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20-7

遺体の描写があります。ご留意下さい。

そして、字数が最多になりました…長いです。すみません。


《で、二人はこれからどうするの?》

 いきなりのレインからの質問に、一瞬分からなくて、きょとんとする。

《二人がここに来たのは、雨を降らせるためでしょう? 君たちが望むのなら、今すぐMICAをリセットしてシステムを再起動させる。そうするとマフォーランドに雨は降ると思うけど?》

『あー……』

 真紀と顔を見合わせ、考える。

『ね。そもそも、なんで雨降らないの?』

《トヨアシハラ――マフォーランド人の言うテーエに、ひとつの大陸しか存在しないからだ》

 スクリーンに、平面化されたマフォーランドの世界地図が映し出される。

 いびつな楕円形の大きな陸地と下の方の島々。それを取り囲む、だだっ広い海。

《君たちのいた地球は、東西にも南北にも陸地が点在していたよね。海も分断されていた。だから天候は割合、均等な循環をみせていたんだよ。

 雨はそもそも、そのほとんどが海から蒸発した水分が雨雲となって溜まって降るものだ。雲を運ぶための風は、寒暖の差によって起きるけれど、この星では陸地がひとつ。風は主に陸から海へと流れ、内陸にまで雨雲が運ばれることは滅多にない。雨は、海に注がれる》

 いつのデータなのか、世界地図上を白い雲が渦を巻いて流れていく。天気予報で見るように早回しされたそれは、大きな大陸にはほとんどやって来ない。

 たまに大きな渦が発生して陸地の縁に引っかかるけど、あれじゃ台風レベルだ。マフォーランドの人たちが望んでいる雨とは全然違う。

《陸と海の境は、陸の熱気と海上の冷気がぶつかり合い、環境が不安定となって荒れ狂う。そのために開拓者たちは、少し内陸に入り込んだ、海に繋がる大河の畔に最初の国を構えた。その河も、やがて大部分が干上がってしまったけれどね。

 MICAは意図的にその大陸上で雨雲を発生させ、陸地の気温を下げることで、人がより住みやすい環境を作るためのシステムだ》

 スクリーンの前に立つ光の少年が、腕組みをしてこちらを見つめる。

《さて、どうする? すべては君たち二人の判断だ》

 タクとルイスは何も言わず、わたしたちの方を見ようともしない。

 わたしは画面から目を逸らし、顎に指先を当てて考えを巡らせた。MICAが再起動すれば、すごくマフォーランドが助かるのは分かりきっている。だけど、素直にそうして欲しいと言い出せない。重い気持ちが、胸の底のほうにつっかかっていた。

〝この星を護って〟

 巨人の言葉が、耳の奥でリフレインする。護る――それは、本当にマフォーランドに雨を降らせること、なんだろうか。

 MICAのシステムは、まるで夢のようだ。わたしたちが知っているものより何倍も優れた、未来の技術。でも、それがあっても美しかった地球はあの灰色の星に変わってしまった。

