――。
そこでさらに重大な問題に思い至って、あたしは一気に蒼ざめ、それから高らかに頭の先から二発目の幻の噴火を轟かせた。
「ひょっとして……あたしが言ったの、聞こえてた……?」
『あー……しばらく自分の耳が信じられなかったけど。うん、まあ』
にこにこ。にこにこ。ルイスが笑ってる。あたしは完全に負けを悟って、その場にぐったりとうなだれた。
「最悪だ……」
心の呟きに等しい、絶対に伝わるはずのない告白がめっちゃバレバレだったっていう事実に、しばらく打ちのめされる。スライムも真っ青のへたれ加減で毛布に安らぎを求めていると、さすがにルイスが不安な顔を見せた。
「マキ。ひょっとして〝ダイスキ〟の〝ダイ〟って、否定の意味だったのか?」
「改めて確認をするんじゃないっ」
えい、と特大枕を投げつける。逃げようともせずそれを捕らえ、ルイスは心得たように意地の悪い笑顔を浮かべた。
「じゃあ……強調?」
「確認するなってば!!」
はいそうです、なんて素直に言うと思ったら大間違いだぞこのやろう。
はあ、興奮しすぎて涙出てきた。
「うぅ、ルイスの馬鹿。サイテー」
もう一個の枕を掴みあげ、ぼすんと叩きつけた。笑いながらルイスが片手で避ける。
「告白して怒られるとは思わなかった」
「怒る! サイテー!」
「……じゃあ、嫌いか?」
ふっと真面目な顔に戻って、ルイスが尋ねる。
「マキが私を嫌いで、顔を合わせたくないというなら、私はすぐにここから出て行く。会いたくないというのであれば、姿も見せないようにする。そうしたほうがいいか?」
極論を持ち出すなんてずるい。これじゃ、そんなわけないって言うしかないじゃん。
「……ルイス、ずるい」
「ずるいのは君だろう。私の気持ちを察しながら、いつも逃げてごまかして」
特大枕越しに、あたしの手を握る。
「今日だけは逃げないで聞かせてくれ。マキ、君の気持ちが知りたい」
「……聞いたくせに」
「君に聞かせるつもりがなかったのなら、私も聞かなかったことにする」
「ずるいっ!」
「大人だからね。欲しいものを手に入れるためには、ずるくもなる」
重なっていた長い指が、あたしの指の間をくぐって絡む。離れないように、しっかりと。
「マキ、私のことが好きなんだろう?」
確認かよ。悔しいから、黙って彼を睨んだ。ちゃんと睨めているかは分からない。体も眼の縁も浮かされたように熱くて、涙と重なって視界がぼやける。
あたしの熱がうつったのか、ルイスの目元がうっすらピンクに染まった。
「それは反則だ」
「……どこが?」
一方的な不利が嫌で、巡りの悪い頭でなんとか反論を組み立てる。半分支離滅裂な優位ワードを並べて、最後の砦を築いた。
「反則はルイスだよ。なんで決めつけるの? ただの友情かもしれないし、家族みたいなものかもしれないじゃん。ルイスなんかずっと傍に居てくれて守ってくれて、お説教はするしセクハラだし、でもやさしいし、だけど薬は強引に飲ませるし傍にいたいって言うし、もう分かんないよ……」
「好きだよ、マキ。単なる保護した立場としてではなく、ひとりの男として君が欲しい」
「子ども扱いするのに?」
「目が離せないとは思うけど、子どもだと思ったことはないよ……そんなに」
最後の一言が余計だ。
「わがままで勝手なことするし、ルイスの寿命縮めるけどいいの?」
「良くはない。だけど……君の心を掴まえられないほうが、確実に寿命は短くなるな」
深い息を吐いて、ルイスがあたしの頭に額をこつんと当てる。
「マキ。どうやったら君にこの気持ちが伝わるか分からない。君がいない日常など、もう考えられない。君の同意なしで、このまま連れ去ってしまいたくなるのを必死で抑えているのに」
ちょっとだけ頭が冷えた。ルイスならやりかねないと素直に思ってしまうのは、相当うぬぼれてるんだろうか。
――ううん、違う。
たぶんこれが、目を逸らして逃げていたことなんだろう。あたしはルイスのうざったいくらいの気持ちにずっと包まれていた。そして、それを心地よいと思ってしまったんだ。
「ルイス」
「うん?」
「……ミ アモス ヴィ」
聞こえるかどうかの小さな声。マフォーランド語なのは、せめてもの抵抗だ。日本語再告白は今後の課題に回させてください、先生。
お互い枕を見ている視線の先で、ルイスが笑ったのが分かった。頭が離れ、あたたかみがまだ残るそこに、そっとやわらかなものが触れる。
親愛よりも熱いキス。やさしく確かめるようにくり返されるそれは、だけど最後に唇の上に降りて、限りない甘さであたしを満たした。
…やっと落ち着きました(笑)。
*追記:マキのマフォーランド語は「16-5」の最後をご参照ください。