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19-4

*暴力表現あり。


 異変は、あたしがトイレに行った直後に起きた。いくら狙われたり見張られたりしてるとしても、やっぱりトイレくらいはプライバシーを守って欲しい。そう思って、一人でふらっと少し上の岩場に登ったのがいけなかった。

 ややくぼんだ周囲から隠れた岩陰に辿り着いた途端、まるでその行動を予期していたように、目の前に男が現われる。

 長身、鉄色の長髪をくくった鋭い目つきの男、ヴェルグだ。いつも背中に背負っていたシトゥラは今回はない。代わりに、長い剣を腰に差していた。

 ぞくり、と厭な予感が掠める。立ちすくむあたしに、ヴェルグが右手を伸ばした。

『こちらへ来い』

『い、いやだ』

 後ずさるあたしに、ヴェルグがにやりと笑って近づく。

 横目で周囲を窺うと、崖下まで追ってきていたタクに、青白く光る太いロープのようなものが巻きついているのが見えた。しかも、生きてるみたいにぐねぐねうねって、完全に彼の動きを封じ込めている。

――なに……あれ。

『あんたが、したの……?』

『そうだとしたら、どうだというのだ?』

『最っ低!』

 さらに一歩、あたしに近づく。その瞬間、瞼の裏で青白い光が一際輝きを増して消えた。

 タクが、と思ってふり返った隙に、ヴェルグはあたしの腕を掴んで強引に抱き寄せ、そのまま岩場の上段をひとつふたつと跳び上がった。

『待て!』

 タクの怒鳴り声が追いかける。ヴェルグの腕の中でもがきながら、あたしは必死に後ろを向いた。

 いつの間にか現われた藍色の服を着た集団が、目の端を行き過ぎる。ひらめく白刃の光。

 剣を抜いたタクが、それらを薙ぎ払って藍色の渦の中から飛び出てくる。弾丸のように鋭く跳躍し、大柄な体があたしとヴェルグの頭上まで跳んで、一気に剣を振り下ろした。

 ヴェルグは逃げようともせず、唇に笑みを浮かべてそれを迎え――刹那、ものすごい光と爆音が響いてタクの体が弾け飛んだ。

『タクッ!』

 さすがに戦闘慣れしているのか、タクは衝撃を吸収するように宙で体を捻り、足から崖下の地面に着地する。ほっと息が洩れた。

『さすがは風神。図体のわりに身軽なことだ。が……こちらはどうかな?』

 ヴェルグが告げるや、周囲に不気味な光がいくつも浮かんだ。鈍い輝きを放つ灰色の光球。魔法光のようだけど、確実に何かが違っていた。

――なにこの魔法……。

 ざわざわと背筋が粟立つ。なぜだかはっきり分かった。ヴェルグの使う魔法は、ルイスのとはまるで違う、光と闇のような対極の関係だってことが。

――怖い……タク、ルイス。逃げて!

 悲鳴をあげる余裕すらない。ヴェルグが唇に笑みを宿したまま、灰色の光を撃ち下ろした。

 ギン!と鈍い音が響いて、一瞬目を瞑る。間近で舌打ちの音が聞こえ、瞼を開けると、タクが次々と剣で灰色の光を打ち落とす姿が映った。

――すごい。剣で魔法を防げるんだ。

 そういえばジャムが、タクは国中で強い人の十位以内だと言っていたのを思い出す。

 灰色の光は剣で斬っても砕けるまではいかないけど、うまく弾いて勢いを殺し、地面に叩き落としていく。その作業をタクは、切れ間のない流れるような動作でやってのけた。まるであの大きな剣が風の幕を作って、一切の攻撃を防いでいるみたいに。

 苛立ったのか、また舌打ちをしたヴェルグが、あたしを掴んでいない左手を上空に掲げる。すると今度は数百、数千もの灰色の光が、辺り一帯を埋め尽くすように発射された。逃げ場なんてない。