 もしこの判断をすることで、この星も地球のように灰色に沈黙する星になってしまったら。そう思うと、恐くて答えを導き出せない。

 真紀が、低い落ち着いた声で沈黙を破った。

『あたしは決めた。答えは、理緒子が決めたあとで一緒に言おう。お互いの判断を大事にしたいから』

『う……うん』

 そう言われると、なおさらプレッシャーだ。どうしよう。

『悩んでるなら、保留って手もあるよ?』

『うん……』

 考えるのは後回し。わたしの得意な手だ。だけど今は、それは違うと思う。

 目を閉じ、胸に手を当てて呼吸をゆっくり繰り返す。乾いた大地。熱い風。出逢ったものたち、動物、人。ルイス――タク。わたしは瞼を開けた。

『レイン、水門を開けて。雨、降らせて欲しいの』

 わたしの左手を握ったまま、真紀がほおおお、と大きな息を吐き出して、その場にしゃがみこんだ。

『よかったあああぁ~。意見違ったら、どうしようかと思ったああぁ』

『じゃあ、真紀ちゃんも?』

『うん。MICAのリセットよろしく。水門の神さま?』

 唇の両端を持ち上げ、にっとレインに笑いかける。

『ただし、ひとつ確認しておきたいんだけど……今はMICAを動かすことを頼むけど、あとから止めるということも可能だよね?』

《ああ、できるよ》

『それに、レインを眠らせるということも、できるんだよね?』

《……君たちが望めば》

 なぜそんなことを聞くんだろう。そう思って真紀を見たら、彼女は苦笑して教えた。

『あたしは最初から雨を降らせてもらうつもりだったんだ。そうじゃなきゃ、みんなで王様に首切られちゃうからね』

 忘れてた。そんな約束、したんだった。

『だけど、理緒子も悩んだと思うけど、[まほら]やMICAは文明が高度すぎて、この世界への影響が大きすぎる。それに、ここの使用者はあたしたちでも、所有者はマフォーランドの人たちのはずなんだよ。この先どうするかは、あたしたちじゃ決められないし、決めるべきじゃない。だから、凍結もできることを知っておきたかったんだ』

《君が、単なるうるさい女の子じゃなくてよかったよ》

『それ褒めてなーいっ』

 盛大に真紀が頬をふくらませる。レインはくすりと笑い、わたしたちに両手を差し伸べた。

《じゃあ、決定でいいかな?》

『うん』

『よろしく』

《承知した。――鍵を》

 金色の光でできた手に、真紀は右手を、わたしは左手をそれぞれ重ねる。

 腕に刻まれた輝く紋様が、ひとつに繋がる曲線となって浮かびあがった。光の渦巻きは、次の瞬間、身をくねらせてレインの体に絡みつく。彼の全身を未知の幾何学模様が踊り、跳ねた。

 海の色の双眸が、強く、深い煌きを放つ。そのままレインは首を反らし、わたしたちには分からない言語を呟いた――と。いきなりその体が、四方に砕け散る。光の粒となった残骸はすぐに消え、一瞬スクリーンも何もかもが真っ暗になり、やがて灯りはじめた。

 ひとつ、ひとつと空間が光を取り戻す光景の中、まだ手を差し出したままのわたしは、意識の片隅で急速に何かが構築されはじめるのを感じた。

 かちかちかちかち。すさまじい速度で、目には見えない編み棒がそれを紡ぎ出していく。

――演算子。

 まったく聞いたことのない言葉が、頭をよぎる。

――素数。不確定要素。エントロピー。位相空間。変換。解。

 意味を成さない言葉の羅列は、おそらくわたしではなくレインの――[まほら]の意識だ。瞬く間に織りあげられていくそれらは、面となり立体となって、複雑な花びらをもつ薔薇のように意識の海の中に咲きほころんだ。

 ぱりり、と指先から肘までを熱い痛みが走る。思わず指を丸め、違和感に気がつく。

――あれ?

《はい、完了》

 いつの間にか閉じていた瞼を開けると、粉々になったはずのレインが最初のときと同じ体勢で、わたしと真紀の手をとっていた。きゅ、と差し出した手を握ってみる。やわらかい、人の手の感触。

『……レイン、いつ人間になったの?』

《すべてを台無しにする台詞、言わないでよ。君たちは鍵を通して僕と繋がったから、感覚がリアルに感じられるだけ》

『へー』

 真紀が手を伸ばして、レインのほっぺたを指先で軽く挟む。

『あ、ほんとだ。つまめるー』

《……夢かどうかを確かめるなら、自分の頬をつまみなよ》

『レインのをつまむのに意味があるんじゃない』

《どう考えても、意味ないから》

『結構さわり心地いいよ?』

《おかしな趣味に目覚めないでくれる?》

 だめだ、この二人。真紀がボケで、レインがツッコミ担当にしか思えない。

 わたしが笑い出し、見守っていたタクとルイスが苦笑に頬をほころばせた頃、[まほら]のはるか上空で、雨雲の到来を告げる雷がひっそりと鳴り響いた。


 わたしたちをここへ連れてきたお礼に、ルイスが魔法環の指環を望んだのに対し、タクの望みは小さなものだった。

『みんな疲れているから、しばらくここで休ませて欲しい。落ち着いて相談したいこともあるしな』

《構わないよ。客室は存在しないけど、船室はどの部屋も居住空間として成り立つように作られている。誰もいないから、好きな部屋を選ぶといい》

 それを聞いて、真っ先に駆け出したのは真紀だ。スクリーンとは反対側の一画へ向かい、壁のように見えるそこに手を触れる。センサーでもあるのか無機質な壁はぱくりとZ型に開いて、奥に広がる細長い空間へと道を繋げた。

