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2012/1/12 名称変更しました。→「クオリア素子(そし)」
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同じことを喋るのが面倒だ、という極めて人間臭い理由で、この宇宙船[まほら]のメインコンピュータであるレインの代わりに、わたしたちはタクとルイスにあらましを説明した。
科学の知識がまるでないはずの二人は、ここが宇宙船という乗り物で、それに乗って地球という別の星から来た人がマフォーランド人の祖先となったこと。
水門はその地球人が遺したもので、今は壊れてしまっていること。そのことを知ったソロンが、水門を直すために過去の地球からわたしたちを喚んだことなどの、しどろもどろな話を辛抱強く聞いていた。
椅子に座り直した真紀が、左隣のルイスを覗き込む。
『今ので分かった?』
『おおよそは。つまり君たちは、私たちの遠い祖先にあたるということか?』
出してもらった椅子に腰掛け、深く腕組みをした姿勢でルイスが訊く。
《祖先だけど、遺伝的には違う。君たちは彼女たちの子孫から分岐した、まったく新しい人種だ》
『イデン……マキが前に言っていた〝人を作る素(もと)〟だな』
『うん、設計図みたいなもの』
《……君、なんでこっちの世界でそんな話したの?》
ごもっともな疑問だ。えへへ、と真紀が笑ってごまかす。
『彼女たちとわれわれは、さほど違うように見えないが?』
《そうだね。遺伝子レベルでは0.024%しか違わない。だけど〝違う〟という事実に変わりはないよ。どんなに似ていても、事実はごまかせない》
『しかし……なぜ、わざわざ三千年も前の時代から喚んだんだ?』
タクの疑問に、レインが厳しい表情になった。答えるのが厭なのではなく、答え方が難しいという感じだ。
《僕たちの時代に近くなると遺伝子汚染が深刻でね。過去を調べたソロンは、おそらく彼女たちのいた二十世紀代以前が一番安全だと考えたんだと思う》
『イデンシオセン?』
《マフォーランド人には関係ないから詳しくは割愛するけど、より若い状態で長生きするために遺伝子を弄る人が後を立たず、三十世紀半ばにそいつらが暴走して一大社会問題になったんだ。おかげで四十世紀にもなると、個人情報にゲノム配列や遺伝子地図まで載せる羽目になるんだよ。最悪もいいとこ》
『今の地球は?』
《ああ、それを言うのを忘れていたね》
白い手がひるがえる。誰ともなく、はっと息を呑む音がその場を奔った。
そこには、あの最後に見た光を失った灰色の惑星が、まだそのまま真っ暗な宇宙の中に死体のように浮かんでいた。
《この状況下でまともな人間は存在しないだろう。ソロンもそう考え、時間軸をさかのぼることを思いついたんだ》
『すごい、ひとだったんだね』
《すごい男だ。執念だよ。彼は恐ろしく頭の切れる、偏った考えの持ち主でね。この[まほら]のある重要な点を発見してしまった。
[まほら]が日本の船だというのは分かると思うけど、いくら捨てたとしても、まだ僕らにとって地球は母星で、特に日本はとても大事な母国でね。出航前[まほら]に乗船する人々は、遠い未開の星から故郷の状況を知るために、定点となる座標を日本の各地に遺したんだ。
彼は、それを悪用した》
『まさか、それが扉……?』
《そうだ。僕らの技術は優秀でね。地球があの状態でも、映像に映るものはひとつもなくとも座標は生き続けていた。彼はそれに時限性を備えた魔法を組み込んだんだ》
『ジゲンセイ?』
《タイマーだよ。MICAの止まる原因となった太陽活動の周期予測は、この[まほら]で計算できるからね。厳密にはそこまで一定のサイクルではないんだけど、MICAが停止して天候に異常が発生するまでの期間も見込んで、彼はおよそ百五十年ごとにこれが修正されれば良いと考えた。
そして定期的に、ある条件下で発動するような魔法を定点に仕掛け、分かりやすいように予言として遺したんだ》