 蒼ざめるあたしの視界の片隅を、鮮やかな色がよぎった。目の覚めるようなその赤は、タクを守るようにその場に現われた男の髪の色だ。

『ジャム』

 正体不明のマーレインはタクの前に立ち、素早く腕を掲げる。見えないはずの力は、だけど魔法力同士がぶつかるせいか半球状の壁となって淡く輝き、灰色の光を防いだ。

『あんたの足止めのせいで、ぎりぎりの登場じゃねえかよ。まったく』

『半端者どもが……こいつらの相手でもしているがいい。地の精ゲブよ!』

『――マキ!』

 ルイスの声が叫ぶ。捕らわれたまま首を捻ると、理緒子を庇いつつこちらを仰ぐ彼の姿が目に入った。その二人の前の岩が突然、生きているようにぼこぼこと盛り上がりはじめる。

 岩は角のある蛇の首と尾をもった化物の形を作ったかと思うと、物理法則を完全に無視して二人に向かって動き出した。岩製のごつごつした四肢が、重い音をたてて歩み寄る。それはジャムとタクの前にも現われ、彼らを一画へじわじわと囲い込んでいた。

『さて、行くか』

 満足そうに、ヴェルグが促す。その手を引き剥がそうと、闇雲に手足を振り回した。

『触わんなっ。なにが目的だよ!』

『異界の乙女とその一行が邪魔だという者がいてな』

『それって、フージェ・ハラン?』

『わりと状況を理解しているんだな。そうだ。だけどまあ、それはたいした理由じゃない。俺は元々おまえをここへ連れてきたやつらと相性が悪いんだ』

『相性で人の命狙うなっ』

『口がたつんだな、おまえ。しゃべらなかったのは言葉が通じないからか?』

 紅い石の指環を嵌めた右手を掴み上げ、意地悪くヴェルグが笑う。

『うるさい。相性だか権力闘争だか知らないけど、なんであたしたち殺そうとするのよ? あんただって、雨が降ったほうがいいんじゃないの?』

『降らなければ降らないで構わん』

『……え』

『この世界の渇きは必然だ。旱魃で飢える者がいたとしても、それは弱いからだ。弱いものが淘汰されて強いものが生き残っていく。自然の摂理とはそういうものだ』

 抑揚なく告げられた言葉は、強がりでも大袈裟でもない彼の本心のようだった。

『おまえ、少しは俺に感謝しろ。このまま聖地に行っていたら、殺されていたかもしれんのだぞ?』

『なんでそうなるのよ』

『ヒントを与えてやっただろう。歌だ』

 そう告げられ、脳裏に〝ユリアの花〟の歌詞がよぎる。あれは確か、彼女の命と引き換えに雨が降ったという内容だったはず。

『ただの伝説でしょう?』

『だが真実かもしれん。おまえは、おのれの命と引き換えにしても、この世界に雨を降らそうとしているやつらの言うことを鵜呑みにするのか?』

『……そんな』

『俺と来い。俺なら、おまえを異界の乙女などではなく一人の人間として扱える。水門のことなど忘れてしまえ』

 甘い誘いだ。揺らぐ心をぐっと抑える。

『あたしを殺すんでしょう?』

『無為な殺生は好きじゃない。俺が受けた依頼は、水門の開放の阻止だ。それができれば、誰がどうなろうとあいつらの知ったことじゃない。おまえが俺のものになろうが、構わんさ』

『なんで理緒子じゃなくて、あたしなの?』

『もう一人の娘は、完全に守護者の男に骨抜きにされているだろう。ああいうのは厄介だ。感情に目が眩んで、どんな真実を語っても聞き入れない。その点おまえは、自分の考えを持っている。おまえなら俺の言うことが分かるはずだ』

