Interlude Ⅳ――彼の記憶(1)
過去に遡ります。そして暗いです。すみません。。。
2012/1/12 名称変更しました→「クオリア素子(そし)」
(1)夢と現(うつつ)
眠りは唐突に破られた。
かつてない人々の動揺の思念に意識を拡張してみれば、堅固なはずの周辺に降り注がれる、あり得ないほど無数の鈍い衝撃。
二千余名の意識の雑踏の中でも、圧倒的な輝きをもつ彼の〝声〟が怒鳴った。
《なにをやっているんだ! 小惑星帯(アステロイドベルト)の中に居るんだぞ。小惑星同士の衝突など想定内のはずだろうっ!》
《それが……防御シールドの一部が機能しません。おそらくは先程の磁気嵐の影響かと》
《なんだと?!》
《引き返そうにも、すでにアマテラス星系の磁力圏に捕捉され、後退は不可能です。このままでは本船の内燃機関が破損する危険もあります。どうか、みなさんのお力でこの危機を乗り越える手助けをしていただきたく――》
《この船を守れというのか……俺たちの力だけで》
容赦なく打ちつけられる星の雨は、この狭い世界の終末を告げるカウントダウンに似ていた。
《――……いや、僕が守るよ》
ごく自然にすべり出た言葉は、決意などという大それた想いなどではない。
そのことは誰よりも自分自身がよく分かっていた。
◇ ◇ ◇
『神よ。この世界を守りたまえ――』
二度目の目覚めは、覚醒と呼ぶほどの明白さではなかった。
すでに[まほら]の中枢と一体化しかけていたために、休眠の指示にある物理的支配が濃い。だがそれを上回る何かが、個としての自分を揺さぶった。
『神よ、貴方が本当に望んでこの世界を創られたのならば、守るすべを私に与えたまえ』
[まほら]の存在を否定して眠りに就かせ、さらには人としても変質してしまった〝新人類〟。彼が〝神〟と呼ぶものの理想図からかけ離れてしまったものたちを、一体どう守れというのだろう。
――勝手なことを言う。
苛立たしく思い、同時に〝苛立たしい〟という感情を覚えた自分自身に驚く。
――まだ……残っていたのか。
人としての自分。それは肉体を失い、宇宙のはじまりのごとく悠久の中に意識を拡散させ、[まほら]へと取り込まれたときに消えたとばかり思っていた。
精巧な人工知能をもつメインコンピュータは、だが人の頭脳とは及ぶべくもない。否、及ばぬように徹底して人たる要因を排除してあった。だから、自己判断や人のような配慮はできても喜怒哀楽は存在し得ないはずだった。
――[まほら]を超えたのか。
その想いは、力となった。
意識をもたげてみれば頭が上がり、近づこうとすれば腕が伸びて、進もうとしたら足が出た。[まほら]と直結したまま力を行使するせいか、淡い黄金の微粒子となって発光する姿は、なぜか生前の姿そのものをしていた。
――生きている間は動くこともままならなかったものを。
自嘲の想いは、しかし自身を目覚めさせた男には伝わらない。
[まほら]を操作するメインステージの前でうなだれる彼に話しかけようとするが、〝声〟は出なかった。休眠という制約が絡むのだろうか。
突如空中に現われた光の人間に、彼は一瞬驚き、膝をついて頭を垂れた。
『神よ……感謝します』
――ふん。神であってたまるものか。
自分の意志ではままならない状況を皮肉に思いつつも、聞き慣れない言葉を喋る男の表層意識に〝耳〟を澄ませる。
彼の裡(うち)を満たす力は強い。休眠状態であっても固い殻のように[まほら]を覆う、高エネルギーシールドを飛び越えた相手だ。新人類の中でも、かなりの能力者なのだろう。
意識に沈み込んで記憶を探り、一方的な雑然とした情報から、彼の住まう社会の今をなぞりとっていく。並行して、休眠するメインコンピュータとは別個に自律活動を続けるいくつかの端末に接続し、記録を読み込んだ。
――確かに酷いな。
新人類たちは、軋轢の原因となると考えた[まほら]を封じ込めたのちも、争いを止めなかった。稀人の血を受け継いで進化した〝魔法〟を武器に、彼らは互いに奪い、傷つけ、殺し合い続けた。
分かっていたことではある。人は争いを止めることなどできない。
――虚しいものだ。
ひとつの星を捨ててまで選んだ未来の結末に、もはや怒りすら湧かない。浮かぶのは、後悔を収斂し尽くした干からびた虚無感だ。
