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19-8


 だらだらと会話するあたしたちの周りでは、ますます激しく、ちゅどーんと吹き出しが出てきそうな勢いで砂と岩と光が弾け飛んでいる。崖が割れたり岩がなくなったり。砂煙で隠れているが、これが消えたらかなりの地殻変動の惨状が現われること確実だ。

 さらに崖の向こうにそびえる聖地のてっぺんが、さっきからずっとぐらぐら揺れているように見えるのは、あたしの目の錯覚なんだろうか――錯覚ということにお願いしたい。

『若様、だいぶ荒れてますねー』

『いろいろ溜まってるせいじゃない?』

 アマラさんの突っ込みに、なぜかタクが驚いたようにむせる。そういえばタクは、今朝のルイスの超低気圧の原因を知ってるみたいだった。いつのまに男同士仲良くなったんだろう。

『ねえタク。ルイスって、今朝なんで機嫌悪かったの?』

 知ってるよね?と目に力を籠めて問えば、嘘の得意じゃない肉体派は言いにくそうに、だがすんなりと教えてくれた。

『彼は、君が向こうの世界で親しい交際をしている人がいるんじゃないかと心配していた』

 親しい交際? もっと率直に理緒子が聞き返す。

『真紀ちゃん、彼氏いるの?』

『いないよ』

 十六年間フリーだっつーの。だよね、と全員一致で返されるのもツライですけど。

『なんでそんな話になったんだろう?』

『寝言で好きな人の名前でも呼んじゃったんじゃない?』

 ごほんとタクがむせた。ほんと分かりやすいな。

――だけど、好きな人の名前呼ぶって……名前……寝言……夢……。

『あ』

 思い当たった。当たったけど、これって教えたほうがいいんでしょうか。なんだか余計に誤解が生まれそうな気がしないでもないんですけど。

『……〝しーくん〟かあ……』

『だれそれ?』

『…………うちの犬』

 ごふっっとタクがむせて沈んだ。驚きと笑いでネジが飛んだらしい。ネジ飛ばしたいのは、こっちだってば!

 〝イヌ〟が何か知らないジャムとイジーとアマラさんに理緒子が説明すると、三人とも大きく頷いて全開の笑顔になった。

『そりゃ旦那も気の毒に』

『やー、もうこのままでいいんじゃないですか?』

『黙ってなさいよ。面白そうだし』

――た、他人事だと思って!

『だけど馬鹿な男よね。気になるんだったら、さっさと聞けばよかったのに』

『で、即答でマキさまに〝イヌの名前だけど〟とか言われちゃうんですか? それも面白……わ、若様が可哀相じゃないですか』

 イジーもたいがい分かりやすい人だよ。実はアクィナス出身だという彼は、平凡を絵にかいたような特徴のない顔をにこにこと崩して、人知を超えた戦闘を繰り広げる〝若様〟を仰いだ。

『でも、それであの荒れ様なんですね。納得です。本当に聖地壊さなければいいですけど』

 や。やっぱりどう見ても聖地揺れてるよね?

 遠目だからどこまで無事か分からないけど、古いものだし皹とか入ってないか心配だ。なんたって地盤は繋がってるんだし。

『オレは、この場所であんだけの魔法力が使えるほうがどうかと思うぜ』

 頭が痛くて仕方ない、と赤毛の男が洩らすのを聞いて驚いた。

『このへん、なにか違ってるの?』

『場が違う。別の力が強く働いて、魔法力がうまくまとまらない。詳しい説明は姫さんたちに聞いてくれ』

『あんたって、魔法力が大きいわりに基礎ができてないからしんどいのよ』

『放っといてくれ』

『教えてあげるって言ってるのに』

『いらねーよ』

 二人の掛け合いはいつものことらしく、イジーが小声で『すみません』と謝ってきた。一番下って辛いよね。

『別の力って、聖地があるせい?』

『そのあたりがどうも……力の場の中心に聖地を置いたのかもしれないですし、聖地があることによってこの場ができたのかもしれない。可能性は両方あります』

『卵が先かニワトリが先かってやつだね』

『そんな感じです』

『じゃあ、ルイスも今結構しんどいのかな?』

『若様はいろいろと規格外ですからね。おそらくファリマは、この力場(りきば)を利用してこちらの戦力を削いだつもりなのでしょうが、〝閃光のアクィナス〟を甘く見てもらったら困ります』