「わ、すごーい」

『マキ、一人で行くな』

《危険はないよ? 僕が見てるし》

 追いかけるルイスの後姿に、レインが声を投げる。宙に浮いたままうつぶせに寝そべると、肘枕をして上空からタクを見下ろした。

《本当にそんな願いでいいの? 右手の怪我治すとか、簡単にできるよ?》

『なんでもお見通しだな』

 タクが苦く笑って、いびつな右手を軽く握る。わたしは尋ねた。

『レイン、本当に簡単に治るの?』

《手首から上を丸ごと替えたほうがいいみたいだから、ちょっと時間はかかるけれどね。本人の体細胞クローンを使った代替器官を作るのに十二時間くらいかな。あと、慣れるまで少しかかるし》

『十二時間って、立派に早いよ』

 わたしは眉をしかめた。クローンなんて、どうやったらそんな短時間で出来上がるんだか。

 最先端技術を知る由もないタクは、わたしたちの会話を黙って聞いていた。

《どうする?》

 レインにふられ、彼は軽く首を横に振って、断りを示す。

『いや、ありがたいが……俺には、この手で充分だ。それ以上を望む気はない』

《身の丈を知るというのはいいことだけど、こだわりすぎても大事なものを失うよ?》

『……』

《諦観は美徳のように思われがちだ。が、それを言い訳に足掻くことを止めて、自ら可能性を閉ざす愚かさと紙一重ということを忘れない方がいい》

 どこか意味深な言い方に、タクが複雑な表情で黙り込んだ。

 タクの右手指は曲がって、怪我の痕も生々しく残っているし、ときどき上手く動かせないこともある。剣を遣う騎士という立場にとってそれはすごくハンデだと思うから、わたしは治したらいいと単純に考えてしまうけど、治すということは同時に他人の力を借りることでもある。誇り高いタクは、あまり受け入れたがらないだろう。

 それに手を丸ごと取り替えてしまうなんて、怪我から必死で回復してきたそれまでの時間を、まるで否定してしまうことにも思える。

 人工の明かりの中でも藍色の輝きを帯びる瞳が、すっとレインに向かった。

『水門の神』

《レインでいいよ》

『……レイン。先程の申し出、少し考えさせてもらえないだろうか』

《いいよ。ゆっくり休んだ後に、答えを出すといい》

『ありがとう。だが……申し出を受けるとすると、褒美を二重にもらってしまうことになるな』

《はは、気にしないで。最初から休んでもらうつもりだったし》

 よいしょ、と起き上がり、レインは空中で胡坐をかく。

《それに彼女は、ここでくつろぐ気満々みたいだしね?》

 言葉尻が終わる前に、ばたばたっと足音をさせて、探検に行っていた真紀がルイスと戻ってきた。

「すごいよ、理緒子! ホテルみたい。見においでよ!」

『ほんと? 行ってみようかな』

 ちら、と横目でタクを盗み見、わたしは通路に向かう素振りを見せた。気付いて、タクも足をそちらに向ける。

『では、世話になる』

《どうぞ。恩ならいくらでも売るよ》

『高い買い物になりそうだ』

『――レイン、変なもの売らないでよ?』

 わたしが軽く睨めば、光る少年は悪戯そうにまた笑った。

《失礼だなあ、君は。僕はわりと良心的な商売をするよ?》

『商売っていう段階で間違ってるんだってば!』

「あはは」

 同意するように、真紀の笑い声があがる。わたしは彼女と手を繋いで、通路を歩き出した。後ろからやってくるタクの気配に耳を澄ませながら。彼とレインとの会話に含まれた意味を、心の片隅で考えながら。


 真紀の言ったとおり[まほら]の中の部屋はどれも、すごく広いわけじゃないけれど、ホテルの一室みたいだった。土足なのが気が引ける。

 清潔な広いベッド。リビング。台所。シャワールーム。水を使わない洗濯機まであって、本当にここでしばらく暮らしても問題なさそうだ。

《[まほら]が地球を出て到着するまでの三十余年間、人が快適に過ごせるように細心の設計がされたからね。日常生活にはまったく支障はないはずだよ》

「うわ、どの部屋にしよう~」

 スライド式のドアを次々と開け、真紀がかたっぱしから部屋を覗いていく。造りはだいたい似ているのに、インテリアの色、形、配置が違うだけで、これでもかっていうくらい様々な内装の部屋が並んでいた。それは同時に、元の持ち主の素性も想像させてくれる。

