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第21章 帰還――マキの望み(前編)


 聖地=宇宙船[まほら]=ここは別の星のとんでもなく未来。

 頭の中でそう整理して、あたしはふむと唸った。内容はすごく飛躍しているけど、話のすじとしては通る。召喚された理由も、納得はいかないが、まあそういうこともあるかなとは思う。

 疑問だった〝水門〟も、天候をコントロールできる人工衛星だと分かれば腑に落ちた。魔法か科学かといわれたら、科学のほうが信憑性が高そうな気がするのは、二十一世紀で生活していた自分からすれば当然の帰結というやつでもある。

 それでもまあ、空中をふわふわと漂う光でできた美少年なんてのは、どう考えてもあたしの知ってる科学なんかで説明のつく話ではなく。

《説明しようか?》

 にっこりと陰りない笑顔で訊いてきたけど、即座に却下。こいつ、ルイスに輪をかけてひねくれてるんだよ、性格が!

「遠慮しとく。それより、ちょっと会ってもいい?」

 [まほら]のメインコンピュータであるレインに許可を求めたのは、部屋に鎮座するベッドの上の大きな棺のことだ。亡くなっていても中は人で、興味はあったけど、あんまりずけずけ覗き込むものじゃない気がしたから。

 繊細なラインを描く顔が、やや曇る。

《気を遣わなくてもいいよ?》

「ううん、ちょっと挨拶しときたいなと思って」

 棺の中の人は、先代の乙女のユリアさんだ。百五十年前ここへ一人できて[まほら]を目覚めさせ、MICAを再起動させて天候を回復させた。

 乙女の先輩である彼女がここで亡くなっているという事実に、理緒子はショックを受けたらしくて別の部屋で休んでいるけど、あたしはあまり何も感じなかった。

――ああ、彼女はここで独りきりだったのかなあ。

 それは、寂しいなあと。思ったのはそれくらい。

 すごく冷たい言い方だけど、死んでしまったら肉体は物だ。粗末に扱う気はないけど、恐いと思うこともない。死ぬのはすごく普通のこと。

 だけど亡くなった体がこうやって大切に置かれていたということは、この国だけじゃなく、レインにとっても特別な人だったのかと、そんなことも考えて先輩に挨拶したくなったのだ。

《どうぞ》

 棺とあたしの間に漂っていたレインが、きらりと光の粒を残して横へどける。

 ルイスが気遣うような視線を送ってきたけど、一人でベッドに近づき、ガラスとも思えないきれいな透明の棺を上から覗き込んだ。

 皺だらけの肌は、良く見ると睫毛や眉毛もそのままだ。ミイラっぽくなってるのは、腐敗を防ぐためなんだろうか。

「エンバーミングとかしなかったんだ?」

《できるだけ彼女に手を加えたくなかった。本当は灼いて灰にすることも考えたけど、体を残すと約束してしまったからね》

 傍らで輝く少年を見上げる。

「なんで?」

《持っている鍵を、君たちの役に立てて欲しいと頼まれたからだ》

 自分の右腕に目を落とす。縦半分に切られた蔓草のような渦巻き模様。バーコードでもQRコードでもないこれが[まほら]の鍵だ。棺に視線を移し、頭上の少年にそれを差し上げる。あたしの意図を察したらしいレインがため息を吐いた。

《そうなんだ。実は鍵は、生身の人間が所有しないと意味が無い。なにかに写しとることも、保存もきかない。ついでに鍵の所有者の意思と反して行使させることも不可能だ。常にその鍵は僕と連動して、精神状態や健康状態を把握できるからね》

「ユリアさんはそのことを知ってたの?」

《……いや。鍵については知りたがらなかったから教えなかった。彼女は、この文明そのものを畏れていたんだと思う。途方も無さ過ぎて手に負えないんだと言っていた》

 手に負えないから知らなくていい。それはちょっと卑怯な気がした。

 もういちど、自分の右腕に目線を戻す。腕の内側でふつりと途切れた曲線。完結しない線の先は白い素肌で、不安定なぶんそれは自由でもあった。その半分を理緒子にもってもらうことで、あたしはどれだけ救われたのだろう。

「ひとりじゃ、しんどかったろうね」

――はじめまして。今までお疲れさま、ユリアさん。

 彼女の頬を撫でるように、透明な棺の蓋に指先をすべらす。それから手のひらを合わせてうなだれ、あたしは束の間彼女の冥福を祈った。


 あたしが選んだ部屋は角のちょっといびつな台形をした空間で、規模は狭めなんだけど、代わりに天井が高くとってあった。金属製の梁は柿渋でも塗ったような黒褐色で、床や壁も同じ色。そこにグリーンを基調としたラグや調度品がこぢんまりまとまっている。