『あれ、〝氷のアクィナス〟じゃないの?』

『それは学院時代の仇名ですね。なんでも、いじめてきた上級生たちを氷漬けにして空き教室に一晩放置したとか。あとは若様の見た目と性格から、その呼び方が広まったみたいですね。今は〝閃光〟とか〝殲滅(せんめつ)〟とか〝白紙〟とか、いろいろ呼ばれています』

『白紙?』

『若様が参加した戦闘は、敵味方問わず〝白紙〟にされるそうですよ。さすがですよねー。憧れちゃいますよ。あはははー』

 あれだな、イジーの語尾の〝です〟は〝DEATH〟に変換されてるな、絶対。

――〝閃光〟か……。

 その名を表わすように、まばゆい魔法の光が砂煙の中から断続的に輝く。理緒子とつないでない方の手を、ぎゅっと握って胸に押し当てた。

 二人の戦いの続く中、みんな普段どおりのなんでもない会話をしてたけど、それがなかったら不安で不安でどうしようもなくうろたえまくっていたかもしれない。

 冗談混じりにルイスの強さを教えてもらっても、爆発音が響くたびに必死に心で打ち消すのは簡単じゃない。あたしよりルイスのほうが大変なんだと分かっていても。

『そんな顔しないの』

 ぽふ、としなやかな手のひらがあたしの頭に載った。

『彼は勝つわ。わたしの千里眼を信じなさい』

『アマラさん……』

『まあ、あんたのための戦いなんだから、多少は責任感じてもらわないと困るけどね?』

 やっぱり辛辣に、だけどどこか哀しそうにアマラさんは続けた。

『ルイスはね、外見のせいで産まれた直後に親の住む屋敷から離され、マーレインの力のせいで故郷からも離されて、たった一人で生きてきたのよ。だから他人の受け入れ方が分からないの。

 心を開いても、その芯は常に閉ざされていたわ。本人にもどうしたらいいか分からないようだった。それでもいいと思っていたのよ。周りも彼自身もね……だけど』

 深いガーネットの瞳が、遠くの砂塵に向かう。ため息にも似た苦い微笑。

『まいっちゃうわよね。その彼が、変な格好をした、どうってことない容姿の子と二人で仲良く笑ってるんだもの。ひとつの椅子に座って、肩寄せ合って……本当に楽しそうに』

『え……』

 血の気が引いた。

 それは確かにあったこと。だけど、その場にはあたしとルイス以外誰もいなかったはずで。

――千里眼……未来視。

『それ、いつ視た、の?』

『……昔の話、よ』

 ああ、アマラさんの積年の恨みはこれなんだと悟った。未来のルイスとあたしを視たことは、きっと婚約解消できちゃうくらい強烈なことだったんだ。

『アマラさん、あたし……』

『謝らないでよ。自分の決断を他人や運命のせいにしたくはないの。これは、わたしのプライドだから』

 ぴしりとあたしの言葉を撥ね退け、それでも再びこちらを見た深紅色の双眸は、やわらかかった。

『わたしが視るのは、確定された未来の分岐点。そこに辿り着く道程や感情は、まったくの未知なのよ。だからわたしは、これが自分で選んだ道だと誇りをもっているわ。――ねえ。二人は、これから先に起こることを知りたいと思う……?』

 繋いでいる手の間で蒸れる熱が、急に冷たく感じる。あたしは顔をあげて隣の理緒子を見、ほっと緊張がほぐれるのを感じた。

 彼女の瞳は、困ったように笑っていた――なにを選んでも、どのみち行くんでしょ?と。

 同じであろう微笑を浮かべて、ゆっくりとかぶりを振る。

『ううん、いいや』

『わたしも』

『……本当に?』

『うん。聖地に行ったあとで、合ってたか教えてよ』

『それじゃ予知でもなんでもないじゃないの』

『いいんだよ、それくらいで』

 占いとかも好きだけど、先に答えをはぐって読むミステリなんてつまらないから。

 アマラさんがちょっとだけ眼をまたたかせ、意地悪い笑みを唇にのせた。

『じゃあ、ルイスが勝つって言わなければよかったかしら?』

『それは教えといて。心臓に悪いから』

 ほんとに地響きとか爆発音とか砂柱とか冷や冷やするから。いくらルイスなら大丈夫って信じてても、体が無事じゃなかったら意味がない。

――時間、どれくらい経つんだろう。

 ルイスがとんでもなく強いんならさくっと勝って欲しいのに、結構長いこと戦ってる気がする。びくびくして理緒子の背中に逃げるあたしの頭を、今度は別の大きな手が撫でた。

『そう心配するな。彼はアクィナスだ』

『あら将軍。わりと魔法士に詳しいのね?』

『マーレインの力について調べているうちに知っただけだが』

 あれ、アクィナスって領主の息子だからっていう呼び方じゃないんだ?