 モノトーンで統一されたシックな部屋は、たぶん男性の一人暮らし。おもちゃの散らばった、アースカラーの部屋は小さい子供のいる家族。ピンクで統一された部屋は、若い女性。

――ふふ、おもしろいなあ。

 真紀の後ろから覗きながら、わたしは想像に浸った。オークルとコーラルピンク、黄色の小花柄を差し色にしたかわいらしいカントリー調の部屋がいいだろうか。

 真紀は、茶系のアジアンテイストの部屋が気に入ったらしいけど、決めかねているようだ。次の部屋を覗いて、わたしは『あ』と声をあげた。

 他の部屋よりも少し天井が高く、色調は暗い青と水色。リネンの白が眩しくコントラストをつけている。調度品は木彫で、磨きぬかれた木目が美しい。ベッドは天蓋付きのキングサイズだ。

――ここがいいかな。

 思っていると、真紀が「いい感じだね」と言ってきた。

『ここにしようかな』

「あたしはあっちにする」

 いつの間にか決めたらしい真紀が、向かいの部屋を指差す。行ってみると、そこは天井の梁が見える、落ち着いた雰囲気の部屋だった。床はモスグリーン、壁はダークブラウン。色の違う緑を折り重ねたような調度類は、森の中にいるようだ。

『うん、いいんじゃない?』

「タクたちはどうするのかな?」

『一人一部屋って、なんか贅沢じゃない?』

「部屋が余ってるからいいっしょ」

 なんて言いつつ、真紀はまだ他の部屋を覗こうとする。通路を行ききった角の一室に手を当て、首を傾げた。

「あれ、ここだけ開かない」

『鍵がかかってるのかな?』

 不思議に思って、つい癖で指環を嵌めた左手を伸ばす。わたしの左手と真紀の右手が重なると同時に、ぱしゅ、と軽い歯擦音がして、ドアがスライドした。

「あ、開いた」

 真紀が室内に足を入れる。そのとき唐突に、レインの怒鳴り声が頭の中に響いた。

《わ~~っ、ちょっとそこはストップ!》

 制止と同時に、傍らで黄金の光が渦巻く。なにがそんなにまずいんだろうと、わたしは何気なく室内を見回した。

 これまで見た中では少し広めの一室。いびつな半円を描く内装は、床にボルドーの絨毯が敷き詰められ、調度品は黒茶と白。小部屋のない室内を分けるパーテーションは、花柄のシルクスクリーンの入った屏風風で、どことなく和のテイストが漂う。

 中央に置かれたベッドはピンクのサテン生地のシーツで覆われ、華やかかつ上品だ。だけど、なぜかその上に大きなガラスケースが載っている。

 それを目にした途端、胸が奇妙な音をたてた。ぴしり。

 先に見つけた真紀が棒立ちとなり、こわばった顔でわたしを振り返る。

「えーと。たぶん、理緒子は見んほうがいいと思う」

 動揺しているのか、広島弁で言われた忠告に、なぜだかわたしは耳を貸さなかった。磁力に引かれるように近づき、それが何か気付いた瞬間、抑えることのない悲鳴が口からあがった。

『リオコ?!』

『どうした!』

 タクとルイスが部屋に駆け込んでくる。わたしは喘ぐように両手で喉元を押さえ、その場にしゃがみこんだ。

 ガラスケースの中にいたのは、人だった。きれいなラベンダー色のドレスに身を包み、髪を結って銀色の小さな額飾りをつけている。固く目を閉じたその人が亡くなっているのは、動かないということだけじゃなく、明らかだった。

