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18-6


 俺たちは順調にタキ=アチファの村に着くと、一般の巡礼者たちと同じように、村の入り口でイカカスの葉の浮かんだ聖水で身を清めた。

 供犠の村であったアチファは、これまでに通って来たどの村より小さい。その集落のつましさに異界の少女たちは少し驚いていたようだったが、おみくじ入りの菓子などをたくさん買って、村の子どもともずいぶん打ち解けたようだった。

 アチファの村には泊まらず、そのまま聖地への旅を進める。高度が増してきたせいか辺りは肌寒く、いささか息苦しい。マキが咳をしていたのも気になって、夜は早目に野営を張り、眠りに就くことにした。

 テントは二張り建て、一方にリオコとマキ、もう一方を俺とルイスが使う。だが、いくら先発隊の三人がいるといっても見張りは必要だ。ルイスが先に休み、俺は三時間後に交代することにした。

「ではタキトゥス。何も起こらないと思うが、頼んだぞ」

「ああ」

 答えたのも束の間、片方のテントからリオコが飛び出してきた。

『大変! マキちゃんがすごい熱』

「なに?!」

 横になりかけていたルイスが跳ね起きる。隣のテントを覗くと、毛布に包まったマキがぼんやりした目を向けてきた。

「大丈夫か?」

 ルイスの声かけに、マキは何かを探すように辺りを見回した。自分の荷物に手を伸ばし、取り出した紙になにやら書き出す。リオコが読みあげた。

『〝昔からヘントウセンが腫れてよく熱出すから、たぶんそれだと思う。寝てれば治る〟だって』

「診せてみろ」

 ヘントウセンというのがよく分からないが、ルイスが傍らにひざまずき、慣れた仕草でマキの喉や額に手を当てる。

「すまない、俺が近くにいたのに」

「この気温の変化と旅の疲れのせいだろう。気にするな」

 また、マキが文字を書く。それを見て、リオコが怒ったように眉を寄せた。

『なにが〝後から追いつくから先に行ってて〟よ。置いていけるわけないじゃない』

「リオコ。今から薬湯の作り方を書くから、タクといって作ってきてくれ。――マキ、君は寝るんだ」

 マキの手から紙とペンを取り上げ、ルイスが命じる。さらさらとそれに書き付け、俺に渡した。職務柄、魔法士は薬草学に通じているものも多い。

「私の荷物の中にそれらが入っているから。それと、もう一枚毛布を頼む」

「分かった」

 俺はリオコをうながし、テントを出た。去り際にふり返ると、ルイスが、気だるそうに目を閉じるマキを背後から抱きかかえて座りこんでいた。壊れやすい宝物を扱うようなやわらかな手つきと眼差しに、俺は知らず微笑する。

――少しでもマキが嫌がったら、簡単に手を離してしまいそうだな、これは。

 彼が執着と言い切る感情の片鱗は、澄んだ愛情に満ちているように思えた。

 俺は無言で、テントの布の扉をそっと閉ざした。


 ルイスが処方した薬湯を飲み、マキは少し容態が落ち着いたようだった。万能の魔法士の力があるならば薬など要らなさそうだが、治癒術はあくまで本人の生命力を高めるものだ。弱っている体に、強引な治癒はかえって病状を悪化させることになる。

「一気に熱を下げると負担がかかる。五、六時間ほどかけてゆっくり下げていくよ。それでも急なんだがな」

「分かった、頼む」

『ルイス、マキちゃんをお願いね』

 心配そうなリオコの頭を撫で、ルイスがマキのいるテントに戻る。俺たちは小さな焚き火の傍で並んで座った。火から外した鍋には、多めに作った薬湯が、まだ苦い香りを放っていた。