『条件下って、三月の合のこと? なんで合の日なの?』
《象徴的な出来事だからということがひとつ。もうひとつは、そのときだけ月が一個に見えるだろう? 太陽光を反射して輝く月は、実は太陽からの電磁波などの有害光線も地上へ届けている。ひとつに見えるということは、ここへ届くその電磁波類が一番少なくなるということでもあるんだ》
『少ないと、どうなの?』
《外部からの影響が最小限になり、正確に魔法が発動しやすくなる》
当然、天体の公転周期が分かっていれば合の日時は簡単に割り出せるものだしね、と付け加えるレインの声を聞きながら、わたしは背中を冷たいものがさかのぼるのを感じた。そこまで計算されていたのだと思うと、空恐ろしくなる。
眉を顰め、タクが考え深げに言葉を洩らした。
『執念というより、まるで狂気だな』
《その意見には賛成するよ。彼は正気ではなかった》
ルイスの青い瞳が、鋭くレインを見る。
『そこまで把握しているのに、あなたは彼を止めなかったのか? ここを管理する存在であるなら、止めるべきでは?』
《できれば僕も止めていたよ。僕は地球人としては史上最高最強だったけど、〝魔法〟は例外だ。もともと地球人ということ以前に、意識体である僕に魔法の源となるクオリア素子は浸透されない。影響を受けないだけじゃなく、それを扱うことも不可能なんだ。今言ったことは、すべて状況から導き出された推論に過ぎない》
大きな息をひとつ吐き、レインは続けた。
《正直言って、僕も前の〝乙女〟が来るまでは、ソロンの魔法が本当に発動するとは思っていなかった。まあ休眠状態だったから、それどころじゃなかったというのもあるけど》
真紀が首を傾げる。
『あれ、ソロンさんに起こされたんじゃなかったの?』
《寝ているところを強引に起こされたから、いなくなったらまた寝ちゃったんだよ》
『彼はその後どこに?』
《分からない。僕を叩き起こして歴史やこの星の状態を知った後、MICAのリセット以外で使えるものすべてを行使して天候を安定させ、次元魔法をセットして去った。もちろん記録を遺してね。魔法にほぼ全生命力を注ぎ込んでいたから、その後どうなったかは想像つくけど》
映像で見た、老人のような手をした背の高い男性の姿が瞼をよぎる。
彼は魔法士というより、まるで僧侶のようだった。そうかもしれない。彼はこの世界のために怒り、哀しみ――誰よりも救いを求めていた。
『だけど、やっぱり納得いかないよ。なんで、あたしたちなの? なんであたしたちが……こんな目に、遭うの?』
〝こんな目に〟というところで、真紀は少し語調を落とし、左隣を窺った。気にするなというように、ルイスが彼女の手を握る。
わたしたちの前に浮かぶレインはやや黙り、静かに、答えではなく問いを口にした。
《さっき[まほら]がここへ来るまでの歴史を見たよね。その中で、君たちのいた二十一世紀は特別だったと思わなかったかい?》
『特別……?』
《そう。君たちが生まれた二十世紀とその後の二十一世紀。この二百年に起こったことは、歴史上のキーポイントとなることばかりだ。
DNAの発見にヒトゲノムの解読、有人宇宙船の飛行。核エネルギーが開発され、初めて核兵器が使われたこと。二つの世界大戦。そして環境破壊の加速化と化石燃料の枯渇。これらはすべて君たちのいた時代に起きたことだ。そのどれを無くしても、今のこの星の状況は有り得なかった。
肯定的な意味でも否定的な意味でも、君たちの時代が地球を――マフォーランド人を含めた全人類の未来を決定付ける、重要な曲がり角だったんだよ》
『――過去のあやまちは、過去のものに償わせるべきだ――』
ソロンの遺した言葉が、耳元で甦る。
鉛が沈むように重苦しく沈黙するわたしたちに、詫びるつもりか、レインは胸の前で両手のひらをそっと合わせた。
《彼のしたことは、どんな理由であれ許されることではない。それは僕も認める。だけど、そこに至った彼の想いを少しでいいから考えて欲しいんだ。どんなに理解できなくてもね。これは、僕からのお願いだけど》