 茶色く変色した皮膚。たるんで、しわだらけで乾ききり、骨の形まで分かるくらいだ。

――ミイラ。

 亡骸が恐かったんじゃない。この人は〝前の乙女〟だと直感的に分かったからだ。

――なんで……ミイラに、なってる、の……。

 胸の前で組まれた皺だらけの手が、自分の手の外観に重なる。わたしもこの人のようになるんだと思ったら、急に息ができなくなった。ひっと息を吸い込む。苦しい。

「理緒子!」

 真紀が気付いて、わたしの口にハンカチをあてる。ひっひっと断続的に息を呑みながら、わたしは〝彼女〟から目が離せなかった。その視線を遮るように、太い腕が、真紀ごとわたしを引き寄せる。

――タク。

 わたしを腕に抱き、だけどタクはこちらを見ることなく、厳しい眼差しを光でできた少年へ突きつけた。

『どういうことだ?』

《見たとおりだよ。君たちの言う、先代の異界の乙女の遺体だ。彼女の望みに従って、暮らしていた部屋に安置した》

 そこまで言って、レインはわたしたちにすまなそうな顔を向けた。

《君たちが見たらショックを受けるのは分かっていた。誰の目にも触れないよう鍵を掛けていたんだけど、マスターキーの持ち主である君たちには無意味だったってこと、忘れていたよ。ごめん》

 ルイスが傍らで腰を落とし、わたしを見上げる。手が差し伸べられ、治癒の魔法で少し息が楽になった。だけど、過呼吸は精神的なものがほとんどだから、楽になるのとぶりかえしそうな境目で、わたしは浅い呼吸を繰り返した。

『タキトゥス、彼女を部屋に』

『分かった』

 タクが体を抱え上げようとする。背中に回された腕を手で押さえ、わたしは首を横に振った。

『リオコ?』

 苦しくて胸が弾け飛びそうで、気持ちも混乱してて泣きそうだったけど、わたしは踏みとどまった。きちんと説明されて、納得したかった。タクを押しのけるように、一歩前に出る。

『なん……で、ここで、死んで、るの……?』

《一言で説明できる状況じゃない。君が落ち着いたら、時間を作ってゆっくり話すよ》

 もういちど強く首を振る。

『今、教えて。この人……ずっと、ここに、いたの?』

 睨むように、強く金色の少年を見つめる。

 もし水門を開けに来た彼女が、そのときからここにいるのなら、わたしたちも――?

 考えたくもない未来の姿が、悪夢となって胸の内を渦巻く。それを必死に押し殺し、レインの返事を待つわたしの手と肩をとり、真紀も彼に顔を転じた。

『それに関連して、あたしからも質問。彼女、なんでマフォーランドの服着てるの? レインが着てる未来人の服の雰囲気と全然違うよね?』

――え?

 息が止まる。ルイスがベッドに近づき、ガラスケースの中の彼女をまじまじと見下ろした。わたしも見たかったけど、恐くてそれ以上足が動かない。代わりに、隣でしゃがむ真紀に尋ねる。