 黙って火を見つめるリオコが、うとうとと船を漕ぎはじめる。

「リオコ、俺はどのみちここで火の番をするから、向こうのテントで休むといい」

『ううん。いい、ここにいる』

「休むことも必要だ。この先もう少し歩くから、体力を残しておかないと」

『でも……ひとりで眠るのはいや』

 呟くように言い、リオコは立てた膝の上に頭を伏せた。彼女なりに不安なのだろう。俺はマントを脱ぎ、彼女の背中に着せかけた。

「寒くないようにしろ。ここは冷える」

『ありがと、タク』

 ほんのりとリオコが笑う。はにかみながら向けられる視線に、また胸がざわめいた。

 俺は強引に彼女から目を外し、燃える炎に意識を集中させた。ルイスの言い草ではないが、弱っている女性の心に付け込むような真似はしたくない。

 そちらを見ているわけではないのに、痛いほど視線を感じる。まるで目の前の炎をそのまま視線に溶かし込んだようだ。

――だめだ。

 心の中で、強く否定する。

 一度ヒューガラナで話したときに、衝動に負けて抱きしめてしまった。二度とあんなことはできない。もし今度彼女を腕に抱いたら――。

――だめだ。そんなことはできない。

 剣の鞘を固定する帯に結び付けられた、動物の人形。リオコが自分の持ち物を約束の印だとくれた――俺が彼女のものであることを示すように結ばれた、彼女と色違いの人形。

 俺たちが結びつくのは、それくらいでいい。

『……ねえタク』

 熱を秘めた声が俺を呼ぶ。だめだ、それ以上は。

『タク、わたしね……』

「リオコ。君を最初に見つけたのは俺だ。最初からずっと……俺が君の傍にいた」

 唐突に言い出した俺に、リオコが戸惑った顔で頷く。

『う、うん。ずっと助けてくれたよね』

「俺は以前、街の人を守る仕事に就いていた。そのときに、君を見つけた場所の近くでひとりの子どもを死なせてしまったことがあるんだ」

『え……』

「盗賊に誘拐された子でね。ロニという名前だった。まだ十才のかわいらしい子だったよ。だけど、俺は守れなかった」

 俺はリオコを見た。そして、彼女が傷つくことを知りながら、次の言葉を口にした。

「だから、俺は君を守ることが使命のように思っている。君を守りきることができれば、俺の罪も償えると」

 嘘だ。そんな想いなど、とっくの昔に超越している。それでも俺は、彼女を突き放す言葉を吐く。

「弱い男だろう? 俺は今まで、そんなことを考えながら君の傍にいたんだ」

 俺を嫌いになれ。そして何の未練も残さずに、元の世界に帰るんだ。

「軽蔑したか?」

『……ううん。全然』

 リオコは首を振ると、両膝を腕の中に囲うようにして、俺を見上げた。にこりと笑う。

『ずっとね、傍にいてくれるのに、タクがなにか別のこと考えてるの、分かってた。わたしとタクの間には、超えられない境界線みたいなのがあるんだって。それが、そのロニって子のことなんだね』

「あ……ああ」

『話してくれないかと思ってた。良かった、話してくれて』

 おかしい。なぜリオコは笑っているんだ。

「身代わりのように思われて、嫌じゃないか?」

『ううん。だって、タクが大切にしてた子なんでしょ? わたしはその子じゃないけど、大切だった子のことを忘れるなんてできないし……その子だって、タクに覚えていてもらって嬉しいと思うもん』

 なんてことだ。どういうわけだか裏目に出たらしい。途方に暮れて、おのれの拳に目を落とす。

 いびつな手。それですら、リオコは好きだと言ってくれたのだと思い出す。

「――君は何でも許せてしまうんだな」

 少しだけ苛立つ。俺がどんな想いで君の傍にいると思うんだ。睨むように彼女に目を向け、はっとした。

 もうリオコは笑ってはいなかった。訴えるように――どんな火でも灼き尽くしてしまうほどの熱を湛えた瞳を、ひたと俺に注いでいる。

『だって、わたしタクが好きだから』

 迷いのない声。

『わたし、タクが好きだから、許せないことだって許しちゃうんだよ。好きなんだもん』

「リオコ――」

 思わず、手を伸ばして抱きしめたい衝動に駆られた。強く拳を握る。テントではマキが苦しみ、ルイスが懸命に治療している。

『わたし、タクのことが好き』

「だめだ」

 なぜ分からない。だめなんだ。君はここから去るのに。俺の傍から。

『なんで? なにがだめなの?』

「いけない、リオコ。そんなことは簡単に口にしていいことじゃない。君は一番近くにいた俺を好きだと勘違いしているだけだ」

『簡単じゃないよ! わたし、どれだけ――』

「君はいずれ帰る。君を必要とし、待ってくれている人のもとへ……俺が必ず送り届ける。だから」

 俺を憎んでも嫌ってもいい。俺を、君の中から消さないでくれ。

「俺のことは忘れろ」

『タク――』

 リオコの瞳から涙が溢れ、ぼろぼろと零れ落ちた。それを拭ってやりたいが、代わりにぐっと目を背けた。

「泣くな。君はまだ若い。今からいくらでもふさわしい男が現われるだろう」

『や……だ。タクじゃ……ないと、や、なの』

「リオコ」

『なん…で……? わたし、別の世界の子だから、だめ、なの……?』

「そうだ」

 違う。本当は君が何者だろうと構わない。

『なんで……? わたし、タクたちと、なにも、変わらないよ……?』

 だが君は、俺の運命を変えてしまった。俺自身さえ制御できないほうへ。

『タク。ちゃんと……わたしを、見てよ』

 そんなのは当然だ。ずっと最初から見つめ続けてきた。

『〝乙女〟とかじゃなくて、ちゃんと、わたしを……見て』

 これ以上何を見るんだ。君は脆くて、すぐに不安そうな顔をして、それでも心配かけまいと周囲に気を配って。マキと比較して落ち込んだりもするけれど、自分自身のペースで前に進もうともがいていた。