 ぐっと腰を抱き寄せられ、低くてハスキーな声が耳元で囁いた。

『俺と来い。大事にしてやる』

『や……だ』

『あの色なしに未練でもあるのか? あんな王の人形のような男など、忘れろ』

『ルイスはそんなんじゃない!』

『そうか? あいつは王の命が下れば、躊躇なくおまえを殺すぞ。でなければ護衛になど選ばれるはずなかろう?』

 怖い。頭が真っ白になるほど怖さを感じるのは、心のどこかで彼の言ってることが真実だと分かっているからだ。だけど、認めたくない――認めるわけにはいかない。

 密着する腕と胸は大きくて硬くて、ルイスとは全然違う、巌(いわお)のような強健さだ。

――……いやだ。

 ふいに嫌悪感が襲う。腕をもぎはなそうと身をよじり、爪で彼の手をひっかいた。

『放せっ。あたしはあんたとなんか行かない!』

『強情だな。少しはなついているかと思ったんだが』

『うるさいっ』

 いい奴だと思って一緒に歌なんか歌った自分を全力で罵倒したくなった。

『気の強い女は嫌いじゃないが、我が儘を言うと少々強引にするぞ?』

『うるさ――』

 言葉は途中で途切れた。ヴェルグが空いている手で、あたしの頬を張ったからだ。

 力加減したんだろうけど、耳の奥がしびれ、顔の右半分がじんじんと熱を帯びる。何よりしゃべってる途中だったから、歯で唇の内側を切って、口の中に血の味が広がった。

――……なんだ、こいつ。

 殴られたショックで、逆に怒りの沸点が下がるのを感じた。温厚が服着て歩いてるような父親は勿論、あの乱暴な兄でさえ、どんなにキレても殴ることは絶対なかった。

――そういうこと、か。

 この男の器量の小ささが見えた気がする。口ではどんなに巧いこと言っても、所詮暴力で女を従わせようという、あの盗賊たちと同じレベルだとあたしは決めつけた。

――ぜったいに従ってやるもんか。

 黙り込んだあたしをおとなしくなったと思ったのか、ヴェルグが掴んでいた手をわずかに緩める。

『やっと観念し――ぐあっ?!』

 ヴェルグが変な声をあげたのは、あたしがやつの向こう脛を思いっきり蹴って、足を踏んづけたからだ。くそ、今だけピンヒールが履きたかったよ。

 よろめく彼の胸を両手で突き飛ばし、拘束を外すと、さらに地面を蹴って砂と石をぶちまけて逃げ出す。

『え……うそ』

 逃げたのはせいぜい十歩足らず。それだけしか行き場のない、小さく張り出た狭い岩棚にあたしたちはいたのだ。我ながら、きちんと状況を確認しなかった馬鹿さ加減が情けない。

 しかもそこは急な勾配の崖の途中で、下まではゆうに二十メートルはある。高飛び込みでもしたことがない高さだ。

――頭庇っても確実どっかの骨が折れるな、これは。

 足から落ちて足を折るか、自分の贅肉を信じてお尻からいってみるかと悩むあたしに、早々と立ち直ったヴェルグが余裕の態度で近づいてくる。

 左手で岩の壁にすがりながら、それでも後ろに退った。ぼろ、と足元の岩が欠けて落ちる。あたしの居場所はもう、爪先立つほどのスペースしかなくなっていた。

 眼下に見える台地では、首の長い岩製ステゴサウルスを相手にルイス、タク、ジャムが奮闘を続けている。砕いても元が岩だから、ダメージがなくて苦戦してるみたいだ。

『愚かな真似はやめろ。こちらへ来い』

『いやだって言ったの、聞こえなかった? 分かってると思うけど、あたしが今ここで落ちて死んだら、あんたは異界の乙女を自分の手で殺せなかったっていう不名誉だけじゃなくて、王様とその他もろもろをがっつり敵に回すことになるんだよ。言っとくけど、箍(たが)の外れたルイスはかなり怖いよ? それでもフージェ・ハランは、あんたを護ってくれるかな?』

『死ぬ気か?』

『あんたに捕まってみんなの足手まといになるくらいなら、別にいいかもね。異界の乙女は一人いれば充分だし』

『本気で言っているのか? 馬鹿は止めろ』

 あたしは思いきり息を吸い込んだ。そして、そこから飛び降りた。



*ステゴサウルス…ジュラ~白亜紀に生息した草食恐竜。背中にトゲのような骨状の板が並ぶ姿で有名。剣竜という下目名が個人的に気に入っている。現存しても、たぶん人は襲わないんじゃないか…と思う。

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