やがて太陽活動が急激に活発になり、MICAのシステムに齟齬が生じる。狂いゆく――いや〝正常に戻りはじめる〟気候。天の恵みは暴雨となり、あるいは海に吸い取られ、大地は乾ききった。
飢饉はより豊沃な土地を求める侵略へと彼らを追い立て、束の間の潤いを手にした国は、さらなる獲物を狙う。そうして繰り返された結果、大陸を統一する一大国家が作り上げられた。
調和や友愛の精神から程遠い基盤の上に成り立つ国家は、すでに牙の抜けかけた老虎であった。狩るべき獲物のなくなった大地で、虎は内側からゆっくりと腐れていく。
――この先には滅びしかない。
そう思い極め、立ち上がったのがこの男だった。
『……ここは一体なんなのだ? なんのために在るのだ?』
異質な力をもった彼は、すべてを知りたがった。クオリア素子を介在して行使されるその力は、読み取りこそ上手くできなかったものの、発する声を伝えるのに問題はなかった。
わずかに動かせる意識の中で可能な範囲の基盤を操作し、スクリーンに文字を投影する。人として自分が過ごした時代には〝世界公用語〟として政治的側面に重用された人工言語は、わずかに形を変えながら、それでも文字形や文章体系に著しい変容があるわけではなかった。
『ココハ まほら。ほしトほしノ あいだヲ とブ ふねダ』
『星の間を飛ぶだと? では貴方は、別の星から来たとでもいうのか?』
『ソウダ』
悲劇は、彼が、高度な発展をみせた異星の文明をある程度理解できる頭脳と柔軟性を持ち合わせていたことだ。
『なんということだ……』
この星と自分たちの置かれた状況を知るにつれ、ソロンと名乗った男の顔貌が醜く歪んだ。
ふと不安がよぎる。請われるままに過去の記録を見せつづけたが、それが良かったのか。
だが自由意志を取り戻したとはいえ、ほとんどを休眠下に置かれている身で行使できる力は弱い。やり場のない怒りと無力感に苛まれる、切れるような男の横顔を暗澹とした想いで眺めた。
『では、われわれに天の雨を降らせるすべはないと?』
『ほじょしすてむニ きりかえレバ いちじうんてんハ かのうダ。タダシ えいぞくてきデハナイ。まほら ガ きゅうみんシテイルいじょう つぎノ たいようめんばくはつガ おコレバ ほじょしすてむモロトモ みぃかハ かんぜんニ むりょくかスル』
『だが貴方はここにいるではないか! なぜ、この地を目覚めさせることが叶わぬのだ!』
こうして対話ができるだけでも奇跡的なのだと説明したところで、彼の無念さを慰めることはできない。
沈黙していると、彼は慣れてきた指遣いでコントロールパネルを弄りはじめた。休眠による制限を受けたままなので、新たな指示の受命や発動はできない。しかし記録媒体は、機密情報でない限りアクセスが可能だ。
単純に比較することはできないが、今のマフォーランドの文明は十五世紀初頭ほど。四千年近い未来の科学技術を理解する情報基盤など持ち合わせているはずもないのに、ソロンは時折説明を求めながら、自分なりにそれらを咀嚼していく。
『そうか……どうやっても、われわれに[まほら]を目覚めさせることはできぬのだな』
遺伝子構造が立体化して浮かび上がる画面を前にし、彼はおのれの父祖たちが[まほら]を隠した意図に想いを馳せるように、腕を組んで目を閉じる。瞼を開き、再び問うた。
『では、今の状態でミィカの補助システムを動かすことも叶わぬのか?』
答える代わりに、スクリーン上のMICAを表わす光点を点滅させた。赤い文字で〝Error〟が出ていたそこは、青い〝ON〟の文字が輝いている。
それがなにを意味するか、少し経って気がついた男は、驚いたように目をしばたたかせた。
『私の願いを聞いたのか……?』
『わたしガ おキタコトデ コノほしノ かんきょういじょうヲさっちシ ほじょしすてむガ じどうふっきゅうヲ おこナッタ』
半分は真実だ。MICAの補助システムへの切り替えは、意識する間もなく、目覚めたとほぼ同時に遂行された。しかし目覚めのきっかけが彼の祈りであるならば、それは聞き届けられたと同じことだろう。
『……だが、これも一時しのぎにすぎぬのだな』
軽く大地を打つ雨音。分厚い多重構造の壁とエネルギーシールドに阻まれて聞こえるはずもないかすかな音色は、彼ほどの力の持ち主ならば容易に耳に捉えられる。