『アクィナスもファリマと同じく、古代より続く格式ある神殿を擁する領地だ。無論彼は天都魔法士だが、領主の息子であれば土地神の加護は強く受けているはずだ』

『アクィナスの祭神はフェイオー。太陽神アーミテュースの伴神で智慧と調和の神であり、すべての神の伝令役。つまり太陽神の立ち入れない闇の女神の領域さえ、彼には入れるのよ』

 万能の意味が分かった気がした。アクィナスの名がすでに、すべての領域に通じるということなのだ。

『だから嬢ちゃんも安心して――う、』

 笑いかけたジャムが、途中で言葉を止めて凍りついた。見る見る蒼ざめ、苦しそうに肩を丸める。上着から顔を出したパンが、心配そうにチィと鳴いた。

『ま……ずいぞ。旦那、あれ、を喚ぶ、気、だ……』

 切れ切れの呟き。その一音一音が紡がれるごとに、何かが変わっていくのが分かった。はっと周りを見渡すと、青さの戻っていた朝の空に急速に黒雲が立ち込め、覆い尽くしていく。

 靄のように流れるそれではなく、はっきりと形のある天を突く積雲だ。胸が騒ぐ。二頭の鬼が立ち上がり、牙を剥いて威嚇するけど、微妙に尻尾が股の間に納まっている。

 アマラさんが上品さをかなぐり捨てて舌打ちし、周囲を囲む晶壁の内側にもう一重魔法の壁を創り出した。

『あんの馬鹿っ! 聖霊喚ぶなんてどうかしてるわ。本気で聖地壊す気なの?!』

『もうおれ、若様にだったらやられてもいいかもです』

『くだらないこと言ってないで手伝う!』

 やり合いつつ、それでも真剣な顔で魔法士たちが守護のための魔法を強化するのを眺め、タクがぽつりと呟く。

『確かフェイオーは、人々に調和と平穏をもたらすのではなかったか?』

『正確には、変化のあとの平穏よ。かの神の相は改革。伝令は変化を告げるために訪れるものだわ』

 そりゃそうだわ――なんて納得しているゆとりもなく。

 天が暗みを増すのとは対照的に、大地では満ちていた砂煙が薄らいでいく。その中に佇む、二つの影。一人は立ち、一人は膝をつき、まだ対峙を続けているようだ。

 軽く見たこともない峡谷ができてたり、崖の稜線が大きく崩れてるけど、それでも二人はどちらも五体満足に見える。黒雲に青白い火花が幾すじも走り、人影をまばらに照らし出す。

――ルイス。

 きゅっと胃が縮こまる。いつの間にか息を止めていたあたしは、立っているほうの影の頭頂に金色の光が差すのを認め、ほうっと吐き出した。安心したわけじゃない。彼の両手はまだ剣を握ったままで、戦いの途中であることは明らかだった。

 息を洩らしたのは、彼の顔のせいだ。無表情というより、人としてのなにかが欠落した面差し。そこに浮かびあがる二つの瞳だけが、燐光のごとく輝きを深めていく。

 異世界人のあたしでも分かる、恐ろしいほどの魔法力が彼を中心に渦を巻いて、天空の黒雲へと立ち昇る。対峙するヴェルグがうずくまったまま何もしないのは、すでに対抗する力が失われているからだ。

――ルイス……だめだよ。それ以上したら――。

『――大丈夫って言ったくせに……ルイスの馬鹿』

 八つ当たりにも似た気分でそう口にのぼせると、なぜか涙が溢れてきた。

 分かってる。馬鹿なのはあたし。彼を人でない領域にまで踏み込ませ、とんでもないものを喚んで人の命を奪おうとするほど怒らせたのは、全部あたしのせいだ。

 人じゃなくなっていく彼が怖いんじゃない。ただ、哀しかった。彼の表情がなくなればなくなるだけ、彼の心が壊れていくような気がした。

――ルイス……帰って来て。お願い。

 祈るような気持ちで、見つめ続ける。

 本当は気付いていた。あのときあんなに嫌だったのは、ヴェルグに触られたからじゃなくて、ルイス以外の人に抱きしめられたからだってこと。あたしの心と体に触れていいのはルイスだけ。傍に居て、髪を撫でて、耳元で囁かれたいのは一人だけだ。