ふと、ソロンだけでなく、レイン自身も過去に対して同じ想いを抱いたことがあったのかもしれないという気がした。その想いはもう、彼の中で別の形に昇華してしまったのかもしれないけれど。
真紀が、うん、と首を振った。
『分かった、考えてみる』
『わたしも。納得できるか、分かんないけど』
ありがとう、とレインが小さく口元をほころばす。彼が悪いわけじゃないのに――と思い、だけど同じくらいソロンが悪いってわけじゃないんだと、そのとき初めて気がついた。
――誰も悪くないなら、なぜこんなことが起きたんだろう。
すれ違った想いの連鎖が生んだ結末は、考えるにはあまりにも重すぎて、わたしはその悩みを心の片隅にとどめて手放した。
さわやかな少年の声が説明を再開する。
《ソロンの魔法は、僕が知る範囲では、特定の人間を設定できるほどの精度はなかった。ただ、どんな人間が対象となるか予測がつかなかったわけではないんだ。
クオリア素子が感じとれる鋭敏な感覚の持ち主ということはもちろん、次元を超えるだけの体力と柔軟性のある若さ。さらに、身体的には女性のほうが耐久性に優れているからね。十代の女性だろうとは思っていた。二人というのはさすがに予想外だけど》
『前の乙女も十代?』
《十八。君たちより年上だね。名前は、辻由梨亜(つじゆりあ)》
『やっぱり日本人なんだ』
《日本人を喚ぼうとしていたんだから当然でしょう? 彼女はこの……定点Kから来た》
レインの手がもう一度ひるがえると、スクリーンには、見覚えものあるよりちょっといびつな日本地図が広がった。
そこに光る点が六つ。九州、中国地方、近畿、東海、関東、東北。定点Kは近畿地方だ。
関西方面に疎いわたしには、いまいち県名がはっきりしない。分かるのは小さくなった琵琶湖くらいだ。
『どこだろう?』
『琵琶湖の手前だから……京都?』
『キヨウ?』
ルイスの発言に、真紀と二人で止まった。似ているよ、確かに似ているけど、でもまさかね?
変な汗をかくわたしたちなど気にも留めず、平然とレインが肯定する。
《ああ、そのまさかだよ。この国は、建設時に日本の古い都市名を使用したらしいからね。マフォーランドだって、元は〝まほら共和国〟だよ。なんであんことになっちゃったんだか》
最後の方は、たぶん愚痴だ。愚痴は言うし我が儘は言うし、レインはコンピュータシステムっていうより、かなり人間寄りな気がする。
なんてわたしが抱いた感想とは全然別のことを、真紀は考えていたらしい。
『ここ、最初は共和国だったんだ?』
《元が民主国家だったんだから当然だよ。残念ながら〝日の出ずる国の天子様〟のご嫡孫は異郷の地に出向くことを良しとされなくて、ここには降り立ってないから、余計にね》
つまり、この星には一般の小市民しか来なかったってことだ。
《長い航行をする中で[まほら]内では社会が形成され、民主的な行政が機能していた。だけど開拓という局面ともなると、全く別でね。強い指導者が求められた。そこから身分社会が生まれたというのは……僕より彼らのほうがよく知ってるんじゃないかな?》
前より幾分ましな、それでも冷ややかな光を含んだ碧の瞳が、二人の男を見る。
レインがマフォーランド人を嫌う理由が、少し分かった。嫌いというか、腹立たしいんだと思う。わたしたちからすれば未来人であるレインは、すごくこの星に期待を抱いて、理想の社会を築こうとしていたはずだ。それなのに、今は時代を逆行するような絶対君主制が国を支配している。
――失望、してるのかな。
光に包まれた天使の顔は、微笑ともつかない表情にごまかされ、何も読み取ることはできなかった。
突っかかるレインに乗ることもなく、ルイスは困惑した吐息を小さく洩らして、話題を逸らした。
『政治的な議論は置いておいて、乙女の話に戻ろう。彼女は〝キョート〟から来たということだが、君たちはこの図でいうと、どこから来たんだ?』
聞かれて、『広島』『神奈川』とそれぞれ答えると、画面の点が二つ赤く光った。