『なんで、まほうらんどの服って……?』

『ルイスのお母さんが着てたのに似てたから。紫の襟の詰まったシンプルな感じのラインのドレスで、あんまびらびらしてないの』

『……父の趣味が古風なんだ。よく憶えていたな』

 そうか、真紀はアクィナスでルイスの自宅にお邪魔して、ルイスパパと揉めたりしたんだった。聞いた話を思い返していたら、気が逸れたのか、ちょっと呼吸が落ち着く。

 ガラスケースを覗き込んでいたルイスが、なんとも言えない表情でレインを振り向いた。

『確かに、初期ヴィオラ様式のドレスだ。それにこのティアラ――キッキーナとクックルが意匠されているとは……まいったな』

『クックル?』

『小さな白い鳥だ。賢くおとなしく、一生一組の番(つがい)で寄り添う。愛情と平穏の象徴で、同時にある特定の身分を指す鳥でもある。

 ……レイン。どう見てもこれは、我が国の王后の宝冠に見えるのだが、この女性は一体何者だ?』

《彼女は〝辻由梨亜〟本人だよ。ただしマフォーランドで付けられた名前は、ユーリアナ・トゥーディ。またの名をミア=ヴィオラ・ユーリアナ・ルーア・タチアナという》

『なんだと?』

『本当か?』

 タクとルイスが同時に驚愕する。わたしと真紀は、まるで置いてけぼりだ。

『いや、それで話が通じるのか。オルフェイド王のただ一人の王妃が彼女であるならば、ここに王后の宝冠があるのも頷ける』

『なぜ、オルフェイド王が異界の渡り人を王妃に?』

『例の姿の見えぬもうひとりの騎士が鍵だろうな。確か前の乙女は〝キョート〟から来たはず――これがもし〝キヨウ〟に姿を現わしたとするなら……?』

『まさか……王みずからが発見者であったとでも?!』

『可能性は高い。当時王は即位して二年、二十五才の若者だ。乙女は十八。年齢的にもつり合う。しかも、同年のキリアンとは王立学院で共に学んだ仲だと記憶している。

 私も愚かだな。ソロンの指環をもつキリアンの前に乙女が現われるなんて都合が良すぎるはずだ。逆だったんだ。乙女が現われたから、指環をもち、かつ魔法士である彼が護衛として選ばれたんだ』

 めずらしく一気に語ったルイスに、タクが深く頷く。

『なるほど、確かに話は通るな』

『むしろ、そう考えなければ辻褄が合わない。キリアンの手記に出遭いについて書かれていなかったこと、もうひとりの騎士の素性が隠されていること、乙女のその後の行方が何も伝わっていないこと――』

『ま……待ってよ、二人とも。全然話が見えない』

 男同士の会話にようやく真紀が口を挟むと、レインがおどけたように肩をすくめた。

《だから、一言で説明できる状況じゃないって言ったじゃない》

『ひとつ教えてくれ、レイン。彼女はなぜ王墓ではなく、ここに埋葬されたのだ?』

《死期を悟った彼女のほうから来たんだ。ここに骨を埋めたいと》

『なぜ?』

《彼女は、この世界をとても愛していた。彼女の夫も含めて、すべてをね。だから、この[まほら]を含めた〝過去の遺産〟がこの世界に与える影響をとても案じていた。鍵である自分の死後、再び過去を眠らせようとしたんだ》

『それは――』

 なおも問い重ねようとするルイスを、レインは片手を挙げて止める。

《いろいろ聞きたいことはあるだろうけど、今は彼女のほうが優先だ。部屋で休ませて》

『あ、ああ。そうだな』

 タクが壊れ物にでも触れるように、そっと頭を撫でてくる。後ろをふり仰ぐと、藍色の瞳がほんの少し微笑んだ。

『さっきの部屋に行くか?』

『……うん』

 疑問はぜんぜん解決した気がしないけど、それでも最初に比べて気持ちは鎮まっていた。詳しいことは分からなくても、少なくとも前の乙女がこの世界の好きな人と結婚していたという事実に、心の重荷が少しだけ軽くなった気がする。

 タクの手が背中に回り、ひょいと足元が掬いあげられる。

――ふえ……?

『じゃあ、先に休ませてくる』

『あ、あたしも一緒に』

 指先を掴んで真紀が言う声が、なんだか遠い。ゆっくりと横を見ると、すぐ傍にタクの顔。

――ち、近……。

 さっきとは違う意味で、呼吸が詰まる。一気に心臓が全力疾走をはじめた。

 体中を跳ね回る鼓動が飛び出していかないよう念じるわたしの耳を、レインと真紀の声が上滑りする。

《君はだめだ》

『なんでよ?』

《君たちは、二人でひとつのマスターキーなんだ。迂闊に一緒にはさせられないよ。君たちの行動は予測不能だからね。今回みたいなことが二度あっては困る》

『うー分かったよ。じゃ、お願いね、タク』

『ああ』

 低く答える声が、密着する胸からも震えて響く。あまりに急に距離が縮まりすぎて、息吹や心臓の音を一時停止しようと硬くなるわたしをちら、と見下ろし、タクが苦笑する。

『ほら、落ちないように掴まって』

『う、うん』

 首に腕を回すのは無理だったけど、彼の服を両手でぎゅっと握ったのを確認し、わたしを抱えたままタクが部屋から出る。

『……じゃあ、私も』

「抱っこいらないから! もお、触ーわーるーなあぁっ!」

 なんていうルイスと真紀のやり取りや、

《あっれ、僕、ひょっとして部屋割り間違えたかなー……》

 なんてレインのぼやきは、半分以上わたしの頭を通り過ぎていった。そのときのわたしは、目の前に広がる広い胸板とその上にある彼の横顔を見つめるだけで精一杯だった。



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