 答えなんて、とっくに出てる。ただ認めたくなくて、認めたら自分が変わってしまうんじゃないかと怖くて、馬鹿なくらい臆病だったんだ。

 四重五重に張り巡らされた晶壁の向こうで、人ならざる青い瞳をした光の存在が、その名を吼えた。

『ルージィン……!!』

 雲の中で高まりつつあった電光が、一声と同時に解き放たれ、一頭の長大な獣となって身をくねらせて襲来する。それはルイスの頭上で二つに分かれると左右の剣へと吸い込まれ、次の瞬間、うずくまる相手へ突きつけた剣先から数倍の輝きをまとって迸った。

 幾重に護られてもなお耳に響く圧力と爆音。たち籠もる砂塵と降り注ぐ砂礫。

 理緒子も、アマラさんでも一瞬目を瞑る光景だったけど、あたしは目を逸らさなかった。だって、見たんだ。ここからの距離じゃ分かるはずのない、彼の表情を。

 稲妻を放つ直前、ルイスは確かに少しだけ意地悪そうに口の端で笑ってみせたのだ。

――……ルイス。

 辺りを包んでいた白い靄が、大気の流れと共にゆっくりと引いていく。黒焦げ、深く穿たれた地面。その数センチ先でうずくまる男。

 そして、変わらぬ位置にいるもう一人は、ほどけた金色の髪をゆるやかになびかせ、二つの剣を左腰に納めて大地に立っていた。

 それを目にした途端、あたしは走り出していた。晶壁は――ぶち破ったのか、上手いタイミングで消してくれたのか分からない。あたしの眼にはただ一人、金色の髪の彼の姿しか入っていなかった。

 ごろごろと転がる岩を乗り越え、石を蹴散らしてひたすら走る。この一歩一歩が、すごくもどかしくてたまらない。気付いた彼が、こちらを振り返る。

 数瞬前まで人ではなかった瞳が、少し驚き、すうっとやさしく三日月を描いた。

「マキ」

 いつものあたしを呼ぶ声。想いが先走って、足がもつれる。

 あたしは半分転びかけ、前につんのめった勢いを借りて、そのまま彼のお腹に抱きついた。

「ルイス……!」

「マキ?」

 言葉を続けようととして、お腹に回された手に指環が嵌まってないことに気付いたらしい。

『どうかしたのか?』

 普通の調子でそう送心術で聞いてきたから、「どうかした、じゃないだろうっ!」と返そうとして止めた。それよりも言いたいことがある。

「ルイス、あのね……」

 不思議なものだ。本当、こういうのって言えちゃうもんなんだな。自分の人生じゃ絶対ありえないと思ってたけど、どうしても言いたいんだ。言葉が心を突き破って、溢れ出てくるみたい。

「大好き」

 通じなくてもいい。今は、自分の言葉で伝えたかっただけだから。

 日本語は分からないはずなのに、それでもルイスはさっきよりも数倍やさしい笑顔であたしを抱きしめ返してくれた。

『君がいてくれてよかった』

「あたしも」

 しまった、マフォーランド語すっぽ抜けた。でもまあいいや。

 無事を確かめるように彼の胸板を触り、左右の手をとる。裏表確認。よし、指もちゃんと五本ある。顔にも首にも傷はなし。髪の毛も焦げてない。よおし、いい男っぷりは変わってないぞ。

 一通りルイスを見分して満足したあたしは、嫌な記憶の上書きも兼ねて、ぴったりべったりくっついた。ルイスがちょっと困った顔をする。

『マキ、本当になにかあったのか?』

 あったよ。大きな心理的変化がね! だけど語学力と恋愛経験値不足が邪魔をするんだ。

「ネイ(ないです)」

『本当か? 我慢せずに、きちんと私に打ち明けてくれ』

 もう言っちゃったし。つか、なんで腕を外そうとするんだ? せっかく乙女心を堪能しているというのに。

『あとでちゃんと話を聞くから』

「――真紀ちゃん、ルイス!」

 背後から聞こえる理緒子の声。そうだ、忘れてました。めっちゃみんなの前でした。

 急に恥ずかしくなって焦って腕をほどくと、二、三歩飛び退った。それでまた転びそうになって結局ルイスに抱きとめられたのは、お決まりのナントカってやつで。

 慌てたついでに、もうひとつ大事なことを思い出す。

「……あーあ。結局、トイレ行きそびれちゃったなあ……」

 好きだと自覚した相手の腕の中で、こんなことを考えるあたしは、本当に心底まったく恋愛に不向きなんだと思う。



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