――この屋根裏部屋みたいな雰囲気が好きなんだよね。

 たぶん前の持ち主もそういう性格だったんだろう。狭いスペースが驚くほど有効に使われている。おもちゃ箱みたいな仕掛けを嬉しげに覗いていくあたしの隣で、ルイスがその右斜め上をいく極上の笑顔を浮かべていた。

――……ちょっと不気味。

 まあご機嫌になるのも仕方ない。彼はさっきレインから、念願だった魔法話の指環の試作品を貰ったばかりなのだ。機能が違うせいか理緒子のもっている指環より形がシンプルで、台座は同じ金だけど、石の色は青。それを左の小指に嵌めて、にこにこと眺める金髪美青年――なにかが非常に残念な感じだ。

 こっそり溜息をついて、蛇腹状にのびていた巨大ハンガーラックを壁に収納し、その隣のドアを開けた。どうやらトイレと洗面所、一番奥は浴室のようだ。小さなバスタブがひとつ。

「わあ、お風呂だー」

「一緒に入ろうか」

「……」

 ちらりと隣の男を睨んだ。小さく息を吐いて気を鎮める。

「どう見ても一人用だから」

「そう? 平気だよ、マキはそれほど大きくないし」

 閉鎖的な空間に響く、艶のしたたる低声。やけに傍で聞こえたと思ったら、後ろからふわりと大きな腕が抱きしめてきた。

「ほら。すっぽり収まる」

――……なんだ、この状態は。

 落ち着けあたし。落ち着けおちつけオチツケ、と自分に言い聞かせる言葉があやうく言語崩壊を起こしかけ、慌ててその腕をとった。途端、横合いから至近で覗き込む青い瞳。

「なに?」

――ひ、卑怯だ。

 分かってるんだよ。嫌ならふり払えばいいし、大声でそう言えばいい。問題は、どうしようもなく心臓がばくばくして頭は現実逃避してるのに、心が逃げたがっていないってこと。

「私とじゃ嫌か?」

「や、で、でもお風呂って一人で入るもんだし」

「せっかく二人きりになれたんだ。少しの間も離れたくない」

 そのうえ、彼の口から出るのが日本語だってこと。まじでこのストレートパンチはきつい。

――ルイスと日本語……似合わなさすぎる。

 不思議なことに同じように変換されているはずなのに、自分で指環を嵌めて聞くときよりも、今のほうがだんぜん違和感が少ないんだ。

 前が口パクの吹き替えを聞いている感じなら、今のルイスは生まれも育ちも日本人並みの自然さだ。違和感といえば、電話越しの声のように少し音に紗がかかっているくらい。それも聞きはじめにあれ?と思うだけで、慣れればほんとに分からなくなる。

 なのに言ってることは、イタリア人もびっくりのくどき文句なわけで。日本語と甘ったるい台詞は、お味噌汁に砂糖入れちゃったくらいの相性の悪さだというのに!

 や、確かに前からルイスはスケベ親父なところがあって、おいおいって台詞を平気で言う人だったよ? だけど魔法士戦の後であたしが抱きついて以降、好きだって言ったのは通じてないはずなのに、糖度がなぜか五割増しなんだよ。

――あたし、ルイスの何を踏んだんだろう。

 どこにスイッチがあったのか、困ったことに記憶にない。

 レインに吹き飛ばされたときも、あたしが代わってあげられたらって考えたけど、そこまで気持ちは読んでないはずだし――ちゃんと告白する前にこんなことで好きってばれるのは嫌だな、とは思ったけど。

 それなのに、あの不機嫌が嘘みたいなべたべたぶりは恐いくらいで、同じほどそれを信じたがってる自分の弱さにほんと呆れるしかなくて。この部屋に来るのに、お姫様抱っこされるのを回避するので精一杯だった。

 ぐるぐる回る想いの中で、身動きがとれない。胸の前で交差する大きな腕に手をかけたまま黙り込むあたしに、ルイスがふっと笑いかけた。

「冗談だよ」

――じゃあ、本当は一緒にお風呂入りたくなかったの?

 なんて考えてしまう自分が、ほんとに面倒臭い。

 押されても困るし引かれても嫌だし。こんなあたしを扱うルイスが一番困るんだよね。だけど離れようとする腕をぎゅっと握ったりなんかしたりして、あたしって馬鹿!