『水門の神。貴方に守りたいひとはいるか?』
その問いかけに何と答えればよいのだろう。
《――止めろ……っ!》
制止する彼を強引に眠らせてまで、力を残らず開放した。
《――俺を、置いて逝くな……!!》
英雄になりたかったわけでも、二千余名の命を守るという道義的な気持ちからでもない。
それでも脳細胞のひとつひとつが打ち砕かれそうな激痛に耐え、心臓が沸騰して毛細血管が破裂しようと、全システムの隅々まで精神を同一化し、全長千七百メートルにおよぶ巨大宇宙艇をおのれの意識で覆い尽くした。
《――逝かないでくれ、xxx!》
すべては、たったひとりの肉親のためだった。
――ごめん……。
もう名前も定かではない、共に生きてきた唯一の兄弟。自分と同じ色の瞳を持つ男。皮肉屋でぶっきらぼうで、けして素直なやさしさを見せない彼を――ようやく家庭を手にした彼を。
常に自分を見守り続けてきた彼を。
―― 一度くらい、守りたかったんだ。
どうせ新天地の土を踏むことの叶わぬ体だから、最期の幕くらい自分で引きたかった。不完全な肉体を持つ自分が、誰よりも強大な力を持って産まれたことにようやく意味を見出せた。そのはずなのに。
――……なぜ、僕はここにいるんだ……。
肉体があるのなら、拳を握りしめて床に何度も打ち付けていたに違いない。だが力を使わずに触れれば物体など通り抜けてしまう、このおぼろな体は、すでに物体ですらない。
そんな自分がどうして、生まれ育った世界を救いたいと願う彼に、何を言ってやれたというのだろう。
『神よ。貴方がなにもせぬというなれば、私は私のやり方で、この[まほら]を目覚めさせてみせる。この世界を守るために――』
言うなり、ソロンは口早に何かを唱えはじめた。呪文の類(たぐい)ではない。この世界の魔法に呪文は存在しない。
それでも謡うように紡がれる祈りの言葉は、彼の集中力を限界まで高め、陶酔させて脳を極端な覚醒状態に導いてゆく。
画面が映し出しているのは、観測のために母星に残した定点ポイントだ。いびつな弧状の島に置かれた六つの点が光った途端、厭な感覚がその場を貫いた。
――なんだ……これは。
それは未知。感覚として掴みきれぬ膨大な何かが六つの光点へ奔り、大きく巻き取る。咄嗟に文字で制止した。
『ヤメロ……!』
かつて自分を引き止めようとした男と同じ台詞しか浮かばないのは、運命とは余程に皮肉に満ちているらしい。
当然それは聞き届けられることなく、ぱちりと青白い火花を残して、未知の力は掻き消えた――自分の目にも分かる、時空の歪みをその場に刻み込んだまま。
――まさか、これは……。
『ふ……これで過去と繋がった。あとは定期的にこれを発動させれば……』
巨大な魔法を行使したせいか、荒い息をつきながらソロンが会心の笑みを浮かべる。
『ヤメロ! ソノヨウナコトハ ゆるサレルコトデハナイ』
『今さら何を言うのだ、神よ。この不毛の地に我らを導いたのは誰だ? この地を選び、我らを生み出したのは一体誰だというのだ?』
ぎり、と歯が擦り合う。
『過去の罪はすなわち、過去の人間が償うべきであろう……?』
噛み締められた口の隙間から吐き出されたのは、数百年先まで及ぶ呪詛だ。
それは同時に、この世界の未来への寿ぎへとつながる祈り。
――……なぜ。
もしもここに肉体があるなら、頬を伝い流れる雨の雫をソロンは見ただろう。
――ただ、守りたかっただけなのに。
地球を離れ、この星へと渡ってきたこと。
生き延びるために、環境を改変したこと。
――なぜ……こんなことに……。
肉体を捨て、[まほら]と精神を同一化させたこと。
[まほら]を眠らせたこと。
そして、過去の時間から過去の人間を喚び寄せること。
――どれもがすべて……〝守る〟という想いなのに。
知らなかった。気付かなかった。
やさしさに満ちたはずのその想いが、すべてを狂わせ、傷つけた元凶だということに。
《――生きてくれ。レイン》
自分を生かしたのは、彼の願い。
――……ああ。
やさしさとは、なんて尊くて、残酷なものなのだろう。
涙の雨が落ちる。
今おのれの身が幻ならば、この想いも幻となって流れ去ってしまえばいいと願った。