《定点HとTだね。Tが少し西へずれているようだ》
『え! ってことは、うちにその定点があったってこと?』
自宅の玄関からやってきたと言う真紀の声に、レインが顔をしかめた。だからもったいないってば。
《違う。君の家付近に〝将来〟定点が置かれるということ》
『あ、そっか。未来か。……え、あれ? どゆこと??』
《いいかい、ここと地球は約三十光年離れている。光の速度で、辿り着くまでに三十年かかるということだ。だから普通に考えて、さっき見た地球の映像は〝三十年前〟の映像であるべきだよね?》
『う、うん』
《だけど、光の二倍の速度で情報が送れたら? 誤差は十五年に縮まる。じゃあ……三十倍の速度なら?》
『同じ、時間……』
《そう。さっきの映像は〝今の〟地球の姿だ。光ではない別の粒子を使ったこの技術は〝時間補正〟と呼ばれるんだけど、ソロンはこれに魔法で介入した。時間補正技術を用いた超光速通信を取り巻く二星間の次元を弄ったんだ。
大きなボールを想像するといい。左右から力を入れて押しつぶすと、全体の質量は同じなのに、中央の距離は短くなるね。光の三十倍の速度で飛ぶものが、速度を落とさずに飛距離を縮められるとどうなるか――時間を、通り越すんだ》
『……タイム、トラベル?』
《原理的にはね。そうやってソロンは〝過去の定点〟に接触し、情報を送るよう指示を出した。
同時に一時的に捻じ曲げられた次元には、反発する力が生まれる。それは膨大なエネルギーとなって定点に歪みをもたらし、歪みは周辺のものを巻き込んで正常な状態へ戻る……つまり、未来に還るんだ。これが、彼のしたことを僕なりに解釈したことだ》
『……ごめん。SFすぎて、よく分かんない』
《はは、僕も似たようなものさ。SFというよりファンタジーだね。なにしろ過去へ飛んで、さらに三十光年も離れた場所から生きたままの人間を捕獲しようなんていう、とんでもない魔法だからね。何がどうなっているか、こっちが聞きたいくらいだよ》
軽々しく〝捕獲〟とか言わないで欲しい。生贄にされた気分だよ。
《ともかく、君たちは定点の近くにいて巻き込まれた。不運としか言いようがないね》
『扉の出口の設定はどうなっているんだ?』
《なかなかいいところを突いたね。たぶんソロンは、この[まほら]を目指したのだと思うけど、ここは船自身が帯びた宇宙放射線、コンピュータ等の放つ磁場、[まほら]を眠らそうとした人たちの魔法なんかが複雑に絡んでいてね。近づくものはたいてい弾かれる》
ジャムが言ってた〝力場〟のことだ。あれだけ魔法が使えるのは本当に異例だよ、とレインはルイスに皮肉を言い、続けた。
《定点から飛ばされたものは[まほら]の場に弾かれ、仕方なく地方へ散ったんだと思う。これはもう推測とかじゃなくて、ただの予想だけど》
『では、こちら側から扉を開けることは……』
《不可能だね。扉の〝取っ手〟はこちら側には存在しない。一方通行なんだ》
一方通行。ソロンの言っていたことは、本当だったってことだ。
わたしたちは、帰れない。
魔法士のルイスは〝扉〟の正体に、考え深げに呟いた。
『それで、いくら彼女たちの来たところを探しても、何も発見できなかったというわけか』
《〝全く何も痕跡がない〟のと〝彼女たちの世界に繋がるものがない〟という意味は違う。きちんと調査すれば、そのフィールドに時空を捻じ曲げた強い力の痕跡があったはずだ》
『だけどレイン。未来の技術……あ、過去かもしんないけど、それも加わってたんなら、今まで知られている魔法とは全然別物になっていたはずだよね?』
真紀の言葉に、レインは少し表情を緩めた。
《確かにそうだ。前の乙女が来たときに僕もずいぶん調べたけど、ソロンの技術は解明できなくてね。魔法が使えない以上、僕にはお手上げだ》
『じゃあ……やっぱり、あたしたちは』
《帰ることはできない。残念ながら》
きっぱりと告げられた言葉は、これまでの皮肉な陰を一切消して、むしろ慈しむような穏やかさに満ちていた。