「マキ?」

 やや驚いたように再び覗き込む瞳。同時に背中が離れた。チャンス、とばかりにルイスの腕を押し開いてそこから抜け、くるりと向き直った。顔も見ずに、広い胸をぐっと両手で押す。

「はい、ルイス退場!」

「え、なに?」

「いいから退場! 荷物よろしく。あたしお風呂入るからっ」

 肩掛け鞄を渡し、訳の分からないままのルイスを洗面所から押し出す。お相撲さんもびっくりの突っ張り具合だ。だけど物理的に離れないと、もう考えすぎて頭がショートしそうだった。

――ごめん、ルイス。

 ルイスが悪いわけではないのに全部彼のせいにして、あたしは狭い個室にこもった。


 気を落ち着けるために、まずは念願のトイレに向かう。久しぶりの近代的?な水洗だと思ったら、使用済みのもろもろが風圧で吸い込まれるのにびっくりしたけど、とりあえずすっきりだ。それから言った通りお風呂に入ろうとして、着替えがないことに気がついた。

「あー服、どうしよ」

 ドアに背をすがりながら、ぼんやり呟く。独り言言ってる段階で相当やばい。

 すると洗面所の横の壁が一ヶ所ぽつんと緑に光り、その下が大きく口を開けた。口の中に畳まれた白い衣類がひとつ。両手で広げれば、変わった襟をした長袖のゆったりめワンピースだ。

「わあ、これ着替え? ズボンないの?」

 空気に向かって訊くと、開いた口にぱさりともう一枚畳まれた布が落ちてくる。足首までありそうなワイドパンツ。

――これならルイスも文句言わないかな。

 宿で彼の服を借りたときのやり取りを思い出し、脳内で服を組み合わせてあたしは満足する。

「あ、でもタオルが荷物の中……」

 また呟くと、今度は浴室のドアの透明なタッチパネルが淡く点灯した。平仮名交じりの文字が右から左に流れる。

「どらいやーガアルカラ もんだいナイ」

「レインなの? なんで文字だけ」

「きみノ つレガ いろいろト ウルサイ」

「ルイスが?」

 なんでルイスがレインに文句を言うんだろう、と思ったら、また文字列が光った。

「きみハ モウすこシ おとこヲ みルめヲ やしなウベキ」

「余計なお世話だよ」

 まるっきり噛み合わない会話にぼそりと言い返し、悔しまぎれにタッチパネルの縁を拳の裏で打つ。それから浴室に入ってお湯が出ることを確認すると、狭い脱衣所で服を脱いだ。

 埃の舞う服を〝Laundry Box〟の文字が点滅する引き出しの中に入れ、いざ入浴! と思ったんだけど、さすがに半月近く異世界生活をしているせいか、浴槽にお湯を張ることに抵抗がある。もったいないと思ってしまうのだ。

――シャワーでいっか。

 あっさりと切り替え、宙を踊る銀色のボールから降り注がれる少し熱めのお湯に浸った。コントロールパネルで石鹸に切り替え、髪の根元も先も、爪の間まで丹念に洗っていく。砂なのかなんなのか分からないネズミ色の汚れが足元を流れすぎた。

 目を上げると、きらきらのミラーボールから落ちるあたたかい雨。

 すごく不思議だ。あたしは確かにここにいるのに、どこか遠い。目を閉じてまた開ければ、十六年間生きたあの生活が戻るような気がして、だけど前よりも確かに日に焼けた指先を見つめた。重く濡れた前髪が視界を邪魔する。

――もう、帰れない。

 頭の中でめぐる思いを整理したいのに、相談相手は全部向こうの世界だ。お棺の中で眠る女性の姿が脳裏をよぎる。

――彼女はどう決着をつけたんだろう。遺言残すなら、ソロンさんじゃなくてユリアさんにしてくれればよかったのに。

 それとも、なにも言葉を遺さなかったことが、もう答えなんだろうか。

 分かってる。あたしの答えを出すには、あたしが進むしかない。

 きゅっと唇を結んで、お湯を止める。ふり切るように全身ドライヤーで体を乾かし、白いシンプルな部屋着に着替えると、あたしは気合いを入れてリビングのドアを開けた。

「……」

 開けた瞬間、思考が停止する。開ける場所を間違ったかと、パネルに触れてドアを戻した。

「マキ? どうかしたのか?」

 ルイスの声。どうやら間違いじゃないらしいと、急に重力が二倍になった気持ちで、もう一度ドアをスライドさせた。

「どうした、そんな驚いた顔をして。君を待っていたのに」

 笑顔で告げられ、あたしの困惑は一層混沌とする。

 なぜってルイスは、どうしてだか結わえていた髪をほどき、シャツのボタンを外して上半身をあらわにした、とてつもなく扇情的な恰好で待ち構えていたのだ――ベッドのすぐ傍で。



PG-12予定です。

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