 本当はもっと身勝手で、わがままを言って、泣いて周りを困らせてもよかったのに、そんな気遣いすら杞憂に終わるくらい、君は強かった。

 〝わたしも力になりたい〟――恐ろしい目に遭った後でも、そんなふうに言えるほど。

 リオコ、君は自分の弱さばかりを否定するが、その前に進もうとする意志や、他人を受け入れる心。やさしい笑顔にずっと俺は支えられてきたんだ。

 そう。俺は、守るはずの君に、ずっと救われてきたんだ。

――だから、俺は何より君の幸せを願う。傷ついても哀しませても、君自身が幸福に暮らせる未来を。

 それは、元の世界へ帰ること。

 そして俺は、誰より守りたい君の心を拒絶する――するしか、ないんだ。

「リオコ、君はすばらしい女性だ。だが、俺が君の傍にいるのは、君が異界の乙女で世界が水門の開放を必要としているからだ。俺はただの護衛にすぎない。

 君のことは大切だ。だが、それを恋愛感情に結び付けないでくれ。君は成人前だし、他の男性をよく知らないから――」

『知…って、るよ。わたし、付き合っていた人、いたもの』

――…………なんだって?

 一瞬、頭から冷水を浴びせかけられた気がした。まだ涙目のリオコが、強く俺を睨み、怒ったように続ける。

『二人だけ、だけど、あっちの世界できちんとお付き合いをしていた男のひと、いたの』

 二人も? いや、付き合いにも種類がある。俺は動揺を見せまいと努力した。

「その、付き合いというのは手紙のやりとりのような?」

『タク、わたし十六だよ? ちゃんと告白されて、デートとかして。えっと、まあ最初の人とはグループ交際みたいな感じだったけど、二人目とはその……オトナのお付き合いというか』

 俺から目を逸らし、リオコが泣き顔とは違う赤さの顔でもにょもにょと呟く。

『……だし』

「は?」

『だから、わたしもう〝乙女〟じゃないし』

「…………」

 頭が真っ白になる、というのはこういうことをいうのだろうか。

 一瞬、時間の流れすら凍りついた気がした。頭の中でリオコの台詞が何度もこだまして、意識がどこかに飛んでいく。

 ようやく飛び去った意識を繋ぎ直し、俺は変な音になりそうな声を振り絞った。

「つまり、君は……婚約を?」

『せ、正式には違うけど、結婚しようとは言ってもらったよ? だって、さすがに好きでもない人とは……できないし』

 服の裾を指でくしゅくしゅにしながら、リオコが言い訳するように言う。涙は止まっているが、顔は首まで真っ赤に染まっていた。

 地が黒いせいで分かりにくいが、きっと俺ものぼせたようになっているに違いにない。正体不明の熱が全身をかっかと駆け巡っている。

「そうか、ちゃんとした人のようで、良かった……」

『ちゃんとしてないよ? この春、二股かけられてたのが分かったから、別れたの』

「君と婚約をしているのに……他の女性と……?」

 知らず、地の底を這うような声が出る。そこに含まれる剣呑さに、はっと我に返ったリオコが、慌てたように手のひらを振った。

『あ……だから婚約とかじゃなくて、あのっ! 二股はショックだったけど、もう別れたし忘れたし……ごめんね。わたし、変なこと言っちゃった。お願い、忘れてっ! お願いっ!』

「…………ああ、分かった」

 両手を合わせて懇願するリオコにようやくそう答えたが、俺の意識は熱に浮かされたようにうつろだった。

 なぜだろう。いますぐ異界の扉とやらをこじ開けて、その男に決闘を申し込みたい気分だ。

――弱いな、俺は。

 矛盾しているのは分かっている。リオコを突き放さなければという気持ちと、彼女の心を独占したい欲望のせめぎあいを抑えきれない。

 もしリオコが他の男を見るようなことがあれば、彼女を害する者たちと同様に――いや、それ以上に激しく剣を向けてしまいそうな自分がここにいるのだ。

――執着とは、ルイスも旨いことを言ったものだ。

 苦い気持ちで思う。彼女への想いが、もう簡単に引き剥がせないほど深く心に根を下ろしてしまっていることを、俺は今さらながらはっきりと自覚した。

 混迷する俺の気持ちを映すように、頭上に広がる夜空は、星を抱きながらもどこまでも暗く深かった。



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